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Black Rumor  作者: 東
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追い、逃げる


“影”が、ゆらゆらと揺れている。


男の背中を追う千鶴は、その身体から生じた不気味に蠢く黒い存在を見つめていた。

ーー本当に、生き物みたいだ。

千鶴は改めてそう思った。

それは時折増幅するかのようにぶわりと広がり、そしてまた戻ったりしている。

まるでその人間の感情に反応しているようだった。いや、実際にそうなのかもしれない。


少し前、角を曲がった際にちらりと見えた男の横顔。不安げで、常に何かに怯えているような表情だった。目はギョロリとしてよく動き、落ち着きがない。痩せぎすな身体は今にも折れそうで、纏ったスーツはくたびれていた。

この目の前を歩く男が今何を感じているのかわからないが、男の身体を這う“影”を見るに、それは酷く不安定だった。千鶴自身、何か言いいようのない不安を感じていた。



街は混雑している。

家族連れ、友人、カップル。店頭で声をかける店員。

土曜の昼間は多くの人間で溢ていた。その間を縫うようにして歩く男。そしてやや距離を置いて後を追う千鶴。建物の上には憂里。

男の黒い背中を見失わないよう、千鶴は必死で着いて行った。


今その瞬間にも、視界の所々に小さく見える“影”。

この街に負の感情を抱えた人間は他にもいるのだ。そちらの方をちらりと見やるが、今の千鶴にいちいち気にかけている暇はない。ただそれが増幅しないことを祈りながら、前を向いた。


“上”からは憂里が追っている。万が一見失っても焦ることはない。それよりも、相手に気付かれないようにしなければならない。

最も、この人の多さでは誰かが自分の後に着いてきていても気付かないはずだ。

それでも、千鶴は十分に用心しながら歩みを進めた。



ふと、視界が開けた。狭い歩道から道幅が少し広がったことで、人が分散されたのだ。それでも混雑していることにはかわりない。ちょうど千鶴を追い越していった大学生らしき三人組が雑談をしながら進路を塞いでしまい、同時に男の姿も一時視界から消えた。

焦る千鶴。

その時、前方で大きな声が聞こえた。


「痛ってぇーな!ちゃんと前見て歩けよ!」


辺りに響く怒号。

周囲の人々は何事かと目を向ける。

千鶴も必死で背伸びをして、その方向へと視線をやった。



アスファルトの上に、千鶴らが追っていた男が尻餅をついて座り込んでいた。



そしてその前には、仁王立ちの若者。ジャラジャラとしたアクセサリーをいくつも身につけ、膝の破れたジーンズをだらしなく履いている。

若者は肩を押さえながら、キンキンと声を張り上げた。


「おいオッサン!痛ぇじゃねえか、あ?スマホも落としちまった。どうしてくれんだ」


そう言ってすぐ足元に落ちているスマホを拾い上げる。千鶴の目から見て、幸運なことに画面は割れていないようだ。

しかしサラリーマンの男の鞄は吹っ飛び、あちこちに荷物が散らばっている。男は近くにあった紙をあわててかき集め、背広の内ポケットに入れた。

それを見ていた若者はさらに怒鳴り声を上げる。


「おい!!てめぇの荷物の心配よりまずこっちに謝んのが先だろうがよ!画面に傷付いちまっただろ!」


道を歩く人々は振り返ったりすれ違いざまに視線をやったりするが、誰一人割って入る者はいない。みな遠巻きに二人を眺めている。


若者に“影”はない。おそらくはこういう気性なのだ。

千鶴はやや安心すると共に、スーツ姿のサラリーマンを見やった。

“影”がぶわりと広がっていた。


「す、すみません……」

「はぁ!?」

「すっすみません…だけど、あ、歩きながらスマホをいじってたのは君の方…」

「あぁ!?てめぇ俺が悪いってんのかよ」


若者が詰め寄り、男の胸倉を掴んで引っ立たせた。


「ヒッ」

「おいこれどうしてくれんだよ」


周囲のざわめきは大きくなっていく。しかし依然として、誰も止めに入る人間はない。

千鶴は困惑して、上を見上げた。

無線に向かって話しかける。


「黒羽君、どうしよう…っ」

「千駄ヶ谷さん」


すると、返ってきたのは冷静な声だった。


「千駄ヶ谷さんは男を置いて先に行って。騒ぎには関わっちゃダメだ。顔も隠せないし」

「黒羽君は?」

「後からいく。ここから少し行った道を左に曲がって、まっすぐ進んで。二番目の細い路地を降りていくと高架下に着く。トンネルになっているところ。その辺りにはあまり人が来ないから、そこで待ってて。気を付けて」


憂里の支持に、千鶴は頭の中で整理しつつ、ゆっくりと頷いた。


「あの人はどうするの?」

「大丈夫、つれてく(・・・・)



そう言うと、憂里は千鶴に行くように合図をした。千鶴はそれを見て、人々の隙間を縫って歩き始めた。道が少し開けてからは、小走りに進む。


その後ろ姿を見送ってから、憂里は建物から下を見降ろした。

甲高い声で叫ぶ若者は、今にも暴力を振るいそうな雰囲気であった。サラリーマンの男は手を前に突っ張りながら必死で抵抗している。謝る声と罵倒する声が混ざり合いながら聞こえてくる。


それを見ながら、憂里は黒いパーカーのフードを深くかぶった。

そして、おもむろに建物の屋上の手すりに手をかけると、勢い良く飛び降りた。

ちょうど人のいないスペースに音もなく着地する。近くにいた数人が、突然落ちてきた少年に驚き、身体を引いた。憂里はそんなことを気にもせずにそのまま三歩、助走をつけた。

そして、右足で地面を蹴る。


ふわりと身体を浮かせ、一度足を引くと、全身を使い勢いをつけて前へ繰り出した。


「だからよーーーあぁっ!?」


憂里の渾身の飛び蹴りは、サラリーマン男の胸倉を掴んでいた若者に直撃した。


若者が吹っ飛ぶ。

近くの植木に倒れこみ、細い枝が折れるバキバキ、という音が響いた。

憂里はふわりと着地し、すばやく地面に落ちていたサラリーマンの男の鞄と財布だけ拾うと、呆然と佇む男の腕を掴んで走り出した。


辺りは騒然となっていた。

突然飛び出してきた黒づくめの少年が、ヤンキーを蹴飛ばして逃げた。それも、絡まれていたサラリーマンをつれて。

普段見ることのない光景に、見物人はただただ困惑していた。

吹っ飛ばされた若者は、驚きのあまりしばらくぼんやりとしていたが、ハッと気がつくと慌てて立ち上がり、服に葉っぱをつけながらも拳を振り上げて怒鳴り散らした。


「待ちやがれこのヤロー!!ざっけんな!ぶっ殺してやる!」


物騒な言葉を叫ぶが、そこにもう二人の姿は見えなかった。

後にはサラリーマンが落としていったボールペンだけが転がっていた。



ありがとうございました。

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