退院
決闘騒ぎから十日が過ぎた。
生徒達の前で無闇にシフトした罪で、おれは二週間の謹慎処分を喰らった。
学校側の本音としてはおれのような騒ぎを起こす面倒くさいデモニア野郎などクビにしたかったのだろうが、うっかりクビにするとデモニア人権団体が噛みついてくる可能性があった。
それに学校の体裁も悪い。
と言うことで、学校側は謹慎処分と減給処分というダブルパンチですました。
理事会のジジイどもは、おれが処分に不満を抱き自ら辞表を出してくれる事を明らかに期待していた。
おれは神妙な顔で処分を受け入れることを告げると、理事会のジジイどもはあからさまに肩を落とした。
それにしても蒼井の奴大丈夫かな。
おれの処分なんぞどうでもいい。しかし蒼井の事は心配であった。
傷の方は問題はない。妹が召還したイボ蛙のおかげで二週間程度の入院ですんだ。
問題は学徒騎士団の方だ。
おれから見れば蒼井の行為にはなんの非はない。騎士の模範というやつだ。
しかし学徒騎士団側からすれば非は十分にある。
騎士団の伝統を無視して、黒魔術によって癒されたこと。
蒼井が名誉を守った女性がデモニアであること。
その二点に関しては、表だって糾弾できないとはいえ、貴族の子弟で構成されてた集団だけに苦々しく思っている連中は一杯いるはずだ。
〝それに事は学徒騎士団だけでは納まらなくなるかもしれない〟
今回の件は間違いなく貴族達の耳にも入るだろう。蒼井家も貴族である以上政敵がいるはずだ。今回の件が政争のネタにでもならなきゃいいが。
おれも王族なので、貴族社会の面倒くささはよくわかっている。
魔界だったら安井家の力を使っていくらでもバックアップしてやれるのだが、人間社会ではおれに出来ることはほとんどない。
安井家が裏で資金援助をしているデモニアの人権団体を動かすぐらいか。
安井家は方針として、人間社会におけるデモニア解放運動に関しては積極的にバックアップしている。デモニア差別が薄まれば魔界より人間社会との密貿易もやりやすくなるし、魔王の試練も達成しやすくなる。
そういった功利的な意味合いで安井家はデモニア人権団体に資金援助をしている。
もちろんダミー企業を通してだ。
だからデモニア人権団体を動かすことは簡単なのだが、へたにデモニア人権団体を使うと蒼井がデモニア解放運動の旗頭に祭り上げられる可能性があった。
それはまずい。問題が大問題に発展するだけだ。
「──どうするか」
おれは今日何度目かになる呟きを口にしながら、昼酒をあおった。
チャイムが鳴った。
「おい、誰か来たぞ!」酒に酔って面倒くさくなったおれは二階にいる妹に向かって怒鳴った。
「下にいるんでしょう? だったら禿げにぃが出てよ。やすぃはこれから蒼井君のお見舞いに行くためにお化粧している最中で忙しいだから」
妹は蒼井の見舞いに行くためにめかし込んでいた。
〝しかしまあ、よく行くよ〟
騒ぎの張本人と言っても過言ではない妹だが、懲りることなく毎日毎日蒼井の病室を見舞っている。
おれは謹慎の身なので見舞いには一度も行ってない。
しかしあの巨乳のハーフエルフの姉ちゃんや蒼井ファンが、妹の行為を面白く思っていないことだけは容易に想像出来た。
二度目のチャイムが鳴る。
おれは昼酒で怠くなった体を無理矢理起こすと、うるさい客のために玄関にむかった。
ケツをボリボリとかきながらドアを開けると、思いもよらないメンツが立っていた。
包帯姿の蒼井とその家来達。何故このメンツが玄関の前に立っているのか理解が出来ない。
「突然お邪魔して――」蒼井は最後まで言い切ることができなかった。
おれの顔を見て何故か口元を押さえ、顔を伏せたからだ。
「──どうした蒼井」おれが怪訝に思っていると、主人の隣にいた瑞樹が腹を抱えて笑い出した。ハーフエルフの姉ちゃんは、地面に座り込んで必死に笑いを堪えていた。
「比留間先生、その姿加藤ちゃんそっくりだよ」
瑞樹は涙を流しながら、おれを指さした。
