修行と食事
蒼井と瑞樹は汗だくになりながら素振り用の重たい木刀を振るっている。
「蒼井! 素振りに力が全然入ってないぞ! 疲れてるからといって、いい加減にやるな!」
禿頭に汗を浮かべながら怒鳴り飛ばす。
はい! 蒼井は気合いを振り絞って大声で答えたが、疲労はとっくの昔に限界を超えていた。
素振りどころか、立っているのも辛いだろう。それでも蒼井は、おれの叱咤に答えようと木刀を振るう腕に無理矢理ちからを込めた。
蒼井の素振りは力を取り戻したが、所詮一瞬のことであった。
「蒼井! 怒鳴られたばかりだろう! 朝おれに言った言葉は嘘か!」
蒼井の顔にさっと朱がさす。素振りに力が蘇る。
隣で木刀を振るっている瑞樹は、心配そうに主の横顔をチラチラと盗み見ていた。
「瑞樹! フォームが崩れてるぞ! 人の心配するまえに、自分の事を心配しろ!」
はい! 瑞樹は威勢よく返事をしたが、その声にはおれに対する怒りがこもっていた。
体の弱い蒼井のことを考えずに無茶な稽古をつけていると思っているのだろう。
なんとか素振りを終えると、二人とも地に崩れ落ちた。
「──誰が休んでいいといった。蒼井、瑞樹、どちらでもいい、光剣で打ちかかってこい!」
「――比留間先生。いくらなんでも厳しすぎます。少し休憩を入れたらいかがですか?」
主の体調を案じたアンリエッタが飛び出してきた。
「見るのが辛いのなら、メシの支度でもしてろ」おれは冷たく言い返した。
「蒼井様がこんな状態でご飯の支度などできません!」
「――アンリエッタ。僕なら心配ない。比留間先生の言われたとおりにしてくれ」」
「――しかし」
「アンリエッタ!」
主が叱ると、家来は渋々と引き下がった。
「申し訳ありません、比留間先生。みっともない所をお見せして」
蒼井はよろよろと立ち上がり腰にぶら下げた光剣を抜こうとした。瑞樹は主を制した。
「蒼井! ボクが先に行く」
「瑞樹・・・・・・」
「行くったら、行くからね。蒼井」
瑞樹は主の返事も聞かず、光剣にプラーナを送り込んだ。光剣の柄から白銀の刃が生まれる。
「主を少しでも休ませようというわけか?」
瑞樹は答えない。無言でおれの目を睨み付けている。
「時間稼ぎではなく、体の弱い主を虐める意地悪な顧問をぶっ倒してやろうというわけか。
──面白い。蒼井の騎士を気取るなら、おれを倒してみろ瑞樹!」
「応!」
瑞樹が気合い声を発すると同時に、白銀の光剣を縦横無尽に振るって無数の刃を生み出した。
「小学生のくせに、<鎌鼬>を連打するだと」
さすがは白百合の騎士の血を引く者か。見事な才能だ。
──しかし、才能だけで勝てるほどおれは甘くないぞ。
おれは腰にぶら下げた光剣を抜くと、襲いかかる<鎌鼬>の刃を次から次へと打ち払った。
〝瑞樹の姿がない〟<鎌鼬>は囮か。
「上か!」
頭上を見上げると、水車のように回転しながら落下してくる瑞樹の姿があった。
「喰らえ! 武蔵古流水車斬り!」
不足している威力を、体重と回転でカバーした一撃必殺の剣技。
当たれば、おれとて無事ではすむまい。
〝当たればだがな〟
おれは瑞樹の剣の軌道を一瞬で見切ると、ほんの僅か横にずれた。
禿頭を打ち砕くはずだった瑞樹の光剣は空を切り裂いた。
「魔界一刀流竜巻返し」
下段に構え直した光剣で、瑞樹にむかって竜巻状のプラーナを放った。
瑞樹は悲鳴をあげ空高く舞い上げられ、そして地に落ちた。
「おれを倒すどころか、光剣を掠らせることさえ出来なかったな」
瑞樹は何か言い返そうとしたが、呻き声を出すのが精一杯だった。
「――瑞樹、おれを倒すのは無理だったが、主のために時間を稼ぐことはできるぞ? 蒼井の騎士を気取るなら、おれの前に立ち塞がって、時間かせいでみろ!」
