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カラフル  作者: 東山千秋
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 時刻は午後五時を少々回った程度。この時間帯に波止場の先端の小さな灯台がある場所で思いに更けながら眠ることが僕の日課になっていた。唯一、日課を休むのは沖の方から吹き付ける風が強い日だけだ。

 ここからは海、山、街、空といった沢山の自然を感じ、辺りを眺めることができる。案外、僕の住んでいる街は良い場所なのかもしれない。山があり、海があり、中心部はコンビニエンスストア、大型ショッピングモール、高層ビル、車の交通量、電車の路線数などが都会のように栄えている。こういう点で、この街は開けていると思うんだよな。だけど、そんなことはどうでもいいんだ。普段では考えも思いもしないことに思考を使うなんて馬鹿げている。彼女の死を受け入れ、涙を流し、疲れ切ってしまった僕はどうも無気力になってしまった。彼女がいなくなった世界に意味なんてあるのか。最近はそんなことばかりを考えている。もう一年半も経つというのに。

「誰かと思ったら、ふしみんか」

 こんなところまでやって来た声の主は葉山だった。僕に涙を流すきっかけをくれた葉山とは葬儀の件以来の仲だ。葬儀で泣いてしまった僕は葉山に話を掛けづらい日が続いたが、葉山はそれがなかったような口ぶりで話してくれるので、こちらも話しかけやすくなり、知らぬ間に仲良くなっていた。葉山がいなければ、僕はいなくなってしまった麻衣に酷い仕打ちをしていたことだろう。彼女がいなくなり、悲しまない彼氏がこの世にいるだろうか。本当に好きと思い合っている同士なら間違いなく、悲しくなっていて当然なのだ。

「僕で悪かったな。あれだ、都合よく素敵な人と出会える世の中ではないってことだ」

「ふしみんってば、色々と余計なこと言うよね」

 葉山は頬を膨らませ、こちらに睨みを利かせていた。

「まあまあ、落ち着けって。それよりさ、どうしてこんな場所に来たんだよ」

 率直な疑問だった。吹奏楽部に所属している葉山は練習の真っ最中のはずなのだ。それに葉山は面倒臭いから言って物事を簡単に投げ出す人ではない。

「色々と事が上手く進まないから、今日は部活を休んでここで思いに更けようかと思って」

「へえ、葉山がね。意外すぎて意外だよ。何というかここに来ること自体も驚きだけどな」

 ここには通い詰めているが葉山と遭遇したことは一回もない。遭遇するのはいつも釣り人である爺さんぐらいだ。

「意外って失礼すぎない。それに、私はここに来るのが初めてだけどさ……何か文句でもあるの」

「悪気があったわけでもないし、文句もないけどさ……まあ、ここの使い方を先輩として教えるからそれで許してくれ」

 僕はここの使い方を教えた。教えたと言っても、冷たいコンクリートで固められた地面に寝転んで、思いに更けたり、心地よく眠ったり、たまに読書をしたり、沖から浮上するように出てくる夕日を眺めたり、ということぐらいだけど。

「何か物凄く陰気だけど、心が落ち着けそうだね」

「そうそうって、陰気ってのは余計だけど。まあ、間違ってないのも事実ではあるな」

「でしょでしょ。あー、ふしみんとは自然体で話せて、本当に楽だよ」

「僕も前のことで葉山にはとてつもなく感謝しているから有りのままで接しているし、葉山も何だかんだで僕と有りのままで話してくれているみたいだから、楽ってことじゃないか」

 葉山が僕に教えてくれたことについて感謝している。無気力な僕だけど、これだけは本当だと言える。

「そうかもしれないね……あ、今日はもう遅いからそろそろ帰る。また明日!」

 スマートフォンを片手に葉山は、手を振りながらここまでの道を遡って行った。

「じゃあ、また明日」

 ズボンのポケットにあるスマートフォンを取り出して時刻を確認すると、時刻は既に午後六時を回っていた。


 後ろの席の葉山が頼ってくるのは、決まって数学の授業が終わった後だった。

「ふしみんー、分からないー、教えてー」

 真っ白のノート差し出して「分からないー」と言われても、何が分からないのか全く以て理解できない。

「せめてノートを取ってから教えてって言ってくれ」

「だってさー、数字ばっかりで眠くなるしー」

 まあ、教えるのは嫌いじゃない。相手に上手く教えることができれば、それは自分がさっきの授業の内容がしっかりと脳に焼き付いているということになるからだ。要は復習みたいなものだ。それにしても、葉山の数学嫌いには頭を抱えるレベルに困ったものだ。さっき、嫌いじゃないとは言ったがこう毎回だと落胆もいいところだ。

