12話 少女達の集い
次の土曜日の午後。
「へぇ……ここが笠羽君の家なのね」
「うん! ここがコウちゃんの家だよ」
「……おい」
佳奈と市ヶ谷が「何?」と、いたずらが見つかった仔猫みたいな顔をして俺を見る。
「何で二人とも俺の家に来るんだ?」
俺は自宅の玄関先に佇む二人に当然の疑問を投げ掛ける。
俺の記憶が確かなら、今日は市ヶ谷がどう着飾って良いか解らないから、佳奈が教えるとか言ってなかったか?
あと、二人とも荷物が多い。旅行に行く時に使うようなキャリーケースだのボストンバッグだのを持っている。着飾るとか言っていたので、服だのを色々詰め込んだのだと予想するが、それにしても多い気がする。
なお、勿論二人とも私服である。特に市ヶ谷は制服姿しか見たことがないので、かなり新鮮に感じる……ただ、飾り気が少ないためか若干地味に感じるが……市ヶ谷らしいといえば市ヶ谷らしいのかもしれない。
「いいじゃない? 別に」
何が問題あるのかと言いたげに佳奈が首を傾げる。
「そ、そうよ、女の子が二人も遊びに来てくれるなんて、二度と無いかも知れないのよ? ここは素直に喜んでおくべきじゃないかしら?」
そうかも知れないが、そうじゃない。問題はそこじゃない。何故ここに至って、俺の家に来ることになったのかを聞いているのだ。
あと市ヶ谷、台詞と表情が一致してない。冷静そうに見えて、目が泳いでるぞ。指摘しないけど。
「それに静香さん、楽しそうだよ?」
佳奈の言うとおり、何か含みのありそうな笑みを浮かべ、お袋がリビングから出てくる。
「アラアラアラ、いらっしゃい。二人とも大きくなって。ほら、航一もボサッとしてないでスリッパくらい用意しなさい!」
「いきなり軽くパニクってんじゃねぇ!」
何が「大きくなって」だ。一人はウチに来るのは今日が初めてだし、もう一人は毎日顔を付き合わせてるじゃねぇか。
「あ……あの……こんにちは……市ヶ谷と申します」
「市ヶ谷、こんな人格破綻者に丁寧に挨拶しなくても良いんだ……ゾブルァッ!」
脇腹にお袋の渾身の膝がめり込んで、俺、悶絶。
笑顔をまったく崩さないで、良くこれだけの威力にできるな……。
「あら、挨拶は大事よ? 航一もそのうち社会に出るんだから、挨拶はしっかり出来るようにならないと。ねぇ? 市ヶ谷さん?」
「え……えと……」
文字通り挨拶代わりに展開した惨劇に市ヶ谷は目を丸くして狼狽える。
「ああ、私のことは『静香さん』か『お姉さん』って呼んで頂戴。あ、勿論『お義母様』でも良いのよ?」
「え? あ……そ……それじゃ、お義母様で」
突拍子もない展開に完全に置いて行かれた市ヶ谷は混乱したまま、一番とんでもない返答を選択する。
「落ち着け、市ヶ谷。流されるな。お袋の冗談を真に受けると佳奈みたいになるぞ」
「そうそう、私みたいに……って、コウちゃん! 手遅れみたいに言わないでよ!」
呼び方の刷り込みが完了している時点で手遅れだと思う。
「お袋も、あんまり市ヶ谷が混乱するようなことを言うな」
何で今日は一段と思考が飛躍しまくってやがりますか?
「だってアンタが女の子を二人も家に連れ込むなんて、想像もしなかったもの。男子三日会わざれば割礼してエロ気づくって、本当だったのね!」
「毎日顔あわせてんだろうが! あと割礼なんてしてねぇし、エロ気づいてもいねぇッ!」
これが俺の母親だと認めたくねぇ! 例え事実だとしても!
「え? アンタ、ムケてないの?」
「客が来て嬉しいなら、その面倒くせぇ口閉じて茶ぐらい用意しやがれ!」
俺はお袋の背中を押してリビングに押し込む。
振り向けば佳奈は何時もの様にお袋の言葉を聞き流していたが、市ヶ谷は赤面して固まっていた。
市ヶ谷の反応が普通だよなぁ……なんかアレな親でスマン。
■■■
女性陣三人はきゃいきゃい騒ぎながらキャリーケースを持って二階に上がり、ネシャートが使っている部屋に直行する。
俺もその後を着いて行こうとしたが、入り口で佳奈に止められた。
「コウちゃん。私たちはこれから着替えたり、メイクしたりするんだから入ったら駄目だよ?」
そう言えば、今日はそれが切っ掛けで市ヶ谷が来たんだっけ?
