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魔王

闇魏家の始祖那智は己が魔王に相応しき悪魔であることを証明するために、大獅子を殺しその巨大な髑髏のなかに王座を設えた。

 以後闇魏家の魔王の試練は、強者の髑髏を奪う事となった。

 歴代の闇魏家の魔王達は、己の強さを証明するために強敵の髑髏を求めた。

 竜の髑髏

 巨人の髑髏。

 魔神の落とし子の髑髏。

 王座の間に飾られた数々の髑髏。歴代魔王の証。

 我が父獅焔も隣国の魔王を殺し、その髑髏をもって闇魏家の魔王となった。

 その子である獅雄れおは、父の髑髏を奪い魔王となった。

 父の髑髏は王座の間に飾られることなく、予の手の中にあった。

 〝父上。貴方の頭蓋を奪ってまで手に入れた玉座だが、この椅子はあまりに堅く、氷のように冷たい〟

 父の髑髏に語りかけたが答えは返ってこない。空っぽの眼窩で、ただ息子を見上げるだけであった。

 〝──答えずとも答えはわかっています、父上〟

 獅子の骨で作られたこの冷たい玉座を暖める方法は一つ。


 ──血だ。


 血だけが、この冷たき玉座を暖めることができる。

 〝そうでしょう、父上?〟

 父上を殺した日。湯気を立てるほどに熱い貴方の血は、この冷たき獅子の玉座を暖めてくれた。

 父の血で濡れた王座に腰掛けると、予の親衛隊である<新しき黒>(シユワルツノイエ)に命じ咆吼城に蔓延る蛇共の粛正を命じた。

 予の頼もしき戦士達は、咆吼城の闇に巣くう蛇共を王座の間に引きずり出した。

 蛇共はその下劣な品性に相応しく泣きながら哀訴した。

 蛇共の哀訴を無視して、<新しき黒>にむかって手を振り下ろした。

 <新しき黒>は蛇共の首を次々と切り落としていった

 この粛清によって咆吼城に巣くっていた蛇共は一掃された──。

 ──いや、あと二匹。

 否、三匹か。

 〝父上、貴方の髑髏の前に三匹の蛇の首を並べたら満足しますか? それとも貴方の野望である魔界征服を成し遂げた方が満足しますか?〟

 父の髑髏は何も答えない。

「──父上、安心してください。時間さえ頂ければどちらも叶えてみせますよ。それまでの間退屈でしょうから、予の足下でとぐろを巻いている白蛇の首でも送りましょうか?」

 踵を乗せている足置きがビクりと動いた。足下に視線を落とす。

 白蛇はアルビノ特有の白き裸身を震わせながら、魔王を見上げていた。

 乳首だけが、苔桃のように紅い。予と目が合うと、白蛇は顔をそらした。

 〝あの女そっくりの顔をしている。〟

 その不健康な白い肌も、その赤い目も、蛇の舌を思わせる赤く淫猥な唇も、あの女そっくりだ。