なんだ、おれのステテコ姿を見て笑っていたのか。自宅で完全に寛いでいたおれはステテコと腹巻きといういでたちであった。
おまけに昼酒のせいで、おれの禿頭も鼻も真っ赤に染まっていた。
体がごっつすぎることを別にすれば、加藤茶が扮する酔っ払いのハゲ親父そっくりであった。
「瑞樹、失礼なことを言うな」
なんとか笑いを納めることに成功した蒼井は従者の無礼を咎めたが、顔がまだ笑ってるせいで迫力は不足していた。
ハーフエルフの家来はまだ笑いたりないらいしく、地面に蹲って呻いている。
「そう我慢しなくていいぞ、笑いたきゃ笑え」おれが優しく語りかけると、ハーフエルフは顔を上げ「──いえ、これは笑いを堪えてるわけでは・・・・・・」ハーフエルフは見え見えの嘘をつこうとするので「加藤ちゃん、ぺっ」おれは伝説のギャグを使用した。
「うはははははは、ダメです、それはダメです。もううり二つです。そんなことされたらアンリエッタは笑い殺されてしまいます!」
アンリエッタはその怜悧な顔に似合わず、もの凄い笑い上戸らしく狂ったように大爆笑している。
その狂態を見た主従は、さすがに呆れて笑いを引っ込めた。
ハーフエルフの笑いの発作が収まったのは、十分ぐらい経ってからであった。
おれは居間で笑いすぎて喉が渇いたハーフエルフと、蒼井達のためにカルピスを振る舞った。
「申し訳ありません、お約束もないのに突然訪ねてきたあげく無礼な振る舞いをしてしまって」
主とその家来達は丁寧に頭をさげた。今度は逆におれの方が笑ってしまった。
「さっきまで大爆笑してたくせに、そんな神妙な顔して頭を下げるなよ」
「いえ──。そのう申し訳ありませんでした」
このグループの中で一番大爆笑していたハーフエルフはバツの悪い顔で再び頭を下げた。
「で、今日は何のようだ蒼井?」
「この前助けて頂いたお礼と、それと相談したいことがあったので今日はお邪魔しました」
「お礼? 馬鹿言うな、礼を言うのはおれの方だ。この前はうちの妹の名誉を守ってくれてありがとう、蒼井」
おれは形を改めると、蒼井にむかって深々と禿頭をさげた。
「――頭を上げてください、比留間先生。僕は騎士として当然の振る舞いをしただけですし、それに決闘では小長井先輩に負けてしまいました。とても安井先生の名誉を守ったとは言えません」
「勝ち負けじゃない。あんな妹のために立ってくれた。ただそれだけで、蒼井は立派だ」
どこの世界に、四十路目前のショタコンおばさんの名誉のために剣を取ってくれる人間がいるのだろうか? 血のつながりがなければ、おれだって剣なんぞ取らない。
「――そうだ。妹の奴にも頭を下げさせないと」
蒼井は照れくさいのか顔を真っ赤にしながら遠慮したが、兄としては妹に頭を下げさせないことには格好がつかない。
「おい、ちょっと下におりてこい!」
居間のドアから顔を出して怒鳴ると、妹がドタドタと足音を立てながら下りてきた。
「なに、禿げにぃ。やすぃお化粧するのに忙しいのに・・・・・・」
妹はお気に入りの泥岩パックで顔を塗り固め、居間に入ってきた。瑞樹とアンリエッタは妹の顔を見て笑いかけたが、主が睨むとすぐに顔をそらした。
「なっ、なんで蒼井君がここにいるの? まだ入院中でしょう!?」
妹は化粧中の姿を蒼井に見られたせいか、声が動揺している。
「いつまでも寝ていても仕方がないので、病院の先生に無理を言って今日退院させて貰いました」
「退院させて貰いましたって・・・・・・。ダメよ、体を大切にしないと」
「安井先生の癒やしの呪文おかげで、無理な運動さえしなければ大丈夫です」
「大丈夫かもしれないけど、やすぃ心配だからこれから毎日蒼井君のところ行って、癒やしのイボ蛙召還しようか?」
「蒼井が大丈夫だって言うだから止めとけ」
「なんでよ、禿げにぃ」妹は不満げに唇を尖らせて抗議したが、おれが睨むと黙った。
「ところで蒼井。あの決闘騒ぎの始末。騎士団の方ではどう決着つけるつもりなのだ?