でもそれなら佳奈の家で良かったんじゃねぇか?
「覗いたら駄目だからね!」
「覗かねぇよ! つか俺は出掛けるぞ」
別に俺、要らないみたいだし。
「え? 駄目だよコウちゃん」
「なんで?」
「だって、着飾った後で男の子の視点から見てどうなのか、判断して貰うんだから」
なるほど。だから俺の家に来たのか。合点がいった。そして今日俺に自由が無い事も理解した。ネシャートの部屋で市ヶ谷が「聞いてないよ?」と叫んでいるが、なら何故市ヶ谷は俺の家に来ることに同意したのだ?
「ほら、そういうことだから、コウちゃんは部屋で待ってて」
佳奈に背中を押されて俺は自分の部屋に入った。だが、特にする事もなく時間を持て余してしまう。……どうしたものか……。
隣の部屋からは、女の子同士のキャッキャ、ウフフな会話が断片的に聞こえてくる。
曰く、肌がきめ細かいだの、脚が綺麗だのそんな感じのガールズトークである。
いや、ガールズトークっていうのか? これ? 俺には良く解らん。
しかし気になる会話をしていることは事実である。ここは男として聞き耳くらい立てるべきだろうか? 覗くなとは言われたが耳を澄ますなとは言われていないし……。
「ちょっと!」
壁に近寄ろうとした途端、佳奈の大声が聞こえてきて、ビクッと硬直する。
「市ヶ谷さん! ブラのサイズが全然全然合ってないじゃない! サラシじゃないんだから!」
ブフォッ!
つか、サラシって、どんだけ小さいサイズのを身につけてたんですか!?
それより今……俺が吹き出したの、聞かれたかな?
「ここ最近急に大きくなってって……って神成さん! 声が大きい! もっと抑えてよ!」
気付かれたのかと思ったが、どうやら杞憂だったようだ。だが今の一言でこのまま会話を聞くことに強い罪悪感が生まれてしまった。このまま聞いていたら、聞いちゃいけないような会話が飛び出しかねない。なにより俺の精神衛生上、よろしくない。
仕方なく俺は携帯ゲーム機を取り出し、インナーヘッドホンを装着してからゲームを起動する。取り立ててゲームをやりたい訳ではないが、隣の状況を脳裏から切り離すためにも、何かをしていないとどうにも落ち着かないのだ。
ゲームをプレイしながら四十分は経過した頃、ドアが開く気配に振り向くと、佳奈がこっそり顔だけ出してこちらを見ていた。俺はヘッドホンを外して、ゲームを中断する。
「コウちゃん……大丈夫?」
「ああ、準備終わったのか?」
「うん、もうバッチリ」
にこやかに笑って親指をビシッと立てるところを見ると、相当に満足の行く結果となったようだ。その割には壁の向こう側で「本当に見せるの?」と不安そうな市ヶ谷の声が聞こえるのは、どう捉えるべきなのか。
「ほら、ここで男の子に見て貰わないと、善し悪しが分からないよ!」
そう言って佳奈は市ヶ谷の腕を強引に引っ張って、俺の部屋の中に引きずり込む。市ヶ谷がバランスを崩しながら部屋に入ってきた後を、ネシャートがチョコチョコと着いてくる。
…………ほう。
市ヶ谷が俺の予想より遙かに綺麗になっていたので、つい見とれて言葉を無くす。
先程まで襟足で纏めていた髪がほどかれ、ふわりと左右に広がって、それだけでかなり雰囲気が柔らかくなっている。先程まで着ていた、やや太めの野暮ったいジーンズから、キュッと締まったスリムジーンズに履き替えたことで、市ヶ谷のスラリとした脚がいっそう際立っている。普段はややキツめの目許も、メイクによってパッチリして、可愛らしさが強調されていた。
「眼鏡は外さなかったんだな?」
「あ、うん。コ……コンタクト持ってないから……外すとよく見えないせいで目つきが悪くなるから……」
恥ずかしそうにはにかむ市ヶ谷は、普段学校では見た事の無い女の子らしさがさらに強調去れ、非常に魅力的に見えた。