おれが煽ると、瑞樹は歯を食いしばり無理矢理たちあがり、光剣を構えようとした。しかし光剣からプラーナの刃を生み出すことまでは出来なかった。瑞樹は刃のない光剣を悔しそうに睨み付け、そして膝が崩れてた。
「まあまあの根性だな、次は蒼井だ! せっかく瑞樹が時間を稼いでくれたんだ。ヘタレナ戦いすんなよ!」
「はい! 比留間先生」蒼井の声には闘志がこもっていた。
「・・・・・・蒼井。比留間先生は強いよ。気をつけて」
戦いに赴こうとする主を、瑞樹は励ました。
「ありがとう、瑞樹。瑞樹が時間を稼いでくれたおかげで、体力はフル回復できたから、比留間先生相手でもいい勝負できると思うよ」
「馬鹿、ボクが時間をかせいでやったんだ。あんなタコ親父ぶっ倒してこい!」
「──わかった、瑞樹。倒してくるよ」
蒼井は、従者に微笑みを残し、タコ親父の前に立った。
「お願いします、比留間先生」
「応、どこからでもかかってこい」おれは光剣を抜き放った。
光剣を軽く持ち平青眼に構える。一見すると隙だらけの構えだが、蒼井は打ち込むことが出来ない。ただおれの周りをグルグルと回り、気合い声を発したり、フェイントを仕掛けてくるだけだ。
実力差がありすぎるからしょうがないか。。
「どうした、蒼井? おれの周りをグルグル回ってても勝負にならないぞ、攻めづらいのなら攻めやすくしてやろうか?」おれはそう言うと光剣を投げ捨てた。
「――どうだこれで攻めやすくなったろう?」
目の前で敵に剣を捨てられるなど、騎士としてこれ以上の侮辱はなかった。
温厚な蒼井もこれにはキレた。顔に怒気を浮かべながら、光剣を大上段に構え突進してきた。
蒼井の光剣が振り下ろされる前に、がら空きの懐に一気に飛び込んだ。
「・・・・・・こんな見え透いた挑発に乗るなよ、蒼井」」
おれは蒼井の耳元で囁くと、そのまま地面に放り投げた。
「蒼井様!」アンリエッタは地に倒れている主に駆け寄ろうとする。
「アンリエッタ!」
怒声はおれの口からではなく、蒼井の口から発せられた。
アンリエッタは稲妻に撃たれたかの如く、その場から動けなくなった。
「比留間先生、まだ稽古は終わりじゃないですよね?」」
「――根性だけは瑞樹に負けてないようだな」
おれはニヤリと笑うと、蒼井の闘志に敬意を表するため光剣を拾い上げた。
日が完全に沈む頃、光剣を撃ち合う音もやんだ。
赤く燃えた太陽のかわりに、外灯のたよりない光が、地面に倒れている蒼井を照らしていた。
「立て、蒼井。立って光剣を構えてみせろ」
おれは倒れている蒼井にむかって言い放ったが、蒼井の体はピクリとも動かなかった。
無理もない。あれから何度も倒され、そして立ち上がってきたのだから。
「比留間先生、もういいじゃないですか。蒼井様の限界はとっくの昔に超えています」
倒れている蒼井の側らで、膝をついて泣いてるアンリエッタがかわりに答えた。
「先生、酷いよ。こんなの稽古じゃないよ。イジメだよ」
瑞樹は涙を零しながら、おれを詰った。
二人の少女の訴えを無視して、おれは倒れている蒼井にむかって語りかけた。
「蒼井。お前が限界なのはおれもよくわかっている。燃やすべきプラーナも、立つための体力も一欠片も残されていないのも理解している。しかしそれでもお前が学徒騎士ならば。蒼井の名を背負うならば。お前は立たねばならない。限界を超えてみせろ蒼井! 学徒騎士の頌歌にうたわれる騎士のようにおれの目の前に立って見せろ、蒼井!」
微かに。ほんの微かだが。蒼井の指がぴくりと動いた。
蒼井は震える手で光剣を掴むと、ゆっくりと立ち上がり――。
