放課後の教室にて
「あの、君はこの間のーーー……」
「ちょ、ちょっ、あの‼」
千鶴がそう言いかけると、男子生徒は焦ったように手の平を千鶴に向け、続きに待ったをかけた。
訝しむ千鶴に、男子生徒は目を逸らして口ごもる。
「えーと……その……」
「ほらー席着けー」
その時ちょうどチャイムが鳴り、四月に赴任してきた若い担任が前の扉から入って来た。
「あ……」
千鶴はそれをチラリと見てから、もどかしげな男子生徒の顔を見る。
他の生徒が席に着くのに紛れ、男子生徒はさっと顔を寄せると、周りには聞こえないほどの小さな声で言った。
「……放課後、教室に」
***
授業が終わり、放課後の教室。
窓の外はすでに紅く染まり、遠くの方はもう紫色で覆われ始めている。
グラウンドでは野球部やサッカー部の声が響き、校舎からは吹奏楽部の楽器の音があちこちで聞こえてくる。
1年1組の教室には、二つの人影があった。
女子生徒と男子生徒。
放課後の教室、日が傾き始めた頃、差し込む夕陽、二人きりの男女。
それだけ想像すると、それはまさしくーーー告白だろう。
しかし、この二人にはそういったムードは皆無と言って良かった。いやむしろ、それとは反対の、何やら張り詰めた空気が漂っている。
「ええと……黒羽くん、だっけ」
「黒羽憂里」
「あ、千駄ヶ谷千鶴です」
今更自己紹介というのも変な話だが、千鶴は深々と頭を下げた。
そんな様子にクスリと笑い、「知ってるよ」と返す憂里。
やはり、彼だ。
髪の色や背格好は元より、この声、笑い方、雰囲気。
目の前にいる一見ただの高校生があの時の彼かと思うと、なんだか不思議な感じがした。
「それで、あの……朝の続きなのだけれど」
憂里の方から話を切り出してきた。
「あ、うん。あの、やっぱり黒羽君が、この前の……?」
「ええっと……まあ、うん。そう」
「そんな簡単に正体明かしちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫ではない。全然ない。けど、千駄ヶ谷さんは誤魔化せない気がしたから」
「な、なるほど……?それであの、聞きたいことがいくつかあるんだけど」
「うん。どうぞ」
千鶴は心なしか背筋を伸ばすと、気になっていたことを尋ねた。
「……"殺さない殺人鬼"って、何?あなたはこの前の男に何をしたの?」
千鶴の質問に憂里は軽く頷くと、人差し指を立てた。
「千駄ヶ谷さんは、"噂"をどこまで知ってる?」
「え……えっと、知らない人にいきなり刃物で身体を刺されるんだけど、何故か被害者は怪我しないとかなんとか……」
「……そう。その刺す人ね、それが俺達」
「……達?」
「ん。正確なことは言えないけど、俺だけじゃない。ほんとはこういうの一般人にはナイショなんだけど、千駄ヶ谷さんにはバレちゃったし……」
「あの、それで男の人を刺したのに何故血が出なかったの?」
あの時の刃は銀色だった。深く深く突き刺したはずの鋭い刃は、血に染まることなく美しかった。
憂里はああ、と頷くと、
「あのナイフは、正確に言うと、ナイフの役割を果たさない」
そう言って突然、ブレザーのポケットに右手を滑り込ませた。
そうして取り出したのは、昨晩見た、あのナイフだった。
「……これは、"あの瞬間"しかナイフにならない。普段は使っても何も切れないんだ」