見えない敵
しばらく空いてしまいました。
割と長め。
「あ、ごめん伊万里ちゃん、ちょっと待って、電話だ」
「ん?誰?」
「えーと…鷹条さんだ」
学校からの帰り道を伊万里と二人で歩いていた千鶴は、ポケットで振動する携帯に気付いて歩みを止めた。
伊万里に断ってから、ボタンを押して耳にあてる。
「はい、もしもし」
『千鶴か?そこに憂里いないか?』
「黒羽君?今は一緒にいませんよ」
『そうか…さっきからずっとかけてんのに電話出ねぇんだよ』
「私たち今日は先に帰ってきたので…」
『…そうか。悪ぃな、わかった』
「はい。それじゃ」
早々に電話を切った千鶴は、難しい顔で通話の終了した画面を見つめる。
「なんだって?」
「…なんか黒羽君に電話繋がらないから居場所知らないかって」
「ありゃ?どうしたんだろ。まーた何か首突っ込んでんのかね」
「うーん…危ないことしてないといいけど」
そんな会話をしながら再び歩き始めた千鶴と伊万里。そしてそのまましばらく行った曲がり角で、二人は同時に立ち止まった。
「じゃあ千鶴ちゃん、また明日ね」
「うん。またね」
この曲がり角から先は、互いに別々の方向になる。
笑顔で手を振り、それぞれの家路へと向かうために歩き出した。
***
繁華街は相変わらずの喧騒に包まれており、伊万里と別れて一人歩いていた千鶴は思わず顔を顰めた。
夕方の時間帯、そこは多くの人で溢れかえっている。スーツ姿のサラリーマンもいれば千鶴のように制服を着た学生や、この界隈の治安を取り締まる警察官の姿も見える。
そしてその大勢の中にちらほらと見える、黒い”影”。危険を感じるほどでは無いにしても、千鶴からしてみれば視界に入ってしまう分、余計に気になってしまう。今はまだ脅威ではないが、いずれこの”影”が増幅し、その人間の自我を乗っ取ることも考えられる。
しかし、今の時点で千鶴一人では何も出来ないという点も確かである。
千鶴はもやもやとした気分のまま、ため息混じりに何気無くポケットに手を入れ手元の携帯を確かめた。
楓からの着信があった以降は、携帯は鳴らない。
憂里のことが気にかかり、千鶴は数秒間画面を見つめて考えてから、メールの画面を開いた。宛先に「黒羽憂里」とあるのを確認して、本文を打ち始める。
ーー『黒羽君、今どこにい』
ドン。
そこまで打った時、千鶴の体が何かにぶつかった。
「ぅわっ…すいません」
下を向いて歩いていたため前にいた通行人にぶつかったと思った千鶴は、慌てて顔を上げて謝った。
「こちらこそ申し訳ない。大丈夫?」
そう言ったのは、目の前に立つ若い男だった。白いシャツに薄手のカーディガンを引っ掛け、グレーのパンツを身に纏った、幼さの残る男性。
「でも歩きスマホは危ないからやめようね」
最もな指摘をする男性を見て、千鶴は思わずポツリと呟いた。
「…中津川さん…」
その男は、”影”の暴走による「警察官負傷事件」の被害者の一人、中津川浩だった。
私服でいる所を見ると、今日は非番なのだろう。
当の中津川は、キョトンとした表情で首を傾げた。
「えっと…前に会ったことが?」
「あっいえ!えーっと…」
千鶴は中津川に直接会ったことは無かったが、楓から写真で見せてもらっていたために顔は知っていた。
しかし当然相手は千鶴のことなど知らないため、困惑するのは当然である。
上手い言い訳が思いつかずに、千鶴はとりあえず楓の名前を出した。
「あの…私、鷹条さんの知り合いで」
誤魔化すために何気無く言った言葉だが、中津川には効いたようだ。
驚いたような表情で、
「え!鷹条さんの?そうなんだ、僕もあの方にはとてもお世話になっていて」
「あ、はあ…」
「桂木さんから聞かされていたけど、やっぱり凄い人だよなぁ。あ、桂木さんっていうのは」