そして光剣を青眼に構えると、その柄から蒼きプラーナの刃を生み出した。
――立って構えることまではやると思っていたが、まさか光剣の刃まで出すとは。
もう体のどこを捜してもプラーナなど残ってないのに。蒼井の奴、己の魂を燃やしてプラーナを生みだしやがった。
「蒼井――」
「――蒼井様」
従者と家来は絶句した。
「──よく立ったな蒼井。剣の技量では瑞樹に負けていたが、根性ではお前が遙かに上だ」
おれが声をかけると、蒼井は嬉しげに笑ったが、すぐに膝が崩れた。
倒れようとする主の肩を、従者が支えた。
「――もう稽古終わりなんだから肩を貸してもいいでしょう、比留間先生?」
「もちろんだ、瑞樹。むしろ肩を貸してやらなかったら怒る場面だよ」
おれはポケットからスキットルを取り出し、アンリエッタにむかって放り投げた。
アンリエッタは抱きしめるようにスキットルをキャッチすると「これは何です、比留間先生?」
「強壮剤みたいなもんだ。蒼井に飲ましてやれ」
「あっ、はい」
瑞樹は蒼井を地面にそっと寝かせると、アンリエッタは主の桜色の唇にスキットルの吸い口を当てた。スッキトルの中身を飲むにつれ、蒼井の顔に生気が蘇ってきた。
「おい、それぐらいにしとけ。飲ませすぎるのもまずいからな」
「何か副作用でもあるのですか?」アンリエッタは不安な声で尋ねた。
「――まあ、たいした事ないんだが、あるちゃある。でも心配するほどのもんじゃねえよ」
「――本当ですか?」アンリエッタは疑わしげな目で、おれの顔をジッと見つめた。
「おれを信じろ、アンリエッタ」
〝まさかチンチンが元気になるとは言えないしな〟
スキットルに入ってるのは、尼亜から貰った媚薬を元に妹が再調合してつくってもらった強壮剤である。
媚薬効果を抑え、強壮効果に特化しているとはいえ、飲み過ぎると息子が元気になってしまう。
「――僕なら平気だよ、アンリエッタ」
特製強壮剤が効いたのか、蒼井は目を覚ました。
「蒼井様・・・・・・」
アンリエッタの瞳は感動のあまり早くも潤みはじめた。
「蒼井様、あまり無茶をなさらないでくだい。蒼井様の身に何かあったら、私・・・・・・」
言葉のかわりに涙がこぼれた。
「僕は大丈夫だよ、アンリエッタ。練習する前に、比留間先生が強壮剤を飲ませてくれたから。強壮剤飲んだおかげで、どんなにきつくても体が動くし、息が苦しくても咳は出なくなったから」
「これを飲みながらこの夏いっぱい体鍛えたら、蒼井の虚弱体質もきっと改善するぞ」
「本当ですか!?」蒼井と家臣達は驚きの声を上げた。
「ああ。飲むだけでも体質改善効果があるが、飲みながら体に高負荷をかけるとより効果がアップする」
「そうだったんですか。あの地獄のような訓練は、蒼井様のお体のためだったんですか・・・・・・。申し訳ありません、比留間先生。私は、比留間先生の深いお考えを察することができず、稽古の邪魔ばかりしておりました。許してください」
アンリエッタは深々と頭をさげた。
「うんなに頭さげるな。あの地獄のようなシゴキは蒼井の体質改善だけが目的じゃないだ。あの特訓の真の目的は、倒されても立ち上がれるようにすることなんだ」
おれは視線をアンリエッタから蒼井に移した。
「いいか、蒼井。実戦とは理不尽なもんだ。ゲームみたいに自分の実力に見合った敵を用意してくれることなんてない。自分より強い相手と闘う時のほうが多いくらいだ。強敵と闘えば当然打ち負かされるときもあるだろ。それでもな、蒼井。戦場に立つ以上、学徒騎士である以上、生あるかぎり立て。立って剣を構えろ! 敵に気迫を見せろ! 味方のために少しでも時間をかせげ。それがお前を生かしてくれるかもしれない。それが仲間の命を助けることになるかもしれない。だから立て。それがおれのレッスン1だ。わかったか、お前等?」
