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囲い囲われ  作者: HIEN
1/2

囲う彼女

 檻を作りましょう。優しすぎる貴方が傷つかないくらいに広い檻を。

そうすれば、きっと――。



「アリアっ!」

 雑貨屋の売り子という自分の仕事を終えた帰り道、息を切らせた青年が私の前に飛び出した。

「……キール」

 彼――キールの名前を口にすると、息を整えることなんて気にかけず、そのままの勢いでキールが私を抱きしめる。

 ぎゅうぎゅうと私の体を抱きしめるその腕の力強さに心が歓喜で震えるけれど、それを表には出さないでキールの背中に回した手でキールの背中を軽く叩く。

「キール、キール。苦しいわ」

 ぺちぺち、と何度も叩くけれどキールには伝わらない。

 それどころか抱きしめられた体勢の関係で、キールの口から零れる吐息が私の耳を擽る。


 その瞬間にぞくりと背に走る甘美な甘さと、どろりとした純粋とは言い難い痺れるような愉悦が私の中に広がる。

 甘さはそのままにして、浮かんだ愉悦は押し殺して、キールの首筋にそっと唇を寄せる。

 ちゅ、と軽いリップ音を残すと、びくんと分かりやすくキールの体が跳ねて腕の力が弛むから、その隙をついてキールの腕から逃れた。

「……アリア」

 腕から逃れる私を恨めしそうに見つめて、熱く私の名前を呼ぶキールに微笑みを向ける。

「ここじゃ、他の人もいるから嫌だわ。

 キールだけがいるとこで、してほしいな」

 その言葉を聞いた瞬間にキールの瞳が甘い熱を内包して、柔らかい笑みを浮かべる。

「勿論だよ、アリア。君が望むならいつでも、どこでも、どれだけでも。

 もっともっと、君が許しを請うくらいにあげる」

「……そんな風にされたら、私壊れちゃいそうだわ」

 キールの浮かべた甘さと熱さから逃れるように冗談交じりの響きを込めてそう言ったけれど、キールの瞳の熱は引かない。

 むしろ、硝子玉みたいにきらきらとしたキールの青い瞳の熱は更に高まって、甘さ以外の獰猛な熱まで帯びる。

「大丈夫だよ。壊れちゃっても俺がずっと傍にいてあげる」

「…………うん。

 とりあえず、帰りましょう。私、お腹すいちゃったもの」

 キールの言葉にはあえて触れずにキールに手を差し出すと、キールは壊れものを扱うように私の手をとって指を絡ませた。




 俺の家に行こう、と嬉しそうに言ったキールの言葉に頷いて、手を繋いだまま大通りを歩く。

 整えられた短い金の髪と、硝子玉みたいにきらきらとした光を帯びる青い瞳はただでさえ人目を惹くのに、キールの容姿は物語に出てくる王子様みたいに整っていて。

 すらりと高い背はただ細いだけじゃなくて、男の人らしくしっかり鍛えられてるんだってことも知ってる。

 外見だけでもそれだけ素晴らしいのに、キールは物事をよく知っていて、とっても優しくて。

 ……だから、他の女の人がキールを放っておくわけなんて、なくて。

 今だって道をすれ違う多くの女の人がキールをちらちら見ていて、アクセサリーショップの店員なんて頬を染めてキールを見つめてて。

 キールの愛情を疑ったことなんてないけれど、私なんかよりも綺麗で可愛くて優しくて頭のいい人なんてたくさんいるから不安になってしまう。

 そうして不安になった私は、自分の心の赴くままに動いてしまいそうになるから――。


「――リア、アリア?」

 耳元すぐ近くで呼びかけられて、思わずびくりと体が跳ねる。

 その声の方を向けば、にんまりと悪戯っ子のように笑うキールが鼻先が触れ合うんじゃないかってくらいに近くにいた。

「え、あ」

 目の前にいるキールにときめいて焦って言葉を上手く紡げない私を見て、悪戯っ子の笑みを少し拗ねたような笑みに変えたキールが言う。

「さっきから何か考え込んでるみたいだったから。

 アリアが俺の隣にいるのに、俺以外に気を向けてるなんて妬ける」

「……ごめんなさい」

 考えていたのはキールのことだけどキール自身のこと以外を考えてたのも事実だから謝ったけれど、ぷいとキールはそっぽを向く。

「やだ」

 そしてそんなキールから返ってきたのは私の『ごめんなさい』を拒否する言葉で。

 キールに嫌われたのかもしれない、という感情が自分の身体中を支配して頭の中が真っ白になって、身体が震える。

 そんな私の不穏な空気に気付いたのか、さっきからキールを熱い眼差しで見つめていたアクセサリーショップの女が歪んだ笑みを私に向けられた瞬間、駄目だった。


 私の中の本能が、キールを囲ってしまわなければと叫ぶ。

 優しいキールが愚かな手を打つ女の毒牙にかかってしまわないように。

 物事をよく知るキールが私の至らなさと他の女の良さを知ってしまわないように。

 私の傍からキールが離れていかないように。


 そんな荒れ狂う感情の私を抑えたのは、私にとって慣れた逞しい両腕で。気付いたら私はキールの腕の中に囚われていた。

「……ごめん、アリア」

 キールの口から零れた『ごめん』というその言葉を聞いてびくりと跳ねてしまった私の身体を、キールはぎゅうぎゅうどころじゃない、ぎりぎりっていう言葉が似合うくらいに抱きしめる。

