明日へ
これにて第一部完結です!
あの日から1週間が経ち、憂里たちは再び、日常へと戻っていた。ここしばらくは平和な日々が続いている。街中では相変わらずちらほらと”影”が姿を現しているが、それも担当区域の退治人が十分に対処できる範囲内だった。そのため大きな事件などもなく、憂里や千鶴は、久しぶりの平穏を噛み締めていた。
そんな夏の日の朝。
「おはよ、千駄ヶ谷さん」
「黒羽君。おはよう」
通学路を歩いていた千鶴に、後ろから憂里が追いついて挨拶をした。二人は並んで歩き出す。
「昨日も任務だったの?眠そう」
「んー。夜のね。まぁ見回り程度だけど、寝不足かも」
憂里はそう言って欠伸をした。
そんな憂里を見て千鶴は小さく笑い、それからふと真面目な表情になって言った。
「あの日から、なんだか街が少し静かになったような気がする」
あの日。
一連の”影”暴走事件の犯人であり、また自身もどす黒い”影”を纏った甲斐と対峙した日。
あれから本部に連行された甲斐がどういった処分を受けたのか、千鶴に詳しいことは知らされていない。”見える”体質で捜査に協力してきたとは言え、千鶴は本部とは正式な関わりはない。部外者という扱いをされても仕方がなかった。
しかし、事件の収束から3日後くらいに楓の事務所に立ち寄った際、僅かだがその後の情報を耳にした。
それは、甲斐は予め辞表を提出していたということ。これは憂里たちと対峙した次の日に、警察署と桂木、中津川の元へと届くようにしてあったらしい。
辞表に書かれていた理由としては、一身上の都合ということだが、桂木や中津川は納得しないだろう。それでも、警察側としては一応本人と連絡がついたということで行方不明扱いではなくなった。
退治人が属する本部と警察とは、上層部しか繋がっていない。そのため、桂木達に甲斐の本当の事実を伝えられることはないのだった。
楓によると、しばらくしてから桂木が事務所に訪ねてきたらしい。
桂木にしては珍しく、あの絶対的な勘によって導きだされた答えについては何も言わなかった。しかし、出されたお茶を静かに啜って、
「僕の考えはよく当たる。それは相手が何も言わなくても、なんとなく頭に浮かぶ。だから甲斐君が姿を消したことも、理由があるってことはわかっていた。……だけど、そんなことを差し置いて、甲斐君には僕を一人の上司として相談して欲しかったなぁ」
ぽつりと、寂しげに言ったのだという。
また、楓は中津川とも会ったと言っていた。甲斐の後輩である中津川も、自身の先輩が行方不明から突然の退職という事態に、納得してはいなかった。彼もまたどうして自分に何も教えてくれなかったのだということを憤り、悩み、悲しんでいた。
そんな姿を見た楓は、やりきれない感情を抱いた。真実を知る者として、教えてやれることはある。しかし、退治人と一般の人間では見えない壁のようなものが存在する。普通の人々には理解できないようなことが、此方側にはあるのだ。
そのため、楓から言えることは何もなかった。それは憂里も、千鶴も同じだった。
憂里は遠くを見ながら言った。
「一連の暴走事件の犯人が甲斐さんだということはわかった。けど、根本的なことはまだ解決してないんだよね」
今回判明したのは、あくまで”影”が暴走した事件のみである。しかし、そのほかに甲斐が示唆していた「蟲型を操る相手」のことはまだ不明である。
千鶴が怪我をしたことなど、実際に被害を被ったのはこの蟲型の件である。ある意味甲斐の事件以上に重要であり、その捜査もしなければならない。
「誰が何のために蟲型を寄越したのか……それをこれから探っていかないとね」
憂里は軽く溜息をついた。
それから不意に、思い出したかのように言う。
「しかし……もうすぐ夏休みか」
「そうだね。黒羽君たちに出会ってからもう3ヶ月も経ったんだ」
「あぁ。長いような、あっという間だったような……何か変な感じだ」
「3ヶ月で色々あったなぁ……」
「ほんとそれ。ま、これからも大変になるだろうけどねえ」
そう言って苦笑する憂里に、千鶴は口を開いた。
「私、考えたんだけどね」
「ん?」
不意に立ち止まった千鶴を振り返る憂里。
「私のこの目が”見える”ようになったのは、本当に偶然だと思う。そのせいで嫌なことも怖いこともたくさんあって、何度もなんで私がって思ったの。だけどね、香坂さんのこととか、甲斐さんが私に……私たちに言ったこととか、そういうのを含めて、私にしかできないことがあるはずって改めて思った。まだそれが何か具体的にはわからないけど……それでも、この目を使って、できることを探して行こうと思う」
千鶴は一息にそう言って、照れ臭そうに笑った。朝日に照らされたその表情は、何だか吹っ切れたような、すっきりとした顔だった。
憂里は自然と微笑み、大きく頷いてみせた。
「千駄ヶ谷さんだけじゃなくて、俺と、俺たちと力を合わせて、ね」
「うん。一緒に」
二人は見つめ合って、やがて弾かれたように笑い合った。朝の光に負けないような、朗らかな笑顔だった。
その時、派手な足音がしたと思うと、後ろから声がかかった。
「千鶴ちゃーん!憂里!何してんの!遅れるよー!」
「よーっす憂里!千駄ヶ谷さん!走れ走れ!」
そこには鞄を抱えて走る伊万里と小雪の姿があった。
あっという間に二人に追いつき、肩を叩いて先を追い越す。
「はやくはやく!ホームルーム始まっちゃう!」
急かす伊万里を見て、二人はもう一度笑い合った。
「行こう、千駄ヶ谷さん」
「うん!」
それから二人は並んで走り出した。
初夏の風が、その背中を追いかけるように吹いていった。
空は青く、どこまでも澄んでいる。
もうすぐ、本格的な夏が始まる。
物語はまだまだ続きますが、ひとまずはこれにて第一部完結です!
2013年から連載を始め、亀更新ながらここまでやってこれました。長い間ご覧いただきありがとうございました。