 違うといえるのは怯えた目と、白い髪だけであった。

 あの女の髪は黒く、あの女の目は淫らであった。

 ──不快。不快でたまらぬ。

 予は白蛇の体を蹴り飛ばした。白蛇は無様に転げたが、すぐに身を起こすと哀れみをこうかのように、予の足下に背を丸めた。その卑屈さが、余計に怒りを誘う。

「貴様のその生白い体には、獅子の血が入っているというのに──。家具に成り下がっても生きていたいのか貴様は?」

「──白蛇は死ぬのが怖いです・・・・・・」

「臆病者めっ!」白蛇の横腹を蹴り倒し、剣を抜いた。予の手の中にあった髑髏が床に落ちた。

 王座の傍らに控えていた一人の少年が、魔王の前に立ち塞がった・

 少年は肉食獣のよう引き締まった筋肉を纏い、その黒き瞳には不退転の意志を宿していた。

 背には少年の身には不釣り合いな巨大な両手剣を背負っていた。

「麒麟か・・・・・・。」予が名を呟くと、麒麟は膝を折り従順な犬のように頭を垂れた。

「陛下、これ以上の勘気は白蛇様ではなく、この私めにぶつけてくださいませ」

「白蛇の裸体に魅入られたか、麒麟」予は家来に問う。

「──それは邪推で御座います、陛下」家来は主に答えた。

「主の言葉を貴様は邪推と申すのか?」

 予の声は甘い毒を含んだ。玉座の間の空気が緊張で震える。闇に隠れし麒麟の輩は、血の期待を露わにした。

「主の機嫌を守るために黒マントを羽織ったわけではありません。王家と獅雄様を守るために、この黒マントを羽織ったのです」

「王家だと? 王家の血なら、この床も、この王座も、そして予の剣もたっぷり吸っておるわ。お前もよく知っておろう。なにせお前は我が父を裏切り予についたのだから」

「獅焔様は病まれておりました。いかに王とはいえ、病人が玉座に座るべきではありません。王座は、王座に相応しき強者だけが座るべきなのです。それでなければ国は保てません」

「よう囀る口だ。戦士なら口ではなく、覚悟で示せ」

 予は麒麟の首筋に刃を当てた。

「これが最後だ、直視直答を許してやる故、覚悟して伸べよ」

 麒麟は面を上げ、予の目を見据えた。

 〝父の目。そっくりだ〟

 麒麟の家は、闇魏家の遠縁だ。獅子の血は麒麟の体の中にも流れている。

 〝予よりも、濃くな〟

「──陛下。貴重な王家な血をこれ以上無駄に流すのなら、かわりに麒麟の血で我慢してください」

 やはり意見は変えぬか。予は剣を鞘に収めた。

「──頑固者めっ」予は舌打ちをした後「家具を処分するのに、いちいち戦士の命を引き替えにしてたら割に合わぬわ。予の気が変わらぬうちに、その白蛇を連れてどこかに消えろ」

