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11話 木嶋未悠

「うーん、ご主人様は罪な男だねぇ」


 斜め後ろの席から、どことなく人懐っこさを感じる声で話しかけられて、俺とネシャートは同時に振り向く。鞄から荷物を取り出している少女――木嶋未悠(きじま みゆう)が、猫を思い起こさせるような笑顔で俺を見ていた。


「だから、俺をご主人様と呼ぶんじゃねぇ」


 怒鳴るでも無く、静かに言い返す。

 初めの頃は、俺も半ばムキになって言い返していたのだが、結局のところ逆効果にしかならないので、最近は静かに拒絶するよう努めていた。

 だからといって、俺をご主人様呼ばわりする人間が減っている訳でもないのだが。

 ……もはや覆すことは不可能……なのか?

 不可能なんだろうな……。


「いやいや、ご主人様であることを否定するのなら、もう少し周囲に気を配ってみてはとおもうのだよ。全てを言われるままの受け身では無く……ね。」

「まるで、俺が全く気遣いできない、自己中心的な人物かのように聞こえるんだが、気のせいかな?」


 こめかみが引き攣りそうになるのをなんとか抑え込んで、木嶋に問い返す。

 対する木嶋はこちらの反応など何処吹く風といった様子で俺を見る。

 いや、きっと俺自身も木嶋の言葉に思い当たる節があるのだろう。

 でなければ木嶋の言葉を認めたくないと思う筈もないのだから。


「いやいや、気を悪くしたなら謝るよ。だが、ボクから見ると、もう少し相手がどう思っているか考えて接してみれば、人生面白くなりそうなのにと思うんだ。実にもったいないとね」


 木嶋は少し大仰に肩を竦める。

 話し方といい、身振りといい、どことなく演技染みていて、本意が読み取れないというのが俺の木嶋に対する人物像だ。

 今も何故この女子生徒は俺にこんな話をし始めているのか、その意図が読めない。 単にからかう為だけかもしれないが、そう思わせる事すら木嶋の狙いの様にも思える。

 とにかく、底の見えない女ではある。


「それは、端から見てる人間に取っての『面白い』じゃあないのか?」


 俺は皮肉混じりにそう返す。

 だが木嶋は気にした風もなく会話を続けた。


「本人達が面白いかどうかが重要なのであって、見ているだけの他者は関係無いと考えるべきじゃ無いかな? ネシャート君はどう思う?」


 木嶋はそれまで黙っていたネシャートに話を振った。


「航一さんのように深読みせず、そのままを素直に受け取る事も重要じゃないでしょうか? 

深読みをされることを嫌がる人もいると思いますし……逆に本心を言葉巧みに隠しておきながら、それをもっと考えて読み取って欲しいなんて相手に要求するのは、単なる我が儘だと思います。知って欲しい事があるのなら、まず自分から話すべきではないでしょうか?」


 ネシャートは他意もなく、ただ木嶋をじっと見据えて答える。

 木嶋はまるで、一本取られたかのような顔をすると、ふっと笑った。


「これは思ったより手厳しいね。いやいや、益々ご主人様は勿体ない生き方をしている」

「だから、ご主人様じゃねぇっつってんだろ」


 木嶋が何に対して『手厳しい』と思ったのか俺には解らなかった。まあ、だからこそ木嶋に『もう少し周囲に気を遣え』と言われるのかもしれないが……。


「ならば一つヒントというか、ご主人様が知らないであろう市ヶ谷君の一面を話そうか。僕は市ヶ谷君があれほど嬉しそうに笑うのを、ボクは以前に見たことが無いんだよ」

「以前?」

「ああ、去年、ボクと市ヶ谷君は同じクラスだったんだ。何度も彼女に話しかけたんだけど、人付き合いが苦手なのか、あまり打ち解けて貰えなくてね。その都度、申し訳なさそうな顔をするばかりで、心底楽しそうな顔を見られるようになったのは、ごく最近なんだ。正直なところ彼女を笑えるようにした君に嫉妬に近い感情を持っているよ」


 そう言いながらも俺を見る瞳にそのような昏い感情は見えない。いや、木嶋の事なので隠すのは得意なのかもしれないが、それでも俺には彼女特有の人懐っこさしか感じられない。


「それは俺がそうしたというより、佳奈が人付き合いが上手いんじゃねぇかな? 今だって市ヶ谷は佳奈と話してるんだし……」


 そんな俺の発言に、木嶋は大仰に肩を竦め、やれやれといった表情で首を左右に振った。少々芝居がかっているが、それが厭味に見えないのは木嶋の人柄だろうか。


「ボクが彼女を嬉しそうだと評したのは、『今』では無く君と話をしていた『先程』なんだけどね。周囲が驚く程、市ヶ谷君は君とは屈託なく話していたんだ。そうは感じなかったかい?」


 むう……そう言われても思い当たる節が無い。何より俺は木嶋が言うところの、去年の市ヶ谷を知らないのだ。だからこそ今の市ヶ谷が嬉しそうだと言われても賛同しにくい。


「解らないかい?」


「ああ、去年の市ヶ谷を知らないからな……俺の中で比べようが無い」


「だから周囲に気を配れと言ったのさ、自分が話している相手だけでは無く、相手に関わっている人物を見るようにする事で見える物もあると言うことさ。勿論これは市ヶ谷君だけに限った話では無く、神成君にも言えることなんだけどね……」


