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肝試し

 夏合宿最終日の夜。謎の鳥の頭唐揚げをつまみに黒ヤモリビールを飲んでくつろいでいた。

 蒼井達はまだお子様なので、黒ビールのかわりに黒ヤモリの血で作った不気味なジュースを飲んでいた。つまみは無論、謎の鳥の頭唐揚げである。

「──お前等も逞しくなったな」

 変な方向に逞しくなっているような気もしないでもないが、ひ弱なお坊ちゃんよりかは全然マシであろう。

「これも比留間先生の稽古と安井先生の夕食のおかげです」

 蒼井は食べる手をとめて礼を伸べた。

「はいはい、ボクも逞しくなったよ。比留間先生にシゴかれたせいで持久力ついたし、安井先生のおかげで嫌いだった魚の煮付けも平気で食べられるようになったもんね。今なら鬼太郎主催の妖怪鍋パーティに招待されてもおかわりできちゃいそう。鬼太郎の作る芋虫すき焼きも安井先生の作る魔女料理も大して変わらないからね」

 瑞樹は謎の鳥の頭唐揚げをパクつきながら、妹をDISってるのか、褒めてるのかよくわらなかい賛辞を送った。

「そんな褒めないで瑞樹ちゃん。やすぃそんなにおだてられちゃうと、精霊界のダンジョンに潜って、キャリオンクローラの腐肉鍋作っちゃうかもかも!」

 妹は褒められて嬉しくなったのか、語尾をアニメ化させた。。

「口にした瞬間、パラライズしそうな料理作らないでください」

 いい加減突っ込むのが面倒くさくなったおれのかわりに、アンリエッタがツッコミを入れてくれてた。

「えっ、なんでパラライズするってわかったの? アンリエッタちゃんひょっとして食べたことある?」

「・・・・・・本当に麻痺するんですか?」

「うん。煮込んで食べるだけならちょっと麻痺するだけですむけど、生きたキャリオンクローラに噛まれると大変なのよ。最低でも半日は麻痺するから」

「そんな危険な魔物、安井先生は狩りに行かれるのですか?」

 色気よりも強さに憧れる蒼井は興味を示した。

「うん。狩れるわよ。ちょっと危険だけど、キャリオンクローラの腐肉鍋はやすぃの大好物だから、旬の冬になると精霊界のダンジョンに狩りにいくの。そうだ! 冬になったらやすぃが油ののったキャリオンクローラを狩ってきて、蒼井君にキャリオンクローラ鍋をご馳走してあげる!」

「──いえ、結構です」蒼井は即座に断った。

「なんで蒼井君? キャリオンクローラの鍋はそう簡単に食べられないご馳走だよ?」

 「たとえどんな美食でもあっても安井先生を危険な目に合わせてまで食べたいとは、僕は思いません」蒼井は上手くかわした。

「・・・・・・蒼井君。やすぃことのそんなに心配してくれるなんて──。やすぃ嬉しい!」

 妹は目を潤ませながら蒼井に抱きついてきた。

「──あっ、あの安井先生胸が当たってます」蒼井は真っ赤な顔で呟いた。

「安井先生、蒼井様に抱きつくのはやめてください。ハレンチです!」

 般若と化したアンリエッタが、妹を引っぺがしにかかる。

「すごい、安井先生の胸に蒼井の顔がめり込んでるよ」瑞樹は妙なところで感心だ。

「妹は無駄巨乳だからな」おれは黒ビールを飲みながら言った。

「止めないの比留間先生?」

「いつものことだからほっておけ。面倒くさい」

「ダメだよ。合宿最後の夜を喧嘩で終わらせちゃ」

 瑞樹はそう言うと、低レベルかつ不毛な争いを続けている妹とアンリエッタの間に入っていた。

「これから肝試しやるんだから、喧嘩なんかしてる暇なんかないよ、二人とも。」

「肝試し!」

 二人の女は醜い争いを止めて叫んだ。二人の女の間に挟まれてる蒼井は。声を出す余裕などないので、驚きを顔で表現する。

「やろうやろう瑞樹ちゃん。やすぃ肝試し大好き!」

「肝試しなんか絶対ダメです!」

 二人の女は対照的な反応を示した。

 〝この二人。本当に気が合わないだな〟ここまで気が合わないとある意味感心するわ。

「なんでダメなのアンリエッタちゃん?」妹はライバルに問うと、

「えっ、あっ、それは──。小学生が夜道を歩くなんて物騒だし──」ライバルは口を濁した。

「ボク達小学生とはいえ学徒騎士だよ。たとえ山賊と鉢合わせになっても逃げるのは山賊の方だとおもうけど」

「──そうかもしれないけど・・・・・・。もし──」

「もし?」瑞樹は聞き返す。

「・・・・・・本当にお化けとか出てきたら怖いじゃないですか・・・・・・」

 アンリエッタは恥ずかしそうに小声で呟く。

「アンリエッタちゃんまさか本気でお化け怖いの? そういえば昔遊園地行ったときも、アンリエッタちゃんお化け屋敷入らなかったよね。あれってお化け怖かったから入らなかったのか」

「いえ、決してお化けが怖いわけじゃないです。お化けという非理論的な存在が生理的に受け付けないというか、嫌いというか・・・・・・」

「ふーん。よくわからないだけど、アンリエッタちゃんはお化けが嫌いなんだね。嫌いなのに無理に誘ってもしょうがないから、アンリエッタちゃんはお留守番してたら?」

「そうしま・・・・・・」アンリエッタが言いかけたその時。

「そうそう無理はよくないからアンリエッタちゃんは留守番しときなよ。やすぃはお化け怖い怖いだけど蒼井君に守ってもらうから肝試しやるぅ! やすぃのこと守ってね、蒼井君」

