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21話 信じて貰えると言うこと

 放課後。

 予定通り俺と木嶋、そして市ヶ谷の三人は指導室に集まり、用意された椅子に着席する。

 少し遅れて小杉先生が到着して「三人とも済まないわね」と謝罪する。

 もっとも呼び出された俺たちが、いや……呼び出される原因を作った俺が悪いのであって、小杉先生が謝る必要はない。ただ、それを指摘するのも躊躇われたので、ただ「はい」と一言返答した。


「で……今朝はいったい何があったのかしら?」


 そう言って少し困った様に聞いてくる。

 何度も言うが、小杉先生は男の先生である。

 しかもビジュアル的にはイケメンの……決して女性ではない。

 そんな小杉先生に対し、最初に口を開いたのは木嶋だった。


「僕のした何かが笠羽君の気に触ったようだ……本当に申し訳ない」


 そう言われ、俺は待って欲しいとばかりに木嶋の発言を手で制した。


「いや、完全に俺の勘違い……というか完全な八つ当たりというか……とにかく全部悪いのは俺で……木嶋が謝る事じゃないから……」


 朝に比べてすっかり落ち着いた俺は、木嶋の言葉一つ一つに申し訳ない気持ちが膨れ上がっている。


「怒らせた原因が僕自身に無いのであれば、僕としては喜ばしい限りだが……、だが一体全体どうしたというんだい? 今朝の君は……いうなれば『らしくない』と思ったんだが……」


 木嶋の姿勢には、俺を心配し、相談に乗ろうという態度が現れていた。

 一度は肩を掴まれ、怒鳴られたにも関わらず――それどころかそのとき明らかに怯えていたのに――それでも俺の力になろうとしてくれていた。

 こんな言い方をすると小杉先生に申し訳ないが、下手をすると小杉先生よりも真摯になって聞いてくれそうだった。

 なんか最近、俺の周りって良い奴が多すぎなんじゃねぇの?

 というか、周囲の人間に比べて自分が余りに釣り合わない人間のような気がしてならない。

 今まで、こんな事考えたことも無いのに。


 ただ、それなのに俺は、この二人に何をどう説明したら良いのか……それどころか相談すべきかどうかも悩んでいる。


「私達じゃ相談に乗れないのかしら?」


 小杉先生にそう言われると返答に困ってしまう。

 こういう言い方をされると、相談しないことが逆に申し訳なくなるが、そもそもの原因は「誰も佳奈のことを覚えていない」ことが理由なのだ。覚えていない人物の事を相談されても、相談された側が困ってしまわないだろうか。


「その……正直、信じて貰えるような内容じゃなくて……」


 そんな俺の言葉に小杉先生は怪訝そうな顔をするが、ちょっと考えた後に小さく頷いた。


「分かったわ。まず笠羽君の言葉を信じましょう。」


「ああ、僕も君の言葉を信じよう。だから話して欲しい」


 二人ともそう言ってくれたが、ここからする話は二人にとって本当に突拍子も無い話だ。下手をしたら二人を馬鹿にしたかのような話になりかねない。

 俺がそう考え、躊躇っていると、ここになって初めて市ヶ谷が口を開いた。


「すみません。これから笠羽君がする話は、二人にとっても雲を掴むかのような話になるかとおもいます。それでも笠羽君は真剣に悩んで、苦しんでいます。二人にとっては笠羽君がおかしくなったと感じてしまう内容かもしれませんが、絶対にそういう捉え方をしないで貰えますか?」


