第八話
あの後、バアルさんに柊を診てもらった。
バアルさんはそのあとすぐパソコンでどこかへ連絡し、戻ってきて俺たちにこう告げた。
「夢魔の毒と呪いをかけられてるようだ」
「柊兄は助かるんですか!?」
憔悴しきった桜はバアルさんに詰め寄る。
「桜、やめろ…落ち着いて対処しないと何も変わらない」
「っ…!」
「罪はこの傷を負わせたやつにあるんだ」
俺の言葉で桜は落ち着きを取り戻していく。
「ごめんなさい…」
「仕方ねぇさ、大事な家族がこんな目に合えば、誰だってそうなる」
バアルさんは桜の頭を優しく撫でた。
「その呪いと毒をどうにかしないといけないんですね?」
「あぁ、そうだ」
バアルさんは思いつめたような顔だ。
「まずは毒からだ。これは専門筋のやつに頼むしかないだろう。俺の知り合いに掛け合ってみる」
「…ありがとうございます」
桜も落ち着いて聞いている。
「呪いは毒をなんとかして、本人が目覚めた時に話そう」
「はい、わかりました」
バアルさんは携帯を取り出し、どこかへ連絡し始めた。
「あぁ、俺だ。悪いが少し力を貸してくれないか。詳細は追って伝える」
…恐らく、知り合いの専門筋の方に連絡してくれているのだろう。
桜を連れ、別室で待つことにした。
1時間後。
「柊兄…」
桜は今にも折れてしまいそうな声だ。
「大丈夫、なんとかなる。バアルさんが力を貸してくれるんだから」
必死に励ますも、桜はますます落ち込んでいく。
「柊兄が死んじゃったらどうしよう…うぅ…」
桜は泣き始めてしまった。
そのとき、ドアが豪快に開く。バアルさんが慌てた様子で入ってきた。
「喜べ、今から来てくれるそうだ」
「本当ですかっ!?」
「すぐ治療できるように準備をしなきゃならない。手伝ってくれ」
「わかりました!桜、行くよ!」
泣いている桜の手を引き、立たせる。
「血液のサンプルの採取と、薬草の準備を頼む」
「はいっ!」
バアルさんから道具を受け取る。
「桜、採血はやってくれ。俺不器用だから失敗するかも」
「っ…うん…」
なんとか泣き止んだ桜は、採血カプセルの針を柊の腕に刺す。
俺はバアルさんが持ってきた薬草を、種類ごとに仕分けていった。
作業を続けて1時間、ギルドの玄関のインターホンが鳴る。
「俺が見てくる。二人はここで待っててくれ」
「わかりました」
作業も終わったので、柊のそばの椅子に座って待つことにした。
少しして、見知らぬ女性を連れたバアルさんが戻ってくる。
…この人が毒に詳しいという、バアルさんの知り合いだろうか。
「早速だが、診てもらいたい少年ってのがこっちだ」
バアルさんは女性にわかるよう、柊を指す。
「なるほど、彼ね」
女性は柊に近づき、観察している。
バアルさんが小声で話しかけてくる。
「椿、さっきの採血カプセルを渡しとけ」
「あっ、はい…」
言われてハッとし、女性に採血カプセルを差し出す。
「あ、もしかして採血までしてくれてたの?助かるよ」
女性は微笑み、ありがとうと言ってくれた。
「毒の解析と解毒薬を投与するまで少しかかる。それまで別室で待っててもらいたい」
「わかりました」
バアルさんは俺と桜を別室へと案内する。
「柊兄…」
不安そうな桜に俺ごときがかけられる言葉などなかった。
部屋を移動し、バアルさんと共に女性の呼び出しを待った。
「…バアルさん、お願いがあります」
部屋に着いた早々、桜は突然そう切り出した。
「俺にできることなら、してやるぞ」
「夢魔のことを教えてください」
桜の瞳は真剣そのものだった。
「知ってどうする?敵討ちってんなら教えることはないぞ」
「っ…」
桜は唇を噛みしめる。
「夢魔は、今のお前達が戦って勝てる相手じゃない。やめとけ」
「でもっ…!」
「柊がそんなことをして喜ぶと思うか?」
バアルさんの止めの言葉。桜は愕然とし、何も言い返せなかった。
それから小一時間ほど、静寂が流れた。
「バアル、解毒が終わった。二人を連れてきてくれ」
外から女性の声。待ち構えていたかのように桜が立ち上がる。しかし、バアルさんは桜を制止した。
「まずは俺が出る。後からついてきてくれ」
「そんなっ…」
「いいから、言った通りにしてくれ」
「…はい…」
俺が見てもわかる。桜は柊のことでだいぶ参っている。
先にバアルさんがドアを開けて出て行く。言われた通り、後をついていく。
柊の眠っている部屋へ入ると、女性とバアルさんが話していた。
「私にできるのはここまでだね、でも希少種である夢魔の毒が取れるんなら、さっさと教えてくれればよかったのに」
「遊びじゃないんだぞ?」
俺と桜は即座に柊のもとへ駆け寄る。顔から苦痛の色は消え去っていた。
「よかった…」
桜は今にも泣き出しそうだ。
「少ししたら目が覚めるだろう。じゃ、私は帰るから」
「あのっ…」
桜が呼び止める。
「私これでも忙しい身だから、用件なら手短にね」
「ありがとうございました」
桜が頭を下げる。女性は面食らったような顔だ。
「兄さんを助けてくれて、本当にありがとうございました。このご恩はいつか絶対返します」
「やめて頂戴、そんなの柄じゃないんだ」
女性は苦笑いを浮かべる。
「それより兄貴を看てやりなよ、それじゃね」
桜の頭を軽く撫で、女性は出て行った。
暗い。とても寒い…
ここはどこだろう。
辺りを見渡しても、椿兄さんも桜もいない。
「目が覚めましたか?」
聞き覚えのある声。辺りを見渡す。
「ここですよ」
見覚えのある黄緑の髪の青年だ。
「っ…何しに来たんですか」
「何もしません。あえて言うなら、宣言をしに来ました」
青年は澄ました顔だ。
「宣言…?」
「あなたにかけた呪いの解き方を教えます」
―呪い…?
