待つ者
姿登場は久しぶり。
薄暗闇の中を、重力に逆らって落ちていく。
飛び出す瞬間の麻木の焦ったような表情は一瞬見えただけで、既に視界から消えていた。
千鶴は浮遊感が襲う中、必死でスカートの中の携帯を手繰り寄せ、画面上に浮かぶある場所を押した。
「うわっ⁉︎」
その瞬間、憂里が反射で声を上げるほどの、思わず耳を塞ぎたくなるような激しい音が周囲に響いた。
やがて千鶴は指を離す。
横を見ると、盛大に眉に皺を寄せて目をつぶる憂里の顔があった。耳を塞ぎたくとも両手が使えないために、あの音が直接鼓膜を刺激したのだ。しかもかなり近い距離で。
しかし憂里はすぐに瞬きをし、その後の着地に備えて膝を曲げた。地面との距離を測り、下を見降ろした。
が、その時憂里が地面にいる何かを見て、目を見開いた。
地面が近づく。
それからすぐ、二人の身体を軽い衝撃が襲った。
「ぅわっ」
「ぐぇっ」
二人は同時に声を上げる。
すると、今まで宙を落ちていた感覚は無くなり、伸びた足の爪先から靴越しに柔らかい地面が触れたのがわかった。
千鶴は衝撃の反射で閉じていた目をゆっくりと開ける。
「ナイスタイミング」
やや上から聞こえた声に、安堵の息を吐き出した。
千鶴と憂里を脇に抱えるようにしてそこに居たのは、
「でかした千鶴」
暗闇を背景に立つ楓の姿だった。
***
「…鷹条さ」
「ちょっと!…楓さん!首!…締まってる!!」
楓に抱きかかえられた千鶴が、その笑った顔を見上げながら口を開いた途端、それを反対側からいかにも苦しそうな憂里の声が遮った。
立ったままの楓はその声に顔を向けると、
「ん?おお!」
今気づいたと言わんばかりに憂里をーー正確には猫のように憂里の首根っこを掴んでいた手をーー離した。
どす、という音と共に憂里が地面に着地する。
片膝をついた状態で二度ほど咳き込むと、憂里は楓に恨めしげな視線を送る。
一方楓は脇に抱えていた千鶴をそれこそ丁寧に地面に降ろすと、その見上げる目を見ながら、
「無事か?」
と尋ねた。
千鶴は静かに頷く。
「っげほ、はぁ…ありえない。この差は何?俺の扱い雑過ぎない?」
隣でようやく立ち上がった憂里は楓を睨めつけるとそう不満を漏らした。
楓はその言葉に「ばーか」と呟くと人差し指でデコピンをする。
「痛っ」
「千鶴は一般人。はい、問題解決」
そうやって自己完結すると、唇を尖らせる憂里をよそに改めて千鶴を見た。
「千鶴。無事で良かった」
「…ありがとうございます。鷹条さんがいてくれて助かりました」
「いや。それよりよくここに来れたな」
「黒羽君が外に出るならここしかないって。外に繋がる扉は全部ダメだったし」
「まぁ正解だったな。俺も駆けつけられたし」
「ほんとにすぐでしたね」
「まあな」
憂里と一緒に三階と四階の間という高さから落ちた千鶴だが、その瞬間に携帯のブザーを鳴らした。
学校へ「侵入」する前、あらかじめ楓からいざという時鳴らすように言われていた。その音で楓は千鶴と憂里の居場所を特定し、その場へと駆けつけることになっていた。
「にしても憂里。お前一般人抱えて飛び降りるなんてもっといい方法無かったのかよ」
今まで蚊帳の外だった憂里に話を振る楓だが、非難がましい言葉に憂里はますます不満げな表情になった。
「他にあるわけないでしょ。出口は無いし向こうは刃物持ってるし。千駄ヶ谷さんがちらっと携帯見てたから楓さん呼ぶなって思ったから飛び降りたんだよ」
「あぶねーなー」
「結果オーライじゃん」
フン、とそっぽを向いた憂里だが、何かを思い直して千鶴の方を向くと、
「えっと…ごめん。ごめんなさい」
「ううん。ただ飛び降りる瞬間くらいは何か言って欲しかったかなと」
「以後気をつけます」
小さく苦笑する千鶴にぺこりと頭を下げる憂里。
だが不意に顔を上げると、
「ってかそうだ!麻木先…あいつ!」
麻木のことをようやく思い出した憂里は、階段を指差しながら叫んだ。