 発情した妹は蒼井に抱きついた。蒼井は真っ赤な顔で「はい・・・・・・」とだけ言った。

「──やっぱ私も参加します」アンリエッタは主と妹を引き離しながら宣言した。

「アンリエッタちゃんも参加と。比留間先生はどうする?」

「おれか? どうすかな。ビール飲んで眠たくなっちまったしな・・・・・・」

「禿にぃは絶対参加しなきゃダメよ。禿にぃが参加しなかったら誰がお化け役やるのよ?」

「なんでおれがお化け役なんざやらなきゃいけねえだよ」おれがさっそくぶうたれると。

「お化けみたいな顔をしているだから、丁度いいじゃない?」妹は実に気楽に言ってくれた。

「なら化粧落としてお前がお化け役やれ」

「なんですって! なんでやすぃが化粧落とすとお化け役にぴったりになるのよ!」

「どこからどう見てもぴったりじゃねえか!」

 売り言葉に買い言葉。二人のくたびれた中年兄弟が喧嘩を始めると「比留間先生も安井先生も落ち着いてください。お化け役はみんなでジャンケンして負けた人がやればいいじゃないですか」人間の出来た小学生が仲裁に入った。

「まあジャンケンで負けたなら仕方ないか・・・・・・」

「ちょっと禿にぃ、話あるからこっちきて」

「なんだよ」妹のアホに引っ張られ炊事場の隅に連れて行かれる。

「禿にぃはやすぃのなに?」妹は顔をずいっと近づけて迫ってきた。

「なにって、護衛官だけど」妹の迫力に押され、後ろに下がるおれ。

「護衛官の仕事は、やすぃの身を守るだけじゃなく、恋いのお手伝いをするのもお仕事でしょう!」

「三十八にもなって恋のお手伝いって、言ってて恥ずかしくないのかお前?」

 しかも相手は小学生である。恥ずかしいというより、犯罪の領域である。

「恥ずかしくないの! やすぃはとにかく蒼井君とラブラブ肝試ししたいの! もし禿にぃが協力する気がないなら、尼亜ちゃんに相談するからね!」

 〝こいつ、実の兄を脅してまで小学生といちゃいちゃしたいのか?〟

 悪魔として恥ずかしくないのか、と罵ってやりたいが尼亜の名前が出てきた以上、おれは頷く以外なかった。


 ──お化け役なんざやるもんじゃねえな。

 おれは薄暗い木陰に隠れながらつくづく思った。

 瑞樹が貸してくれたゾンビマスクはやたらと蒸れるし、妹の馬鹿が作ったコンニャクを吊した釣り竿は邪魔なことこの上なかった。

 おまけにヤブ蚊に刺されまくっているので、全身がかゆくて仕方ない。

 〝だいたい魔王子であるおれ様が、なにが悲しくてゾンビマスクなんぞ被らなきゃいけないだよ〟

 もっとこう魔王子のおれに相応しい役があるだろうが。魔王とか地獄の戦士だとか、恐ろしくも格好いい奴がよう。

 それなのにこんな雑魚役の定番をやらせやがって──。

 だいたいゾンビマスクなんぞ被らなくても、おれがシフトすればどんな勇者もビビらせることができる魔戦士に変身できるじゃねえか。

 盛りに盛り上がった筋肉。額から伸びる恐ろしげな角。肉食獣のような牙。獣のような剛毛。

 歴戦の魔戦士だが身に纏うことができる凶悪なプラーナ。

 ──やべえ、格好よすぎんだろう、おれ。おれは、シフトした自分の姿が好きだった。

 ──ただ一つだけ気にくわないところがあった。


 何故、シフトしてまでハゲなんだよ!


 シフトした姿は己の血と願望が反映されるもんである。魔神の血を濃く引いてる者なら、その魔神の姿を、空を飛びたいと強く願う悪魔なら背中から翼を、力を得たいと願う悪魔なら筋肉がつく。

 禿げてるおれなら当然、シフトした姿はゴンさんばりの長髪マッチョになってなきゃおかしいだろう!

 なんでそれなのにシフトしてまで禿げなんだよ! おれに対する嫌がらせか。

「死ね、クソっ」

 おれは罪のない木を蹴り飛ばしたあと、その根っこどかりと座り込んだ。

 おれはゾンビマスクを脱ぎ捨て、持参してきた缶ビールを飲み始めた。

 一本飲み、二本飲み、三本飲んだところで、缶ビールが尽きてしまった。

 飲み足りないおれはポケットからスキットルを取り出すと、中に入っているブランディーを煽りはじめた。

 スキットルが軽くなるにつれ、おれの酔いが深くなり、禿頭は赤く染まっていた。

「やべえ、すっかり酔ぱらっちまった」

 酔いにまかせて夜空を見上げると、青々と茂る木の葉が目についた。

 無性に腹が立つ。

「脳天気に葉なんか伸ばしやがって、禿げに対するあてつけかコラぁ! 枯れ木だってな、毎日毎日葉っぱを生やそうと努力してんだよ、努力を!」

 おれは木にむかって怒鳴り散らした後、その太い幹にむかって立ち小便をしはじめた。

「枯れちまえ、馬鹿野郎」負け犬の如く呟く。

「──比留間先生、こんなところでおしっこなんかしちゃダメだよ! 木が枯れちゃうよ」

 後ろから瑞樹の声がした。おれは雫をふるい落としながら「うるさいなぁ。酔って立ち小便

するのはおっさんの特権なんだからほっといてくれよ」息子をパンツの中にしまった。

「──そんな汚い特権、ボク聞いたことないよ」瑞樹はおっさんの醜態にあきれ果てた。

 おれは言い返そうと後ろを振り返ると、瑞樹一人しか立っていなかった。

「あれ瑞樹だけか? 他の連中はどうした?」

「蒼井達ならまだこないよ。安井先生もアンリエッタちゃんも二人とも怖がって、蒼井の腕にしがみついてるから全然進まないだもん。ボク退屈だったから、先に行って偵察することにしたんだよ」

