刃を振るう
「高校生?こんなとこで何してるの?」
「何って…言わなくてもわかるでしょ?お兄さん」
にっこりと笑って返す伊万里に、男はどぎまぎしながらぎこちなく微笑み、そしてやや安堵したように自ら距離を詰めた。
その姿に威圧感は皆無だが、そこには何か形容し難い嫌な雰囲気があった。勿論本人はそれをわかっていないが、それを直に感じた伊万里は密かに眉を顰めた。
「そ、そうだよね…ねえ、ちょっとこれから、一緒に…どう?きみ可愛いし」
「ん~…いいよ」
男の誘いに、少し悩む素振りを見せてから、無邪気な笑顔を向ける。そしてこれも仕事これも仕事、と心の中で呪文のように呟く。
声をかけた少女が簡単に誘いに乗ってきたことに気を良くした男は、やにさがった笑みで問い掛ける。
「君…名前は?いくつ?」
「マリ。17歳。お兄さんは、よくこういうとこ来るの?」
「えっ?い、いや、たまたま…だよ」
偽名を使った伊万里の直球な質問に、男はあきらかに動揺する。
一方で伊万里は嘘つけ、と言ってやりたい気持ちでいっぱいだったが、これは仕事である。自分を隠し、偽らなくてはならない。
「あっちにいい場所があるの」
伊万里は頭の中から余計な考えを抹消し、その場からやや遠くにある薄緑色の裏寂れた建物を指差した。
その建物の屋上には、恐らく京馬が待機している。
そのことを、そしてそれから起こるであろうことを想像もしない男は、何も怪しむことはせずに快諾した。
伊万里は聞こえないように御愁傷様、と呟いた。
共に連れ立って歩きながら、さりげなく男を観察する。
伊万里に対して様々なくだらない質問を投げかけるその最中も、男の濁った眼球は落ち着かない。
ジロジロと伊万里を眺めていたかと思うと、目が合った瞬間すぐに逸らす。額には薄っすらと汗をかき、常に指の爪をいじっている。
伊万里は冷静に分析する。
伊万里は特に意味をなさない質問に適当に答えつつも、目的地を前にその方法を考えていた。
やがて一つの答えにたどり着く。
逆上させるのが一番。
***
様々な建物がひしめき合う路地を数百メートル歩き、角の通りを曲がると、先ほど伊万里が指差した建物に行き当たった。
ぶら下がった看板の文字は何が書いてあるのか読み取れないほどにぼやけ、薄緑色をした外壁の塗装も剥げ落ちていた。
薄汚れたその四階建てのビルは、今は既に使われていない。
「ねえ、お兄さん」
伊万里は立ち止まり、一歩前にいる男の背中に声をかけた。
振り返った男は困惑していた。
寂れた建物を前にして、想像していたものと違ったのだろう。
「ここって…」
「お兄さんさぁ…いつもこういうことしてるの?」
「…へ?」
男は虚をつかれて、ぽかんと間抜けな顔になった。
伊万里は意識して冷ややかな視線を投げかける。
「だからさ、こうやって、昼間から女の子に声かけてるの?」
「は?えっ…いや、」
あからさまに狼狽するその姿に、伊万里は突き放したようにさらに言葉を続ける。
「あのさ、こんな誘いに着いて行く子ばっかりだとか思わない方がいいよ」
男はその言葉を聞いて、一瞬のうちに顔を赤くした。それは羞恥と怒りがない交ぜになった表情だった。
「お、お前、騙したな…っ!」
「お金もなにも取ってないのに、騙しただなんて何言ってんのよ」
あくまで伊万里は冷静に返す。
反対に男の顔はどんどん赤くなり歪んでいく。
「そもそも声をかけてきたのはそっちだし、私はついてきただけ。でもやっぱりやーめた。期待した?ごめんね」
うっすらと微笑すら浮かべながら、伊万里は男を挑発する。
「お、お前…本当はずっと俺を笑ってたんだろ…」
男は俯きがちにそう言った。
注意していないと聞き取れない声。
肩が小刻みに揺れている。
「な…んだよ!なんなんだよ!!」
男は顔を上げ、唾を飛ばしながら怒鳴った。
姿勢は前のめりになり、伊万里は体を引いた。
握ったこぶしが震えている。
顔を真っ赤にして叫ぶ男に、伊万里は溜息をつきたい気分だった。
「こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって…」
すると男はおもむろにジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
伊万里はそれを見て、静かにゆっくりと一歩後ろに距離を取る。
「その目でわかるんだよ…人のこと馬鹿にしやがって…くそっ」
ぶつぶつと呟く男は伊万里を睨み付けている。