「市ヶ谷さん……君がそう言う言い方をするということは、事前に何らかの話を笠羽君から聞いていたのかな?」


 木嶋が俺と市ヶ谷を交互にみてから、そう聞いた。その視線になにか妙な好奇心の様なものが見えたのは気のせいだろうか。


「ええ、昨日。私にとっても俄には信じ難い内容だったけど、それでも私は笠羽君を信じます」


「信じるに足る確証があると?」


「いえ、そこまでのものは無いわ」


 木嶋の問いに意外にも市ヶ谷はそう答えた。

 まあ、確かに市ヶ谷からすれば、いや俺以外の人間からすれば何らかの確証が得られるような話ではない。


「でも……笠羽君の言うことが本当だとしたら、自分の中にある『違和感』にも説明がつくの」


 そう言い切った市ヶ谷は、何処か神々しくて、そう……すごく格好良かった。

 そんな市ヶ谷に背中を押された気がして、俺は佳奈のことを切り出すことにした。


「二人は……『神成佳奈』という女子生徒を……クラスメートを覚えている……いますか?」


「「かんなり、かな?」」


 小杉先生と木嶋が口をそろえて佳奈の名前を復唱する。

 当然の事ながら二人の態度は、『神成佳奈』という名前に心当たりが無いことが伺える。


「いや、悪いけど聞き覚えがないわ」


 小杉先生の言葉に、木嶋も同意して頷く。


「佳奈が……佳奈に関する記憶が俺以外のすべての人から消えたんです……」


 俺の言葉に、二人は何も言えずにただきょとんとした。

 まあ、そうだろう。

 予想はしていた。

 予想はしていたが、それでも二人に対してわずかながら憤りを感じてしまう。

 何故、覚えていないのか……と。


「それが今朝、僕に掴みかかった原因なんだね? あのとき、君は確かに「そこはカナの席だろう」と怒鳴ったが……きっとそれと関係があるのだろう?」


 木嶋の疑問を俺は頷いて肯定する。


「けど、その『カンナリカナ』さんって人はクラス名簿にも載ってないのよ」


 小杉先生が手に持った名簿をめくって俺たちに差し出す。

 まあ、そうだろうな。

 佳奈の家に人の住んでいた形跡が無くなっていたことから鑑みても、名簿やらの記録も消失した可能性は高いと思っていた。実際、俺のスマホからも佳奈に関する情報は一切消えていたのだ。


「それでも……佳奈はいたんだ……一昨日まで……」


 逆に言うと唯一、俺の記憶にだけ残っているのだ。

 そんな俺を見て、小杉先生と木嶋は困惑した表情を浮かべる以外のことが出来ずただ黙って俺を見ていた。

 だから……話してもあまり意味がないだろうと思っていた。それでも話したかった。ただ、聞いて貰えれば良いと思っていたのだが……。


「ねぇ……笠羽君……貴方疲れているんじゃないの?」


 ……ああ……結局は病人扱いか。

 無理も無い話なのは分かっているつもりだった。俺以外の人間にとっては佳奈は最初から存在しないのだから、そんな人の話をされても理解など出来ないだろうことも予想していたし、期待もしていなかった。

 けど……。


「こう言ってはなんだけど、ちゃんとした、その……医者……いやカウンセラーとかに行った方が良いんじゃないの?」


 この言葉に、俺の中の何かがひび割れた。

 後になって考えてみれば小杉先生はなにも投げ遣りになったのではなく、一つの手段として一度専門家に相談した方が良いと提案しただけなのだろう。でなければこちらの反応を伺うような真似はしない。

 だが、この時の俺はそんな言葉を受け入れることは出来なかった。


「お前らが……お前らが勝手に忘れてるだけじゃねぇかッ! なのに憶えてる俺を病人扱いかよッ! 結局信じるつもりなんかねぇじゃねぇかッ!」


 小杉先生の目に一瞬動揺が浮かぶが、それも瞬時に憤りに変わる。

 何でそんな目で見る。

 そんな資格がアンタにあるのか!?


「だがそんな少女はいないッ! それが事実だろうッ!」


 小杉先生が突如として普段の口調を止めて俺を怒鳴りつけた。

 何が事実だ! そんなものはアンタにとっての事実でしかない。


「自分に理解出来ない事は全否定かよッ! だったら最初から相談に乗るとか言うんじゃねぇよッ! 信じるとか軽々しく言うんじゃねぇよッ!」


 普段と違う口調で俺を怒鳴りつける小杉先生に俺は強い怒りを覚える。

 結局はこの男も、信じるつもりはなかったのだ。

 俺は立ち上がり、小杉先生に掴みかかろうと手を伸ばした。

 そんな一触即発の状況を止めたのは市ヶ谷と、それまで口を開かなかった木嶋だった。


「私はちゃんと聞くから……私は笠羽君を信じるから、だからこれ以上は駄目だよ!」


 市ヶ谷が俺を抱きしめるようにして必死に止める。さらに木嶋まで俺にしがみついて止めようとしていた。


「そうだ、僕も君を信じよう。だからこれ以上は駄目だ。停学になってしまうぞ。そんなことになったら市ヶ谷君が今以上に哀しむだろう?」


 木嶋の言葉を受けて市ヶ谷を見ると、その目にはうっすら涙を浮かべ、震える手で俺を止めてイヤイヤをする様に首を振っていた。そんな市ヶ谷を見て、全身の力がゆっくりと抜ける。