「──ありがとう御座います、陛下」

 麒麟は一礼すると、白蛇の裸身を己の黒きマントで隠し、獅子の髑髏から出て行った。

「──予のくれてやったマントで、白蛇の身を包むとは」

 まったくもって面白くない。やはり殺しておけばよかった。遺骸を包むのなら、その身にながれる獅子の血に敬意を表して、マントの一枚ぐらいくれてやったのに。

 予は床に墜ちた父の髑髏を拾い上げると、座り心地の悪い王座にどかりと腰を下ろした。

「陛下。麒麟のことはあまりお気になさらぬよう」

 王座の影から杖をついた一人の老人が現れた。予の傅であり剣の師であり、かつては父の片腕であった男。

「爺、麒麟のことが心配か。麒麟なら、予が死んだあと王座に座らせることができるからな」

 その方が良いかも知れぬ。

「陛下が死ねば、この老い腹を切りお供をするだけです。死んだあとのことなど、老いぼれの知ることではありませぬ。それに──」

「なんだ?」

「麒麟は真っ直ぐすぎます。あのような男では、<新しき黒>を率いることはできないでしょう」

「──狂気と絶望。それが<新しき黒>のモットーであったな」

 麒麟の両眼には覚悟はあったが、絶望も狂気もない。

 獅子の猛気と王家に対する忠誠があるのみだった。

 予は違う。予の両眼は狂気と絶望で黒く塗りたくられている。

「──予の狂気のみが、狂犬共の首輪となりゆるのか?」

 大獅子の頭蓋が作り出す闇に向かって語りかけた。

 闇には、<新しき黒>という名の狂犬共が潜んでいた。


 狂気と絶望


 その二つが燃料となり、狂犬共の目を激しく燃やしてた。

「お前達は自ら望んで首輪をつけたというのに、それなのにお前達は首輪を外せと予にせがむのか。そんなにもお前達は戦争をしたいのか?」

 闇の中からうめき声にも似た歓声があがる。

「正直な連中め。予とてお前達を解き放ち、共に戦場を疾駆したいわ」

 それはとても魅力的な考えであった。

 予は狂犬を連れ戦場を疾駆する。数多の敵を蹂躙し、この厭わしき世界を狂気で蝕んでやりたかった。歴史が続くかぎり語り継がれるであろう大戦争を起こしてやりたかった。

 しかし今戦争を起こせば、魔界征服という野望を叶えることはできないであろう。

 〝父上。貴方の髑髏が、予を縛る首輪のようだ〟

 予は貴方の髑髏など欲しくはなかった。予は貴方の志など継ぎたくはなかった。

 予は貴方の元に集う、数多の剣の一本でよかった。

 戦場に散る先兵の一人でよかった。

 貴方の野望の贄でよかった。

 それなのに、貴方は髑髏になってしまった。

 なんという喜劇。

 なんという悲劇。

「──陛下。なにやら気が晴れぬご様子ですが、何かお気にさわることでも?」

「──ふん。この冷たき玉座にずっと座っていたせいで尻が冷えたわ。戦場が懐かしい」

「陛下はいづれは皇帝位をとるお方。すべての準備が整うまで堪えてください」

「爺、わかっておるわ」

 魔界征服に向けて準備は着々と進行している。今は戦争などしている暇はない。

「──それにしても、安井家の動向が気になる」

「行き遅れの魔王と、禿のことですか?」

「勿論、それも気になるが、予が一番気になるのは、安井家の古狸アルトリウスのことよ。なぜ奴は反対を押し切って、魔王の試練をクリアーしていない娘に魔王の称号を贈ったのか?」

「娘を懐柔して傀儡とするか、ひょっとしたら娘が魔王の試練をクリアーできないと踏んで、人間界にこのまま捨て置くための政治的処置かもしれませぬ。行き遅れが魔王ということになれば、娘が死なぬかぎり安井家の王座は実質空位のままですからな」

「予の考えも爺とは変わらぬ・・・・・・。しかしどうにも気になる。たんなる政治的な傀儡で、アノ尼亜を押さえることができるか?」

「それは・・・・・・。無理で御座いましょうな。尼亜は、安井家一万年の歴史が生んだ化け物で御座いますから。戦闘で尼亜で勝てる悪魔など、陛下程度でしよう。行き遅れに仕える禿げでも、尼亜に勝てますまい」」

「ならばどうやって尼亜を押さえた? 金で懐柔されるようなタマではないぞ。あの女郎を押さえるには暴力しかない、それも圧倒的な暴力だ。行き遅れにも、禿げにも、そんな真似は出来ない」

 予でも出来ないであろう。もしそれが出来る悪魔がいるとすれば、安井家の始祖晶のみだ。

「尼亜が行き遅れに従うきっかけとなった暁城でのクーデター戦は、安井家の情報部の手によって厳重に隠蔽工作されておりますから、誰が尼亜を押さえたのかわかりませぬ」

「──忌み名の魔王」

「陛下、その聞き慣れぬ名は?」

「うちの情報部が捕まえた元尼亜派の戦士が、尋問の最中に口走った言葉よ。忌み名の魔王とは何者なのか吐かせようとしたが、その男忌み名の魔王とやらがよほど恐ろしかっただろうな。舌を噛みちぎって自害しよったわ」

「恐怖に負けて自害とは・・・・・・。敵とはいえ情けない」

「爺は、その男のことを情けないと思うか?」

「陛下?」爺は、予の真意を測りかねていた。

「尼亜の軍団は、一騎当千の古強者の集団だときく。自害した腰抜けも、尼亜の軍団に所属していた以上、それなりの強者であったはず。それが小娘のように恐怖に震えて舌を噛み切るとは。──爺。ひょっとしたら、その忌み名の魔王とやらは予よりもはるかに強く。そして予よりもはるかに狂っているのかもしれんぞ?」