「どいつもこいつも俺をゴミみたいな目で見るんだ!さっきのお前みたいに!」
そう言って男はポケットに入れていた右手を抜いた。取り出したのは、錆び付いたカッターナイフ。
それが決定打だった。
「…馬鹿」
伊万里は一言そう呟いた。
男の耳にはおろか、それは誰にも届かない小さな声だった。
それから伊万里は、突如ビルの屋上を見上げ、叫んだ。
「師匠ーーっ!!」
そこから、影が落ちてきた。
***
男は伊万里の突然の行動に一瞬驚いたような顔をしたが、それでも奇声を上げながら踏み出した。そして刃を持った右手を振り下ろす。
ブンッ、と空気を切る鈍い音がした。
その刃先を上体を反らせてぎりぎりの位置で躱しつつ、伊万里は同時に上へと手を伸ばす。そしてちょうど真上に落ちてきた、細長く黒い布に巻かれたものを空中で掴んだ。
その瞬間に素早く屈んで姿勢を低くすると、手に持った黒い布の上部で結ばれた紐をほどき、勢いよく剥ぎ取った。
現れたのは、同じく黒い鞘に収まった日本刀だった。
「村正」
伊万里は立ち上がりながら、日本刀の存在に驚き身を引いた男に構わず抜刀した。その刃は銀色に輝き、伊万里の瞳を映している。
対峙した男の目が見開かれる。
「なっ…なんでそんなもんっ、持って…」
男は数歩後ろへ下がった。驚きと恐怖で身体が震えているのがわかる。
ーーー単純なやつ。
伊万里は心の中で呟いた。
「あんたみたいな奴がいるから」
「へっ…?」
男は完全に腰が抜け、地面にへたり込んでいる。しかしこの後に及んでその手に持ったナイフは離していない。
「一つ聞きたいことがあるの」
「ひっ…」
伊万里は男ににじり寄った。
「あなたがこうなったのは、誰かのせい?」
「は、はぁ?なにわけわからないこと言って」
「質問を変える。あなたに接触してきた人間はいなかった?」
「な…なんだよそれ。誰もいねえよ…っ」
「んーーー…ハズレか」
伊万里は残念そうに呟く。
そして、手に持った刀を一振りする。男は途端に震え上がり、なんとか助かろうと懇願し始めた。
「な、なあ、お、おお俺が悪かったって…だから」
「だから?良い機会だよ、皮肉なことたけど」
「やめてくれ…死にたくない」
「違う。私はあなたを救うの。このままだったらあなた、逆に死んでたかもしれない」
このまま“影”に取り込まれていたら、暴走した結果どうなるかはわからない。
もしかしたら最悪の事態になっていたかもしれないのだ。それはこの男本人も、そして周りの一般市民も。濃すぎる”影”は人間の自我を飲み込む。
「だから安心していいよ」
伊万里は男に一歩近付いた。
男は恐怖で完全に動けないでいる。
「これからはちゃんと生きられるといいけど」
「や、やめーーーー」
伊万里はその銀色の刃を振るった。
***
「どうだ真崎」
耳に手をあて、京馬は事務所で待機している真崎へとそう問いかけた。
『…駄目です、京馬さん』
無線の向こうで、真崎は悔しそうにそう言った。
『他の人物の気配はありません。カメラを確認しましたが、黒コートの男の姿は見当たらず』
「…そうか。こっちはハズレだ。あちら側へ移動する」
『お願いします。お気をつけて』
無線を切ると、京馬は屋上から真下を見降ろした。そこには栗色の長髪を靡かせる少女が一人佇む。
「…おい。移動だ」
伊万里は顔を上げた。
そしておもむろに刀を鞘に収め、傍らに落ちていた布袋を巻きつける。
「…師匠」
「あ?」
「ナイスパス」
「誰に言ってんだ。さっさと行くぞ。そいつは置いてけ」
「了解」
伊万里はそれから男を一瞥すると、何も言わずに通りに出た。
地面を蹴り、廃屋の外階段の手すりを掴む。身体を捻り、踊り場へ着地すると、さらに上の屋上へと跳んだ。
待っていた京馬と合流し、二人は今いる反対側の区域へと急いだ。
「千鶴ちゃんたち、大丈夫かな」
「なんとかすんだろ。恐らくあいつらの方がビンゴだ。きっと奴が現れるはず」
「やっぱりそっか…早く行かないと危ない」
「あっちは鷹条も見てる。無駄な心配すんな」
「そうは言っても…ってか仕事の最中、人が全然いなかったんだけど…なんでですかね」
「鷹条がなんかやったんだろ。大方、人払いでもしたんだろうな」
「?」
「…いや。とっとと行くぞ」
「はい」
伊万里は遠く反対方面にいるであろう千鶴と憂里のことを想い、拳を強く握った。
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