 木嶋は、俺が脱力して椅子に再度座るのを確認すると、ゆっくりと俺から離れて小杉先生に向き直る。


「今のは先生も悪いと思います。信じると一度口にしたなら何故信じ続けなかったのですか?」


 その声は静かではあったが、言葉の奥に一本の芯が感じられ、俺も小杉先生も黙りこくってしまった。

 それは怒った時の市ヶ谷とは別の怖さ、というか迫力が感じられた。


 俺みたいにただ怒りにまかせて喚き散らすのとは違う、ある種の重みと、受け入れてしまう明確な力が市ヶ谷の言葉に込められていた。

 感情的になるより、こうやって静かに発言した方が効果的なのかもな……。


「何より、笠羽君がどれほど苦しんでいるか……笠羽君がここまで辛そうにしているのを僕は見たことがありません……こんな……泣くほど苦しんでいるのは……」


 え?

 俺は木嶋に指摘される今に至って、頬をつたうものがあることに気が付いた。

 俺は、いつの間に泣いていたのだろう。


「笠羽君の言う人が、実際にいたかどうかは大事なポイントじゃない。笠羽君が……先週まで、いつも笑っていた笠羽君がこれほどまで苦しんでいることが大事なんじゃないのですか?」


「う……」


 小杉先生が言葉に詰まっている。

 必死に訴える木嶋に、小杉先生はおろか俺と市ヶ谷ですら時間が止まったかのように動けなかった。


 俺は木嶋と市ヶ谷を交互に見る。

 俺なんかの為にここまで真剣になってくれるクラスメート。

 そんな二人の行動に今は報いなければと、自分に言い聞かせる。ここで俺の方から謝れないようでは、ここまで親身になってくれる二人に申し訳無い。


「その……木嶋……市ヶ谷……二人ともありがとう。そして、小杉先生。怒鳴ったりして申し訳ありません」


 市ヶ谷の身体を俺はゆっくりと離すと、そのまま小杉先生に深く頭を下げる。


「信じると言ってくれたのは凄く嬉しいけど、根拠も提示できない話だから……」


 木嶋の気持ちは有り難かったが、市ヶ谷と違ってネシャートの正体を知らない木嶋からすると、俺の言葉を信じられるだけの材料は実際には無いのではないか。

 だが、そんな俺の言葉を木嶋は真っ向から否定した。


「いや、実は今日一日、ずっと違和感があったんだ。先程僕は、君は笑ってばかりいたと発言したが、そんな君を見ていたのは、一つ後ろの席から見たような気がしててね」


 え?


 その言葉に俺は少しばかり驚いた。

 佳奈がいなくなってから、この世界には佳奈のいた痕跡があらゆる面で消失していた。


 だが、今木嶋が言ったことは、佳奈が一つ前の席に座っていたという事実に繋がらないだろうか?

 この世界は佳奈がいないはずの世界だと思っていたが、もしかして違うのか。


 いや、恐らくは違うんだろう。

 もし、佳奈がいないはずの世界だとしたら、俺の記憶からも佳奈の事が消えていないとおかしい。

 じゃあ、今のこの状況はいったいどういう状況なのか。


「僕がいつも見ていたのは、君が誰かと話をして笑っている横顔だったんだ。誰か隣の人と話しているような、そんな笑顔を見て、何度も羨ましいと思ったんだ。その違和感が、僕が君を信じる根拠だよ。きっと、市ヶ谷君も同じようなものだろう」