「陛下・・・・・・」

「そうであったのなら、どんなに嬉しいことか。それほどの強者なら、予の命も狂気も丸ごとすべてすり潰してくれるやもしれんぞ?」

 予を殺してくれるほどの強敵こそ、予は欲してるのかもしれない。

「陛下。陛下は栄光ある闇魏家の魔王です。命を粗末にするような言動、お控えくださいませ」

「予の身を心配してくれるか?」

「当たり前で御座います。爺は、陛下の傅で御座いますよ」

「そうだな。すまぬことをした」

 予を愛してくれる者が、この世にまだいたのか。

 それは嬉しいことなんだろうが、とても悲しいことでもあった。

 予は愛する者の望を叶えてやることができぬ。

 狂気に犯されたものは、やがて自分すらも滅ぼすのだから。

「陛下は、最近戦場に出てないので気が鬱しているのです。ここは気晴らしに階下戦でもご覧になったら如何ですか?」

「──そういえば今日は階下戦の日か」

 月に一度。腕に覚えのある悪魔達が、王座の階下に集まり武勇を競う。

 優勝者には玉座に続く階段を登り、予と謁見できる名誉が与えられる。

 そこで予が気に入れば、<新しき黒>へ入団することが許される。

「先月のやつはたしか、階段を登る途中血を吐いてくたばったな。今回の連中は階段を登り切れる奴が現れるかな」

 野良犬同士のじゃれ合いのような戦いなどさして興味ないが、これ以上爺を心配させるわけにもいくまい。予は興が乗ったふりをした。

「陛下のご威光のおかげで今回も数多くの参加者が集まっております。北は遙か遠きレン高原から、東からは悪名高き犯罪都市カラドから、西からは大蜥蜴が彷徨き回るドラン湿原から、南からは海流渦巻くファング諸島から、参加者が集まっております。ほとんどの連中は石ころで御座いましょうが、なかには玉があるかもしれませぬ」

「わざわざレン高原からきた奴がいるのか。生まれ卑しき者の健気さかな。その健気さに免じて顔をみてやる。爺、連中を入れてやれ」

「はっ、陛下のご命令通りに」

 爺は一礼すると、係の者に参加者を入れるよう指示をした。そばに控えていた王宮付き魔道師は大獅子の上顎に階下の間の様子を映し出した。

 階下の間は大勢の悪魔達で埋め尽くされた。

 どの目も己の武勇に対する信仰にも似た自信で輝いていた。野心でギラついていた。

 〝そこそこの面構えだが、足りぬ〟

 奴らの目には狂気が足りなかった。絶望がなかった。

 狂気と絶望のみが、<新しき黒>の入団条件となる。

 〝軍団入りが精々か〟

 退屈な時間になりそうだな。爺にばれぬよう、小さなため息をつくと、銅鑼が鳴り響き階下戦の開始をつげた。

 第一戦目は、犬ころにシフトした蛮族と、ハイエナにシフトしたチンピラがじゃれ合うように戦った。水をぶっかけて追い払いたくなった。

 第二戦目は、無様な顔をした悪魔が無様な姿にシフトし、無様に戦い、無様な死骸を晒した。

 第三戦目は、退屈すぎて眠気を催してしまってよく覚えていない。

 その後も数多の戦いが繰り広げられたが、予の眠気を払うほどの戦いはなかった。

「──陛下。退屈で御座いますか?」

「爺には悪いが、退屈すぎる。瞼が重くてかなわぬ」

「申し訳ございません。どうやら石ころばかり集まってしまったようで・・・・・・。眠気覚ましに、情報部からもたらされた映像をご覧になってください」

「情報部から? わかった見よう」

 大柄な奴隷が巨大な水晶玉をもってきて、台座においた。

 予が水晶玉をのぞき込むと、水着姿のおばさんが金髪の少年に抱きついている映像が映し出された。

「──爺、たしかに目が覚めたぞ。ついに見つけたか。情報部は目標をフォローをしているのか?」

「遠距離から目標をフォローしております」

「遠距離からだと? なぜもっと近寄らん。予の授けた偵察用使い魔なら、近距離からでも問題ないはずだ」

 予の魔術能力の粋をこらして作り上げた偵察用使い魔は、通常の使い魔とは違い実体ではなく幻体にシフトすることができる。幻体状態なら、高レベルの索敵魔術を使用しなければ見破られないはず。

