追跡中
あっという間に9月ですね。
土曜。
駅前の繁華街は喧騒に包まれていた。ちょうど昼時というせいでもあるからか、そこでは多くの人が行き交っている。
Tシャツの上に薄手のパーカーを羽織り、下は動きやすいようショートパンツという出で立ちの千鶴は、右耳にはめた無線に短く告げた。
『追跡を開始します』
そしてそのまま、ちらりと上を見た。
三階建てのビルの屋上から、黒いズボンに黒いパーカーを着た憂里が下を覗き込むようにしてこちらを見ていた。千鶴と目が合うと小さく頷き、手すりに手を掛ける。
千鶴と憂里は、互いにコンタクトを取ると今度は前を向いた。
二人の目線の先には、一人の男。
見るからに暑そうな紺色のスーツ姿の、痩身痩躯の四十代と思しき中年男。片手に鞄を持ち、男はゆっくりと歩を進めていく。だがどこかふわふわと落ち着かない様子で、心ここにあらずといった感じだ。
千鶴はその数メートル後ろを同じようにゆっくりと歩き、また、憂里は上から屋根や屋上伝いに追って行った。普通の人間よりも優れた運動能力を持つ退治人の能力を存分に活かした追跡方法である。
二人が追っている人物は、千鶴がマークした、暴走しそうな人物ーーーつまり「重要人物」であった。
憂里を拉致した、また今までの“影”暴走の事件に深く関わっているとされる黒いコートの男を探し出すために千鶴が提案した方法が採用され、次にその詳しい作戦を決めることになった。
楓が考えたのは、あらかじめ数日間で千鶴の「目」を使って“影”が強くなり暴走しそうな重要人物をピックアップし、その後チームに分かれてその人物を監視・追跡し、最終的にわざと暴走させる。もしその人物に黒いコートの男が何らかの形で関わっていた場合、男は自分がけしかけた相手が暴走したということを感知し、あわよくばその場に現れるかもしれないという考えだ。
そして数日間使って千鶴があぶり出した重要人物は二人。
現在、千鶴・憂里ペア、京馬・伊万里ペアがそれぞれ別の場所に分かれて追跡をしている。楓と真崎は事務所で待機し、二つのグループと通信している。
一方で、京馬と伊万里は、憂里らとは駅を挟んで反対側の通りにいた。
京馬はビルの外階段の手すりに立ち、伊万里は少し離れた歩道橋の欄干に座っていた。
地上では、今まさに向こうから対象がやってくるところだった。
その人物は、背の低い小太りの男だ。きょろきょろとよく動く目だけがいやに鋭く、引結んだ口元から神経質そうな印象を受ける。数日間の調査によると、この男は定職に就かず、毎日駅前の辺りをふらふらとしている。男がいつも歩くこの界隈はいかがわしい店が続いているため、数日前の調査の最中、伊万里は幾度も露骨に顔を顰めたのだった。
ふいに、京馬は耳にはめた無線から、伊万里へと質問を投げかけた。
「…おい伊万里、お前なんで制服なんだ」
「へ?だって勝負服と言えば制服でしょう。それにああいう奴らって、制服、好きそうだし」
「…ヘタに刺激すんなよ」
「何言ってんですか師匠、今日は私たち、刺激するのが仕事ですよ」
「主にお前がな」
「ちゃんと助けて下さいよ?」
「ああ。いざとなったらお前ごと斬るから問題ない」
「うわひでえ」
そうやって軽口を叩きながらも、二人の視線はしっかりと対象を追っていた。
「対象が通りに入った。行け」
「りょーかいっ」
***
男がいつもの路地を通ることを確認し、京馬は手すりを蹴った。同時に伊万里もスカートを翻し、男を先回りするべく別の細い路地へと入って行った。
先回りした路地で待ち伏せる伊万里は、対象を視界の端に捉えた。
「…うーん」
伊万里はぼそりと呟いた。
数日前の調査の結果、この男が“影”を纏っていることが判明し、そしてそれは暴走する危険性がかなり高かった。“影”を見ればわかる。なにが原因かはわからないが、負の感情がぎりぎりまで高ぶっており、まさにパンク寸前といった状態だ。
ここ数日、伊万里がこの男の同行を探っていて感じたのは嫌悪感の他ならなかった。
本来伊万里たち高校生が行き来して良いような場所ではないこの界隈に、男は入り浸っているのだ。
「めんどくさそうな相手だよなぁ」
伊万里らはほとんど毎日、こそこそと店に入る男をしっかりと確認していた。
臆病で、それでいていざとなると周りが見えなくなる危ないタイプ。
