告げる
「…何が違うというんだ」
香坂は目の前の少女を睨めつけるようにして見た。しかし千鶴は少しも怯まない。なぜなら、自分を見返す男の目に覇気はなく、威圧感などは全くと言って良い程感じられなかったからだ。
そこにあるのは、計り知れない疲労と、絶望。そして悲しみ。
千鶴はその瞳の奥を見つめ、静かに言う。
「私が違うと思うのは、あなたは大切なものを“失った”と言うけれど、実際はまだ、“失っている”最中なのではないでしょうか、ということ」
思わぬ言葉に怪訝な顔をする香坂。
千鶴は構わず続ける。
「変な言い方なのはわかってます。最中、だなんて。すみません。でも、この二つは似てるようで少し違うと思うんです」
千鶴が話す一方で、憂里は足元の砂利を見ながら黙って聞いていた。
千鶴が何を言いたいのか、今の憂里には見当もつかない。
しかし、彼女が意味の無いことは言わないとよくわかっていた。それゆえ、何も口を挟まなかった。
「ええとつまり…つまり私が言いたいのは」
小さく息を吸う。
「あなたは大切なものをまだ完全に失くしてはいないということ」
「…?」
ますます訝しげな顔になる香坂。
彼女の言うことが理解できず、何がなんだかわからないという表情で見つめていた。
その視線を、瞳をまっすぐに見返して、千鶴はおもむろに口を開く。
「だって、本当にそれが失くなる時っていうのは、死んだ時です」
ピクリと、香坂の肩が動いた。
憂里も思わず千鶴の顔を見た。
「大切なものがなくなったから死ぬ、とあなたは言います。でもそれは逆だと思う。死んだらなににもならない。なにも残らない。あなたはもう永遠に家族に会えない。奥さんに、娘さんに触れることはできない。死んだ時こそ、あなたの大切なものを完全に失った時です」
香坂は千鶴の言葉に僅かに動揺し、視線を再び地面へと戻した。
「香坂さん。私にも大切なものがあります。あなたで言う家族や仕事と同じように、かけがえのないもの」
昔、と話を続ける千鶴。
「私にもわからなくなった時期がありました。自分にとって何が大切だったのか。大切なもの、大切な人は何か」
香坂が再び顔を上げる。
その目を見て、千鶴はうっすらと微笑みかけた。わたしも同じ、と。
「わからなくなって、なんだかどうでもよくなってしまって。ここ(・・)にいる意味あるのかなあ、なんて」
それは、時は違えど香坂が感じたものと全く同じと言えるものだった。
香坂と同じ、千鶴の中に生じた感情。
憂里はおそらく彼女が幼少期のーーー“影”が見えるようになったーーーことを話しているのだと悟った。
「あなたはこの世界からいなくなろうとしていましたよね。…こんなこと言っても軽く聞こえるだけでしょうけど、私にもその気持ちがわかる。ただ、私の場合はあなたみたいに決心したのではなく、ただもっと漠然とした感じでしたけど…でもその根源は同じだったと思います」
香坂は驚いた表情で、千鶴に向かって尋ねた。
「…君も死のうとしたのか?死にたい、と思ったのか?」
千鶴はそれには答えない。ただ黙って香坂を見つめ返している。
そして代わりに答えた。
「私は行動に移さなかった。決心していたわけじゃなかったから。さっきも言いましたけど、ただ、漠然と。でも、それでよかったんだと今になって強く思います 。時が経って、私が大切だと思える人たちに出会えたから。それが素直に良かったって思える」
だから、と千鶴は続ける。
「あなたもそう思える日がきっと来ると思うんです。きっとこれから取り返すことが出来る。方法は何にせよ…少なくとも生きている限りは」
それを聞いてなお、香坂は苦しげに言葉を絞り出す。
「そんなの…そんなの、言うだけ簡単だ」
しかし千鶴は少しも怯まない。
確固たる信念があるようだった。
絶対にそうなのだ、という強い想いが。
「でも、言ってみないことには始まりません。人間生きてる限りは何でも出来るはず」
そう言ってまた微笑んだ。
香坂は黙っている。反論でも肯定でもない、彼の言葉に出来ない感情がその表情からうかがえる。彼は千鶴の言葉を深く考えているようだった。
「小娘の言うことだ、と思っているでしょう?私も自分で思ってます。あなたの悲しみは計り知れない。それこそ、私の過去と比べられないほど」
千鶴は目を瞑った。
過去を思い出すかのように。
今、目の前にいる男と重ねるように。
「私が今話したからと言って、あなたから簡単に答えは出ない。納得できないのもわかります。でも…少なくとも私の“目”には見える。見えました」
「…?」
香坂は何のことだと眉を顰めた。
千鶴はそれに対して、にっこりと微笑んだ。
「あなたは大丈夫だっていうこと」
そう言うと、千鶴は振り向いた。
背後にいる憂里へ、声を出さずに伝える。
「(……今なら)」
憂里は瞬時に理解した。
先ほどの千鶴が香坂に投げかけた言葉の意味も。
憂里はその視線を受け、おもむろに千鶴の背後から香坂の前へと歩みを進めた。
ポケットへと右手を入れる。
そして香坂の前で立ち止まると、彼の顔を見て言った。
「一つだけ、聞きたいことがあるんだ」
「…え?」
「あんたに接触した人間はいないか?」
「…接触?」
千鶴の話から一転した突然の質問に、香坂はぽかんとした表情で憂里を見ている。
「最近、知らないやつに話しかけられたりは?」
「いや……ないが」
「よく思い出して」
憂里の圧力に、香坂は黙り込んだ。そして何もわからないまま言われたことに従って必死で記憶を探る。
「…わからない。覚えていない」
考えた末に香坂から出てきた言葉に、憂里は落胆した。
黒いコートの男が“けしかけた”人間は、香坂ではなかったのか、と。
捜査はまた一から振り出しに戻ってしまった。
「…そうか。まあ、しょうがない」
憂里は小さく嘆いて、そして香坂に向き直った。
「あのさ、おれは千駄ヶ谷さんの言うことを信じるよ」
「…は?」
「あんたは大丈夫だってこと」
香坂はまたも困惑した表情になった。が、それは次の瞬間驚きへと変わる。
先ほどの千鶴と同じことを言った憂里が不意にその距離を詰めたかと思うと、右手から銀色に煌くなにかが見えた。
「え」
憂里が振りかざした刃が、深々と香坂のワイシャツ越しに突き刺さったのだ。
目を見開いた香坂は、そのまま地面へ膝を落とした。
引き抜かれる刃。
ーーー刺された?なぜ?この少年は俺を殺しに?
香坂の頭の中に広がる、後悔。
不思議と痛みはない。
ゆっくりと上体が倒れる。
その瞬間、小さく呟いた。
「…陽子…麻里…」
そして地面へと伏した。
目を、瞑った。
久しぶり過ぎて自分自身で内容忘れかけていました。
亀更新ですみません。
読んでくださりありがとうございました。




