2話 ネシャート
「そういや、親父はネシャートのこと知ってるのかな?」
元はと言えば海外に出張している親父から送られてきた荷物に、『魔法のランプ』が梱包されていたことが原因なのだ。勿論本人は何も知らないで購入したのかもしれないが、知らないと決めつけて確認を怠ると後で面倒な事になるかもしれない。
「写真撮って親父に確認してみるか……」
「いや、止めた方が良いんじゃ無いかな? 多分だけど、何も知らない気がする」
確かに親父はサプライズ好きとかそういう性格では無いし……むしろネシャートの事を知っていたら事前に連絡してきそうである……真面目だし。
お袋が奔放な分、親父はクソ真面目な性格だった。
よくもまあ、あのお袋と結ばれたものである。
いや、親父が真面目な性格だったからか?
「確かになぁ……でも一応、写真でも送ってみるか……」
俺はネシャートにランプを手渡すと、懐からスマホを取り出してカメラを起動する。
ネシャートは胸元にランプを抱えきょとんとしたまま直立不動の姿勢を取っている。
「あ、コウちゃん。ちょっと……」
「ああ。撮るまで待て」
怯えるように何かを言いかけた佳奈を制し、俺ははカメラレンズをネシャートに向けシャッターボタンを押す。
カシャッ!
ドシャッ! ゴロゴロ……。
「ん?」
カメラのシャッター音と同時に背後から何かを床に落とす音が響く。
例えるならば、買い物に出た母親がスーパーの買い物袋を落として中身をぶちまけたような……そんな音だ。
そんな音というか、振り向いて確認したらそのままでした……ああ、うん。これ絶対ヤバい。
そこには茫然として自失し、ただただ自らの息子を凝視する俺の母親、笠羽静香の姿があった。
客観的にかつ簡単に今の状況を整理しよう。
自分の息子が、
中学一年生くらいの少女を家に連れ込み、
いかがわしいコスプレをさせて撮影をしている。
この状況を極端に好意的に見れば『特殊な趣味』、悪意を持って……いや普通に見ても『変質者の行い』にしか見えない。どちらにせよ、真っ昼間から母親に見せる行為ではない。
「航一……アンタって子は……」
お袋は俺と佳奈、そしてネシャートを順に一瞥すると、それ以上は直視できないのか俯くように頭を垂れてる。どんな顔をしているか確認は出来ないが、その両肩は明らかに震えていた。
佳奈が『もう手遅れね』と諦めたような表情で俺に視線を投げかける。
つか止めろ。その見守るような優しさをその瞳に浮かべて見つめるのは止めろ。そんな視線を投げかけるなら助けろ。フォローしろ。事の推移を楽しそうに見守るんじゃねぇ! つか、助けてください、お願いします! と目線と小さめのジェスチャーで救援を求めるが、それを助けるつもりは佳奈には毛頭ないようだった。
お袋は荒くなった呼吸を一先ず整え、意を決した様に顔を上げ俺を睨みつけた。
「まさかとは思ったけど……」
「いや、ちょっと待ってくれ。せめて釈明くらい……」
お袋に一歩詰め寄られ、合わせるように俺は一歩退いた。
ただならぬお袋の迫力――全身から得体の知れない圧倒的な圧力のようなものを発している。
お袋が顔を上げると……俺が今まで見たこともない満面の笑顔でズビシィッ!っと親指を立てた。
「あたしの息子だから何時かやるんじゃ無いかと思ったけど……まさかこんなちっちゃい女の子と佳奈ちゃん二人を相手にするとはやるなオヌシ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいッ!! 怒ってんのかと思えば全然違うじゃねえかッ!! 何トチ狂った発言してんだよ!! 大体なんだよ、その『あたしの息子だから』って枕詞は!」
今さりげなく、お袋が性犯罪者みたいなカミングアウトをされた気がするんだが気のせいだろうか? 気のせいじゃ無い気もするけど気のせいにしたい。気のせいだと言ってくれ。
「何言ってるのよ。あたしがどうやって父さんをモノにしたと思ってるの?」
「どうやってモノにしたんだよ! きっと自慢げに言う方法じゃねぇんだろ!? いや、むしろ知りたくねぇよ!」
止めてくれ。このまま放っておいたら息子として聞きたくない話までされそうだ。
「あの……静香さん? このままじゃ無駄に時間だけが経過するので順を追ってと説明したいんですが?」
丁寧に、かつ建設的な意見を提案してきたのは佳奈だった。まさかここで佳奈にフォローされるとは思わなかった。でも助かったのは事実。俺は心の中でそっと佳奈に感謝した。
佳奈はここに至る経緯を大雑把に説明した。
正直なところ、お袋は頭から信じている訳では無いようだが、思ったよりはすんなり受け止めている様に見える。
「で、そのネシャートちゃんはウチの息子に何されてたの?」
「また話がややこしくなるから黙れババ……おごうあッ!!」
いきなり脇腹にエルボーを食らった。
俺の周りの女性陣は、男は丈夫なものだと勘違いしていないだろうか?
