指令
車窓の景色からはビル群が消え、かわりに緑豊かな田園風景が現れた。
蒼井達ははじめの方こそ緑ゆたかな自然を楽しんでいたが、今はババ抜きに夢中になっている。
おれも参加しているが、イマイチテンションが低かった。
生徒を引率して、ド田舎の高原に行くのが面倒くさい――。と言うわけではない。
おれも昨日の夜までは、今の蒼井達と変わらず浮かれていた。
旅行に行くのもひさしぶりだし、仮申請が通ったことによって来月の給料に顧問手当がつくようになった。
給料が上がることに浮かれたおれは、前から欲しかったフライフィシング用のロッドを新調した。
この超絶格好いいロッドを使って、リバー・ランズ・スルー・イットなみの竿裁きを見せた日には魚だけではなく家族で遊びに来ている奥様連中までHITしてしまうかもしれない。
――やべえどうしよう、
おれも一応子供を預かる身だしな。一夏の火遊びで、相手の家庭を壊すのは気が引ける。
だがおれも顧問である前に一介のタダの男だしなぁ・・・・・・。
時には理性よりも、一事の激情に身を任せてしまうかもしれない。
おれは河原で若奥様相手に青カンセックスを繰り広げる光景を想像したら、ひさしぶりに下半身がむずむずしてきた。
最近かまってやってないから、たまには息子とも遊んでやらねば。
合宿中遊んでやるわけにはいかんしな。
おれはクローゼットの中に隠してあるエロDVDコレクションから、若奥様はアオカン好きをチョイスした。エロDVDを鑑賞すること四十分。
ちょいブスだがエロイ体をした実にけしからんAV女優が二人の男優を同時に受け入れるという荒技を繰りだそうとしたので、おれはテッシュに手を伸ばした。
その瞬間、画面が切り替わった。
ちょいブスのAV女優のかわりに画面に映し出されたのは、黒い軍帽を目深にかぶり、白手袋を身につけた軍服姿の美少女であった。
白手袋には、安井家の紋章である嗤う魔女とその背を守る天使が刺繍されていた。
軍服の襟には、安井家の安井家の大将の証である黄金樹が輝いてた。
「・・・・・・尼亜」末妹の名を呟いた瞬間、尼亜の片眉が跳ね上がった。
「軍服を纏っている以上、私はいま軍務に服しているのだ。実の兄弟とはいえ、上官にむかって呼び捨てはないだろう?」
「失礼しました! 尼亜大将閣下」おれは息子から手を放し、実の妹にむかって敬礼した。
「――軍隊とは規律で成り立っているのだ。ほんの些細な乱れでも、乱れを放置してしまえば軍の崩壊はそこから始まってしまう」
「はい! 尼亜大将閣下の仰る通りで御座います」
「それにしても比留間護衛官、若い頃鍛えただけあって、四十二にもなってまだ自涜する元気があるとは。その有り余った体力をほんの少しでも任務に注いでくれたなら、今頃陛下は、魔王の試練をクリアーしていたかもしれないな」
〝それはねぇ!〟と思いながらも、末妹の言葉によって今の自分の状況を思い出したおれは慌ててズボンを履こうとした。
「・・・・・・誰が休めと言った比留間護衛官?」
「えっ、あの・・・・・・」おれはベルトを掴んだまま、テレビ画面に映し出されている末妹の顔を見た。末妹の目には一片の慈悲もなかった。
〝逆らったら、粛清もしくは暗殺される〟
おれは自分の置かれた状況を悟ると、ベルトとプライドを手放し敬礼の姿勢を取った。
あまりの情けなさと恥じらいのため、おれの身体は小刻みに震えだした。
「体が震えているようだが、私の処置になにか不満でもあるのかな、比留間護衛官?」
「不満など御座いません、尼亜大将閣下!」
「よろしい」末妹はそう言った後「しかし軍属とは辛いものだな比留間護衛官。屈辱的な命令といえども、上官の口から出たら従わねばならぬのだから」
おれは無言のまま突っ立てると「どうだ少し早いが退役して、この辺で第二の人生を送ってみるのもいいじゃないか? 年金も支給されるしな。贅沢さえしなければ悠々自適の生活を送れるのではないのかな?」
「――いや、それは・・・・・・」おれは末妹の言葉に絶句した。
もしここで退役などしたら、負け犬確定。おれは一生同族から嗤われて過ごさねばならなくなる。それにあの激しかった護衛官争奪戦のとき流れた血がまったくの無駄となってしまう。