 その言葉に俺は振り返って市ヶ谷を見た。

 市ヶ谷はちょっと困ったように口を尖らせ、頬を染めて俯き気味に俺を見ていた。


「まあ、その……私も笠羽君のイメージは誰かと楽しそうにしているイメージがあって……ただ、その相手が誰なのかどうしても思い出せなくて……」


 そうか。

 市ヶ谷もそう言うイメージがあったから、俺を信じてくれたのだ。佳奈の事は忘れてしまっても、俺という存在を通して佳奈が存在した僅かな痕跡を感じ取ってくれていたのだ。

 そして二人の発言は、俺にとっての希望、地獄に垂らした蜘蛛の糸の様な、頼りないが確実な希望となった。


「だから小杉先生。笠羽君に対し、そう無下に扱わないで頂けないでしょうか?」


 木嶋はもう一度小杉先生に向き直ってそう言った。

 小杉先生は暫く黙っていたが、やがて俺に向き直って、頭を深々と下げた。


「先生のほうこそ、ごめんなさい。信じると言ったのに信じてあげられなかった。大人として、いや人としてしてはならないことだったわ。本当にごめんなさい」


「いや、その……普通は信じられないような話ですし……」


 あまりに深々と頭を下げられたので、俺の方が返って恐縮してしまう。


「いいえ、今の件については先生が全面的に悪いわ。生徒一人一人のことをキチンと見てきたつもりだったけど、木嶋さんや市ヶ谷さんの方が、よほどしっかりと笠羽君を見ていたのね」


 小杉先生の言葉に、どういう訳か市ヶ谷と木嶋が顔を赤くした。今の言葉に何か赤面するようなことがあっただろうか?


「そんなに真剣になってくれる友達は貴重よ。だから、謝れる時に謝って、償える時に償いなさい。頼れる時に頼って、力になれる時に助力しなさい」


 そう言いながら、小杉先生は何処か遠い過去を見るような目をして俺達を見た。


 謝れる時に謝って、償える時に償いなさい。頼れる時に頼って、力になれる時に助力しなさい、か……。


 そうか。


 俺は佳奈は未来永劫、ずっと傍にいるものと疑わなかった。

 傍にいる人はいつかいなくなるのに、それを知っていた筈なのに、それでずっと傷ついてきたのに、佳奈だけは傍にいると思い込んでいた。

 俺は……佳奈が俺の傍からいなくなる可能性から目を背けていた。


 けど、そうすべきではなかったと今になってやっと後悔している。


 もっと、傍にいることを大切にしなければならかなったのだ。

 俺は今まで、佳奈に沢山のものを貰ってきた。でも貰った分だけ返せているか、自信は無い。


 いや…………きっと返せてはいない……。


 今更だが、いつ別れても、いつ会えなくなっても良いようにしなければならなかったのだ。


 だからこそ、もう一度佳奈に会いたいと思う。会って伝えることが沢山あるから……。

 謝らなければならないことが……礼を言わなければならないことが山程あるから。


 次、別れる時が来たなら、今度こそお別れが言えるように……。


 ああ、そうか。

 そういうことだったんだ。

 やっと今になって分かった。

 こんな簡単なことに今まで気がつかなかった……。


 俺は…………。


 その時、俺の袖をくいくいと引っ張ったのは市ヶ谷だった。

 そうやって袖を引かれて、今は後悔するより先にやるべき事があると気付かされる。


 佳奈の事も重要だが、今はまず、謝るべき相手に誠意を持って――「すまん」などと言う誠意の欠けた言葉で誤魔化さず――謝らなければならない。

 感謝を伝えるべき相手に、正しく伝えなければならない。


「木嶋……本当に申し訳なかった。俺は完全に自分の苛立ちを木嶋にぶつけるという酷いことをしてしまった。その……すまない…………いや……ごめんなさい」


 俺は少ない語彙を総動員して、少しでも誠意が伝わるよう深く頭を下げて謝罪した。

 木嶋はそんな俺を見て目を細めた。


「わざわざ、ごめんなさいと言い直すんだね」


「ああ、アイツが怒ったときは『ごめんなさい』って言わないと許して貰えなくてさ…………あ……」


 真っ先に佳奈のことを話してしまう自分に、顔が少し熱くなるのを感じる。周囲の人間は佳奈のことなど知らないと、何度も自分に言い聞かせてもこの始末だ。


「それってカナさんのことかい?」


 そう問いかける木嶋に俺は口元を右手で隠しながら「あ、うん……まあ……な」と曖昧に返答する。


「ここまで来ると、単に女々しいだけだよな」


 自嘲気味に言う俺に木嶋と市ヶ谷がそんなことはないと首を振る。


「笠羽君、君にとって『カンナリ カナ』さんがどれ程大切だったのか、そして大きな存在だったのか良く分かるよ」


「そうね。羨ましい限りだわ」


 木嶋と市ヶ谷が、そう言って微笑んだ。

 掴みかかって、それどころか危うくもっと非道いことをしそうになった俺には勿体ない程の笑顔を向けられ、俺はただただ頭の下がる思いだった。



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