「はい!」二人の学徒騎士が返事をする。
「――しかし、蒼井。最後にプラーナの刃を生み出したのは大したもんだ」
「比留間先生の叱咤があったこそです」
「馬鹿、おれの叱咤なんぞ大した事ねーよ。その証拠に、おれはプラーナの刃を生み出すことは出来なかった。瑞樹と同じで立つので精一杯だった」
「比留間先生も同じ稽古をしたんですか?」
「当たり前だろう。おれもお前達と同じように限界以上にしごかれたあげく、立てと怒鳴られたよ。ガキだったおれは無茶苦茶な事ばかり要求する師を恨んだが、戦場に出るようになってからは感謝したよ。戦場とは無茶をやることを要求される場所だからな」
「――今の比留間先生があるのは、その師のおかげなんですね」
「ああ。スケベで因業な爺さんだったな」
――若君立派な戦士となって、元帥の位をとってください。
――応、まかせとけ。おれが元帥になったら、ジジイの古女房を追い出して若い嫁さんあてがってやるぞ。
若き日のおれは己の師匠に笑ってそう約束したが、その約束は果たされる前に師は死んでしまった。
――叶えてやりたかったな。おれはため息をついた。
「――どうなされたのですか、比留間先生?」
「ちっと昔を思い出してな。それより腹がへった。晩飯を食いに行こうか?」
「賛成!」瑞樹一人、元気よく返事をした。
「――あんだけシゴいたのに、メシとなるとその元気か。ある意味、瑞樹も大したもんだよ」
「その言い方だと、なんかボクかなり食いしん坊みたいに聞こえるだけど」
「みたいじゃなくて、ずばりそのものだ」
おれが瑞樹をからかうと、皆笑い声をあげた。
空き腹を抱えてキャンプ場に戻ると、妹はアニソンを口ずさみながら、丸太で作られた食卓の上に花柄のテーブルクロスを敷いていた。
「──あれ何やってるだ、お前?」
今日の晩飯はバーべーキューなので、食卓にテーブルクロスを敷く必要などなかった。
バーベキュー用の金網や串なども見当たらない。
〝──猛烈に厭な予感がしてきた〟
「蒼井君、お帰り! 禿げにぃにシゴかれてお腹空いたでしょう?今すぐ晩ご飯用意するからちょっと待っててね」
「――あの安井先生。今日の晩ご飯はバーベキューのはずじゃあ・・・・・・」
アンリエッタが疑問を口にすると、「激しい稽古をした後に、お肉だと食べるの辛いでしょう? だから今日の晩ご飯はやすぃ特製の魔女料理に変更してみたの」
「魔女料理!?」おれを除く、全員が驚きの声をあげた。
おれは前回の魔女料理の凄まじさを思い出して、げんなりしていた。
「あのう、私が下ごしらえしといたお肉や野菜は?」アンリエッタが尋ねると「心配しないで、管理人さんに頼んで冷蔵庫にしまっておいたから。明日のお昼はバーベキューにしましょうね」
「はぁ・・・・・・」
バーベキューを用意したアンリエッタとしては納得しかねるところだが、妹は一応先生という立場であり、年齢もはるか上である。
面と向かって文句も言いづらい。それに用意したバーベキューが捨てられてわけではないので、怒るのもなんだか大人げないような気がする。
それで生返事をするしかないわけだ。
一方、兄であるおれとしては、妹の非常識な行動を叱らねばならないのだが、媚薬の一件があるので、妹の機嫌を損ねたくなかった。
〝夜這いにきた妹を叩きだしたのは不味いよな。尼亜にバレたら、軽くて護衛官解任、重けりゃ粛清まである〟
尼亜の怒りを静められる人間といえば、妹のアホしかしない。その妹の機嫌を今から損ねるのは自殺行為である。
しばらくの間は妹にゴマをすらないとな。でも魔女料理かぁ・・・・・・