思い浮かべた途端、首の後ろがずきりと痛む。触れると、出血していた。
「件の儀式が終わるまでに僕を倒しなさい」
―儀式?なんのことを言っているのだろう。
「それでは、御機嫌よう」
黄緑の髪の青年は消え失せた。
少しずつ意識がはっきりしてくる。
「あ…目が覚めた…?」
白い天井、そして椿兄さんと桜の不安そうな顔。
「ここは…?」
「俺のギルドの医務室だ」
聞きなれたバアルさんの声、少し疲れているような気がする。
「よかった…柊兄さん、洞窟で倒れてて、呼んでも起きなくて…」
桜は泣きはらした顔だ。
「…あんまり心配かけんなよ?」
椿兄さんの拳骨が痛い。
「柊、起きたばかりで悪いんだが、少し話がある」
「話、ですか?」
首の後ろが熱い。目眩がする。
「柊、無理するな。まだ毒が抜けて間もないからな」
「毒?」
バアルさんは渋い顔をする。
「あの、話って…」
「あぁ、そうだな…」
どことなくバアルさんが気まずそうな気がする。
「夢魔、ってわかるか?」
「…夢魔?」
「あぁ、神話では眠っている人間の夢に忍び込み、人間と性関係を持つという化け物だ」
よくわからない。そんな化け物と自分に、何の関係があるのだろう。
「…言いにくいことだが、お前はその夢魔から呪いを受けている」
…呪い、あの青年の言っていたことが脳裏をよぎる。バアルさんはそのことを言っている?
「呪いを解くには、相手から提示された解除条件をクリアしないといけない…」
バアルさんが不安そうに告げる。
「単刀直入に言うが、その相手から解除条件を聞いたら、逐一俺に教えて欲しい。頼んだぞ」
解除条件?あの謎めいた発言のことだろうか。
「…変な夢を見たんです」
「変な夢?」
椿兄さんは怪訝な顔になる。
「僕を襲った人が、夢に現れて変なことを言っていったんです」
「話してみろ」
バアルさんは真剣な表情になる。
「“件の儀式が終わるまでに自分を倒せ”って言ってました」
「もしかして…」
桜がふと閃いたように口を開く。
「それがさっきの呪いの解除条件、じゃないんですか?」
「あぁ、その可能性はある。だがその儀式とやらが何かと、襲ってきた相手がわからないとな…」
3人は考え込んでいる。
「とりあえず、僕はもう大丈夫です。一旦家に帰ります」
「柊兄さん、まだ休んでなきゃダメだよ…」
桜は心配そうだ。
「家で休めばいいことだし、仕事も続けなきゃならないから」
「そうだな、バアルさんにこれ以上迷惑をかけられない」
兄も賛同してくれた。それでも桜は納得いかない様子だ。
「でも、毒が抜けたばかりだし…」
「ごめんね、桜…けど僕はもう大丈夫」
微笑んでみせる。桜は少し寂しそうな顔だったが、わかったと言ってくれた。
「そうか、気をつけて帰れよ。仕事探しや相談があったらいつでも来てくれ」
「ありがとうございます」
少し体が動かないが、ベッドから体を起こす。
「兄さん、僕の荷物は?」
「隣の部屋にまとめてるよ」
「ありがとう、それじゃすぐ行こう」
また首筋が痛む。
「痛むのか」
「はい…すみません」
バアルさんは棚にある救急箱を取り出し、中を漁る。
「その痣は見られると少しマズい。隠してやる」
そう言うと、バアルさんは僕の首にぐるぐると包帯を巻きつけた。
「…暑いです」
「我慢しろ」
僕の意見は一蹴された。
荷物をまとめ、帰ることにした。
ポケットの携帯が鳴る。
「こちら殺し屋『鳳仙火』だ」
「僕だよ、兄さん」
甘さのある声。又従弟のジークだ。
「カエラが3本手に入れたってさ。これであと2本だ」
「報告なら俺じゃなくてケイロンにするべきじゃない?」
「いいじゃん別に」
明らかに嘲弄の混ざった声。
「死にたいの?」
「あはは、ごめんごめん」
乾いた笑い声。感情のない笑い声だ。
「用件がそれだけならかけてこないでくれるかな」
「それだけじゃないよ、今掴んでる妖刀のありかがすごくてさ」
ジークは心から楽しむ声だ。
「お前の持ってる妖刀を差し出せばいい」
「それは無理かな。いいじゃん“3分の1しかいらない”んだから」
勿体ぶって用件を言わない又従弟。
「いいから用件を言いなよ」
「はいはい、短気だから扱いづらいね、兄さんは」