「ここはxをこうやって、yをああやって、こういう答えになるんだよ」

 つい数十分前の授業で得たことを葉山の数学嫌いな頭でも理解できるように説明した。

「そういうことか! さすが、優等生ふしみん」

「部活にも所属しない。クラスに干渉しない。友達も少ない。先生の忠告に耳を傾けない。こんな僕のどこが優等生だって言うんだか」

「私からすれば成績優秀で、校内で問題を起こさないっていうだけで優等生だと思うんだけどな」

 口を尖らせながら、葉山はつらつらと言葉を並べた。自分自身、他のクラスメイトと比べると真面目な方だとは思うが、だからと言って優等生だとは思ったことがない。もし、周囲が僕のことを優等生と捉えているなら、それは大きな間違いだ。優等生ってのは、勉強以外に行事の司会を熟せるとかどんなスポーツをさせても万能とかの付加価値のある奴のことを言うんだからな。

 そうこうしている内に、次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。教科は英語だ。授業が始まってからわずか五分程度。僕は左手で頬杖をつきながら、という怠惰丸出しの状態で板書をノートに写していた。微睡みが訪れた頃、後ろから肩を叩かれた。葉山の方を見遣ると、手紙を差し出してきた。内容は『昨日の場所で話があるの』ということだった。


 先に灯台に着いたのは僕の方だった。波が寄せては引く音、潮の匂いが香る風、漁船のエンジン音、沖の方で揺れるブイ、波止場で釣りをしている人、ここに来ると色んなことが穏やかな時間の流れに乗っているような気分になる。いつものように寝転がってから数分。「おーい」と呼び掛ける声がした。

「ふしみん、お待たせ」

「そんなに待ってないから気にしなくても大丈夫だ」

「ふう、安心したよ」

「安心してくださいっと。で、話って何だよ」

 葉山は安堵の表情を浮かべた後、僕の隣に立った。そして、深呼吸してから「で、実はね」と話を切り出した。

 どうやら僕に打ち明けたい悩みがあるらしい。僕はちゃんと葉山が求めている言葉を伝えることができるのだろうか。

「私は吹部でクラリネット担当なの。でね、こんなに練習しているのに思った通りの音が出なくて……同じパートの友達は慰めてくれるんだけど、どうも納得がいかないというか……慰めて親切にしてくれるのはありがたいけど、自分が納得するのにはどうすればいいのかなって」

 悩みは部活関係のことだった。とりあえず、即席で思い付いたことを口にしてみることにした。

「自分だけ遅くまで残って、納得するまで練習するとかはどうだ?」

「あ、なるほどね! それは名案な気がする」

「これなら、葉山の頑張り次第で悩みも解決しそうだしな」

「早速だけど、明日から実行してみるね」

普段、人から相談をされない自分が助言できるのかと思っていたが、できて心が安堵感で満たされた。

「無理はしたら駄目だからな」

「分かってるって」と微笑んだ。その後、すぐに目を掠めて偉そうな口ぶりで「お礼として、ふしみんの悩みを聞いてもあげてもいいんだけどなあ」と僕の顔を覗き込んできた。実際の目線は下からだけど、態度が上から目線の葉山。けれど、葉山に悩みを隠す必要もない。いい機会だと思って打ち明けてみよう。

「葉山には隠す必要もないし、言おうか」

「おおお、さあ、どうぞどうぞ」

 深呼吸で呼吸を整えてから話を始めた。吐き出そう、心の内を。

「麻衣の葬儀の日、葉山は僕を救ってくれた。本当に感謝しているよ。だけど、僕はどうも無気力になってしまったみたいなんだ。周囲の人が僕の大切な物を傷付けようが、怒ろうと思わないし、友達が僕を誘ってくれようが、友達と話していようが、嬉しいとも楽しいとも思わない。本当に無気力って感じなんだ。何というか、心が真っ白な状態に僕はなっているのかもしれないな。まあ、原因は麻衣がいない世界に意味なんてあるのかと思っているせいな気がするんだけどな」