ヘタに刺激するなと京馬は言ったが、暴走してくれた方がやりやすい。今は昼間であり、千鶴を除いた面々には男の“影”が見えていないが、事前の調査でこの男が“影”を纏っているのは確認済みなため、生身の人間かもしれないと心配する必要はないのだ。
この男を刺激することで、憂里を拉致し、今までの“影”による数々の事件に関わっているとされる黒いコートの男が現れてくれれば良いが、その確率は今のところ二分の一だ。
もっとも、黒いコートの男が対象の二名に関わっていることを前提としている数値なのだが。
「…さて」
伊万里は制服の赤いリボンの向きを直すと、スカートの埃を払った。靴下の位置を調整し、ローファーのつま先で地面をとんとんと蹴る。
今この瞬間も、京馬がうんざりした顔をしているのは見なくてもわかっていた。
師匠は随分過保護だな、と伊万里は内心呟く。
それでも、やらなければならない。
それは退治人としての役割であり、使命であった。それは京馬も伊万里も理解していることだ。
「よっし」
男が接近してきている。伊万里は離れた場所にいる京馬に向かって、無線を通してそっと囁いた。
「…行きます」
***
耳から入ってきた無線を聞いて、短く「了解」とだけ返した。
京馬は口にくわえたタバコをもみ消し、吸い殻を携帯灰皿へと落とした。
煙を吐き出したが、それには別のものも混ざっていた。
溜息。
そんなものを吐き出していることに、京馬は自分自身で苛ついていた。
京馬としては、こういった仕事をするのも任務の一つとして割り切っているつもりだ。しかし、実際にはそこまで気持ちを切り離すことが出来ていないと自分でもわかる。
ーーー俺も随分と甘い。
三階建てビルの屋上から通りを見下ろす。
少し離れた場所で、制服姿のまま一人歩く伊万里の後ろからだらしのない風体の男が近付いていくのが見えた。遠くからでもわかるほどにその目は狂気と欲望に満ちており、京馬は舌打ちをする。
勿論伊万里はその存在に気付いている。二人は男が声をかけてくることを念頭に置いて作戦をたてていた。
しばらくして、男が伊万里に追いついた。
いや、伊万里が男に追いつかせた。
肩を叩かれた伊万里はわざとらしく振り向いて、無邪気な笑顔を向けている。しばらく何か話した後、やがて二人は歩き出した。昼間の明るい、薄汚れた路地で、その組み合わせは異様なようで違和感がないようにも見える。
もう一本先の細い路地。二人の決めた地点はそこだった。
京馬は移動するために柵を乗り越えた。見下ろす路地に人通りは少ない。これなら、多少派手にやっても大丈夫そうだ。
ぬるい風が吹いて、髪を揺らす。京馬は何にともなく呟いた。無線は切ってあった。
「…クソッタレ」
***
食いついた。
伊万里は背中に感じる視線と足音に、そう確信していた。
あと7歩。男が近付いてくる距離。
数日前、千鶴を含めた面々で、真崎が絞った範囲を捜査していた時のこと。
“影”を纏った、それも暴走しそうなほど危険な人物はいないかを探すべく、夜な夜な繁華街をうろつく人々を虱潰しに確認していた。
そこで浮上した危険人物の二人のうち、伊万里たちが担当することになったのはあの男だ。
そして、男に対する作戦を最初に提案したのは伊万里だった。
この男がいかがわしい界隈に現れるならば、それを利用しない手はない。
伊万里はそう言って、自分が囮になることを選んだ。か弱い女子高生を演じて、男をおびき寄せ、暴走させる。
千鶴には告げていない。心配することはわかっていたからだ。知っているのは、楓と真崎、そして京馬。
危険が伴うその作戦に、京馬は反対しなかった。ただ、暫くの間無言でタバコをふかし、それから一言だけ発した。
それでいく、と。
彼は多くを語らない。しかし、長年共にいる伊万里は京馬という男のことは大体わかっていた。
だからお互い、何も言わない。
やると言えば、やる。それだけ。
「ねえ、君」
粘着質な声。
振り返ると、やはりそこにあの男がいた。背が低く、小太りの男。目だけが変に鋭い。見るからに陰鬱な雰囲気を纏っている。
「なんですか?」
そう言って笑顔で返す。
警戒など知らないかのような、それでいて自分が何のために呼ばれたのか、しっかりとわかっている様子で。
さあ、仕事だ。
伊万里は心の中で、呟いた。
時が経つのが早過ぎる…!いつも更新が遅くなり申し訳ありません。今回も読んで下さりありがとうございました。




