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カラフル  作者: 東山千秋
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 これは、感情を思い出していく僕と感情を隠そうとする彼女の物語の断片。


 彼女である有明麻衣が交通事故で亡くなったという訃報が届いたのは、僕が部屋で眠りに入ろうとしていた時だった。数秒、唐突な出来事で信じ難い気持ちと事実を確かめるために早く行かなければという気持ちが争ったが、後者を選び、市内の病院に足を運んだ。

 受付で「有明麻衣はどこですか」と訊ねると、看護婦が何かを察したかのような顔になり、霊安室へと案内された。室内は重い空気が漂っていた。泣き崩れる麻衣のお母さんと茫然と突っ立っているお父さん。祭壇の上で蒼白の顔をした麻衣の遺体が現実を突き付けていた。そんな現実を前にして、何故か、僕は夢を見ているような気分だった。現実だと理解したいため、麻衣の頬に手を添えると、ひんやりとした冷たさが伝わってきた。「これが死ぬってことなのか」と妙に冷静になり、夢を見ているような気分はどこかへ消えていた。だけど、涙も出ることがない。やるせない気持ちになることもない。ここは普通の人間なら不幸に嘆き、悲しみに暮れる場面じゃないのか。考えた末、僕が取った決断は病院から去るということだった。外に出ると、初夏らしい蒸し暑さが体に纏わり付いてきた。


 毎朝七時、僕は五月蝿い目覚まし時計の音に起こされる。学校に行くための準備を済まして、麻衣との待ち合わせの場所に向かった。到着してから数分、ようやく僕は昨日の出来事を鮮明に思い出していた。「そうだ、麻衣はもういないんだ」と心が何かで覆われそうになったが、僕は遅刻しないように早足で学校を目指した。自クラスの教室に着き、既定の時刻を満たした後、担任の先生が暗い面持ちでホームルームを始めた。

「喋らないでちゃんと聞いてくれ。昨日、有明が交通事故で亡くなったらしい」

 先生の言葉にクラスメイトたちはざわつきを見せた。自分たちとは程遠い話を聞けば、誰だってそうなるはずだ。

「明日は葬儀があるらしいから、今から決めるクラスの代表に行ってもらおうと思う。他にも自主的に行きたい奴は行ってくれると助かる」

 結局、ホームルームで挙手する奴はいなかった。僕たちは高校生になってからまだ三ヶ月しか経ってないのだ。仲の良さと言われれば、お互いを信頼できるレベルではないと思うし、クラスの団結力としても欠けている部分の方が多いと思う。僕だって、関わりの少ない奴の葬儀に出ろと言われたら、微妙な気分になるはずだ。「ほんの少しの間だったけどクラスメイトだったのだから」という正義感がある奴や偽善者なら行くのかもしれない。後はそういう奴らに同調して行く人たちもいるということぐらいだろうか。


 放課後、僕は担任に「職員室に来るように」と呼び出された。呼び出された理由は朝のホームルームで決まらなかった葬儀に出席する人が僕こと伏見宗太(フシミソウタ)葉山咲良(ハヤマサクラ)に決定したということだった。「葉山と麻衣は仲が良かったのか」という疑問が生まれたが、そんなことは頭の隅の方へと追い遣った。それよりも、どうして選ばれたのが僕と葉山なのか。葉山とは教室で数回ほど話したことがある間柄なだけだ。軽く予想をするなら、ただ単に担任が麻衣と仲が良かった僕とクラスに馴染んでいて、思い遣りがあり、反発することのない葉山を選んだということだろうか。

 了承を示す会話をした後、担任はじろじろと僕の顔を確認し、何かを言いたそうな目で見てきた。そして、踵を返した僕にこう告げた。

「先生な、こういうことを伏見に言うのはどうかと思ったんだが……どうしてお前はそんなにも面倒臭そうな面をしているんだ。有明とはあんなに仲が良かったんじゃないか」

 そう言われて、向き合わずに目を背けた現実がまたやって来た。どうして、麻衣が死んだというのに涙が一つも出ないのかと。自分はこんなにも薄情な人間だったのかと。悲しむこともできないのかと。やはり訳が分からなかった。


 翌日、葬儀は有明家から近い会館で静かに執り行われていた。周囲の喪服の色と来た人たちの悲しさ、煩わしさ、やるせなさ、様々な感情が入り混じった独特な雰囲気で僕の気は滅入っていた。葉山もどことなく気が滅入っているようだったが、僕とは違い、露骨にそういう風には見せていなかった。

