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エミール

 会社帰りのサラリーマンの群れに揉まれながら電車を降りると、外は夕暮れであった。

 ――疲れた。

 今日は朝の五時に飛び起きて、顧問の審査を受けにど田舎の体育館に出掛けていたので、さすがのおれもつかれた。

 なんとか受かったからいいものの、これで落ちてたら死にたくなるな。

 おれは駅の階段を昇り、改札口を出る。

 疲れのせいか、甘い物が食いいたくなった 

  〝エミールにでも寄ってくか〟

 エミールとは、駅ビルに入ってるしゃれた喫茶店のことで、おれはここのレアチーズケーキが大好物であった。

 ここでコーヒーを飲みながら大好物のレアチーズケーキを食べて一服すれば、疲れも吹っ飛ぶことであろう。

 しかし一つだけ問題があった。エミールはその甘いケーキと洒落た店構えによって、多数の女性客を獲得していた。というか客のほとんどは女である。そんな所へ、禿頭の中年のおっさんが一人でノコノコと入っていくのはかなり恥ずかしい。

 〝こういう時にこそ妹がいればなぁ〟

 アレでも女ではあるから、連れて入れば多少は気恥ずかしさが薄れる。

 ──やっぱ男一人で入るの恥ずかしいし、さっさと家に帰るか。

 暫く迷った後、おれは恥ずかしさに負け、家に帰ることにした。

 駅ビルの入り口に背を向けると、見覚えのある巨乳が目に入った。

 アンリエッタである。

「買い物か?」おれが声をかけると「比留間先生!? 審査会の帰りですか?」

「ああ」

「──受かりましたか?」

「おれを誰だと思ってるんだよ、楽勝だよ」

 学科は落第点、実地試験はトップ合格というアンバランスながらも一応は合格できた。

「よかった。比留間先生なら大丈夫だと思っていましたが、先生の携帯に電話をかけてもつながらなかったので、少し心配していたところです」

「悪い悪い、携帯の電源切りっぱなしだったわ」

「とりあえず蒼井様の携帯にメールして、比留間先生が合格したことを伝えてもよろしいでしょうか?」

「もちろん」おれが頷くと、アンリエッタは手慣れた動作で主へメールを打った。

 すぐにアンリエッタの携帯が鳴った。「蒼井がかわって欲しいそうです」おれは差し出された携帯を手に取った。

「おめでとうございます、比留間先生! 本当は応援に行きたかったですが、仮申請の件で色々と忙しくて行けませんでした。申し訳ございません」

「気にするな蒼井。講師の審査ごとき、わざわざ応援に来るほどのもんじゃないさ。ところで騎士団の名は決まったのか?」

「はい。いろいろと迷いましたが、青薔薇学徒騎士団にしました」

「真の騎士とは青薔薇を咲かせる者なりか──」

 真の騎士になるには、現実にはありえない青薔薇を咲かせるのと同じくらい難しい。

 若き英雄ゲオルギウスはそう言って嘆き、それをモットーとした。

 ゲオルギウスはそのモットーを守り、その命を犠牲にして魔王猛鬼を滅ぼした。

「・・・・・・」

「どうしたんですか、比留間先生?」

「いや、なんでもない」

 ――蒼薔薇か。蒼井の口からでると不安になる。若者は英雄に憧れ、そうなろうと夢みるものだ。しかし英雄の結末は、太古の昔から死と相場が決まっている。

「──名前はそれでいいとして、仮申請の方は通りそうか?」

「はい、仮申請の方はなんとか通りそうです。ネックだった学徒騎士の在籍人数の問題も、瑞樹に従者をやめてもらって学徒騎士に籍を戻してもらったので、なんとかクリアーできそうです」