「瑞樹なんだふて腐れて。あっ、瑞樹は蒼井の腕にしがみつきながら肝試ししたかったのか?」

「あんな男女の腕にしがみついても頼りになんないよ」瑞樹は吐き捨てた。

 怒ってるところをみると図星だったらしい。

「──よし、女たらしの蒼井の奴を一丁脅してやるか」

「えっ、面白そう! やろう先生。でも、アンリエッタちゃんはともかく、安井先生や蒼井が驚くかな? ゾンビマスクとコンニャクだけだしなぁ──」

「蒼井はダメかもしれないが、妹はヘタレだからコンニャクでも十分ビビるよ。てか、全部瑞樹が用意したんだろう、疑問に思うのならもうちっと怖いの用意してこいよ」

「思いついたのが急だったから、これしか用意できなかったんだよ」

「まあいいや。瑞樹はゾンビ役やれ。おれは妹の馬鹿に日頃の恨みをこめて、コンニャクぶつけてやるから」手加減ぬきでぶつけてやる。

 「ボクがゾンビ役か」瑞樹は呟いた後、地面に落ちていたゾンビマスクを拾い上げ顔にかぶった。

「がおぉぉ!」

 瑞樹は襲いかかる熊のように両手をあげ威嚇した。

「どう、比留間先生怖い?」

「──まったく怖くない。怖いというか餌付けしたくなるな」

「餌付けって・・・・・・ それじゃあゾンビというより子犬だよ」

「──まあ子犬でも突然出てくれば驚くだろう。もし驚かなかったら、妹の頭ひっぱたいてやれ」

「先生、それじゃあたんなる通り魔だよ」

「細かいことは気にするな・・・・・・。 うん?、誰か近づいてくる気配がする。妹たちだな。 隠れろ瑞樹!」

「了解!」

 おれと瑞樹は素早く木陰に隠れた。道の向こうから蒼井達が歩いてきた。

 蒼井の右手にはガクガクと震えているアンリエッタがへばり付いている。

 左手の方には目尻を下げまくっている妹が抱きついていた。

 ──両手に花。と言いたいところだが、アンリエッタの方はガチで怖がっているので、ムードもくそもあったもんじゃない。

 妹の方は、花は花と言っても姥桜のたぐいである。熟女好きでもないかぎり抱きつかれてもあまり嬉しくない。

「──お化けとか怪しいのはいないですか、蒼井様」

 アンリエッタはガタガタと震えながら、主に尋ねた。

「蒼井くんぅ、やすぃ怖い怖いだからぎゅってしてぇ」

 妹は発情した蓄膿症の雌犬みたいな鼻声を出して小学生に甘えた。

「お化けなんていないから大丈夫だから、アンリエッタ。あと安井先生、そのう──」

 ──近すぎます。蒼井は真っ赤な顔してそれだけ言うと、うつむいてしまった。

 蒼井は妹の無駄巨乳を顔に押し当てられて戸惑っているようだ。ただ満更でもないのか、そんなに嫌がっているように見えない。

 〝ふむ、ババアのおっぱいでも、おっぱいはおっぱいというわけか〟

 キューピット役であるはずのおれにとって蒼井の反応は喜ぶべきことなんだが、妹のヘラヘラしている顔を見ると何故か知らんが怒りがこみ上げてきた。

「瑞樹、やるぞ」おれはゾンビマスクを被った瑞樹に合図を送る。

「うん、比留間先生。ボク等二人で蒼井に天誅を加えてやろう」

 瑞樹の声は若干尖っていた。姥桜のおっぱいにドギマギしている主を見て、面白くないのであろう。

 瑞樹はガオーと雄叫びをあげなら、木陰から勢いよく飛び出して行った。

 おれも憎き妹にむかって、コンニャク付きの竿を思い切り振ってやった。

 おれの恨みがこもったコンニャクは妹のぽっペにぶち当たった。

「ふんぎゃー!!!」妹は踏みつぶされた猫のような悲鳴をあげ、蒼井にしがみついた。

「がぉおおお!」そこへ間抜けな雄叫びをあげならが、瑞樹ゾンビが突撃してきた。妹の馬鹿は「きょえええ」と奇声を発し驚いたが、蒼井の方はきょとんとした顔で可愛らしいゾンビを見つめた。

「──なにしてるの瑞樹?」

「瑞樹ではない。ゾンビだがぉお!」主を威嚇する瑞樹。

「よくわからないけど、安井先生やアンリエッタが怖がるから止めてあげてよ、瑞樹」

「安井先生とかアンリエッタちゃんとか巨乳の女の子が絡むと、蒼井はすぐ甘くなるんだから。このむっつりスケベのおっぱい星人め!がぉおお」

「なに怒ってるだよ、瑞樹は。だいたい僕はむっつりスケベでも、おっぱい星人でもないよ」

「うそつき! 肝試しの間、ずっとボクのことをほったらかしにしたくせに。貧乳はお化けに襲われてもいいのかがぉおお!」

「──瑞樹がお化けに襲われたら僕は絶対に護るよ」主は家来の目を見つめながら断言した。

「なっ、なに急にわけのわからない事を言い出すだ、君は。ボクは蒼井の従者だぞ。護らなきゃいけないのは君ではなくてボクだろ」瑞樹は手をバタバタふりながら照れに照れてる。

 小学生達がラブコメを演じている一方、ダメ中年兄弟は修羅場を迎えていた。

「なにテメーいい年こいて小便なんか漏らしてるだよ!」

「──だってゾンビにコンニャクだよ? 女の子だったら誰でもびっくりしておしっこ漏らしちゃうにきまってるじゃない」

「年を考えろ、年を!」おれが怒鳴ると「うぇえええ、禿げにぃが禿げのくせに怒るぅううう!」妹は泣きながら喚きだした。

「禿げはまったく関係ねえだろう!」怒り狂いながら妹に突っ込むと「落ちついてください、比留間先生。安井先生をこれ以上怖がらせたら可哀想ですよ」蒼井が間に入ってくれた。