男だって叩かれりゃ痛いし、怪我だってするんだってことをちゃんと認識して欲しい。
「自業自得だと思うな」
佳奈うるさい。
「で、そのネシャートちゃんはウチの息子に何されてたの?」
お袋は苦痛にのたうつ息子を全力でスルーして同じ質問を繰り返す。
「契約者であるご主人様の願いを聞いていたのですが……全く願いを言ってもらえないので途方に暮れていたところです」
ネシャートが『ご主人様』と口走った瞬間、お袋の顔がパアッと明るくなり眼がキラキラと輝く。対照的に佳奈は憮然としている。それぞれの表情を見比べた後、俺は大きく溜息をついた。
「契約って……そうした自覚が無いんだが……」
「あの。私をこのランプから呼び出したことが契約者としての証となるんです……」
ネシャートは大事そうに抱えていたランプをテーブルの上に置いた。
「だけど、安易には信じられないわね……航一はどう思うの?」
「どう思うも何も、目の前に現れる瞬間を見てたからなぁ……」
佳奈も「そうだね……アレを見ちゃうとね」と同意した。
だが、お袋はまだ半信半疑だった。まあ、当然だろう。見てないものを信じられるなら、世界の人間全てが幽霊や宇宙人の存在を信じられてしまう。大体、目の前で見たはずの俺ですら未だ現実感に欠けるのだ。
「しかし、ランプの魔人ねえ……」
ランプの魔人。
日本人ならこの言葉を聞いて真っ先に思い出すのは「アラジンと魔法のランプ」だと思う。
アラジンが手にしたランプから呼び出された魔人は、アラジンの望むまま食料や豪邸を一瞬で用意し、それらを使って美しい姫とむ結ばれるというあの物語だ。
ただあの魔人は、どちらかと言えばいかにも魔人らしい恐ろしい風貌をしており、目の前のネシャートは魔人という姿とはほど遠い。完全に普通の少女だし。そもそも外見が魔人っぽかったらここまで疑問に思われる事もないんだけど、ネシャートはそこんところどう思っているのだろう。
「こんな可愛い女の子に『ご主人様の願いを叶えます』なんて言われたら、航一が息荒くしても仕方ないわねぇ」
「息荒くとかしてねぇよ! 仕方ないとか言うんじゃねぇよ!」
「興奮して大きな声ださないでよ! 若いわねぇ」
「頼むからそこから話題を変えさせてくれよ!」
話題をソッチに持って行くのは天才的だが、そんな才能はいらない。自分に遺伝していないことを切に願う。
これ以上、お袋のペースに巻き込まれると話が進まないので、俺は身体の向きを変えるよう椅子に座り直しネシャートと向き合った。
「どんな願いでも叶えられるのか?」
「何でもという訳には行きません。例えば人の心を操るようなことは出来ませんし、また死者を蘇らせるのはような事も通常できません。それ以外にも、あまり大きく因果律に反することは出来かねますし、私の力を分け与えるような事もできません」
おや? 意外に出来ないことが多い?