「瑞樹もようやく従者を辞めることに納得してくれたか」

「はい。まだふて腐れてますが。元々おかしいですよ。僕よりもはるかに強いのに、僕の従者やっているなんて」

「蒼井は本当に鈍感だな──」

「えっ、何か僕おかしなこと言いました?」

「いやなんでもない。そういや妹は邪魔してないか?」

「最近はこちらの方には顔をだしてませんが。あっ、安井先生で思い出しました。安井先生に夏合宿の場所どこに行くのか決まったのか、聞いといてもらえませんか?」

「妹に頼んだのか? あいつに頼むと、ショッピングモールがついてる避暑地とか、すぐ近くに遊園地があるとか。そんなナンパなところばかり選んできそうだぞ?」

「そういう所ではなく、静かで自然豊かなところでお願いしたので大丈夫だと思います」

「まあ、蒼井が念押したなら大丈夫だろう。わかった、妹には伝えておくよ」

「はいわかりました。それでは比留間先生、今日はお疲れでしょうからゆっくりお休みください」

 蒼井との電話が終わると、アンリエッタに携帯を返した。

「アンリエッタ、ちょっと時間があるか?」

「ええ、一時間ぐらいでしたら大丈夫ですけど」

「駅ビルの四階に喫茶店があるんだけど、一緒にケーキ食いに行かないか? おっさん一人で行くのは恥ずかしくてな」

「ひょっとしてエミールですか?」

「知っているのか?」

「はい、私あそこのケーキ大好物なんです」

 アンリエッタは本当に好きらしく、その翡翠色の瞳を輝かせていた。

「ならちょうどいい。寄っていくか」

「あっ、でも今日は私無理です。買い物があるのであまりお金が使えないんです」

「用務員の給料は安いが、ケーキの一つぐらい奢る余裕はあるよ」

「いけません、比留間先生。蒼井様にばれたら叱られてしまいます」

「大丈夫だよ、蒼井にはおれが言うから。おっさんを助けると思ってつきあってくれ」

「――そこまで仰るのなら、お言葉に甘えさせて頂きます」

 アンリエッタは馬鹿丁寧に頭を下げた。


 喫茶エミールは若い女で溢れていた。

 こんな所おっさん独りできたら晒し者になるところだった。

 アンリエッタを連れてきてよかった──。

 メイド服を着たウェイトレスが、不釣り合いなカップルを窓際の席に案内してくれた。

 おれは椅子に座ると、テーブルの脇に置いてあるメニューをアンリエッタに差し出した。

「わたしは後からでいいです。さきに比留間先生がご覧になってください」

「おれは決まっているから、メニューはいらないよ」と言うとアンリエッタは遠慮するのをやめて、嬉しそうな顔でメニューを眺め始めた。

 アンリエッタはしばらく迷った後、「ふっくらホットケーキの苺と生クリーム添えにします」と言った。おれはウェートレスの姉ちゃんを呼んで、ホットケーキとレアチーズケーキをそれぞれセットで頼んだ。

「飲み物はいかがなさいますか?」

「おれはコーヒーで、アンリエッタは?」

「わたしもコーヒーでお願いします」

 ウェイトレスの姉ちゃんは注文を取り終わると、去っていった。

 五分ほどするとコーヒーが運ばれてきた。

 おれは店内に流れるジャズのBGMに耳を傾けながら一口飲んだ。

 アンリエッタもカップに口をつける。

 店内にいる女共が、美しき亜人に嫉妬と賞賛の視線を送る。

 無理もないか。

 人間ではあり得ない翡翠色の瞳、エルフ特有の長く尖った耳。白銀に輝く美しい髪。華奢な体に相応しくない豊かな胸。

 エルフと人間の良いところだけを取って、作り上げたような美しさだ。

「慣れたつもりでも慣れないものですね」アンリエッタため息を漏らした。

「差別されてるわけじゃないアンリエッタの美貌に皆驚いているんだよ」

「――物珍しがってるだけですよ、比留間先生」アンリエッタは白い頬を微かに赤くそめた。

 レアチーズケーキとホットケーキが運ばれてきた。名物のレアチーズケーキは甘さ控えめの上品な大人な味でいつも通り美味かった。

一方アンリエッタが頼んだホットケーキは、これでもかというぐらい生クリームが乗っかっている。

 アンリエッタはこれぞ幸せといった感じの笑みをうかべて、ホットケーキを頬張る。

 こうして見ると、普通の年頃の少女だな。

 妹の馬鹿な行動のせいで、アンリエッタが怒ってる顔しか見たことなかったが、ホットケーキを頬張ってるアンリエッタを見ると、甘い物が大好きなごく普通の少女にしか見えなかった。