末妹の前で粗末な息子を晒そうとも、誇りをドブに投げ捨てようとも、意地まで捨ててしまったら、おれの立つ瀬はどこにもなくなってしまう。
「――まだ意気地は残っているわけか。ならば何故任務に全力を注がない? 魔王の試練さえクリアーできれば、自涜などせんでも女など飽きるぐらい喰えるだろう?」
「――任務を怠っていたわけではありません。すでに新しい堕天対象を見つけました。魔王陛下も接触済みです」
「――ほう。今回は早いではないか。なぜもっと早く報告しないんだ?」
「・・・・・・いやそのういろいろと事情がありまして、報告が遅れてしまいました」
三八歳のおばさん魔王と小学生天使。このあまりに非現実的な組み合わせに報告する気が起こらなかったのも事実だが、本音を言ってしまうと蒼井の存在を尼亜に知らせたくなかったからだ。
尼亜は、安井家の狂気の血が作り上げた化け物だ。その暴虐も、身に宿す狂気も、桁が外れている。妹がいなかったら、尼亜が安井家を継いでいただろう。
それほどの化け物に蒼井のことを知られたくはなかった。
「その事情とはなんだ? 比留間護衛官?」
「・・・・・・ご説明するまえに、出来ればズボンを履かせていただけるとありがたいのですが」もうおっさん情けなくて泣きそうなんですけど。
尼亜は小さくため息をついた後「・・・・・・服装整えていいぞ、比留間護衛官」
「ありがとう御座います、尼亜大将閣下」
おれは尼亜の気が変わらぬうちに急いでズボンを履いた。
「で、その事情とはなんだ?」
「魔王陛下とそのう、年齢が釣り合わないのです」
「死に損ないのジジイなのか?」
「いえ、年下です」
「なんだ年が若いだけか。相手は大学生ぐらいか?」
「いえ」大学生でも無謀だが、それでもまだ大学生なら救いはある。
「高校生か?」
「まだ下です」
「――まさか中学生か?」尼亜の声に驚きの色が混じる。
だが尼亜が本当に驚いたのは、おれが首を横に振ったことだった。
「・・・・・・小学生なのか?」
おれは黙って頷いた。尼亜は暫しの間絶句した。
魔界、人間界広しといえども、尼亜をこれほど驚かせることが出来るのは妹しかいないだろう。。
「――小学生かぁ・・・・・・。難しい問題だが、陛下のお望みである以上やるしかない」
――年齢的にラストチャンスかもしれないしな・・・・・・。尼亜は口のなかで呟いた。
「で、今回はどんな手段で行こうと思っているのだ、比留間護衛官?」
「年齢差が開きすぎてるので、近所の気のいいおばさんみたいな関係から徐々に深い関係にもっていこうかと・・・・・・」
自分で言っててなんだが、まるで現実感がなかった。
小学生と、発情した中年のおばさんをくっつけるなど、土台無理ゲーなのである。
「――生温いな」
尼亜がぼそりと呟いた瞬間、おれの広くなりすぎた額が厭な感じで疼いた。
尼亜の右手がベルトに吊してあるナイフの柄に伸びる。同時におれの右手も動いた。
テレビの向こう側にいる尼亜は、おれの額めがけてナイフを投げつけてきやがった。
投げ放たれたナイフはすぐに消失したかと思うと、おれの眼前で物体化した。
異空間テレポート! おれはギリギリのところでなんとかナイフの柄を掴むことに成功した。
〝化け物めっ〟
詠唱なしのノーモーションで、異空間テレポート唱えるなんて――。
あの時よりも成長していやがる。
「――腕は衰えていないようだな、兄上」末妹は、軍人ではなく家族として語りかけた。
「――どういうつもりだ、尼亜」
尼亜のナイフが、末妹に対する恐れを奪った。禿げネズミといえども、追い詰められたら牙をむくしかない。
「いい顔になったじゃないか、兄上」尼亜はニヤリと嗤った後「暁城でのクーデター戦を思い出すな兄上。あの時兄上はたった一人で、クーデター軍を率いる私の前に立ちふさがった」
暁城のクーデター戦か・・・・・・。
もう十年以上経っているというのに、まるで昨日のように覚えている。
尼亜は炎を纏い、妹の首を取りに来た。
妹を守るはずの近衛軍団が裏切ったため、おれ一人で妹を守らねばならなかった。
「あの時の兄上は、素敵だったぞ。素敵すぎて思わず一騎打ちを受けてしまった。兄上は私を殺すことは出来なかったが――」