「ですが、不治の病を治して欲しいとか、大金が欲しいとかはすぐに叶える事が出来ますし、王様になりたいとか、運命の人に出会って結ばれたいとかであれば、道を指し示すという方法で実現させることができます。契約者個人の努力は必要ですが……」
「え? 運命の人と結ばれ……いや、何でもない」
隣でさっきより恐い顔で佳奈が俺を睨んでるので止める。佳奈に遠慮する義理はない気がするが、後が恐い。いや、今すでに恐い。
だが今のネシャートの説明で大体分かった。あまり大がかりな願いは叶わないということなのだろう。
ただ……。
「願いって言われてもなぁ……」
そりゃ、人並みに夢だの願いだのっては持ってるつもりだけど、魔人の力を借りてまで実現するようなものじゃないしなぁ……。
後は単純に大金を望んだりするのも一つの手段だが、いきなり大金を持たされても困惑する自分の姿をが容易に想像できてしまう。
となると、あまり大仰な願いじゃない方が良いだろうか。
俺はしばし考え込んだ。
そういえばネシャートは何で願いを叶えて貰いたいのだろうか?
何らかの理由があるはずでは……。
ぐぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
盛大に腹の虫が鳴く。そう言えば今日は昼飯がまだだった。ここで俺は突然願いを思いついた。
「そうだな、寿司が食いたい」
俺はネシャートに向かって言い放った。
佳奈が横で『えぇぇぇぇぇ……そんな願い事なの?』って顔をしている。良いじゃん、別に。確か『アラジンと魔法のランプ』でも序盤の願いって、『そんな願い』だった気がする。
「でかい願いは自力で叶えてこそだろうが、俺今良いこと言った」
「それは願いのために日々努力をしている人が言うと格好いいんだと思うよ」
何気に酷い返しをされた。しかも俺には言い返せる材料皆無だった。
「どうせならすっごい高価なお寿司が良いんだけど?」
お袋は呑気ですね。
「願いを叶えて貰う毎に何かリスクを息子が背負うとしても?」
「リスクはありませんが……ご主人様の『力』をお借りすることにはなります」
そうネシャートは捕捉する。
力? 俺の?
「まあいずれにせよ、私には何もリスクはないだろうし?」
俺の母親は呑気というか自分のことしか考えてなかった……。
息子がどんな目にあっても良いから高い寿司が食いたいですか?
美味い寿司ではなく高い寿司が!?
「お寿司ですか? ではすぐ準備いたしますね。ご主人様」
心底嬉しそうな笑顔を浮かべたネシャート聞いた事も無い歌を歌い出すと、その両手が光を放つ。
いや、俺の力って何よ? とか、ホントにリスク無いの? とか聞きたいことがあったが、今となってはもはや手遅れ。とてもじゃないが何か聞ける雰囲気ではなくなった。
その光は少女の周囲に見たことも無い文字を形成したかと思うと、やがて胸の前で次第に渦を巻いて集約する。光の文字が集まるたびに、中心部の光量が増していき、直視できないほどに膨れ上がる。
大気が振動しているような錯覚を覚える。いや、実際に振動しているのだろう。
やがて集まった光は巨大な扉――そう、天井を突き抜けるほど大きな、光の扉となってネシャートの目の前に出現する。その中央には巨大な鍵穴があった。
同時に俺の身体から次々と光の球が溢れ出す。何これ?
ちょっと動揺する俺を余所に、ネシャートは願いを叶えるための歌を、何処か楽しげに歌い続ける。
俺から溢れた光は扉の前で凝縮し何かの形を作り上げようとしていた。
その時。
バキンッ!
大きな破砕音と共に、その光が砕け、光の粒となって消えた。
ネシャートが目を見開く中、ネシャートの目の前に出現していた扉も、霞の様に消えてしまう。そして静寂が訪れた。
あれ?
佳奈とお袋も同様に、あれ? といった顔をしている。
ただ一人、ネシャートだけは呆然と力尽きたかの様に膝をついていた。
そこには何も無かった。
あれだけ大仰な演出をしながら、少女の手には寿司どころか、器すら用意されていない。
「「「どういうこと?」」」
その場にいた全員が同時に同じ疑問を口にする。
その言葉に一番慌てたのはネシャートだった。
「あ、いや、そのですね」
「有り体に言って……失敗?」
「あ……う……はい。あの失敗というか……たぶん『条件』が整っていないんじゃ無いかと」
先程まで自信ありげな態度をとっていた少女からゴッソリと自信だけが失われ、見てて可哀想になるほど狼狽えていた。
いや、これどうしたら良いの?