第一話
妖刀にまつわる神話をご存じだろうか。
伝説にあるのはかの有名な村正の妖刀だ。
彼の作品は強力で、手にすれば強大な力を得られる。だが、彼の作品の恐ろしさはそれだけではない。
99本ある彼の妖刀をすべて集めれば、3人の創造神を意のままに操ることさえできるのだ。その力ゆえ、彼の作品を集めるものは多い…
―評論家、鴻章の評論文、『行き過ぎた力』の一部を抜粋―
…気だるい朝がやってきた。
かしましい鳴き声をあげる目覚まし時計を止め、起き上がる。もう朝の5時を過ぎていた。そろそろ起きなければ、仕事に遅れてしまう。
パジャマから仕事用の戦闘服に着替え、階段を降りて1階へと進む。妹の桜がエプロン姿でキッチンから声をかけてくる。
「柊兄、おはよう」
「おはよう、今日も桜は早起きだね」
自己紹介が遅れたが、僕は桐ヶ崎柊というものだ。ひいらぎ、と書いてしゅうと読ませてある。珍しいとはよく言われる名前だ。
出迎えてくれているのは妹の桜。残念ながら容姿は全く似ていないらしいが、一つ下の妹である。
「朝ご飯できてるよ」
「いつもありがとうね」
僕がそういうと、桜は嬉しそうにキッチンに戻り、フレンチトーストとコーヒーを食卓に出した。今日は僕の好きなもののようである。
「おはよう…」
反対側の扉から頭が爆発している青年が現れる。朝に弱い兄、椿である。低血圧ということもあり、基本的に早起きが苦手だそうだ。
「椿兄、朝風呂に入って髪直した方がいいんじゃない?」
椿は弱々しく頷き、ふらふらと食卓に座る。そしてそのまま台に突っ伏してしまった。
「兄さん、大丈夫?」
見るからに大丈夫ではない兄に、一応声をかけておく。弱々しい声で「大丈夫」と応答が帰ってくる。
撃沈しているところに悪い気もするが、現実の話に入っていく。
「今日の仕事の内容はなんだっけ」
突っ伏した兄から返事はない。返事をしたのは桜だった。
「猫探しだよ、それも強化猫」
強化猫とは人工的に筋力や知能を増強された猫のことであり、頭がよく素早い。
通常の人間では捕まえることは至難の技なので、僕たちのようなものが雇われる。
「お兄ちゃんたちは捕まえようとするからダメなの、ちゃんと心でわかり合わなきゃ」
「そう言われても、相手は猫だよ?」
僕がそう返すと、桜は怒ったように頬を膨らませる。
「猫でもわかってくれるよ」
桜はきっぱりと言い放つ。
女の子というものは、やはりわからない。僕には未知の領域とでもいうものである。
視界の端で毛の塊が動く。
存在の消えていた兄が顔をあげたのだ。
「猫はね、餌を与えておけば寄ってくるよ」
どことなく覇気のない声でそう言ったかと思うと、再び台に突っ伏してしまった。
「椿兄、サイアク」
桜は呆れ果てた表情で言い放つ。
ある意味戦略として使えそうと思う、自分の意思は表明しないでおいた。
「しょうがないよ、兄さんも疲れてるんだろうし…」
桜は不満そうな顔だったが、やがて納得したように頷いた。
「そういうことにしておいてあげる」
「とりあえず、冷めないうちに朝ご飯を食べよう。せっかく桜が作ってくれたんだし」
少し強引に話題を変える。
「柊兄、相変わらず胡麻するの上手いんだから」
桜は笑いながら兄の前にも料理を並べる。とたんに椿の顔が上がり、生き生きとした表情になる。兄は食べることが好きなのだ。
「おかわりもあるから、どんどん食べてね」
兄の表情は嬉々としていた。
「いただきます」
手を合わせ、フレンチトーストを頬張る。濃厚な味わいが口の中に広がっていく。毎朝の醍醐味の一つである。
「桜の作るご飯はいつも美味しいよね、料理の上手な女性は素敵らしいから、きっとモテるよ」
懐かしい父の言葉を思い出す。
桜は俯き、「そんなことないよ…」と漏らした。
「待てっ!」
標的を捕捉し、狙いを定めて飛びかかるが、標的は素早く身を翻す。さすがは強化猫である。
「捕まえ…おわっ!」
兄も同じように、標的にすんでのところで逃げられてしまった。
「何でこんな厄介な猫を飼いたがるんだ?特に依頼人とか」
兄がもっともらしいことを言う。
「しょうがないよ、仕事があるだけましって思わなきゃ」
「わかってるけど…」