「蒼井君──」妹は目をウルウルさせながら自分より遙かに年下の少年を見つめたかと思うと、子鹿に襲いかかる虎のような勢いで抱きついてきた。

「──安井先生」蒼井は一瞬妹の小便で濡れた下半身に目をやったが、生まれも育ちもいいので「小便漏らしの大罪を犯したくせに抱きついてくんじゃねえ、雌豚がぁ!」とは怒鳴らなかった。

 ただ黙って妹の背中を撫でた。

「大丈夫ですよ、安井先生」

「ううぅう、ありがとう蒼井君」妹は涙と鼻水を垂らしながら礼を述べた。

「そういや、アンリエッタは?」

 小便漏らしという大罪に目を奪われて、アンリエッタのことをすっかり忘れていた。

「──無理、もう無理です。蒼井様、蒼井様・・・・・・」

アンリエッタは泣きながら地面にへたり込み、魔除けの呪文のように主の名を連呼していた。

「――どうしよう、比留間先生」瑞樹は困った顔で、おれの方をちらりと見た。

「ここまで怖がるとはな」

 やりすぎたかな──。 と一瞬思ったが、よく考えてみれば脅した方法といえばちゃちなゾンビマスクとコンニャクである。これ以上恐怖度を下げるとしたら、酔っ払いのタコ親父と小娘のまま飛び出していくしかなかった。

「──とりあえず、落ち着くまで木陰に置いとくか」

「そうしようか、比留間先生」

アタコ親父とゾンビ役の小学生の手によって、アンリエッタは木陰に運ばれて行った。

「アンリエッタが落ち着くまで一服するか。小便漏らしの馬鹿にも着替える時間をくれてやらないといけなしな」

「安井先生は着替えを持ってきているんですか、比留間先生」

「妹は小便漏らしだが、それでも魔女だ。着替えぐらい魔法で取り寄せることができるさ」

「小便漏らし、小便漏らしって言わないでよ、禿にぃ!」妹は怒り出した。

「わかったからさっさと着替えてこい」おれは邪険に手を振ると、妹はプリプリと怒りながら着替えに行った。

「魔法って便利だなぁ。ボクも騎士じゃなくて魔女にでもなればよかった」

 瑞樹は、妹の後ろ姿を見つめながら呟いた。

「魔女になったら、魔女料理も作らなきゃいけないだぞ」おれは瑞樹の無邪気な言葉に水を差した。

「魔女料理は美味しいけど、作るのも食べるのも勘弁だなぁ」瑞樹は早々と魔女になることを諦めた。

「先生一つ聞いていいですか?」蒼井が言った。

「なんだ蒼井?」

「比留間先生は昔、傭兵をやってたんですよね?」

「──ああ。それがどうかしたか?」

 おれは一瞬、自分の嘘が見破られたのかと思い、どきりとした。

「いえ、安井先生も傭兵だったなのかな、と思って」

「あんな脳天気なパッパラパーが傭兵なんか出来るわけないだろう。妹も戦場に出たことあるが、もっぱら後方支援が専門だよ。妹は攻撃呪文は苦手だが、支援魔法は得意だからな」

「そうですか。すいません突然へんな質問してしまって」蒼井は律儀に頭を下げた。

「いや別にいいけど。なんでまたこんな質問してきたんだ?」

「深い意味は別にないのですが、あの優しい安井先生が戦場で暴れている姿が想像できなくて──」

「人は見た目じゃねーぞ、蒼井。妹は高巣クリニックもビックリするほど化粧しまくっているからな。すっぴんの顔は般若そのものだから。もっとも蒼井の顔にくっつけていたおっぱいは本物だがな。なんだ妹の巨乳にほだされたか、蒼井?」