 何を言っているんだと小恥ずかしい気持ちが押し寄せてきた。もちろん、心の内がすっきりしたのも事実だ。

「あー、要するに色んなことに対して感じることが薄くなった、対応も疎かになって、段々と無気力な人間になった。そして、その原因が、麻衣ちゃんがいない世界に意味なんてあるのかと思っていることにあると」

「そんなところだな」

 分かりやすく要約してくれたおかげで自分自身も何で悩んでいるのかを理解する助けになった。

「うーん、話が変わってると思われるかもしれないんだけどね、ふしみんはカラフルって映画を知ってる?」

 僕は首を左右に振った。そんな映画は見たことも聞いたこともない。それより、何で映画の話をする必要があるんだ。そこが少し引っ掛かる。

「何で映画の話なるんだ」

「まあまあ、ちょっと耳を貸した軽い気分で聞いてよ」

 こくこくと了承の意図を伝えて、葉山の言う通りにすることにした。それに悩みを聞いてもらっているのに偉そうにできる立場ではない。

「カラフルっていう映画はね、最初に大切な恋人を失くした主人公が突然の事で悲しむことができない人間になるの。どうして自分はこんなにも薄情なんだって。でも、友達の助言を聞くことで主人公は初めて恋人を思って泣くの。泣き終えた頃には疲れ切って、無気力な人間なって、次第に恋人のいない世界に意味があるのかって、本当の意味で無気力になって怒ることも楽しむことも嬉しいこともどうでもよくなって、投げ出そうとするのね。でも、またまた友達に助けられて、主人公は前を向こうとするわけ。けれど、主人公に助言を与えていた友達にはずっと前から悩みがあって、それを他人には打ち明けようとできなかったの。特に前を向き始めようとしている主人公には心配させたくなくて言えなかった。でも、無気力じゃなくなった主人公は友達の些細な変化に気付いて、救おうとするわけ。最後には主人公が友達を救ってハッピーエンドっていう友情の話なの。きっと、カラフルっていう映画のタイトルは、主人公が取り戻した無感情や無気力じゃなくて多彩な感情って部分から来てると思う。これで友達を助けようって思ったわけだし。だから、ふしみんも感情を取り戻せる過程の部分を自分と重ねて見たらいいんじゃないかな。それが、今のふしみんの助けになるかも。私の言う言葉よりも」

 最後に悪戯っぽく笑った葉山。正直、今の僕とカラフルの主人公の状態が似すぎていて、呆気に取れられてしまった。あれだ、僕にはまだ希望があるらしい。よし、カラフルを見る必要があるな。

「とりあえず、カラフル通りだと葉山の話を信じれば僕は助けられるってことになるってことか」

「立ち位置的にはそういうことになるから、そうなるかもしれないね」

「じゃあ、助けられたら、ちゃんと葉山のことも助けないとな」

 寝転がっていた葉山が起き上がり、背伸びをした。

「そうしてくれるといいんだけどなー」

 葉山は意味深長そうに言葉を吐き出した。

 沖の先に見える真っ赤に燃える夕日が沈んでいくところだった。葉山はそれを哀愁の漂う顔で眺めていた。僕は違和感を覚えたが、「疲れているだけだろう」と軽く解釈した。完全に夕日が沈むと、辺りは暗闇に包まれていった。


 休日、僕は市街地にあるレンタルビデオDVDショップ屋まで自転車を走らせた。カラフルはDVDコーナーの洋画が置いてある隅の方に息を潜めるようにして置いてあった。最新の作品ではないため、借りることのできる日数は八日間と長かった。まあ、二回ぐらい見ることができればいいと思った。一回目は純粋に物語として楽しみ、二回目は些細な点に目を配らせて楽しむ。

 帰りは寄り道をせずに来た道を戻った。そして、自宅に着き、僕はカラフルを鑑賞した。カラフルは葉山の言う通り、僕の過程と重なる部分が多い物語だった。カラフルを二周した僕はすっかり心変わりをしていた。主人公の心情に影響された部分も大きいかもしれない。だが、それを抜きにしても、今の僕にはするべきことがあるのではないかと、そう思い始めていた。


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