再び猫を捕らえようとするが、失敗。
「俺たちのためになる仕事がしたいんだ、鍛練になるとか、収入が大きいとか…」
「お兄ちゃんたち、避けて!」
後ろから詠唱を終えた桜の合図が飛ぶ。僕と兄は即座に猫から離れる。同時に空から降ってきた網が猫を捕らえる。
「やっと捕まえられたよ…」
猫は必死にもがくが、網が体に絡まるだけで逃れられない。
依頼人から渡された篭を用意し、網に苦しむ猫を中に入れる。これで仕事はおしまいだ。
ため息が漏れる。
僕たちの思いを読み取ったかのように、しとしとと雨が降り始める。
「わっ、雨だ…急いで猫、届けてこよう」
桜は猫の入った籠を抱き締め、床に魔方陣を書く。魔方陣が完成すると、上に乗っていた僕たちは瞬時に転送された。
転送された先は、つい数日前に見た建物の前だった。猫が「にゃあ」と鳴き声をあげる。依頼人の家の前だ。
兄がトントンと玄関のノックをならす。すぐに扉が開き、侍女らしき女性が出てくる。
「桐ヶ崎兄弟です、依頼の猫を捕まえてきました」
桜が侍女に猫を入れた籠を渡す。
「本当に捕まえてきてくれたのですね、ありがとうございます。主人をお呼びしますので、中に上がられてください」
侍女は僕たち三人に中に入るよう促す。案内されるままについていき、応接室へ通される。
「こちらでお待ちください」
侍女はそういい、応接室の扉を閉めた。
部屋に訪れた静寂。ふと桜が口を開く。
「…このままでいいのかな…」
「なにが?」
「今の生活のままで、本当にいいのかなって」
桜の言葉は現実味を帯びていた。
「やめろよ、報酬もらって家に帰ってすればいいだろ?そんな話」
兄は珍しく桜の言動を戒めた。
「魔物や賞金首を捕まえたり退治して得られる収入に、狩りで捕まえた獣で命を繋ぐ日々、きつくないとは言わない。でも俺は、こうして3人で暮らしていけてるから、それで満足だ」
「お兄ちゃんたちはもう探さないの?安息の地…」
安息の地、それはかつての僕たちが追い求めていたものだった。
「きっとどこかにあるはず」
争いから離れて幸せに暮らせる土地を求めていたあの頃の自分が、今の自分を見たらどう思うだろうか。
「そんなもの、どこにもあるわけないんだよ」
「そんなことない…!絶対ある!」
桜が悲しそうに反論する。
「…俺の師匠も言っていた、この世界にそんなところはもう残ってないってさ」
椿は半ば諦めたような表情で告げる。
だんだん見ていられなくなった。
「…今はこの話はやめよう」
兄と妹は僕の方を一瞬見て、悲しそうな顔になり口を閉ざした。
同時に応接室の扉が開き、豪奢な衣装に身を包んだ中年男が入ってくる。僕たちに強化猫の捕獲を依頼した依頼人である。
「この度は私の愛猫のエレナを捕まえていただき、感謝する」
「とんでもございません、わざわざ依頼人の方からお礼をいただけるなんて…」
昔の癖で、謙遜の挨拶が自然と口に出されてしまう。
「そう謙遜することはないですよ。では、お約束の報酬をお支払いしましょう」
男は侍女になにか合図を送る。すると侍女は再び応接室を出ていく。
「侍女が戻ってくるまで雑談でもしましょうか」
男は僕たちの前の長椅子に座り、前のめりの姿勢になる。
「といっても、お話しできるのはエレナのことくらいですかね」
籠の中の猫が再び「にゃあ」と鳴く。
「この子は捨て猫でしてね、私の一人娘が拾ってきたんです」
男は大きな手で猫を撫でる。猫は心地良さそうに喉をならす。
「娘さんがいらしたんですね」
定番の驚いたような表情を繕う。すると男は悲しそうな顔になった。
「…娘は、一年ほど前に亡くなりました」
「…すみません、余計なことを…」
触れない方がいい内容だったに違いない。たちまち自責の念が襲いかかる。
「いえ、聞いていただけるとすっきりしそうです、余談と思って聞いてください」
依頼人は昔は有名な魔物狩りだったらしい。
依頼人の奥さんは娘さんが生まれてすぐに亡くなり、男手ひとつで娘さんを大事に育ててきたそうだ。
あるとき、娘さんの誕生日にどうしても断れない魔物討伐の仕事が入ったそうだ。依頼人は誕生日に娘さんが一人では可愛そうと思い、連れていくことにした。
だがその選択ゆえに、娘さんは命を落とす。