何より、一番驚いたのは……最も大きな変化見て取れる部分……突然自己主張の激しくなった胸元だ。誰ですか、貧乳委員長キャラとか言った人は? 見た感じでは佳奈程ではないにせよ充分立派ですよ? ただ、それをどう評価したものか困ってしまい、次の言葉がでない。
長袖シャツが少し小さめのせいか、余計にぐいと突き出されて見えるその胸をじっと見つめていると、市ヶ谷は恥ずかしそうに両腕で覆った。
「あまり胸ばかり見ないでよ!」
「あ、ああ……すまん。その……」
なんと言ったものか、言葉を上手く紡ぎ出せず、視線だけを明後日の方向に向けた。
「んで、コウちゃん的にはどうなんですかー?」
佳奈が何故か憮然とした目で俺を見て、感想を聞いてきた。
「あ……いや、その……なんだ……凄く良くなっていて吃驚した」
「そ、そう? あ、アリガト……」
なんか気恥ずかしいな……。市ヶ谷が頬を染めたままこっちを見ないので、一層恥ずかしい。
「むー……なんかこれ以上、市ヶ谷さんにメイクの仕方とか教えたく無くなってきたよ」
口を尖らせて、瞳の奥に昏いものを潜ませた佳奈が、そう呟いて俺を見る。
俺が悪いみたいな態度は勘弁してくれ。
「あの……航一さん……私はどうですか?」
声に振り向くとネシャートがくるりと一回転して、今着ている衣装を俺に披露した。
市ヶ谷とは対照的に、こちらは少女らしさを強調した白いワンピースを着ている。
桜色のカーディガンを上から羽織り、襟元には赤いリボンをつけている。
褐色の肌とのギャップが効いており、清楚さに色気が混在した独特の雰囲気を放っている。
「へぇ……いままでそういう格好は見てなかったけど……良く似合ってるじゃないか」
「本当ですか?」
「ああ、本当だとも。凄い可愛いよ」
「あ、ありがとうございます!」
ネシャートは合掌した手を口許にあて、嬉しそうに微笑んだ。
「コウちゃん……それ……私が昔着てた服なんだけど……」
「そうだっけ?」
「そんなに褒めてくれたこと……無いよね?」
「そうだっけか?」
「そうだよ!」
そう抗議する佳奈は、オーバーニーに、黒いミニスカート。それに白いブラウスに春物のカーディガンをさりげなく着こなしていた。
「私には何か感想は無いの?」
「佳奈…………お前……」
「何? 可愛い?」
「……あざといな」
「何でだよ!」
直後、佳奈の拳が見事に俺の肝臓を捕らえていた。
あまりの激痛に俺は垂直に崩れ落ちた。
いや、完全に手加減無しでしたね。あばらが逝ったかと思った。
「まったく、たまには褒めてくれても良いのに」
うめき声をあげるしかない俺を佳奈は憮然として見下ろす。
だってお前、すぐ調子に乗るもの。
「あの、神成さん……さっきのは照れ隠しじゃないのかな?」
いや、別にそんなことは。
「だとしても、こういう時は褒めて欲しいもの……」
「それは、そうだけど」
こんな苦痛を味わう位なら、褒めておけば良かった。
「今度は絶対褒めて貰える服にしなくちゃ! という訳でコウちゃん! 今度服を買いに付き合いなさい!」
「なんで俺が……」
「えー、良いじゃん。荷物くらいもってよ」
佳奈はちょっと不満そうに膨れるが、同時に甘えるように俺をみる。
仕方ないか。
「ああ。今度な」
「本当!?」
眼をひんむいて佳奈が驚く。
これ以上殴られたら後遺症が残るかもしれないし。
「疑うなら止めるぞ」
「ううん! 行く!」
大袈裟に首を左右に振って、詰め寄るように迫る佳奈に、ちょっと引いた。
「あなた達って、昔からそんなに仲が良いの?」
横合いから市ヶ谷が少し呆れた様に聞いてくる。
俺達と言うより、佳奈が馴れ馴れしいだけでは?
「あ、私も気になります。聞きたいです」
何故かネシャートも乗り気だった。
「じゃあ、教えてあげよう! 私とコウちゃんの馴れ初めを!」
何でそんな得意気なんだよ。
あと、本棚からアルバムとか引っ張り出すな。