そろそろ騎士団の方から内示が出されてる頃だろう」
「はい。昨日の夜騎士団の方から通達がありました。僕の方は譴責処分ですみました」
「よかったぁ。譴責処分ですんだか」
これから学徒騎士団内部での蒼井の立場は厳しくなるだろうが、創立者の子孫だ。そう無茶なことはすまない。
「――小長井先輩の方は、除籍処分です。決闘の誓約を破ったのが重く見られたようです」
――残念です。蒼井は決闘相手の不幸を本気で悔やんでいた。
おれがもし蒼井なら、絶対ざま見ろと言って大喜びしている場面である。
敵の不幸を本気で悔やんでいる蒼井を見ると、自分がすげえ小物のような気がしてきた。
〝小学生ってこんなに人間できていたっけかな? おれが蒼井ぐらいの年の頃って犬のウンコ入りの落とし穴を作ったり、河原でフナとったり、喧嘩したりするだけの生き物だったような気がするんだが〟
おれの方が一応王子様なのに、なんでこんなに庶民的なんだろうおれ。
「学生とはいえ、刑事権すら付与される学徒騎士だからな。決闘の誓約を破ったのはまずいわな」おれは自分の小物ぷりを隠すため、常識論を吐いた。
「それは比留間先生言うとおりなのですが、特待学徒騎士になるために血のにじむような研鑽をつんだ小長井先輩の事を思うと、不憫ではなりません」
「小長井のことまで抱え込もうとするな、蒼井。すべてを抱え込める人間なんざ、そういないだから」
「そうですね。僕が悩んだところで小長井先輩の怒りを誘うだけでしょうから」
蒼井は寂しそうに言った。
「その通りだ。敗者は勝者を憎み、勝者は恨みを買うもんさ。それは高潔と歌われる騎士の歴史を見ても証明されてるだろう?」
蒼井はおれの問いかけにたいして悲しそうに頷いた。
決闘の決まりとして復讐を禁じてはいたが、闘うのは騎士という名の人間である。
多くの敗者は復讐を企て、酷いときには戦争にまで発展した。
「それはそうと妹の馬鹿に頭を下げさせていなかったな。おれももう一度頭を下げるから、お前も頭をさげろ」
おれ達兄弟は、小学生にむかって深々と頭をさげた。
蒼井は再び恐縮して、顔を上げてくださいと何度も言った。
こっちとら小学生にあれほどの恩を受けてしまったのだ。はいそうですか、と頭をあげるわけにいかない。
暫しの間禿頭を下げる。蒼井が四回目の懇願をしたとき、おれは顔をあげた。
「ところで蒼井。今日は相談があってきただろう?」
「はい。今日は比留間先生に相談というか、お願いがあってきました」
蒼井は姿勢を改めると語り出した。
「実は昨日ゲオルギウス学徒騎士団を自主退団しました」
おれは一瞬蒼井が何を言ってるのかわからなかった。妹もぽかんとした顔をしている。
「――退団って、何でだよ!? 自主退団を迫られたわけじゃないだろう?」
「退団はあくまで自分の意志です」蒼井は静かに答えた。
「じゃあなんで退団なんかしたんだよ。せっかく手に入れたエリートコースに入るための切符をテメーから手放す馬鹿がどこにいる! 軽はずみにもほどがあるぞ」
おれは我が事のように興奮し動揺していた。自分でもなぜこれほどまでに動揺するのかわからない。
「譴責処分を受けたから、退団するのではありません。僕は今回の件で気づいたのです」
「なにをだ?」
「自分の志がゲオルギウス学徒騎士団にないことを」
「――ないってお前の祖先が作った騎士団だろう。お前の父親だって爺ちゃんだって、そのまた爺ちゃんだって、ゲオルギウス学徒騎士団に入団しそして退団していったんだ。いわば家の伝統みたいなもんだろう。それを捨ててまで持ちたい志って何だよ」」
おれはいつの間にか詰問口調になっていた。
「異種族でも、デモニアでも、志あるものなら誰でも入れることが出来る騎士団を、僕は作りたいのです。ゲオルギウス学徒騎士団はたしかに立派です。歴史もあります。在籍している先輩達も同輩も尊敬できる人達ばかりです。でもゲオルギウス学徒騎士団には亜人はいません。デモニアはいません。成文化はしてませんが、ゲオルギウス学徒騎士団は人間にしか門戸を開いておりません。僕は平民でも亜人でもデモニアでも志あるものなら誰でも入れる学徒騎士団を作りたいのです。はじめは僕もそこまでは考えておりませんでした。ゲオルギウス学徒騎士団を内部から変革させて、己の志を達成しようと安易に考えておりました。でもそれは僕の思い上がりであり、甘えだったのです。もし本気で自分の志を叶えようとするのなら、偉大なる祖先ゲオルギウスのように、自分の力と仲間達の手によって新しい騎士団をつくるべきだったのです」