「あ…桂木さんも一応お会いしたことはあります」
「えっ!桂木さんまで?君、何者?」
一方的に続けられる会話とおよそ警察官らしからぬテンションに、千鶴は呆気にとられていた。
「そうだ君、名前は?」
「…千駄ヶ谷千鶴です。あの、中津川さん、今日は何をしているんですか?お仕事はお休みですか?」
「ん?あぁそう、今日は非番なんだ。それでちょっと…」
「?どうしたんですか?」
突然中津川が口ごもったため、千鶴は尋ねた。
すると中津川は眉毛を下げ、心なしか落ち込んだような表情で言った。
「僕の上司がね、今ちょっと行方不明なんだ。だから何か手掛かりが無いか捜しにーー…って僕は初対面の子に何て話をしているんだろうね」
そう言って恥ずかしそうに笑う中津川。
彼の上司ーー甲斐が行方不明なのは楓から聞いていたし、そのために楓は中津川に聞き込みにも行っていた。失踪した理由はまだ分かっていないが、信頼する上司の行方を捜すのに休日も関係無く動く中津川を見て千鶴は少し胸が痛んだ。
「見つかるといいですね」
「うん、そうだね。ーーそれじゃ、僕はもう行くよ。気をつけてね」
「はい。それじゃあ」
ぺこりと頭を下げる。
中津川は笑顔で右手を上げると、そのまま道なりに真っ直ぐ歩いて行った。
千鶴はその後ろ姿を見送ってから、打ちかけだったメール画面を開いて、今度は道の端に寄って立ち止まってから続きを打った。
『黒羽君、今どこにいるの?』
***
「う……?」
呻き声と共に、少年は目を開けた。
自身の置かれた状況を考え、理解し、驚く。
(なんでこんなことに…?)
椅子の上に座らされた少年ーー憂里は、両手を後ろで縛られていた。
視界が真っ暗なことから、目隠しもされているらしい。
周囲で物音はしない。しかしそこに人の気配を感じ取り、憂里は身を固くさせる。
「起きたかい?」
それは男の声だった。
その後に、コツコツと床を歩く足音が響く。ーー正面。
「手荒なマネをして申し訳ない」
男は落ち着いた様子でそう話しかけた。まったく悪びれる様子は無い。
「…あんた誰」
憂里は目隠しをされたまま、正面から聞こえる声に向かってそう言った。
「それを言えないからこうしているんだろう」
こうして、というのは憂里の視界を奪っていることだろう。
「もう少し穏便にいきたかったんだが、抵抗されても面倒だったしな。まあこちらとしても君に何をするってわけじゃないから安心したまえ」
こんな状況で安心できるか!と憂里は心の中で突っ込むが、それを口には出さない。
「ここはどこ」
「教えられない。けど君を攫った場所から少し離れた所」
「なんのためにこんなこと」
「それを今から言おうとしてたんだよ」
男は一歩憂里に近付いた。
気配からして、すぐ目の前にいることがわかる。
そしてしゃがみ込んだ音がした。
憂里の顔を覗き込むようにしているのだろう。
男は口を開いた。
「君に聞きたいことがあってね」
「…?」
「麻木君は暴走したんだってね」
「!!!」
男の口から飛び出した、耳慣れた名前。つい昨日の出来事が鮮やかに蘇る。
「麻木ってあんた…奴の仲間…?」
憂里は一つ一つ確認するように尋ねた。
「仲間?」
しかし男は笑い混じりに言った。
「それは違う。ただ、仕事を与えただけだ」
「仕事…?」
「そう。それなのに勝手に暴走した。”そっち側”に捕まったのは奴の自業自得だね」
「何の仕事を与えたんだ」
憂里は情報を引き出そうと必死に尋ねる。男の話はまるで何のことか見当もつかない。
男は立ち上がったようで、コツ、と足音がした。一歩離れて、憂里に背を向ける。
「監視…というべきかな」
「監視?一体誰の…」
男は振り向くと、はっきりと言った。
「千駄ヶ谷千鶴」
読んで下さりありがとうございました!




