本音
「あんたじゃないだと?そんなこと、……」
甲斐の言葉に、驚愕の表情を浮かべる憂里。
楓の指示で真崎が監視カメラを調べた結果、一連の事件全てに映っている人物は存在しなかった。
しかし、その中の二つの事件に犯人―――甲斐が映っていたこともあり、憂里はまさか他に犯人がいるとは考えていなかったのだ。
しかし、それは間違っていた。
甲斐は療養中突然の気配を察知し、そこで起きた事件を見て調査していた側なのだから、千鶴を襲った蟲型の件において彼が犯人であるはずがない。
確信していたことが簡単に覆されてしまった。
甲斐は言う。
「君達は蟲型を寄越した犯人はこれまでの事件と一貫して同じ人物だと思っていたようだね。だから君は私を犯人だと思った。だけどそれは違う。私にとって君達は貴重な存在であって、ましてや彼女を傷つける理由なんてないのだから」
そう言われて、憂里には思い当たることがあった。
以前甲斐に拉致された甲斐だったが、その時何も危害を加えられなかった。それは憂里自身も疑問に思っていたことだ。連れてこられる際は無理矢理だったが、そうして接触してきた割には、話を聞き質問をするだけで解放されたのだった。
しかしそれと比べて、蟲型の件はたちが悪い。
明らかに千鶴を狙って攻撃してきているし、そのせいで彼女は実際に怪我までしている。
そうやって考えてみれば、“影”が暴走した事件と蟲型の事件、二つの目的が異なるのは明らかだった。
「じゃあ、他に誰が……」
「そう、そこだ。君達二人が去って行った所を見た私には、さっきも言った偶然の“奇跡”に感激する他に、大きな疑問があった。―――誰が蟲型を寄越したか、だ」
自身がけしかけた相手が暴走したことを察知できる甲斐だが、自分以外の人間が放った蟲型の気配を感じた時は驚いただろう。
だから彼は病院を抜け出してまで現場へ向かった。
「私は独自に調べ始めた。彼女自身を、そして彼女を狙う人物とは誰なのかを」
甲斐のその言葉を聞いて、憂里は尋ねた。
「もしかして……そのためにあなたは姿を消したのか?突然職務を放棄して」
楓や桂木が疑問視していた、甲斐失踪の謎。その原因が、自分達にあるなんて。
すると甲斐はうっすらと笑った。
「そんな大袈裟に言わないでくれ。実際には近くにいて調査をしていただけだったのだから」
「警察官のままで調べればよかったんじゃないのか」
「それは無理だよ。しばらく療養し警官に戻ったはいいが、職務にあたる中では満足に調査もできない。肩書きが邪魔をする。だから私は制服を棄てた。桂木さんのおかげで大事になってしまっていたが、それは仕方がなかった。もはや私にとって警官という姿は必要なくなっていたんだ」
世の中を良くするために警察官になった甲斐。
増幅し続ける“影”を見て失望してもなお、彼の表向きの姿は警察官のままであった。
“影”を助長した末の人間の姿が見たい、という、目的は大きく変わっていたが。
しかし、彼の想いは“影”が溢れる世界で出会った二人の人間を見て変わっていった。
警察官という皮ですら脱いでしまった。
それほど千鶴の、そして千鶴と憂里という二人の存在は、甲斐の興味を惹いたのだ。
「そこまでして、あなたは置いてきた人のことをなんとも思わなかったのか」
「今も言った通り、それらは私の足かせになる。警察官という仕事を続けてきたのも、不純な動機だと君もわかっただろう」
「だからってそんな簡単に……」
切り捨てられるものなのか。
そう言おうとした矢先、それまでずっと黙って話を聞いていた千鶴が不意に口を開いた。
「甲斐さん」
千鶴の方へと視線を向ける甲斐。
「駅前で中津川さんに会いました」
甲斐の肩がピクリと動いた。
憂里も思わず千鶴を見る。
千鶴は甲斐を見つめながら言う。
「あなたのこと、探してましたよ。いなくなったあなたの手がかりがないか、非番の日に街へ出て」
「……」
「今思えば、黒羽君が拉致されていたとき、私が電話で中津川さんの名前を出した瞬間に通話は切れた」
電話口で突然通話が途切れた時、千鶴は単に電話が切れたことだけに違和感を抱いていたが、あの時電話口の向こうにいたのが甲斐だと判明すると、その理由がわかった気がした。
進んで警察官の姿でなくなった甲斐にも、まだ少しの想いが残っているのだ、と。
「あなたのこと、心配している人がいるんでしょう」
すると甲斐は一瞬だけ、懐かしそう表情を見せた。
後輩である中津川の顔を思い出したのだろう。
しかしすぐに無表情へと戻ると、何の温度も感じられない冷たい声でぼそりと呟いた。
「……“影”は私から離れてくれない。今も昔も。それどころか私は“影”を求めている。もうそちら側には、戻れない」
千鶴はその表情を見て思わず黙る。
甲斐に言いたいことはまだたくさんあるような気がしているが、これ以上何も言葉が浮かんでこないのも事実だった。
その時、ずっと沈黙を続けていた憂里の無線に声が入った。
『憂里』
楓の声だった。
『今そっちに向かってる。本部にも連絡済みだ。もう少しで着くから』
感情を押し殺した静かな声が、耳元から聞こえてくる。
「……うん」
憂里はただ一言、返事をした。
甲斐はその様子をじっと見つめている。
無線機の向こうから聞こえるのが、誰からどういった話なのかを理解しているかのように。
「……甲斐さん。あなたにはまだ色々と話を聞かなくちゃならない。もうすぐ俺の仲間が到着するから、悪いけど一緒に来てもらうことになる。逃げるようなら……」
憂里はそう言ってポケットへにあるナイフに触れた。
ところが甲斐は、余裕の表情で微笑み返す。
「そんな物騒なものはしまってくれ。私は逃げたりなどしないよ。心残りはあるが、もう十分満喫したから」
「……心残りとは?」
「君達に教えてあげたかった。本当の敵は誰なのかを」
「そうだ、それが一番大事なことだ。一体誰だったんだ?あなたにはそれを教える義務がある」
「義務?そんなもの」
「あるよ。これだけ俺達を振り回しておいて、関係ない周りの人間を巻き込んで、だんまりは都合が良すぎる。あなたが俺達に期待する“世の中の変化”とやらを望むのならば、それを教えるくらいは造作ないだろ」
「ふむ……憂里君。君の言うことも一理ある。だが申し訳ないのだが、教えられない。教えることができない。奴さんは最後まで尻尾を掴ませてはくれなかったから」
「なんだと?」
「私が力を尽くしても、一番最後までたどり着かなかった」
「最後まで……って」
「言葉通りだよ。だが何もわからなかったわけじゃない。ヒントなら、ある」
「それは……」
何、と尋ねようとしたところで、甲斐は掌を向けてそれを遮った。そして振り返る。
二人も釣られてそちらを見ると、遠くからいくつかの光が近づいて来ていた。
「ゲームオーバーか」
その言葉に憂里と千鶴は顔を見合わせて、そしてまた甲斐を見た。
黒い“影”は、いまだに消えることなく揺らめいていた。