「もっと近寄ろうとした瞬間、安井家の行き遅れに気づかれました」

「気づかれただと!? 近距離ならまだしも中距離で気づくとは。さすがは安井家の魔王というわけか」

 魔王の称号は伊達ではなかったか。

「はっ、幸いにも行き遅れの方も半信半疑だったようで、大事にはいたりませんでしたので、遠距離からフォローしております」

「わかった。そのままフォローを続けさせろ。それと平行して目標の情報収集を急がせろ。予算も人員も幾ら使ってもかまわん。最優先事項だ」

「了解しました、陛下」

「しかし安井家の行き遅れまでからんでくるとは──。試すか」

「──試すのですか? お言葉を返すようですが、試す必要はは皆無かと」

「目標はともかく、安井家の魔王の実力ははかっておくべきだろう。それになんで安井家の行き遅れが目標に絡んでいるのかもな」

「──まさかと思いますが、例の魔王の試練では?」

「あれはたしか天使の転生体でなければダメであろう。それとも目標は天使の転生体なのか?」

 肉眼でみればアストラルの翼を確認できるが、映像では見ることは出来ない。

「わかりませぬ。人間界に派遣されてる情報部の魔道師はいま別の任務についてるので、アストラルの翼を確認できる手段がございません。しばしお待ちください陛下」

「間怠っこしわ。やはり試すぞ、爺」

「しかし現段階で安井家と事を構えるのは不味いですぞ、陛下」

「わかっておる。試しには足がつかない使い捨てをつかうさ。それより爺、目標の目を見てみろ」

「たしかにハッとするほど美しいですが・・・・・・」

「爺、美醜を言ってるのはではない。奴の目を見て誰かを思い出さないか?」

「・・・・・・」

「──片腕であった爺でもわからぬか」

「まさか獅焔様のことですか?」

 予が頷くと、爺は金髪の少年の目を凝視した。

「失礼ですが、獅焔様に似ているとは思えませぬ。獅焔様の目はもっと野心で燃えておりました。強者だけが持つ傲慢さで溢れてました。それに引き替えこの少年は──」

「爺の言いたいことはよくわかる。父上の目はもっとギラついてた。しかし、父上の目を燃やしているのは野心だけではなかった」

〝父上の目には暖かさがあった〟

 魔王であるゆえにその暖かさを滅多に見せる御方ではなかったが、それでも父の目には暖かな光が宿っていた。

「──息子である予の目には宿っておらぬがな」

 暖かな光のかわりに予が宿したのは──。

 狂気と絶望。それだけであった。

 ──気づくと、爺が不安げな顔で予の横顔を見つめていた。

 〝爺め。心配しすぎだ〟

 予は幼子ではない。この国の悪魔共を統べる魔王であった。

 爺に何か言ってやろうとしたその時、階下から歓声が沸き起こった。

「ケリがついたみたいだな、爺」

 獅子の上顎に視線を移すと、巨大な斧を持った一つ目の巨人が吠えていた。

 巨人の体は返り血で赤く染まり、足下には原型を止めぬ肉塊が転がっていた。

「試しにはアレを使うか」

 面白みはないが、手頃であろう。

「それがよろしいかと──」爺が言葉を重ねようとしたその時、ランスと見紛うほどの角を生やした一匹の悪魔が見物人を蹴散らし、一つ目の巨人の前にたった。

 巨大な角を持つ悪魔の横には、小さな角を生やした幼子が立っていた。

 〝親子か〟胸が微かに痛んだ。

「何やつだ、貴様は!?」一つ目の巨人は乱入者に怒号を浴びせた。

「おとんのこと知らないのか、一つ目お化け!」父ではなく、息子が怒鳴った。

「黙っていろ大角」父は息子を黙らせると「おれは貴様の死神だよ。死にたくなければ、そこを退け」

「おれの死神だと!? トーナメントで戦わず、無傷で挑戦すればおれに勝てると思ったのか?」

「トーナメントを出なかったのは、たんなる遅刻だよ。おれがはじめから参加していれば、今頃とっくに階段を昇っていたさ」

「口が達者だな──。一角族の小僧!」

「一角族を知っているのか、貴様?」

「応、よく知っているとも。おれはここにくる前、黒炎家で傭兵していたからな。白骨平原での掃討戦も参加しているぞ」

 乱入者の顔色が変わった。

「おとん、こいつが母ちゃんや爺ちゃん達を殺したの?」

「おう、殺したさ。お前の母ちゃんかどうかはしらないが、一角族の雌豚共をたくさん犯してやったわ」一つ目の巨人はせせら笑った。

「貴様か。男達の留守にハイエナの如く忍びより、祖先の地を汚し女達を犯したのは。その罪いますぐ償わせてやる!」

「償わせる? 返り討ちにしてやるぜ、一角族の小僧!」

 斧と角。双方の獲物は交わることはなかった。乱入者の突撃のスピードは、巨人の予想を遙かに超えていた。斧は振り下ろされることなく、乱入者の角が巨人の腹を貫いた。

 一眼の巨人は口から大量の血を吐き、乱入者の背中を赤く汚した。

 一眼の巨人は何か喚こうとしたが声にならない。乱入者は一眼の巨人を角に突き刺したまんま、顔をあげた。乱入者はその太き腕で一眼の巨人と首と膝をつかみ、弓を絞るかのように一眼の巨人の背を曲げた。