「なっ、なんで突然話が安井先生の胸の話になるんですか!」

 蒼井は妹のおっぱいの感触でも思い出したのか、動揺しまくっていた。

「いや妹のこと気にしてるからさ。あんなんでよければ熨斗をつけて贈ってやるぞ」

 おれはさりげなく反応を探ってみると──。

「僕はまだ小学生ですよ、比留間先生」

「妹と同じ年だと仮定して考えてみろ」

「僕と安井先生が同い年──」

 蒼井は暫しの間考え込んだあと、急に真っ赤な顔になり「そんなありえない事、僕には考えることはできません!」と、正直者の蒼井にしては珍しく嘘をついた。

「──安井先生の巨乳に動揺しまくるお年頃の蒼井であった」

 瑞樹はふて腐れた顔で、ナレーションをつけた。

「勝手にナレーションつけないでよ、瑞樹! 僕はやましいことなんて何も考えてないよ」

「いいの嘘なんてついて、蒼井。いつもボクに偉そうに騎士は嘘をついてはいけないとかいってるくせに」

「僕の従者のくせして、主の言葉が信じられないのか、瑞樹!」

「都合のいいときだけは主人面するんだから、蒼井は」激高する主と対照的に、冷めた態度でふてくされる従者。

「おい低レベルな争い──」

 おれが二人の間に入ろうとしたその時──」

「あぎゃああああああああ!!!」

 妹の間抜けな叫び声が夜の静寂を吹き飛ばした。

「・・・・・・安井先生!?」

 主従二人は顔を見合わせたあと、妹の悲鳴がする方にむかって顔をむけた。

「安井先生の身に何かあったのでしょうか?」蒼井の声は緊張感に溢れていた。

「野良犬にケツをなめられたとかそんなくだらねえことだよ、どうせ」

 実の兄であるおれの声には緊張感の欠片もなかった。

「野良犬にお尻をペロペロされるシチュエーションなんかあるかな?」瑞樹は首をひねった。

「普通の人間ならないだろうが、うちの妹なら十分ありえるぞ。むかし妹が草むらで小便していたとき、ウサギにタックルされてケツ丸出しで転けたことがある女だからな」

「安井先生らしい」瑞樹は笑い出した。

「まったくだ」兄であるおれも笑い出した。

「二人とも、女性が悲鳴をあげているんですよ! 早く助けにいきましょうよ!」

 蒼井だけは真剣モードであった。

「そうだな。まぁ念のため様子だけでも見に行くか」

 一応、妹の護衛官だしな。

 おれ達は妹の悲鳴がする方向にむかって歩き出した。

 森の中を少し歩くと、こちらにむかって走ってくる妹に出会った。

 妹は着替えの途中だったらしく下着姿であった。

「──安井先生」蒼井は妹の無事を喜ぶ前に、妹の下着姿にまず動揺した。

「蒼井君!」妹は熊のように両手を広げると、無駄に豊満な自分の胸に蒼井を埋めてしまった。

「蒼井くんぅ、蛇がまた出たですの!」妹は怖がってるわりには語尾をしっかりとアニメ化させてた。

 蒼井は何か喋ろうとしたが、巨乳が邪魔して上手く喋れない。

「──なるほど。蒼井はこのご褒美が欲しくて、安井先生を助けに行きたかったのか」

 瑞樹は主をジト目で睨みながら呟いた。

「──そんなわけないだろう!」

 妹の巨乳から脱出に成功した蒼井は、瑞樹にむかって怒鳴った。

「絶対そうだよ、ねっ、比留間先生──」

 瑞樹の言葉は途中で止まった。

 おれの顔がダメ中年モードから、戦闘モードに移行していたからだ。

「──どうしたの比留間先生?」瑞樹はおれの顔の表情の変化に驚いて問うた。

「囲まれてる。不覚を取ったな」

 周りの木立から、ごく僅かだが殺気が漏れていた。

 〝おれとしたことが──〟唇を噛んで悔しさをかみ殺す。

「蒼井、瑞樹。へたに動くなよ。敵はおそらくアンリエッタを人質に取っている」

「アンリエッタを!?」蒼井は驚いた。

「ああ。妹を驚かしたのは多分、偵察用の魔道生物だ。おれ達を分断させて、アンリエッタを人質に取るのが目的だっただろう」

「人質を取るなんて──。卑劣な連中めっ」

「──騙されたおれが馬鹿なんだよ」

 正々堂々と闘って死ぬより、卑劣な手を使っても生き残る。

 命を賭けた戦場での常識。

 だが──。

「──むかつくわ」

 どんな理屈があろうとも、ガキを人質に取って勝とうなどという腐れ根性は気に喰わない。

「囲んでるのはわかってんだから、姿ぐらい見せたらどうなんだ根性なし共!」

 怒鳴り終わるやいなや、葉陰からはモモンガそっくりの悪魔共が、木陰からは鬼そっくりの悪魔共が姿を現した。どの悪魔も、その姿は多少ことなるが、全員角を生やしていた。

 どこぞの蛮族悪魔なのであろう。

 〝雑魚だな──〟

 シフトしてこの程度のプラーナなら大したことがない。おれ様の実力を持ってすれば、シフトしなくても余裕で皆殺しに出来る。

 おれ達を囲んでる蛮族悪魔共も、自分が闘おうとしている相手がはるか格上なのがわかっているはず。敵の強さを計れぬほど弱くない

 それなのに蛮族悪魔共の目には怯みの色はなかった。

 人質を取って余裕をこいているというわけではない。こいつ等の目は殺意で塗りつぶされている。敵との圧倒的実力差も、命もつ者なら誰しもが持っているであろう死への恐怖もこいつ等の目にはなかった。