一刻も早く捕まえなければ、どこかへ姿を消してしまうかもしれない。どのみち憂里と千鶴に本当の姿を知られてしまった以上、普通の生活には戻れないだろう。再び襲ってくる可能性もある。とにかく今すぐにでも身柄を確保しなければならない。
しかし焦る憂里をよそに、楓はいやに余裕な表情で憂里をたしなめる。
「だーいじょうぶ。そう焦んなって」
「だって逃げ…」
憂里の言葉を手で制し、楓は灰色の階段を見上げながら、
「もう行ってる」
そう言って薄く微笑んだ。
***
たった今飛び降りた二人の姿が暗闇に紛れて消えたのを目で追いながら、麻木は盛大に舌打ちをした。
焦ったような表情で手すりから身を乗り出し、さらに下を覗き込む。
が、そこにはただの暗闇があるばかり。
「クソっクソ…っ‼︎そのためにここへ…?」
ようやく憂里の思惑に気付いた麻木だが、今となってはもう遅い。
「追わなければ…どうしても…あの人に」
一人でブツブツとそう呟くと、我に返ったように勢いよく振り返り、もと来た扉へと駆け出そうとした。
しかし、その足はわずか一歩目で止まった。
目の端に何か黒い影が映ったと思うと、同時に風の切る音がした。
その方向ーー先ほど憂里達が飛び降りた方向とは逆のーーへと首を向けるや否や、麻木はもう一歩も動けなくなった。
その影は、人だった。
唐突に、麻木の目の前に現れた男。
麻木の首には、鋭い刀の刃先が向けられていた。
「…っ…?」
声という声も出せず、息を飲む麻木。
刀だけではなく、その眼の鋭さに体が動かなくなる。
ーー刀?この日本でそんなもの所持してるやつがいるのか?
今の状況を、回らない頭で必死になって考えていた。
すると目の前にいる男がようやく口を開く。
「お前に聞きたいことがある」
「……へっ…?」
「誰の差し金だ」
「…な、な」
「首謀者は誰だって聞いてんだよ」
「ひ…」
男はさらに一歩、麻木に歩み寄った。刃が近づく。
「…お」
「?」
「お前らには、か、関係ねぇだろぉぉっっ‼︎‼︎」
麻木は突然そう叫ぶと、何を思ったか目の前の男へと突進した。
そこに刃があるにも関わらず。
「チッ」
その男は向かって来た麻木から刀を引いて肩に担ぐようにすると、左足でコンクリートの地面を軽く蹴ると、突進してきた麻木の無防備な腹へと右足のつま先を叩き込んだ。
「ぐぅっ……」
そしてよろめいた麻木の背後に素早く回ると、肩に担いでいた刀の柄でその首をトン、と突いた。
「あ、」
ぐらりと揺れる麻木の身体は、固い地面へと倒れ伏した。
それを受け止めもしなかった男は、刀を降ろし、失神して動かない麻木を冷めた目で見下ろす。
「やあ〜お疲れ様、ゆっきー」
すると横から間の抜けた声がした。
いつの間にか手すりには若い男が座っていて、太腿に肘を乗せて頬杖をつき退屈そうに、刀をしまった男ーーー京馬行にそう声をかけた。
「こっからはてめぇの仕事だからな…三代」
京馬は、いつもの仏頂面のまま、床に横たわる麻木を顎で指すと手すりに座ったままの男にそう呼びかけた。
三代と呼ばれた男はひょいと降りると、麻木の傍らにしゃがみ込んでその意識が無いことを確かめると、京馬を見上げて笑顔をつくった。
「ん、了解。それにしてもまた容赦なくやったねぇ〜」
「こんぐらいでちょうどいいんだよ。…あとは任せたからな」
「はいは〜い」
眉間に皺を寄せたままの京馬は、三代にそう言って返事を聞いてから今度は反対の手すりに飛び乗った。
三代に背を向けたまま、
「じゃーな。行くぞ伊万里!」
不意に上に向かってそう叫んだ。
そして何の躊躇いも無く細い柵を蹴る。身体が宙に舞った。
すると同時に上からも声がした。
「終わり?師匠」
「ああ。下で合流する」
「りょうかーい」
バサ、と音がして、もう一つの人影ーーー屋上にいた伊万里ーーが上から長い髪を踊らせながら”降って”きた。
二人はそのまま急降下し、伊万里は地面に向かって笑顔で叫ぶ。
「千鶴ちゃーーん!!憂里ー!」
楓のいることに確信は無かったけど飛び降りた憂里と、楓が来ることに確信はあったけど飛び降りることまでは予想がつかなかった千鶴ちゃん。
読んで下さりありがとうございました!