食いたくねえな。おれが鬱々としていると、炊事場の方から鍋が吹きこぼれる音が聞こえてきた。
「あっ、いけない。お鍋火にかけたまんまだった」妹はそう言うと、 小走りで炊事場に戻っていった。
「――比留間先生、安井先生の料理ってひょっとしてマズイの?」
それまで成り行きを見守っていた瑞樹が質問してきた。
「――美味いよ。体にもいいし」
「へえ、ならいいじゃん、晩ご飯安井先生の魔女料理でも。ボク、魔女料理なんて食べたことないから、凄い興味あるんだけど」
「――比留間先生の前でこう言うのはなんですが、私がせっかくバーベキューの用意したんですから、安井先生の料理は明日のお昼でいいのに」
「そう怒るな、アンリエッタ。妹はせっかちだから思いついたら即実行しないと気が済まないタチなんだよ。だから今回だけは堪えてやってくれ」
「明日のお昼はアンリエッタのバーベキューをみんなで食べるから、今日の晩ご飯は安井先生に譲ってあげよう。せっかく作ってくださっただし」
主が間に入ったことで、アンリエッタはしぶしぶ折れた。
食卓に座って待つこと五分。妹が満面の笑みで、花柄のテーブルクロスの上に大皿を置いた。
大皿にはゼリーで固められた目玉が盛られていた。あまりの衝撃に誰も声が出せなかった。
「百目スライムのゼリー固めよ。食欲のない夏でもパクパク食べれちゃう爽やかな一品よ」
〝妹の野郎、初っぱなからキツイの出してきやがって〟
「――これを食べろというのですか?」
アンリエッタは震える指で、大皿に盛られている目玉の山を指さした。
「モチのロンよ。百目スライムの目玉は美味しいだけじゃなく、眼精疲労、美肌効果、持久力アップ、記憶力向上、その他にもそれはそれは素晴らしい体に良い効果がいっぱいあるのよ。ちょっちグロイのが玉に瑕だけのね」
明らかにちょっちの域を超えてるだろう、これ。妹の魔女料理を見慣れてるおれでさえ、ドン引きするレベルだぞ。
「禿げにぃ。このままだとみんなの箸が進まないから、禿げにぃが一番最初に食べて、この料理の素晴らしさを証明してよ」
「おれが!? 勘弁――」
妹はおれの言葉を途中で遮る。
「禿げにぃに蹴られた背中、まだ痛むだけどなぁ」
妹は態とらしく背中をさすった。明らかにおれのことを脅迫していやがる。
「──わかったよ。おれが最初に食えばいいだろう」
「さすがは禿げにぃ」妹はニコニコ笑いながら、おれの皿にゼリーで固めた目玉をよそった。
ゼリーで固められた目玉は、おれにむかってガンをタレてきやがった。
〝なんで料理に、ガンつけられなきゃいけないだよ〟
おれは心の中で毒突くと、勇気を振り絞ってスプーンで目玉をすくった。
〝たかが目玉だろう。食って死ぬわけじゃないんだ〟
おれはそう自分に言い聞かせながら、目玉を口のなかに放り込んだ。
妹を除く全員が、本当に食ったのかという目で、おれの顔を見つめていた。
「――美味い、美味すぎる! 一口噛むとゼラチン質のグニャグニャとした官能的な感触と、目玉の中から溢れてくる謎の汁が一体になって、これまでの人生で味わったことのない味を作り出している!」
〝うめぇ、うめぇよう。でも食いたくねぇ!〟
どんなに美味かろうと、目玉は目玉である。今すぐにでもスプーンを放り出して、口のなかにある目玉の残骸を吐き捨てたかったが、妹の魔女料理には何かしらの魔法がかけてあるらしく、一度口にすると自分の意志では食べることを止めることは出来ない。
おれは涙を垂れ流しながらも、恐怖の目玉料理をすべて平らげた。
「みんな禿げにぃの食べっぷりみたでしょう? やすぃの料理は見た目は少しグロいかもしれなけど、味と栄養は保証できるわ。だから安心して食べてね。」