 敵を殺したい。ただそれだけの狂気しか、その目にはなかった。

 〝死兵だな〟

 戦場の狂気が取り憑いて、ただの兵士が死兵と化すときがある。大抵は闘って負け込んでいる時になるもんだが、例外はある。

 思想的、あるいは戦闘薬を飲み過ぎてハイになっている時。そのどちらかが多い。

 こいつ等は後者だ。絶望ではなく、なにかしらに影響されて狂気に陥っている。

 〝しかしまあ、こんな頭が茹だっている状態で人質なんざとろうと思ったよな〟

「──生き死にがどうでもいいと思ってるなら人質なんざ取ってんじゃねえ、クソ野郎共が!」

 怒鳴り声が合図となり、頭上のモモンガ共は押さえていた狂気を爆発させた。その額から生えた長く捻れた角で、おれの体を突き刺そうと猛スピードで滑空してくる。

「<ウィドウ・メーカー>! 」異次元に眠りし愛刀の名を叫んだ。

 主の召還にこたえ、<ウィドウ・メーカー>がおれの手の中で実体化した。。

 刀というには刀身があまりに分厚く。ナタというにはあまりにも切れ味が鋭すぎた。

 魔界の刀工、一文字兼定が鍛えた一品である。安井家の中興の祖である安井菊姫が、北伐に出陣しよとする弟阿業のために、兼定に打たせた逸品である。

 兼定はこの作を最後にその生涯を終えた。

 兼定の遺作となった<ウィドウ・メーカー>は、阿業と共に数多の戦いに勝利し、数多の後家を作り出した。

 滅ぼされた敵達は、憎悪と賞賛を込めて兼定の遺作を<ウィドウ・メーカー>という名の異名を送り畏怖した。

 阿業の死後、<ウィドウ・メーカー>は、安井家の男達の武勇の証となった。

抜群の戦功がないかぎり、軍のトップである元帥であろうと<ウィドウ・メーカー>が贈られることはなかった。

 安井家最強の戦士である証。おれの栄光の歴史。

「女房がいるならハンカチを用意しろ、と言っておけ。葬式のときに必要になるからな。

魔界一刀流、四式<犬神>!」

 鞘から放たれた<ウィドウ・メーカー>はその分厚い刃を犬頭と化して、襲いかかるモモンガ擬き共の喉を食い千切った。

 七つの生首が地に落ち、血が雨のように降り注いだ。

 辺りは生臭い血の臭いがむせ返り、おれの体は敵の血によって赤く濡れた。

 蒼井と瑞樹は戦場の殺気に飲まれたのか、呆然と突っ立ている。

 〝当たり前か。まだ小学生だもんな〟

 いくら学徒騎士とはいえ、戦場に出るにはまだ早すぎた。

 〝巻き込んでしまってすまん〟

 おれは心の中で詫びながらも「蒼井、瑞樹。ここはもう戦場だ。ボケッとするな」と叱咤するしかなかった。

 蒼井と瑞樹は気丈にも返事を返すも、語尾がかすかに震えていた。

 気合い入れたぐらいじゃダメか──。

「蒼井君、瑞樹ちゃん。みんなハッスルして、ハッスルよ!」

 妹は奇声をあげながら、フラダンスのような奇妙な踊りをおどりはじめた。

 妹のオリジナルバフ呪文、ハッスルダンスだ。

その威力は、普通の人間を悪魔と闘わせることが出来るようになるぐらいふざけた威力を持っている。

「すごい。体中から力が漲ってくる」

 主従達は、自分の中からわき起こる力に困惑と驚異をおぼえた。

 〝妹の馬鹿のおかげで緊張も取れたし、戦闘能力もかなり底上げされたから、自分の身を守ることぐらいできる〟

 これで護らなければいけないのは、間抜けな踊りをおどっている妹だけに絞れるな。

「──妹の馬鹿もたまには役にたつじゃねえか」苦笑いとともに妹を褒めると、周りを取り囲んでいた敵の気配が微かに動いた。

「来るぞ!」

 おれは腰を落とし、蒼井と瑞樹は光剣を構えた。

 頭上からはモモンガ共が、木陰からは額から角を生やした筋肉達磨共が襲いかかってきた。

「今度は一斉かよ!」

 しかも片道切符上等の万歳攻撃。

 〝おれもシフトしとくか?〟

 シフトしなくても問題ないレベルの敵だが、敵は死兵だ。万が一がある。念には念をいれるに越したことはない。

 しかし、今だに敵の司令官格が姿を見せないのが気になる。部下を捨て駒にしておれの実力を探っているのか? それならばシフトするのは賢明ではない。

 〝もうちょい様子をみるか〟

 敵に情報を与えたくないという理由もあるが、蒼井達の前でシフトした姿を晒したくないという気持ちの方が強かった。

「先生なんざやるもんじゃねえな。どうもセンチになっていけねえ。お前もそう思わないか?」

 おれに向かって巨大な戦槌をふりかぶって鬼に問うた。

 鬼はうなり声で答えた。おれも返事なんぞ期待していない。真っ二つに両断してやった。

「ガキ持ちじゃなきゃいいだが」

 女を泣かせるのはいいが、子供を泣かせるのはちっとばかし気が引ける。

 ところで蒼井達は大丈夫か。蒼井達の方に目をやる。

 瑞樹は、自分よりはるかに大きい敵の一撃を楽々と受け、返す刀で敵の一体を斬り倒した。

「──うわっ、なにこれ。自分の体だけど自分の体じゃないみたい」

 瑞樹は自分の身体能力の向上ぶりに呆然としていたが、空を飛んでいるモモンガ野郎が突撃してくると、一撃で打ち落とした。

 〝瑞樹の方はほっておいても問題ないな。問題は蒼井の方だ〟

 蒼井は巨躯の悪魔と戦っていた。

 巨躯の悪魔はその躰に相応し棍棒を振り回し、自分よりはるかに小さい蒼井を圧倒しようとしていたが、妹の魔法によって強化された蒼井の運動能力に翻弄されている。敵

 〝一見互角に見えるが──〟

 妹の魔法で強化されてる蒼井が有利だ。合宿での特訓の成果も出ている。今の蒼井なら簡単に巨躯の悪魔の首を刎ねることが出来るであろう。

 しかし二人の戦いは今だ続いている。

 蒼井には殺意が足りない。殺意が足りないから、敵が隙を見せても攻撃をするのをためらってしまう。その一瞬の躊躇いが、戦いを長引かせて締まっている。

 〝だがそれもこれで終わりだ〟