魔物が襲ってきたときに庇いきれなかったのだ。
依頼人の目の前で娘さんは魔物に引き裂かれ、食われてしまったという。
応接室の戸がノックされ、侍女がアタッシュケースをもって入ってくる。契約では報酬は30万円のはずだが、明らかにそれより多額の金が入っているであろう重々しさがあった。
「つまらないおじさんの話に付き合ってくれた例だ、報酬にこれも差し上げよう」
細長い包みを僕たちに渡し、依頼人は不適に笑って見せた。
「こちらこそ、どうもありがとうございます」
丁重に頭を下げる。
「貴重なお話を聞くことができました」
依頼人は照れ臭そうに笑った。
「またエレナが逃げ出したときはよろしく頼むよ」
「この子すばしっこくて捕まえるの大変ですから、逃げないようにちゃんと見ててくださいね?」
桜が困ったように笑う。
「それじゃあ、なにかございましたらまた呼んでください」
「ありがとう。お見送りをさせてもらうよ」
依頼人は名残惜しそうに立ち上がり、僕たちを応接室から玄関へと案内する。いい人なのだろう。
「ありがとうございました」
玄関を出るとき、3人揃ってお辞儀をする。
依頼人は優しく笑ってくれた。
軽く挨拶を交わし、屋敷をあとにする。細長い包みが不気味だったが、家に帰るまでは開けないことにしよう。
「次は魔界のギルドで仕事かな…」
椿は疲れたように笑った。
「お昼は魔界で食べたいな」
桜はすでにランチのことを考えていた。僕たちはいつも通りの他愛ない会話を繰り広げていく。
そう、このときはまだなにも知らなかった。
―二話に続く―
チャットルーム
―情報室の中枢部―
―白椿さんが入室しました―
白椿:こんばんは
中枢:こんばんはー!初めての方ですか?
白椿:はい、初めて来ました
Seadevil:白椿さん初めまして
中枢:ここのオーナーの中枢でっす!これからよろしくね!
虚像:相変わらずハイテンションですね
中枢:そりゃねー、暗かったら人生やっていけないっしょ?
白椿:中枢さん、虚像さん、Seadevilさん、よろしくお願いします
虚像:よろしく
Seadevil:よろしく
中枢:敬語なんて使わなくていいんだよー?ここはオープンな場所だからねっ☆
白椿:はい、少しずつ敬語なしで話すようにします
中枢:是非是非ー♪
虚像:いつものニュース目当てで来たんだけど、なんかめぼしい情報ある?
Seadevil:俺も新しいの仕入れてないかって見に来た
中枢:もう、本当はお金とるんだけど…ここの鉄則、お金のやり取りはしないってのがあるからね…特別ただにしてあげる
中枢:最近過去の遺物を掘り起こしてる輩がいるらしい
白椿:過去の遺物…?
中枢:うん、村正の妖刀、って知らないかな?
白椿:名前くらないなら…
中枢:あれを集めてる輩がいるみたい
Seadevil:村正の妖刀を集めようとする奴は結構いるけど、それとはまた別なのか?
虚像:鴻章の評論を見たやつかも
白椿:鴻章の評論…
虚像:村正の妖刀を集めたやつは、創造神をも意のままにできるってやつだよ
Seadevil:それを信じてるやつがいるのか
中枢:うん…
Seadevil:でも、確かな情報だ
虚像:中枢さんの情報、外れたことないしね…
白椿:そんなにすごいんですね
中枢:情報は鮮度と正確さが命だからねっ!
Seadevil:中枢の情報が1番正確だ
中枢:これでも情報屋の端くれだからね、プライドにかけても嘘は売らない
白椿:ぜひ参考にしたいです
虚像:普段の変人ぶりは参考にしない方がいいと思う
中枢:ひどいっ!
虚像:だって変人じゃん…
中枢:僕泣くよ?泣いちゃうよ?
中枢:うぇぇぇえん!
Seadevil:棒読みだな
中枢:チッ、バレたか
虚像:白椿さんは真似しちゃいけないよ
白椿:…;
中枢:あ、仕事入っちゃった…
Seadevil:お、仕事か
中枢:はい、本業の方が…すいません、ノシです
白椿:そうですか、じゃあ僕もここらで失礼しようかなと思います
中枢:ノシです!
―中枢さんが退室しました―
Seadevil:中枢いってら。白椿もまたな
白椿:はい、今日はありがとうございました
―白椿さんが退室しました―