「あっ、うん。美味しいのはわかったけど、ボクは遠慮・・・・・・」
瑞樹がすべての言葉を言い終わる前に、妹は瑞樹の皿に目玉をよそった。
「いっぱいあるから遠慮しなくてもいいのよ、瑞樹ちゃん。おかわりもあるから一杯たべてね」
妹は瑞樹の返事も聞かずに、隣に座っているアンリエッタの皿にも目玉を盛った。
アンリエッタは無言でおれに助けを求めたが、おれは目を伏せてスルーした。
「禿げにぃの稽古で疲れたでしょう、蒼井君。百目スライムのゼリー固めは疲労回復の効果もあるからたくさん食べてね」
妹はニコニコと笑いながら、青い顔してる蒼井の皿の上に目玉を盛った。
暫しの間、重い沈黙が流れる。誰もがスプーンを手に取ろうとはしない。
「――ボクが食べてみるよ」
重い沈黙に耐えかねた瑞樹が勇気を振り絞ってスプーンを手にした。ゼリーで固められた目玉をすくい上げる。
しかしスプーンの中の目玉にガンつけられると、瑞樹の手はピクリとも動かなくなった。
「――瑞樹。ここは僕が行くよ」
「蒼井いいの? これ目玉だよ?」
「うん。瑞樹には稽古の時助けて貰ったからね。たまには僕が格好つけないと、笑われちゃうよ」
主は家来にむかって無理に微笑むと、スプーンで目玉をすくい口元まで持って行った。
しかしスプーンは唇の前で止まってしまう。
騎士団の先輩相手に無茶な決闘を買って出た蒼井でも、妹の魔女料理を食べる勇気はなかった。
「どうしたの蒼井君? 遠慮せずに食べて」
妹に勧められると、蒼井は意を決し口を開いたが、どうしても目玉を食べることは出来なかった。
「――突然ですが、蒼井様!」アンリエッタはいきなり立ち上がって叫んだ。
皆びっくりして、アンリエッタの方に注目すると、「今まで隠しておりましたが、実は私目玉料理が大好きなんです! 主の料理を奪って食べちゃうぐらい大好きなんです!」
アンリエッタはやけくそ気味に宣言すると、蒼井の手からスプーンを引ったくって目玉料理を口に放り込んだ。
「――美味しい! ゼリーで固められた目玉がシャッキリポンと舌の上で踊るわ! それに目玉から流れる謎の汁が、これまた自殺したくなるほど美味しい! アアン、もう一滴たりとも残せないわ!」
アンリエッタは涙を流しながらどこかで聞いたことある台詞を口走った。
妹の魔力か。それとも主に対する愛の深さか。アンリエッタのスプーンは止まらない。
アンリエッタは最後の目玉を涙とともに飲み下すと、食卓の上に倒れ込んだ。
「大丈夫か、アンリエッタ!」
蒼井は声をかけながら家来を抱き起こした。
「──心配しないでください、蒼井様。目玉料理食べたあとではよくあることです」
アンリエッタは気丈にも主にむかって微笑むと、「でも、これ以上はもう無理です。あとのことは頼みます、蒼井様・・・・・・」
「──アンリエッタ!」
「――アンリエッタちゃん!」
蒼井と瑞樹は同時に声を上げた。
「いくら美味しいからって、私の作った百目スライムのゼリー固め全部たべちゃうなんて。アンリエッタちゃんたら食いしん坊さんね」 妹はにこやかに笑いながら言った。
「──死ね」アンリエッタは口の中で呟くと、そのまま気を失ってしまった。
「あらあらアンリエッタちゃん、前菜だけで満足しちゃったようね」
「──前菜!? まさかこの他にも魔女料理あるんですか?」蒼井は真っ青な顔で問うと、「モチのロンよ! 次の料理も、やすぃが精魂込めて作った魂の一品だから、よく味わって食べてね」
「安井先生、次の料理はどんな料理なの? まさかまた目玉?」瑞樹が問う
「二品も同じ料理を出すほど、やすぃのレパートリーは貧弱じゃないわ。次の料理はね、スペシャル親子丼よ」