「ふしみん、大丈夫」

 葉山は僕を気に掛けてくれたのか、身を案じてくれた。だけど、「ふしみん」という呼び方に対して気に食わなさを覚えた。

「大丈夫だよ。それより、ふしみんって呼び方やめてもらってもいい」

「えー、呼びやすいからいいと思うんだけど」

 「そんなに気にすることないって」と言いたげな表情をした葉山。まあ、呼び方一つに突っ掛かる必要もないか。

読経や焼香が始まる前、棺のある和室で待機していた僕は「あ、君は病院に来てくれた子だよね」と後ろから覇気のない声を掛けられた。振り返ると、麻衣のお父さんは頬がこけた姿で立っているのを確認できた。「そうです」と差し障りがないように返事をした。

「最後に麻衣の顔を見てあげてくれると嬉しいよ」

 無理に笑顔を作り、優しい声で喋るのはとてもじゃないけど直視できなかった。僕は「分かりました」とまた差し障りのない返事をした。麻衣のお父さんに麻衣の遺体のある木棺の上部にある小窓をそっと開いてもらった。覗き込むと、雪のように白くて、冷たそうな麻衣の顔を見ることができた。病院で安置されていた時は違って、エンバーミングが施されているため、綺麗だとも思えた。

 ふと、何をしているのだと我に返った。綺麗とかじゃない。綺麗とかじゃないだろう。僕は人として当然のことが思えないのか。同時に、担任の言葉も頭中を駆け巡っていた。何回も何回も反芻した。それでも僕は悲しめないままだった。頭を抱えたくなった。逃げ出したくなった。目の前にいる麻衣を裏切っているような気分だった。

「ふしみん。今の気持ちを当ててあげようか」

 そんな僕の心理状態を察したように、隣にいた葉山は僕の肩を叩いた。

「どうして、自分は悲しむことができないんだ。涙の一つも流すことができないんだ。差し詰め、そういう風に思っていると思うんだけど、違うかな」

 的確に僕の気持ちを当ててくる葉山に圧倒されて、「うん」と頷くことしかできなかった。

「私もふしみんと同じように思ったことがあったんだ。中学の時にお父さんが病気で亡くなったんだけど、気持ちはいつも通りだった。悲しむことも涙を流すこともなかったよ。不思議だよね、あんなにお父さんのことを慕っていたのに、何ともないなんて。でも、日が経つにつれて、お父さんの存在がどれだけ私を支えていたのか分かってきたんだ。それから、お父さんとの記憶をこれでもかってぐらい一杯思い出した。そしたら、もう涙が止まらなくなったの。ずっと泣いたよ。戻って来てよ、お父さんって何回も思った。だからさ、ふしみんも麻衣ちゃんと過ごした日々を思い出してみて」

 葉山に言われ、僕の頭の中は麻衣との三ヶ月間の思い出で溢れていた。

 高校に入って初めてできた友達は同性じゃなくて異性の麻衣だったこと。そして、初めての彼女になってくれても麻衣だったこと。手を繋いで歩いたこと。水族館で色んな魚を見たこと。図書室で勉強をしたこと。ショッピングモールで一緒に買い物をしたこと。小高い丘で一緒に星空を見たこと。いつも笑顔で話をしてくれたこと。

「そういうことだよ、ふしみん」

 いつの間にか、目から涙が伝っていた。伝う涙は留まることを知らず、拭っても、拭っても、溢れて出てきた。

 

 どれくらい泣き続けていたのか分からなかった。落ち着いた頃には、すでに火葬と法要が終わっていた。食事の席が始まっていても、僕は一人で会館の軒下で佇んでいた。一方、葉山は麻衣のお母さんと話をしているようだった。

 お腹が空いているわけでもないし、そろそろ帰ろうと立ち上がった時だった。麻衣のお父さんに話を掛けられた。

「さっきはありがとう。きっと、麻衣も喜んで天国に行けたと思うよ」

 僕は逃げ出すように走り出した。病院に行った時にこうなるべきだったんだ。そう思うと、その言葉に耐えることできず、限界を迎えた僕は反射的に逃げ出すことを選んでしまっていた。


 それから、家に着いた僕は麻衣の存在が如何に大きくて、支えになっていたかを改めて知って、もっと早くに気付くべきだったんだと後悔をして、夜通し泣き続けた。それでも涙は枯渇することがなかった。泣き終えたのは一週間後のことだった。学校にも行かず泣き続けた僕はもう疲れ切ってしまった。麻衣はもう二度と戻って来ない。現実が刃物になって心を八つ裂きにする。頭で理解しようとしても、容易に心が受け入れてくれることはなかった。

 いつしか、情緒不安定ながらも麻衣の死をどうにか受け入れることができた僕は「麻衣がいないのに、こんな世界に意味があるのか」、そんな思考に辿り着いてしまっていた。


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