蒼井の声には微塵の迷いもなかった。
「蒼井、お前はゲオルギウス学徒騎士団を退団してまで、新しい騎士団を作りたいのか?」
「はい、正式な学徒騎士団として承認されるのは無理ですが、瑞樹を従者ではなく学徒騎士として登録しなおせば、仮申請の最低人数の二人はなんとかなります。あとはこれに僕達に剣を教えてくれる立派な顧問さえいれば、仮申請書を提出することが出来ます。比留間先生、どうか僕の作る学徒騎士団の顧問になることを引き受けてください」
「おれが顧問だと? デモニアのこのおれが?」
「やったじゃん、禿げにぃ大出世だよ!」
馬鹿な妹は喜んだが、怖い顔しているおれを見ると黙った。
「――馬鹿な事を。ゲオルギウス学徒騎士団を退団したことさえ、愚かなことだというのに。その上、デモニアであるおれを顧問として迎え入れて学徒騎士団を新設しようなんて、大馬鹿者としか言いようがないぞ」
「お叱りを受けることはわかっていました。でも自分の志を叶えるには、新しい騎士団の作るしかないと思ったのです」
蒼井は若者らしく、その考えは青臭かった。
薄汚れたおっさんであるおれはもっと上手く生きろよと、怒鳴りつけてやりたかった。
お前が今捨てようとしてるものは、普通の人間なら人を殺してでも手に入れたいものなんだぞ。それほどのステータスをなぜ簡単に捨てられるんだよ。
おれはお前が簡単に捨てた物を手に入れるため、実の弟まで殺してる。
ああ、今にしてようやく小長井の気持ちがわかった。蒼井の生き方は、小長井の生き方を否定しているのだ。人は己を否定した人間を憎まねばならなかった。
おれは蒼井の目を見つめ、己に問うた。
〝おれは憎めるのか、この少年のことを?〟
小長井は憎んだ。しかしおれは憎めそうになかった。
「──わかった引き受けるよ」
おれは心地よい敗北感を感じながら言った。憎めない以上、おれはこの少年を愛するしかなかった。
「ありがとう御座います、比留間先生」蒼井は喜色を表にし、礼を述べた。
「おれみたいなデモニアの禿げ親父を抱え込んだら苦労するぞ。それにおれ頭が悪いから顧問の試験落ちるかもしれないぞ。ところで蒼井、仮申請はいつ出すんだ?」
顧問を引き受けた以上、おれは顧問の資格を取りに行かねばならなかった。
「一ヶ月後を予定しています」
「――随分早いな。どうせすぐに夏休み突入するんだし、夏休み終わってからでもいいじゃないか? おれ顧問の資格もってないから、審査会に行かんとならんしな。逸る気持ちもわかるが、あんまり早いのはちょっと困るな」
剣技には自信があるが、筆記試験もあるから勉強しとかないとマズイ。
「・・・・・・すいません、審査会があるのを失念してました。比留間先生の仰るとおり、申請は夏休み明けにします」蒼井の顔と声には落胆の色が滲み出ていた。
「どうした蒼井? 早く申請を出さないと不味い理由でもあるのか?」
蒼井が答える前に、瑞樹が先に口を開いた。
「蒼井は夏合宿がしたいだよ、比留間先生」
「瑞樹!」蒼井は従者の口を封じようとしたが、おれの口が開く方が早かった。
「なんだ蒼井、夏合宿したいのか?」
「あっ、いえ、そのう・・・・・・」蒼井は口ごもった後、小さな声ではい、といた。
「なんだ蒼井は夏合宿したのか! それを早くいえそれを。よしそれならおれ頑張っちゃうかな、申請出すのは一ヶ月後でいいぞ蒼井」
これまで立派な事ばかり言ってた蒼井がようやく小学生らしい事を言い出したんだ、大人のおれとしては叶えてやらねばなるまい。
「本当ですか、比留間先生!」
「おれも夏休み暇だから、どっか行きたいと思ってたところだ」
「行きたい! やすぃも蒼井君達とどこか行きたい!」妹の馬鹿は早くも浮かれ出した。
「なんでお前がついてくるだよ。お前は関係ないだろう、まったく」
「なんでやすぃにだけ意地悪いうの!」
妹が抗議すると、皆笑い出してしまった。