「親子丼!? よかった普通だ」妹とつきあいの短い瑞樹は親子丼と聞いて胸をなで下ろしたが、それもつかの間のことだった。妹が食卓の上に丼をおくと、瑞樹は絶句した。
──無理もない。丼には丸々とよく肥えたイボ蛙の丸揚げがデーンと乗っかっているのだから。これだけでも十分すぎるほどキツイのに、イボ蛙の丸揚げにはオタマジャクシ入りの白いタレがたっぷりとかかっていた。
「──安井先生。これってひょっとして、癒やしのイボ蛙では!?」
蒼井は震える指で丸揚げにされた哀れなイボ蛙を指さした。
「さすが蒼井君! よく気づいてくれたわね。これは数ある魔女料理の中でも秘伝中の秘伝料理、癒しのイボ蛙丸揚げオタマジャクシソース和えスペシャル親子丼よ」
「──まさか僕を癒してくれたイボ蛙じゃないですよね?」
「そんなわけないでしょう蒼井君。蒼井君の傷を癒してくれたイボ太を丸揚げになんかしたら、それこそ血も涙もない魔女よ。蒼井君を傷を癒したイボ太はね。私が後ろ盾になってあげて今やイボ沼のヌシよ。大勢の雌イボ蛙に囲まれて幸せに暮らしているわ」
「──よかった」蒼井は胸をなで下ろす。
「──丸揚げになっているのはイボ太の子供達よ」。
「えっ!?」蒼井と瑞樹は同時に驚きの声をあげた。
「これって、僕の傷を治してくれたイボ蛙の子供なんですか・・・・・・」
蒼井は悲しげな目で、丸揚げにされたイボ蛙を見つめていた。
「そんな悲しい顔しないで蒼井君。イボ太がハーレムを形成したせいで、イボ沼では癒やしのイボ蛙が大繁殖しちゃったの。子沢山なのはいいけど、増えすぎたせいで餌がなくなって共食い始めちゃったのよ。このままではイボ沼の生態系が滅茶苦茶になっちゃうから、私達人間が、少し間引いてあげる必要があるのよ」
「安井先生が余計な事をしなければ癒やしのイボ蛙も共食いなんてしなかったような気がするんだけど・・・・・・」瑞樹は的確なツッコミを入れた。いつものおれなら「テメーの責任だろう! テメーが一人で食え、一人で」と瑞樹に続くのだが、今のおれはある一つの現象に心を奪われて、妹を責めるどころかツッコミを入れる余裕すらなかった。
「──なあ一つ聞いていいか?」
「なに禿にぃ?」
「──なんかこれ動いてるですけど」
おれの丼の上に乗っかっている丸揚げにされたイボ蛙は、先ほどから元気よく手足をばたつかせ藻掻いていた。
「──えぇ! 生きているですか」蒼井達の間に衝撃が走る。
「あらあら元気な子ねぇ」妹はそう言うと、おれの隣にやってきて来て、藻掻いているイボ蛙の胸に爪楊枝を突き刺した。
イボ蛙は手足は動かなくなった。
「よし!」妹は一仕事終えたドカタの兄ちゃんのようにおでこの汗を手でぬぐうと「さあ遠慮なく召し上がれ」と言い放った。
「蛙の活け作りなんて喰えるかボケェ!」
「もぅ、ちょっとイボ蛙が生きてたぐらいで怒鳴らないでよ禿にぃ。禿にぃに怒鳴られると、禿にぃに蹴られた背中がズキズキするぅ」
妹は態とらしく背中を撫でた。〝殺してやりたい〟そう思わずいられなかったが、妹に手を出した瞬間、尼亜に瞬殺されるのは間違いなかった。
──仕方が無い。食うか。おれは嫌々ながらも箸を取とると、イボ蛙の丸揚げを口のなかに放り込んだ。
死んだはずのイボ蛙が口のなかで暴れ出した。おれは今すぐにでもイボ蛙を吐き捨てたかったが、妹の魔力がそれを許さなかった。
「うめぇえ! 口のなかで死んだはずのイボ蛙がピョンピョンと跳びはねる他の料理には絶対あにりえなない斬新な感覚! これは料理の革命やでぇ!」
おれは自分でもよくわからない言葉を叫びながら、口のなかで飛び跳ねるイボ蛙を飲み込んだ。