尼亜は己の赤い唇で、右手にはめられた白手袋を指先をかんだ。尼亜はゆっくりと白手袋を剥いだ。美少女の手には不釣り合いな鉄でできた無骨な義手が露わになる。
「私の右手を奪うことには成功した」
「――まだ治してなかったのか」おれの声には隠しきれない嫌悪感が籠もっていた。
「――傷は、私にとって家族の絆のようなものだから。兄上には右手を切り落とされ、姉上には文字通りぼろくそにやられた」尼亜の目は劣情に潤んでいた。
「傷は傷だ。それよりさっさと用件を言ったらどうだ?」
「さっきまでとは随分態度が違うな、兄上」尼亜は皮肉な笑みをうかべた。
「・・・・・・今は家族の時間だろう。家族の」おれは若干ビビリながら言った。
「そんなに警戒するな兄上。私はこう見えても兄上のことが大好きなんだ。その証拠に、ナイフの柄に贈り物を仕込んでおいた」
「贈り物?」
「兄上、柄の尻を回してみろ」
言われた通りにすると、柄の中から紙に包まれた粉薬とメモが出てきた。
「なんだこれ?」
「――アルウラネと魔界ヨモギを煎じて作った媚薬だ。大枚を叩いて買ったやつだからな。そいつを使えば死んだジジイでも奮い立つだろう」
「・・・・・・小学生相手に媚薬を使えというのか?」さすがのおれも引くんだが。
「なにも最後までさせろと言ってるわけではない。その小学生とやらが姉上に抱きつくなり、キスするなりしてくれればいいのだ。先に手を出したのが転生体の方ならば、律儀で責任感の強い連中のことだ。責任の一つぐらいとってくれるだろう」
「小学生相手に媚薬を使うのか・・・・・・」
おれが自分で飲むなら笑い話ですむのだが、小学生相手に媚薬を飲ませるとなるとまったくもって笑えない。
「毒を盛るわけじゃないだ。そんな顔をするなよ、兄上」
「いや、でもよう――」
「兄上! いつまで人間界でくすぶってるつもりだ!」尼亜の声が鞭となって、おれの心を打った。
「野心のために実の弟を殺した男が、たかが小学生に媚薬を盛るぐらいで気後れしてどうする!」
おれは何も言うことが出来ず呆けた顔で、テレビ画面に映っている尼亜の顔を見つめていた。
「兄上は用務員になるために、護衛官になったのか! 違うだろう。栄光と権力を掴むために護衛官の地位を手に入れたのだろう? このまま人間界でだらだらとしてたら、兄上は栄光を掴むどころかたんなる用務員のおっさんとして世を終えることになるんだぞ、それでもいいのか<後家作り>!」
尼亜は、役職でも名でもなく、異名でよんだ。幾多の敵を屠り、幾多の女を泣かせたことから、贈られた異名。かつてあった栄光の日々の証。
「・・・・・・馬鹿にするなよ、尼亜。おれだって護衛官を得るために、暁城に血の雨を降らせた男だ。たかが小学生に媚薬を盛るぐらい朝飯前だ!」
「その意気だ兄上」尼亜は唇を歪ませ嗤った。
「成功すれば、兄上にはいずれ元帥になってもらい、私と一緒になって姉上を盛り立てて行こうではないか」
尼亜の声には甘い毒が含まれていた。甘いと思って舐めれば死ぬかもしれない猛毒。
しかし毒を舐めてなお生き残ることができれば、栄光も権力も富も掴むことができる。
おれはナイフの柄から媚薬を取り出すと、ポケットにしまった。
「――先生。比留間先生」
蒼井の声で現実に引き戻された。
「どうしたんですか、ぼうとして。どこかお加減でもわるいのですか?」
蒼井は心配そうに、おれを見つめていた。
「いやどこもわるくないぞ。ちょっと考え事しててな」
やましいことだらけのおれには、本気でおれの体調を心配してくれる蒼井の視線に耐えることができなかった。
逃げ込むように視線をトランプの札に移すと、ババのカードが光輝いていた。
ボケッとしてて気づかなかったが、おれはいつのまにかババのカードを引いてしまったようだ。
「――勝負だ、蒼井」
蒼井、悪いが、おれのためにババアを引き取ってくれ。おれはババを睨みながら、蒼井に念を送った。
「・・・・・・はい、では比留間先生引きますよ」
蒼井は、おれの突然の本気モードに戸惑いながらもカードを引いた。
ババではなかった。
「うぷぷぷ、禿げにぃビリでやんの」
ババを握りしめているおれに、クソババアが嘲笑った。
「――うるせえ」
ババ抜きでは負けたが、蒼井にはこの粗大ゴミを引き取ってもらうぞ。