「――アンリエッタ。一つ聞いていいか?」

「――なんでしょう比留間先生」

 アンリエッタはホットケーキを口に運ぶのを止めて耳を傾けた。

「――今更言うのもなんだが、おれ達迷惑じゃないか。デモニアの兄弟が蒼井のまわりウロチョロしてても、蒼井の将来にマイナスになることはあってもプラスになることなんてないからな」

「──それは私も同じなんです、比留間先生。どこの馬の骨ともわからぬハーフエルフを家来にするよりも、筋目正しき家柄の子弟を家来にお迎えする方が蒼井様の将来にどれほど利することか・・・・・・」

 アンリエッタが持っているコーヒーカップが微かに震えている。

 「・・・・・・そんなことわかっていたのに。でもどうしても蒼井様のお側にお仕えしたくて、亜人種問題にお心を痛めていた蒼井様の気持ちを利用して家来の座に納まってしまったのです」

 ――私って卑怯者ですね。アンリエッタの翡翠色の瞳からは涙は一滴たりとも流れていなかったが、おれには泣いてるように見えた。

「アンリエッタはよくやってるよ。少なくともおれの妹よりは全然な」

「──比留間先生は優しい方ですね。蒼井様が惹かれるのもわかるような気がします」

「そうか? なんか特別なことをしたか、おれ」

 蒼井に迷惑をかけまくった記憶しかないのだが。

「蒼井様は。比留間先生に父の面影を見ているのです」

「面影って、蒼井の父ちゃん禿げてるのか?」とおれが言った瞬間、ハーフエルフは吹き出した。「まじめな話しているときに笑わせないでください! 蒼井様のお父上である不比等様は髪の毛は生えてます。私が言いたいのは、蒼井様は、比留間先生の頼りがいのある男らしい部分に、父性を感じているのです!」

「そうだったのか。蒼井はファザコンなのか。親父が不在ならマザコンになりそうなもんだがな」

「──蒼井様は、母である知加子様とは蒼井様のことを嫌ってますから、父がいないからといって、母に甘えるというわけにはいかないのです」と言った後、アンリエッタは慌てて口を塞いだ。 

「私としたことが喋りすぎてしまったようです。どうかこの事は秘密にしといてください」

「わあたよ。妹にも喋らないでおくから安心しろ」

「ありがとうございます、比留間先生」アンリエッタはホッとした顔で言った。

「ところでアンリエッタ。今日は何を買いに来たんだ」

「マフラーとセーターを編もうと思って、毛糸を買いに来ただけです」

「マフラー!?このクソ暑い夏にか?」

「すぐに出来るというわけではありません。今から編めば蒼井様の聖名日である秋ぐらいには丁度編み上がりますから」

「愛を込めてゆっくりと丁寧に編むわけか、暑いねえ」

 おれはわざとらしく手で扇ぐ真似をした。

「からかわないでください! 主の命名日にプレゼントを贈るなど、健全な主従関係ならごく当たり前に行われる行為です」

「――健全な主従関係ねえ」

 妹はヤバイを通り越して犯罪行為だが、中学生が小学生に手を出すのはどうなんだろう?

 それはそれでヤバイような気がする。

「なんですかその意味深な間は。勝手にへんな勘違いしないでください!」

 アンリエッタは言うだけいうと、猛烈なスピードで檄甘ホットケーキをパクつきはじめた。

 我に返って恥ずかしくなったんだろう。

 テーブルからケーキが消えると、おれとアンリエッタはエミールを後にした。

 別れ際、アンリエッタはおれの顔を見つめたかと思うと、「比留間先生、蒼井様のことをよろしくお願いします」

「蒼井のことそんなに心配か?」

「蒼井様は、この汚い世界に生きるにはあまりに純情すぎます。純情という感情は美しいものですが、時にはとても脆くなり、壊れてしまうと憎しみに変わってしまうことはあります。

私は蒼井様の瞳を憎しみで曇らせたくないのです」

「おれみたいな中年のデモニアのおっさんに何が出来るかわからないが、何かあったら手を貸すよ」

 そう言ってアンリエッタと別れた。




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