 一眼の巨人は断末魔の叫びをあげ、血と臓物をまき散らし果てた。

「──なかなか使えそうな奴だな」勝利の咆吼をあげる乱入者の映像を眺めながら呟いた。

「死んだでくの坊よりかは使えますな」

「負け犬などクソの役にもたたん。爺、あやつに階段を昇るように伝えよ」

「わかりました陛下」

 階下の間で雄叫びを上げる乱入者に、奴隷が駆け寄り予の意を伝えた。

「一人で昇れだと!? こんなところで大角を一人にさせられるか!」

 乱入者は奴隷を怒鳴り飛ばした。

「一角族の勇者よ、予の名誉に賭けて、お前の子供の安全を保証してやる。だから一人で昇ってこい」予は遠話を使って乱入者に語りかけた。

 僅かの間乱入者は迷ったが、子供を奴隷に預けて階段を昇り始めた。

 階段を昇る乱入者の目は傲慢であったが、狂気はなかった。

 乱入者の目には故郷をなくしたというのに、絶望がなかった。

 〝田舎者なのだ〟

 田舎という狭い世界において、乱入者は無敵であった。敗北など知らない。戦えば常に勝ち、弱者から戦利品を分捕り、興奮を冷ますために女をレイプした。

 それほどの強者である自分なら、部族を再興させることも簡単だと考えているのだ。

 この男は、本物の恐怖も、本物の絶望もしたことがない。恐怖を知らない男は、真の強者にはなれない。

 この程度の男では、魔王を試すことは難しいであろう。

 〝だが、安心するがよい。お前が階段を下りるときには、お前は生まれ変わっていることだろう〟

 予がお前に、狂気と絶望を与えてやる。

 乱入者は階段を登り、予の前に立った。。

 乱入者は田舎者特有の無礼さで、畏るべき魔王の顔を直視した。

「予の顔を直視するとは傲岸な奴めっ」

 予の一言を耳にすると、乱入者は一礼し非礼を詫びたが、膝を折ることはなかった。

 〝こやつ、年少の予を見くびっておるな〟

「無礼者めっ! 田舎者の分際で、陛下の前で膝を折らぬとはなんたる非礼」

 爺が怒号を発し、杖の柄を握りしめた。

「爺、構わぬ。強者とは簡単に膝を折らぬものだ。そうだろう──」

「尖角で御座います、陛下」

「尖角か。強者らしい良き名だ。ところで尖角。階下戦の勝者は予に望みを訴える権利が与えられるが、お前はどんな望みを訴える?」

「訴えたいのはでは御座いません。訴えるなとというのは弱者のやることです。強者である私は陛下に売りたいものがあります」

 〝予と対等で交渉するつもりか、この田舎者は〟

 なんたる無知。

 なんたる無能力。

 ここまで愚かだと嗤えてくる。

「なんだ言ってみろ」予は口元に侮蔑の笑みを浮かべながら言った。

「売り物とは我が部族の戦力で御座います」尖角は、予の侮蔑を好意的な笑みと勘違いし、声には喜色がこもっていた。

「部族を丸ごと抱え込めというのか?」

「陛下の仰るとおりで御座います」