 巨躯の悪魔は当たりもしない巨大棍棒を振り回したせいで、スタミナはすでに切れていた。身体の動きも鈍い。

 巨躯の悪魔は、最後の足掻きとばかりに雄叫びをあげ棍棒を振り下ろしたが、蒼井はあっさりとよけた。

 蒼井はがら空きになった敵の胴に光剣をたたき込んだ。

 巨躯の悪魔は己の血溜まりに膝をついた。蒼井は躊躇いつつも敵に止めを刺そうと光剣を振りかぶったが、巨躯の悪魔は涙を流しながら両手を合わせた。

 ──命乞い。予想外の敵の行動に、蒼井は顔面を殴られたかのような衝撃を受けた。敵に止めを刺そうとする光剣は宙に止まってしまった。

「早く止めをさせ蒼井!」

 おれは迫り来る敵を斬り倒しながら叫んだ。

 蒼井はなんとか光剣を振り下ろそうとするも、敵の涙が盾となり止めを刺すことができない。

 蒼井は助けを求めるかのようにおれの方に視線を向けた瞬間、巨躯の悪魔の膝が跳ねあがり、蒼井の喉にむかって飛びかかった。

「やらせるか!」

 おれは正面の敵を斬り倒した勢いをそのまま利用して、巨躯の悪魔の首筋めがけてプラーナの刃を飛ばした。

 プラーナの刃は巨躯の悪魔の首を跳ね飛ばした。

 蒼井は敵の返り血を浴びて、呆然としている。葉陰に隠れて隙を覗っていたモモンガ擬きは好機とばかりに、棒立ちになっている蒼井にむかって襲いかかった。

主の危機を救うため、瑞樹は蒼井の前に立った。

 瑞樹は襲いかかるモモンガ擬きにむかって跳躍する。。学徒騎士とモモンガ擬きは宙で交わった。瑞樹の足が地についたとき、モモンガ擬きは己の肉塊を地面にばらまいていた。

「蒼井、ボケッとしてるな! ここは戦場だ! 敵に優しさをむけるな! 味方にだけ優しさをむけろ!」

 おれは敵の剣を受けながら怒鳴った。おれの怒声をあび、蒼井は慌てて光剣を構えた。

「蒼井、敵を殺れるか!?」敵の腹に蹴りをぶち込みながら怒鳴った。

「もう大丈夫です! 先生」そう答えるも、蒼井の顔は真っ白であった。

「よし、全員ぶち殺してやるぞ!」おれは少しでも景気をつけるため、怒声を放った。

「応!」二人の教え子は敵と切り結びながら怒鳴り返した。

 気合いを入れ直したおれ達は襲いかかる雑魚共を斬って斬ってきりまくった。。

 足の踏み場もないほど死体が量産されると、森に静寂が戻った。

 おれは森の奥の闇をにらみ付けた。

「人質まで取ってるくせにこそこそ隠れてるんじゃねえ、くされ出っ歯亀野郎が!」

 月明かりすらも届かぬ森の闇の中から、一人の悪魔が現れた。

 全身をゴムマリのような筋肉で包み込んでいるが、その肌は孵化したての蛇のように青白く不健康な印象を与えた。額からは一際長く、捻れた角が生えていた。

 それは角というより、ドリルを思わせた。

 ドリル角野郎は気絶しているアンリエッタを小脇に抱えていった。

「アンリエッタ!」

「アンリエッタちゃん!」

 ドリル角野郎は蒼井達の叫びを無視して、おれを睨みつけた。

 白目がない爬虫類のような黒点の目。殺意と狂気で黒く塗りつぶされた目。

 〝こいつは危険だな〟

「──さすがだな、<後家作り>。昔のおれなら貴様の実力を見くびり瞬殺されていたことだろう」ドリル角悪魔は悪魔語で言った。

「おれを見くびってないのなら、さっさと人質のカードを切ればよかったろう? そうすりゃあ、やり方次第ではお仲間も無駄死にせずにすんだろう?」

「──予定通りだ」

「はぁあ? 仲間を見殺しにして何が予定通りだドリル野郎」

「我が名はドリル野郎ではない。尖角だ。絶望の主に仕える一人の狂徒だ」

「狂徒だぁ? 絶望の主だ? お前はうちの妹と同じ中二病患者か?」

「なんでそこでやすぃの名前が出てくるのよ、禿げにぃ!」

 緊迫の場面だというのに妹の馬鹿がつっこんできた。

「お前、少しは空気読めよ!」

「禿げにぃがはじめに振ってきたじゃないの! それより気をつけて、その人の中に何かいるわ」

「何かって、なんだよ?」

「わからない。でもとても禍々しいものよ!」

「さすがは魔王。間が抜けているとはいえ、我が内に潜みしものに気づくとはな」

「ああっ? 何もったいつけてるんだドリル野郎! テメーのなかに何が潜んでいようがこっちとらどうでもいいだよ! それよりアンリエッタを返しやがれ!」

「狂気と絶望」尖角は静かな声で答えた。

「はぁあ?、おれはそんなこと聞いてねえぞ」と言ったが尖角は無視した。

「絶望の主は、何も知らないおれに狂気と絶望を与えてくれた──」

 ──祝詞。尖角の呟きは絶望の主とやらに対する祝詞であった。

「絶望の主は、我が同胞達にも分け隔てなく狂気と絶望をお与えになってくださった」

 地にぶちまけられた肉塊が尖角の祝詞に反応し激しく震え始めたかと思うと、一カ所に集まり人型をなした。

「屍肉の巨人──」蒼井は天を見上げ絶句した。

「こいつら、外法の触媒になるためにわざと死んだのか」

 ──狂気の沙汰。そうとしか言いようがなかった。

 飲み込むことが出来ない気持ち悪さで、胸くそが悪くなる。

 おれは戦士として生きてきた。クソのような戦場で、他人の命を、自分の命も粗末に扱って生きてきた。生き残るために必死であった。

 それなのにこいつ等ときたら、死ぬために戦場に立ち、クソみたいな化け物になった。

 ──命にたいする冒涜だぜ、こりゃあ。

 なんだか知らねえが、むかつきが止まらねえ。

 「ガイキチ共めっ──。そんなに死にてえなら、おれがまとめてもう一度殺してやるよ」

 おれは怒りにまかせてシフトしようとしたその時──。

 体は何の反応も示さなかった。

「へっ? あれなんでおれシフトしないの?」

 怒りが抜け、間が抜けた反応しかでてこない。

「──どうしたんですか? 比留間先生」蒼井は横顔を向け問う。