「殺すよ?」
「わかったよ、言えばいいんでしょ、言えば」
ジークの声から感情の色が消える。
「まず1本目、魔界のバアルとかいうやつのギルドに『竜胆』って妖刀がある」
竜胆といえば、かなりの大物妖刀だ。
「けど、バアルは魔界でも指折りの実力者らしい」
「問題ない」
「まぁ兄さんの実力があれば、大丈夫とは思うけど」
ジークは熱のこもっていない声で返した。
「それで、残りの1本は?」
「僕の弟子たちが持ってる」
弟子?ジークに弟子がいたなど初耳だ。
「弟子がいたの?」
「言う必要もないと思って」
ジークは一言で切って捨てる。
「僕の弟子たちが持ってるのが…『菫』だ」
これまた大物妖刀の名前が挙がる。
「でも悪いけど、こっちは僕に狩らせて」
ジークの声が真剣なものに変わる。
「俺が納得する条件は?」
「妖刀のありかを教えたことかな」
「ふざけすぎてるだろう」
笑い飛ばしてやる。だが受話器からの返事はない。
「…好きにしな」
「ありがとう兄さん、それじゃね」
電話は切れた。
「さて、久々に俺も外に出るか」
俺も支度をして出ることにした。
―九話に続く―
チャットルーム
―情報室の中枢部―
―宝石さんが入室しました―
断頭台:あ、お初です
ティンク:初めまして!
宝石:お二人とも初めまして、よろしくな!
あんパン:あれ、俺はスルー?
宝石:あっ、すんません気づきませんでした…
断頭台:チャット画面の上に参加者表示されてるから、そこで見るといいよ
宝石:丁寧にありがとな
ティンク:いいじゃん、あんパンさんすぐ幽霊化すんだし…
あんパン:そういうティンクさんこそ、今日はやけにハイテンションじゃん。いつもはあんなに暗いのに
断頭台:気分の上下が激しいだけじゃないんですか?
ティンク:あー…なるほどね、じゃそういうことにしといて
あんパン:なんか腑に落ちないな
宝石:知り合いから、ここにはすごく情報が集まるって聞いて来たんだが…
ティンク:やっぱり情報目当て?
断頭台:ここに来る奴の九割九分九厘九毛は情報目当てだろ
あんパン:わかりやすく99.99%って言おうよ、おまけにまとまるし
ティンク:まぁまぁいいじゃん。宝石さん、知りたい情報って?
宝石:あぁ、わかった
宝石:最近子供の誘拐事件が頻発してるらしいんだ
断頭台:あんまり聞かないな…
あんパン:最近の妖騒動に乗っかってやってるんじゃない?
ティンク:メディアや人々が妖たちの騒動に目を取られてる隙に、か。汚いことする奴もいるもんだ
宝石:大体15、6歳の子供が狙われてるって話だけど、何か知ってるか?
ティンク:うーん、妖騒動の情報ならてんこ盛りなんだけどなぁ
断頭台:だが、その誘拐事件というのも臭う
あんパン:人体実験とか?大体被害者は子供だもんな
宝石:人体実験、か…
あんパン:ところで、どっからそんな情報仕入れたんだ?誘拐とか
宝石:妹が仕事で迷子の捜索してたんすよ、それであまりにも依頼が来るもんで、妙だと思って
ティンク:どの辺にお住まいなんですか?
宝石:東京都中央区の月島ってとこです
断頭台:襲われた被害者に何か共通点は?
宝石:うーん…すぐは思い浮かばない
あんパン:月島って、月のつく苗字の家が多いからそんな地名になったんだよな
ティンク:そうなんですか?
あんパン:あぁ、皐月とか、霜月とか陰暦になぞらえた苗字がな
断頭台:なんか聞いたことあるけど、思い出せないな
宝石:ちょっと調べてくるよ、何かつながりがないかどうか
ティンク:わかりました
―宝石さんが退室しました―
ティンク:あ、兄さんに呼び出しくらっちゃった。俺も行ってきます
―ティンクさんが退室しました―
あんパン:どう思う?誘拐事件のこと
断頭台:なんかあるな、月島に住んでる奴は人間さながら能力者ってのが多いからな
あんパン:やはり人体実験か?
断頭台:だろうな。今度までに調べといてやるよ
あんパン:助かる
断頭台:じゃあな
―断頭台さんが退室しました―
あんパン:行き過ぎた力は例外なく所持者の命を啄んでいく
あんパン:鴻章の評論、交響曲37番狂気の舞、か。くだらん
―あんパンさんが退室しました―
月島の由来はフィクションです。