「──なるほど。部族ごと抱え込めば、闇魏と黒炎との間に、火種が生じるかもしれんからな。うまく立ち回れば故郷の土地を取り返せるかもしれぬというわけか」

「我々だけが得をするとわけではありませぬ。闇魏家も、貴重な戦力を得るわけでございますから。黒炎との戦争に勝てば、黒炎の領土を奪うこともできます」

「お互い得な取引というわけか。その取引してやってもいいが、その前に一つ条件がある。人間界に行って安井家の行き遅れと人間の少年の首を取ってこい」

「──安井家ですと」さすがの田舎者も、安井家の名には驚いたようだ。

「ちょっと訳があってな。怖ければ断ってもよいぞ、尖角」

「たとえ安井家相手であろうと、この尖角が怯えることなど御座いません」

 田舎者は自分の無知を誇った。

「頼もしいな。行き遅れの実力は未知数だが、行き遅れの護衛にはハンガーヒルで名をあげた<<後家作り>>がついているのだぞ」

「ハンガーヒルの戦いには、尖角はおりませんでした。もしおれがハンガーヒルの戦いに参加していれば、<後家作り>に名誉を独占させることなかったでしょう」

「──たいした自信だ。そういえばお前にはまだ階下戦の褒美を与えていなかったな。階下戦の褒美として貴様に予の謁を与えてやる」

「──謁見の名誉なら、今すでに与えてもらってますが?」

 尖角の顔に困惑の色が浮かび、それはすぐさま恐怖の色へと変わった。

 予は真の姿へシフトしたのだ。大獅子の頬骨には、長く忌まわしい影が映し出された。

「どうだ尖角。予のシフトした姿は。獅子の子に相応しき姿であろう。それとも尖角、お前の目には獅子ではなく、何かもっと違う、忌まわしきものに見えるのか?」

 尖角は予の問いに答えることなく、ただ震えながら膝を折った。

「膝を折るなど、強者らしくない振る舞いだぞ、尖角」

 尖角は怯えて口を開く余裕すらなかった。

「──怯えることはない尖角よ、お前はいまようやく絶望という感情を学習したのだ」

 あとは狂気だけだ。

 予はシフトを解くと、震えている尖角の前に立った。

「尖角、絶望に負けたくないか。絶望を前にしても膝を屈せずにいたいか尖角?」

 予は優しく問うてやった。

 尖角は恐怖に震えながらも頷いた。

「簡単なことだ、尖角。お前が恐怖そのものになればいい。お前が絶望そのものになればいい。お前が望むなら、予はお前を恐怖そのものにしてやる。さぁあどうする尖角よ」

 尖角は口を開けて暫し予を見上げた後、こくりと頷いた。

「契約成立だな」

 予はニヤリと嗤うと、小刻みに震える尖角の顎に指を伸ばした。

 尖角は反射的に避けようとしたが、予が軽く睨むと大人しくなった。

 予は震えが止まった尖角の唇に口づけをした。

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