変わりゆく朝
お久しぶりです。話がなかなか進まないですが、新章に入ったつもりです。
午前8時25分。
千鶴は教室で自分の席に座り、一時間目の授業の準備をしながら小さく欠伸をした。
教科書を読みもしないのにパラパラとめくり、目の端に溜まった涙を拭う。
そしてぼんやりと、昨日のことを思い出していた。
担任である麻木が”敵”であることが発覚し、憂里と千鶴は一時は窮地に陥るも、楓や京馬のおかげで無事切り抜けることができた。麻木を連れて行った三代とは話をしていないため、麻木がどうなったかは今の千鶴は知り得なかった。
昨日、学校を出た五人は正門で立ち止まると、楓は憂里に、京馬は伊万里に、それぞれ千鶴を送って行くように命じた。断ろうとした千鶴だったが二人とも聞く耳を持たず、結局三人で肩を並べて千鶴の家に向かった。
その後の楓と京馬がどうしたかは千鶴にはわからないが、恐らく楓の事務所で話をしたのだろう。いつもそうだ。何かが起こる度、あの二人はよくそうしている。何も起こらなくてもそうなのかもしれない。
ーーー何だかんだ言って、仲がいいよなぁ。
千鶴は二人の姿を思い浮かべながらそう思った。
「千鶴ちゃん!おはよう!」
思考に耽っていた千鶴を現実世界に引き戻したのは、頭上から降ってきた明るい声だった。
「伊万里ちゃん」
千鶴の顔を覗き込むようにして笑う伊万里。栗色の長い髪が動きに合わせて揺れる。
「おはよう。今日は間に合ったんだね」
「もち!そんな毎日ギリギリなわけじゃないよ~」
歌うように返事をしながらくるりと回り、よっ、と千鶴の机に屈み込んで両肘をつくと、伊万里は柔らかく微笑んだ。
「千鶴ちゃんは?ちゃんと眠れた?」
「うん。ばっちり」
伊万里の気遣いに、千鶴は心がほっとするのを感じながらそう答えた。
眠気を必死に堪えながら。
「そっか。それはよかった」
にっこりと頷いた伊万里。
するとその時、教室の前から騒がしい声が聞こえた。
「あっぶねー!セーフ!」
「…ちょっと。なんで俺まで走らされたの」
「えー?だってお前がチンタラ歩いてるからだろ」
「朝から走る人なんていないでしょ」
「ったくやる気ねぇなぁ相変わらず」
「浅井君のテンションと一緒にしないで」
「うわつれねぇ」
心なしか不機嫌なオーラを滲ませる憂里と、やはりいつもと変わらない小雪だった。
二人は教室を入ってすぐの所で言い争っている。二人共髪が少し乱れているのは、予鈴のチャイムに間に合うように走ってきたからだろう。
そんな二人の様子を見ていた千鶴と伊万里は、目を見合わせてやれやれと首を振った。
と、ちょうどその時、チャイムと共に中年の男が教室に入ってきた。
「ほら座れー!ほらほら」
突然現れた男に、教室内はざわざわとしながらも生徒は皆席についた。
ぽっこりと出た腹部にだいぶ薄くなった頭部が特徴の中年の男は、持っていた出席簿で教卓をトントンと叩きながら教室内を見回すと、全員いることを確認してから口を開いた。
「えー、お前らのクラスの担任の麻木先生だが、急なことで学校に来られなくなった。ご家庭の都合らしい。ので今日から新しい担任が決まるまでは学年主任である俺が担当することになった」
その瞬間、一気にざわめく教室。
「え、麻木先生が?」
「いきなり過ぎない?」
「家庭の都合って先生結婚してたの?それとも親とかの?」
「まだ三ヶ月しか経ってないのにー」
「ノムセンが担任かよ」
好き勝手に憶測し始める生徒達。
「おい今聞こえたぞ~誰だ」
最後に聞こえたノムセン、という言葉に反応した教師。
誰だと言いながらも視線は一点に定まっている。
小雪の席だ。
「あ、え~と、野村先生が担任って…ずっと?決まるまで?いつ決まるの?新しい担任」
「浅井。敬語を使えこの馬鹿者」
「すんませーん」
野村と呼ばれた教師は、そのでっぷりとした身体を教壇の上に置かれたパイプ椅子に預けた。嫌な音がして椅子が軋む。
「いつになるかはわからん。何せ急なことだったんでな。まあいいや、んじゃあとりあえず出席取ってくから。返事しろよ」
そう言ってから名前を呼んでいく。
その間千鶴と伊万里は顔を見合わせ、それから二人してちらりと憂里を見た。二人の視線を受けた憂里は、眉に皺を寄せながら「そういうことでしょ」と言うように無言で肩を竦めた。
***
放課後。
部活動に向かう生徒達に紛れて、憂里は鞄を持って席を立ち、小雪にまた明日と告げてから教室を出た。すでに教室から千鶴と伊万里の姿はない。つい先ほど、じゃあね、と手を振っていた二人を思い出す。
階段を降り、一階の昇降口で靴を履き替えた。砂利の敷き詰められた正門までの道のりをてくてく歩く。
憂里がそのまま向かうのは、楓の事務所だ。昨日の件がどうなったかを尋ねるためだ。
ちょうど正門に着き、先に楓に連絡を入れておこうと考えた憂里が携帯を手にした瞬間。
図ったように手元のそれが振動した。
「うわっ」
突然のことに驚いた憂里は、勢い余って携帯を落としてしまった。
手のひらから滑り落ちて、カシャンという音と共に地面に叩きつけられた携帯は、憂里の足元に転がった。
「あ〜…もう」
苦い顔で悪態をついて、憂里は上半身を屈めて地面に落ちた携帯を拾おうと手を伸ばす。
それを掴んだ時、ある音と共に目の前に影が落ちた。
「?」
それはブレーキ音だった。
顔を上げた憂里の前には、黒光りした一台の車が停まっていた。
憂里がそれを認識したと同時に、目の前の扉が勢いよく横に開いた。
そして、中から手が伸びてきた。
「っ⁉︎」
憂里は咄嗟のことに対応しようとしたが、あまりにも至近距離だった。
そのまま車の中に引きずり込まれる。
「な、」
声を上げようとしたが、手袋をした手で口を塞がれる。
無情にも、それと同時にバタンと扉が閉まった。
憂里はそう広くない車内で必死で抵抗したが、それも虚しく冷たい皮のシートに身体を押さえつけられた。
「誰…っ」
首を動かそうとするが、動かない。
そうこうする内に、上に乗った人間に無理矢理両腕を後ろに回され、手首に紐のようなものが巻きつけられていく。
「っ離せ‼︎」
手足は動かせない。突然のことで何一つ確認できる情報が無い中で、憂里の背中を冷汗が伝った。
すると、今まで人が動く気配以外何も聞こえなかった車内から声が聞こえた。しかもそれは直接憂里に語りかけているようだった。
しかし声の聞こえる方向とは逆の方向を向かされている憂里は、それが誰だか見ることが出来ない。
「こんにちは」
憂里の知らない声だった。
記憶を探ってみるも、一致する人物は出てこなかった。
すると、
「着くまで寝ててもらうよ。大丈夫、危害は加えないから…多分ね」
そう言うやいなや、口元に布をあてられた。
誰だか知らない声が徐々に遠くなる。憂里は周囲が暗闇へと変わっていくのをぼんやりと感じていた。
ハゲデブの教師を出せて嬉しいです。急に思い浮かんだキャラクター、野村という名前もふと浮かんで。
読んで下さりありがとうございました。