「いや、不動明ばりの格好いいデビルチャンジを決めて、このクソ共をもう一回殺してやろうと思ったんだけど、なんかシフトしないだけど。年かな──」

「年関係ないから、禿げにぃ!」不覚にもぼけ役の妹に突っ込まれてしまった。

「こんな低脳かつ無能共が、魔界最強の魔王家の魔王と護衛官とは──」尖角はせせら笑った。

「うっせんだボケっ どうせテメーが卑怯な真似して、おれのシフト邪魔してんだろう!」

「おれではない。死んでいった同胞の血がお前を縛り上げているのだ」

「──血。てっ、まさかはじめに万歳アタックしてきたモモンガ共のせいか?」

 あれはたんなる万歳アタックではなかったのか──。

「──わかったこれ血魔術だよ、禿げにぃ!」

「血魔術ってなんだそりゃあ?」

「血を媒介にしてコキュートスに眠る魔神の力を借りる禁術だよ」

「禁術!?」学徒騎士である蒼井と瑞樹とって、禁術とは禁忌であり忌むべきものであり抹殺すべきものであった。

「魔神が関係するのか──」

 おれは悪魔だから、たとえ禁術でも効果があれば使用もアリだと考えてしまう。

 一般的な悪魔達もおれと似たような価値観をもっているであろう。

 だが魔神の力を利用するものはダメだ。魔神の力を源にするものは、コキュートスで氷漬けにされてる魔神を蘇らせる可能性があった。魔神が蘇れば、魔界の現行秩序が破壊される。

 魔界最強の既得権集団である安井家の魔王子としては、魔神の力を借りた禁術は一番許せないものであった。

「テメー等を殺す理由が一つ増えたな。蒼井、瑞樹。お前等は妹を守ることに全力をつくせ連中はおれ殺る」

「比留間先生、僕も一緒に闘わせてください!」

「ボクも一緒に闘うよ!」

 二人の子供は共に闘うことを望んだ。

「──馬鹿野郎! お前等の実力じゃ足手まといなんだよ。余計なことは──」

 おれは最後まで言えなかった。尖角のクソ野郎が、アンリエッタをおれにむかって投げつけてきたからだ。

 やばい。受け止めないと、アンリエッタが死んでしまう。

 <ウィドウメーカー>を放り捨て、アンリエッタを受け止める。

 アンリエッタを投げると同時に突撃を開始した尖角の角は、おれのすぐ目の前まで迫っていた。

 〝このままだと、アンリエッタごと串刺しにされる〟

「こん畜生!」おれはアンリエッタを草むらに放り捨てると、尖角の角を両手で掴んだ。

 圧倒的なパワーと重量が、おれを体を貫こうとする。ありたっけのプラーナを燃やし、筋力を増強した。

「シフトもせずに、おれの角を掴むとはさすがだな<後家作り>」

「テメー相手に本気出すまでもねえだよ!」

 〝まじい、シフトしているならともかく人間のままじゃいづれ貫かれる〟

「先生!」蒼井は、おれを助けようと駆け寄ろうとする。屍肉巨人が蒼井の前に立ち塞がる。

「蒼井避けて!」瑞樹が叫ぶ。

 蒼井は地を蹴って、屍肉巨人の拳をなんとか避けた。

 〝畜生、助けにいきてえが。おれがこんな状態じゃどうにもならない〟

「蒼井、一人で突っ走るな。ボクが屍肉巨人を引き受けるから。その隙に比留間先生を」

 蒼井は従者の無謀な申し出を断ろうとしたが、瑞樹の目にはそれを言わせないだけの意志が込められていた。

「僕が護ると言ったばかりなのに、すまない──」

「主人に護られるようじゃ、従者失格だよ蒼井」瑞樹は主にむかって微笑みを向けると、踵を返した。

 少女は恐れを覚悟に変え、屍肉巨人にむかって駆け出した。

 早い。妹の呪文に身体能力を強化された瑞樹は、その早さは達人の域に迫るほどであった。

 屍肉巨人は瑞樹にむかって拳を振り回したが、瑞樹の体に掠ることすらできない。

 瑞樹は屍肉巨人の攻撃をわざとギリギリまで引きつけてから避けると、空振りした腕を踏み台にして飛んだ。

「でやぁああああ!」

 気合い一閃、瑞樹の光剣は屍肉巨人の顔面を切り裂いた。通常の生物なら即死を免れない一撃であったが、敵は元々死んでいるのでこの程度の攻撃では殺すことも動きを止めることもできなかった。

 屍肉巨人は、自分の顔面を切り裂いた瑞樹を捕らえようと腕を伸ばした。

 瑞樹は避けるではなく、光剣をふるって屍肉巨人の指を切り落とした。

 蒼井はその隙に、おれを助けようとして尖角に向かって駆けだした。

「──どれだけ早く駆け寄ろうと間に合わんさ」尖角はあざ笑うと「絶望の主に授かりし我が力を受けてみよ、<後家作り>よ!」

 掴んでいた尖角の角がもの凄い勢いで回転しはじめた。尖角の角を掴んでいたおれの手はズタズタに切り裂かれた。尖角の角は猛回転しながらおれの胸を刺し貫いた。尖角はそのままの状態で顔を上にあげた。おれの腹から大量の血が流れ、尖角の全身を赤く染めあげた。

「比留間先生!」蒼井は足を止め叫んだ。

「そんな悲しそうな顔をするな、すぐさまお前も師の後を追わせてやる!」

 尖角はおれを突き刺したまんま、頭を振り回す。

「お前の師匠の死体を返してやる。大事に扱ってやれよ」

 そう言うや尖角は首をふるって、蒼井にむかっておれの体を投げつけてきた。

 蒼井は光剣を投げ捨てると、猛スピードで飛んでくるおれの体を受け止めた。

 蒼井の力では完全に受け止めることが出来ず、おれを抱いたまんま後ろの大木に吹き飛ばされた。

「蒼井君! それに禿げにぃ!」遠くから、妹の泣き声のような叫び声が聞こえる。

「比留間先生、大丈夫ですか」血が流れすぎたせいで、蒼井の顔がよく見えなかった。

「──馬鹿野郎。余計なことすんな。おれなんか見捨ててかまわないから、逃げろ」

「そんなこと出来るわけないじゃないですか──」

「いいから逃げろ・・・・・・」

 その言葉を最後におれは意識を失った。

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