「やだ、なんて嘘だ。

 ただアリアが他のものに気を向けていたのが悔しくて、少し意地悪を言っただけなんだ。

 アリアが俺の言葉で俺の方を向いてくれたら……って。

 不安にさせるようなことを言ってごめん、アリア」

「ほん、と……?」

 荒れていた自分の感情を抑え込みつつ、キールに抱きしめられている、というか締め付けられているせいで尋ねる言葉は切れ切れだったけれど、キールの耳にはちゃんと届いたらしい。

「ああ。勿論だよ、アリア」

 そう言って腕に込めた力を弱めて身体を離したキールの瞳には、とろりとした甘い熱が燻ぶっていて。


 その熱を直視して固まってしまった私を見て満足そうに笑ったキールは、私の肩と膝裏に手を回して――いわゆるお姫様だっこで私を抱えてしまった。

「きっ、キール?!」

 驚いて身じろぐ私の様子を気にすることなく、私の額に口づけを落とすキールは私の耳元に唇を寄せる。

「アリアは俺だけに触れてればいい」

「で、でも私……重いからっ」

「全然重くない。むしろアリアに触れていられる分、力が満ち足りるよ」

 それにさ、と何気ない話といった様子でそのまま言葉を続けたキールは私の耳元でそっと囁いた。



「……こうすれば、俺はアリアのものだって他の奴らに伝わるだろう?」


 色気を存分に含んだその言葉を聞いて浮かんだのは、お姫様だっこの現状を他人に見られていることに対する羞恥と、キール自身が自分を私のものだと表したことに対する歓喜。

 ああ、きっと今の私は嬉しさで見れたものなんかじゃないわ。きっと他の女に対する優越も含んで醜く歪んでしまっているかもしれないから。

 そう思ったのが半分と、キールに出来る限り触れていたかったのが半分あったし、キール自身も抱えやすくなるかなと思って、キールの首に腕を回す。

 そうしてからキールも含めて他の人にも顔が見られないようにキールの胸元に埋めると、甘える仕草に見えたのか嬉しそうに笑うキールの吐息が聞こえた。


 結局キールは私を抱えたまま、キールの自室に運ばれ。ついでに降ろされたのはベッドの上で。

 私が閉じ込められたのは、ベッドとキールの腕の間。

 いきなりの行動に驚いていた私に対して、蜂蜜みたいに甘くてどろっどろした熱を瞳に宿したキールは一言。

「……アリアが可愛すぎるからいけない」

 そう呟いたキールから与えられる熱全てで、私は溶かされる羽目になった。



 キールとの甘い時間の途中で意識を飛ばしてしまっていたらしく、ふと目覚めた私はキールの腕の中で眠っていた。

 キールの部屋に来たのは夕方――カーテンの隙間から茜色の光が差す頃だったけれど、カーテンの隙間からは日が差していないから今は夜更けなんじゃないかと思う。

 ほんの少し身じろぎするだけでキールは私を囲う腕の力を強くするけれど、それは強すぎなくて弱すぎないちょうどいい力の加減で、私はこの時間が好きだったりする。

 そんなキールの腕の中で、目を凝らしてキールの左の鎖骨の下をじっと見つめる。

 暗がりの中でなんとか確認出来た、キールの綺麗な肌に残る、赤いしるし。

 キールとの甘い時間の後の、先に意識を飛ばしてしまう私がふと目覚めた時に付ける、キールを束縛する為の証。

 今日も私は、付けた時より少し薄くなってしまったその赤に唇を寄せて、強く吸いつき、しるしを上書きした。





 ほんの淡いささやかな恋心。それが、私がキールに持っていた感情で。

 とても素敵なキールが私なんかに想いを寄せてくれることなんてないと、叶わない想いだって思ってた私は時折キールの姿を見かけるだけで嬉しかった。

 見かけた日は心が浮足立って、他の誰かに向けているにしても笑顔が見れた日はちくりと痛む心を抱えつつも幸せだった。

 だから、キールが私に「好きだ」と告白してくれた時、私はそれを夢だと思って自分の頬を思い切りつねってしまった。

 ああ、赤くなってしまって、なんて言いながら私がつねった頬をそっと撫でたキールが言うには、私がキールをこっそり見てたみたいにキールも私を見ていたらしく。

 見てるだけでは耐えられなくなってしまった、と私の耳元で呟いたキールはそのまま私の手を取って、指を絡めて私に尋ねた。

「ねえ、アリア。僕の恋人に、僕の唯一になってくれませんか?」

 そう言われて、キールに恋心を抱いてる私に断るなんて選択肢はなくて。

 言葉で返事が出来なくて、ぎこちなくもゆっくりと頷いた私を見て、キールはとても綺麗な笑顔を見せてくれた。


 無事にキールと恋人になった私は、キールの感情豊かな行動に照れてしまうことが多かったけれどとても幸せだった。

 キールの姿を見れただけで感じられたふわふわとした幸せが、きらきらとしたような感じに変わったみたいに。

