6.見えざる刺客Ⅶ
「くっ……」
「けっ、無駄に魔力を使わせやがって」
デズモンドがゆっくりと距離を詰めてくる。二人がかりでも太刀打ちできなかった。一人となった今、アニータに勝ち目はない。体もうまく動かない。デズモンドは剣を向けつつ、その殺気で全てを語る。確実にここで殺すと。
(ここ、までか……)
「何笑ってやがんだてめぇ。これから死ぬってんでおかしくなったか?」
「いや、ようやくあんたの魔法が分かったって思ってね」
「あ?」
デズモンドのこめかみがピクリと動く。
「空気でしょ。あんたが操ってるのは。空気の圧力で今まで苦しめられてたのね」
アニータが血を吐きながらも、表情は負けない。
「くくっ……、それが分かったから嬉しいってわけか? やっぱ頭がおかしくなってんじゃねぇか?」
剣を逆手で握り変えながら、デズモンドは自分の頭を指差す。相手にクレイジーではないかと伝えるジェスチャーである。それでもアニータは反論する。
「魔法が分かれば、あんたの力が分かれば対策は打てる」
アニータは言い切る。自分は勝てない。敗北を悟った上で、痛みに耐えながら必死に笑みを作る。次の者へ託すことができるから。そう心の中で、思い描く。今度のアリス。アヤメを信じていた。
「うざってぇ。まだ殺さないでくれって命乞いするほうがまだ理解できるぜ」
「あんたに理解されたくなんかないってのよっ!」
アニータが棍棒を振るう。易々とかわしたデズモンドが斬り返す。大振りになってしまった今、アニータの横腹が切り裂かれる。服だけでなく、褐色の肌から赤い血が吹き出す。
「あぐっ……」
家の壁を背にしていたが、広い場所へと逃げ出す。傷を負っていようとも、後退できる状況を作り出したかったアニータはまだまだ戦う心は死んでいなかった。
「あぁあぁ!」
悲鳴をあげる体を戒めながらアニータは立ち向かう。あるのは棍棒とボロボロになった体のみ。
「よほど死にてぇらしいな」
「……死ぬのはお前だッ!」
剣を受け止めたまま、三節混で攻撃を繰り出す。すでに何回か試した攻撃手段だが、それ以上の手段がないのだ。先ほどまでなら、デズモンドは後退でもして一旦退いただろう。だがどうしたことか。今回その素振りはなく、むしろ魔力が強まる。
「さっさと死ね」
「あっ……」
デズモンドが握るのは右手の剣のみだ。左手には何も握っていない。だが、デズモンドは徒手のはずのところ、何かを握ったような手つきで振り抜く。その瞬間、アニータの身体から大きく血が噴き出した。鮮血に染まるアニータ。それでも倒れることは拒んだ。
「ぐ……ふっ……そ、それっ」
「これか? 面白ぇだろ。透明な剣。疾風閃光。俺の魔力で練った刀剣だからな。そこらのナマクラよりかはよく斬れるぜ」
「はぁ……はぁ……ぐっ」
よろめきながらも、アニータは折れない。ここでまだ死ぬわけにはいかない。こいつには勝てなくとも、こいつの魔力を、能力を伝えなければならない。今まで皆殺された、だから、今まで誰もこいつの能力を知らなかった。ゆえに、何の対策もできずに殺された。もう、無駄な犠牲は出さない。
「……うす気味悪ぃな。何で笑ってやがる」
「さぁ、何でかな」
「くくっ……、てめぇ、そういうことか。てっきり助けでも待ってんのかと思ったが。そうか。あの兎とアリスに伝えようとしてるな? それでこの俺に勝てると思ってやがるのか。このままお前が死ねば伝えられず何の意味もねぇってのによ」
デズモンドは決して短絡的な思考ではない。なぜ死の淵に立たされて笑う余裕があるのか看破する。だが、たとえ悟られようともアニータがやることには変わらない。
「私はあんたには殺されない」
「てめぇ……」
癇に障るデズモンドはアニータをさらに斬り結ぶ。どこか勝ち誇ったているアニータに苛立ちが募って仕方がない。
「やめろオオォォォッ!」
そのとき、若く力強い声が上がる。どこから現れたのか小さな子供。聖十時に入れてくれとアルに志願したカイルだった。
「な、何でここにっ!」
「やめろ、街をこんなんにして、まだひどいことをするつもりかぁっ!」
抵抗の意思を示すカイルはデズモンドに向けて石を投げる。デズモンドは半身でかわし、投石を切り捨てる。
「邪魔だな」
「ま、待ってッ」
アニータから消え失せる無理やり作った笑み。デズモンドの標的が自分から街の子供であるカイルに移ったことで、アニータからは見せていた余裕がなくなる。
「くっはっは、おいおい何だ。一気に魅力的な顔になったじゃねぇか」
「わ、私を殺すんでしょ」
「当たり前だ。だがそこのガキも殺す」
「ぐっ……ぅっ……」
「くひひっ、やっぱその表情だわ。殺すにはやっぱその絶望に満ちた表情だよな。俄然やる気が出てきたってもんだ」
「くっ、……あんた、早く逃げてっ……」
「お、俺だって……」
「逃がすわけねぇだろ馬鹿が」
デズモンドが仕掛ける。狙いは子供だ。自分への攻撃ならまだ対処しやすい。でも、今の体力で子供をかばうには……。
「あぁ、まぁそれしかねぇだろうな」
「な、なにやってんだよぉッ!」
驚いて叫んだのは子供のほうだ。アニータはもう鮮血に染まりきっていた。どっちが瀕死かどうかくらい子供でも分かりきっていた。このままでは殺されてしまう。そう思い、いてもたってもいられくなったというとこだろう。
アニータは子供を抱きしめる。棍棒を放り出して、それでも寸前で風を使って、火事場の馬鹿力でデズモンドよりも早くに子供を庇う。デズモンドを背にして、その凶刃から子供を守り切った。
「バーカ、小さいくせに頑張りすぎでしょ。あとは任せなよ」
力なく紡ぐ言葉。それでも本心には違いなかった。だが、これで終わることはない。
「くくっ、あははははははははは、あああははははははははははッ! そうだよそうなんだよ。やっぱそれなんだよなぁ! やっぱ足りねぇ。死ぬときってのは絶望に満ちた表情が必要なんだよなぁ!」
高笑いをあげるデズモンド。何かに納得したかのように、次なる言葉を口にした。
「てめぇはここまでだよ。今、その絶望をよぉく目にして、そんで、死んどけッ!」
何を言っている。何のことを言っている。そうして、血を吐きながら振り向くアニータの目には疑うべき光景が広がる。咄嗟に棍双龍を召還するが、全ては遅すぎた。
アニータの瞳孔が開き、振り抜く動きを一瞬止めてしまう。そして、驚愕は絶望へ。アニータの世界は大きく反転した。
「なん…でっ……」
震える声を絞り出したあと、褐色の肌は赤く染まりあがる。子供ごと、少女の体は高く高く打ちあがった。