 なるほど。ここに来て木嶋の言っていることが俺にも解った。市ヶ谷という人間を判断する際、市ヶ谷だけで無く、市ヶ谷を知る人間と関わってから判断する方法もあると言うことだ。

 実際、俺は市ヶ谷が他のクラスメートと談笑しているのを見たことがない。去年から同じクラスの人間は木嶋以外にもいるだろうに、そういった人物と市ヶ谷が楽しそうに話しているのを一度も見たことが無いことに気付いた。恐らくは木嶋が言うように、あまり他人と関わらないようにしていた影響なのだろうが、俺は市ヶ谷とは割と普通に話していたため、そのような印象が俺の中には無かったのだ。

 つまり、木嶋の中の市ヶ谷と、俺の中の市ヶ谷には人物像に大きな隔たりがあるという事を木嶋は言いたかったに違いない。

 それは佳奈についても同じで、俺から見た神成佳奈と木嶋やネシャートから見た神成佳奈は印象や評価が異なるのだろう。


「なるほどね……ちなみに、木嶋から見て佳奈ってどういう風に見えるんだ?」

「おやおや……やっぱり笠羽君も好きな女の子の評価は気になるかい?」

「そんなんじゃねえから」


 そっちに話の方向性を持って行かれるなら、聞くべきじゃなかった。

 また、木嶋がやけにニヤニヤして俺をみているし……。だから、そういうんじゃねぇんだけど……ムキになって説明したらまた余計な事をいわれそうなので、ここは下手に反応しないこととした。


「フフフ……そうだねぇ……神成君は……色々隠してそう……かな?」

「隠す?」


 何となくイメージじゃねぇなぁ?

 俺の中の佳奈はなにか隠し事をするタイプじゃないし……。


「そうだね、君に対しては特に。何というか嫌われたくない一心で、本当の姿をひた隠しにしているように見えるね。親しい程に逆に見せていない部分があるというか……。こういうのは危ないよ? ある日突然耐えられなくなって、居なくなったりするから。付き合いが長いから気が付かないんだろうけど、改めて神成君のことをじっくり見た方がいいんじゃないかな?」


 笑ってその場を誤魔化そうと思ったのだが、予想以上に木嶋が真剣な表情だったため、俺は息を飲んだ。

 同時に感じる心臓を鷲掴みにされたかの様な感覚。

 木嶋の言葉に子供の頃の苦い思い出が重なる。心の奥底からひた隠しにしてきた不安が湧き出た気がして、それを抑え込むように胸元に手をあてた。

 俺の中の臆病な心が身体を蝕む気がして、言い様の無い不安に駆られる。


「あの……ご……航一さん……大丈夫ですか?」


 ネシャートが心配そうに俺の様子を窺う。


「あ、いや……大丈夫だ。心配すんな」


 何とかして平静を取り戻そうと、席を立つ。

 そして一度大きく深呼吸した、


「航一さん?」

「ああ、ホームルーム始まる前にトイレに行ってくるよ」


 教室の出入り口に向かう俺に、ネシャートは黙って頷いた。


「その危機感は……憶えておいた方が良いと思うよ」


 木嶋はそう背後から言葉を投げてきた。


「アドバイス、サンキューな」


 俺は振り向いて木嶋に感謝の言葉を返す。

 とは言ったものの、俺はこの危機感を一度も忘れたことはない。というより、いつもこの危機感をどこかで感じて、俺は今まで生きてきた気がする。


「あと、前は見た方が良いかな?」


 木嶋の言葉に振り返ると、目の前に一人の男子生徒がいて、俺は慌てて止まろうと状態を逸らす。幸い勢いよくぶつかる事は無かったが、それでも肩に接触してしまう。


「うわっと! あ、悪い!」


 他のクラスの生徒だろうか? あまり見た覚えの無い小柄な男子生徒だ。


「あ、いや、こっちもぼーっとしてたから」


 線が細く大人しそうな印象を、そのまま裏付ける様に深々と頭を下げた。あまりにも丁寧な物腰なので、逆にこっちが恐縮してしまう。


「いや、ホント済まない」


 俺はもう一度謝ると、その男子生徒を追い越すようにしてトイレに向かった。

 トイレへの入り口に入る際に振り向くと、その男子生徒は二つ隣の教室……二年A組に入っていくのが視界の端に見えた。

 ……なんだろう……何か……?

 何か違和感が残った。

 さっきの男子生徒はウチのクラスの誰かに用事でもあったのではないか。

 そんな疑問が浮かんだが、今は気にするだけ無駄だと悟る。

 気がつけば、先程胸の奥に湧いた危機感はすっかり薄れていた。


 いかんな。

 喉元過ぎて熱さを忘れたら駄目なんだろう。きっと……。

 俺はさっきの危機感をもう一度自分の中で反芻した。


 俺は臆病な人間なんだ。

 俺の中に湧く危機感は、いつも俺にそう突きつけていた。



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