 でも、幸せを感じれば感じるほどに不安に苛まれるようになった。

 私がキールをそっと見つめていたように、他の女の子もキールを見つめていて。

 そしてその中には私よりも優れている人が何人もいて、彼女達の私を見る目には『どうしてこんな自分よりも優れていない女が』って蔑みがあったから。


 最初に感じた小さな不安が少しずつ大きくなっていくにつれて、その不安を誤魔化すように私の心はキールを求め始めた。

 私のそばにいてほしい、私だけを見てほしい、私以外の女になんて少しの意識すら向けないで――!

 キールを想う優しいきらきらした気持ちと一緒に混在する、そのどす黒いような醜さを持った感情を私はキールの前でも表してしまいそうになって、そうして気付いた。



 ――こんな私に気付かれたら、きっとキールに嫌われてしまう。


 その気付きは、キールと過ごす内に覚えた不安よりも、他の女の人から向けられる感情よりも、私の心を突き刺した。

 心に生まれる不安も、他の女の人からの負の感情も、他の何だってキールがいてくれたら私はきっと耐えられる。

 もしもキールの心に他の相手が出来てしまっても、その時の私はきっとぼろぼろになってしまうだろうけれど、多分なんとか耐えられると思う。

 私にとって、キールは愛しくて。そして幸せであってほしい人だから。

 でも、もしもこのどす黒い感情がキールを傷つけたのだとしたら。


 キールの幸せを願う私自身がキールを傷つけたという事実に。

 私の行動を引き金にして、負の感情のこもったキールの瞳に見つめられたという事実に。

 他ならぬ私のせいでキールが別れを選ぶという事実に。

 私はきっと耐えられない。


 だから、私はその時決めた。

 このどす黒い、醜いどろどろとした感情はキールの前では見せないんだって。

 それでも日々を過ごすうちに、醜い感情はとどまることなく育ってしまっていたから私は考えて、そうして思いついた。

 自分を誤魔化す為にも、キールを囲ってしまえばいいんだ、って。


 私の心が赴くままに直接キールを囲おうとしてしまえば、それはキールにとっては束縛になってしまう。

 そうすればキールの心は私から離れてしまうかもしれない。

 だから、私は他の人を牽制するようにキールを囲うことにした。

 照れてしまって恥ずかしくはあったけど、人前でもキールを想ってる様子を隠さずに、私っていう恋人がいるんだって多くの人に分からせて。

 キールの好みに沿う、だけどキールでは選ばないような装身具をプレゼントとして贈って。

 キールのご両親とも良好な関係を築いて。

 キールの肌にも途切れることなく、私のものだという所有印を刻んで。

 そうして、私はキール自身とキールの身の回りに『私』という存在を主張して、自分の醜い感情を宥めすかしていた。



 そんな私の目論見は順調で、私はキールを変に縛り付けることなく私自身の感情を誤魔化し続けている。

 だけど最近私の感情が暴走してしまいそうで、はっきり言って困っている。

 元々キールは私に対する愛情表現がオープンだけど、最近はそんな愛情表現がよりオープンで甘くなっているから。

 もちろん、キールが私に向けてくれる感情が嬉しくない訳がない。というより、嬉しくて仕方がない。

 だけど、キールの強い愛情表現を身に受ける度に私の中の醜い感情が、『キールがそれだけ強い想いをくれるなら、私だって同じだけ強い想いを返したっていいでしょう?』って鎌首をもたげてしまうから、嬉しいけど少し苦しい。

 キールを私だけのものにするっていう甘美な状況に歓喜して、だけど他の誰でもない私が『キールを傷つけるかもしれない』って心を満たす歓喜にブレーキをかける。


 キールを囲いこんでいるはずなのに、きっと自分が何よりも彼に囚われている。

 でも、私はそれでよかった。

 私の望みはキールが幸せなことで、そんな幸せなキールの傍にいることだから。

 だから。今日も、明日も、明後日も。これからも、ずっと。


 檻を作りましょう。優しすぎる貴方が傷つかないくらいに広い檻を。

 そうすれば、きっと私は貴方を傷つけずに、貴方の幸せを願えるから。



もぞり、と身じろぎしたキールが私の身体にまわしていた腕の力を強めるから。

広い檻を、と考えて少しも時間は経っていないのに彼を囲う檻を強くしてしまいたい欲求に駆られて、もう一度彼の胸元へ唇を寄せる。

すでにある赤いしるしの近く、心臓に近い位置にもう一つ赤いしるしが咲いたのを確認して、キールにすり寄るようにしてから私は目を閉じた。



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