眼
久しぶりの投稿です!
「千駄ヶ谷さんっ⁉」
「な…」
"二人"の刃が離れる。
銀色の鋭利なナイフを手にし憂里と突き合わせていた麻木は、突然出てきた千鶴に体当たりをされ、体勢を崩して数歩後ろへとよろけた。
千鶴はその瞬間にとっさに憂里の腕を掴むと、廊下に繋がるただ一つの出入り口へ駆け出した。その勢いのまま扉を開け、後ろも振り返らずに走り出す。
憂里は驚きのあまり手を掴まれたまま、そしてその手に折り畳みナイフを握り締めたまま、ただ千鶴の後を走った。
意表を突かれた麻木はしばらくポカンと立ち尽くすと、やがて我に返る。
「くそ…っ‼」
誰もいない教室で顔を歪めて悪態をつくと、足音を荒くして扉へ駆け出した。千鶴と憂里の背中は、薄暗い廊下にほとんど紛れて消えかかっていた。
「せ、千駄ヶ谷さん!」
一方で憂里は走りながら、視界に入る風に靡く色素の薄い髪を見つめながらそう呼び掛けていた。
千鶴はその声に首だけで僅かに振り向くと、何?といった顔で憂里を見た。
「なんでここに…」
正直な疑問をぶつける。
小雪、伊万里らと教室に残っていたことを知らない憂里は、千鶴は授業が終わってとっくに帰ったと思っていた。それがまさか同じ教室に、あの場所にーー物陰に隠れていたとは思いもしなかった。
「…浅井君と伊万里ちゃんで待ってたの。そしたら教室に麻木先生が来た」
千鶴は走りながらも憂里を見て言った。
「黒羽君が、先に帰っててくれっていう伝言だった」
「え?」
しかし、千鶴のその言葉に、憂里は眉を顰めた。
「…俺、そんなこと言ってない」
小雪からの伝言で職員室に来いと言われて行くと、麻木に待っているように言われた。しかし他の先生からの用事が入り、憂里は麻木から第二資料室に行くように言われたのだ。待ち合わせをしていた小雪がずっと残っているなんて知りもしなかったし、先に帰ったと思っていた。
伝言なんて、頼んでいなかった。
「…うん、そうだと思ったの」
予想していた憂里の答えに、千鶴ははっきりと、そう言った。
その瞳は強い確信を持っていた。
千鶴は再び前を向き、走りながらぽつりと言った。
「あの時ーー、私たち三人が教室にいて、先生が来たとき」
千鶴は一度言葉を切ると、小さく息を吸った。
「麻木先生に、"影"が見えた」
***
時は少し前に遡り、千鶴が伊万里、小雪の三人で憂里の帰りを待っている夕暮れの教室。
話をしていると、机に置かれたままの憂里の鞄から振動が聞こえ、伊万里が鞄を開けて、電話を知らせる携帯のディスプレイを見て、そのまま放置して、再び会話に戻ったその時。
前の扉が開いて、そこから入ってきた人物を見て千鶴は驚愕していた。密かに。
「あれ?麻木先生」
「憂里は?」
二人のその言葉をぼんやりと聞きつつ、千鶴の目にはあるものしか映っていなかった。
「先生…どうして…」
その言葉は千鶴の口から自然とこぼれ出ていた。
教室に足を踏み入れた麻木の、後ろ。
真っ黒い"影"が見えていた。
しかし、それを口に出せるわけがない。千鶴はとりあえず警戒しながら、同時に憂里のことを考えた。
「黒羽からの伝言を伝えに来たんだ」
その言葉を聞いた時、嘘だ、と思った。後ろの"影"がぶわりと広がった。
「黒羽の鞄は俺が持って行って渡すよ」
ぶわり。
伊万里と小雪が不満を漏らす間も、千鶴は麻木から目を離すことはしなかった。
渋々承諾した二人と一緒に廊下に出て、麻木にさようなら、と言って昇降口に向かう間、千鶴はずっと考えた。
これからのことを。
昇降口も出て、砂利道を歩く。
鞄のポケットに手を入れた。
するべきことは、決まっていた。
「…忘れ物しちゃった。伊万里ちゃん、浅井君、私ちょっと戻るね」
その言葉に小雪は残念そうにしたが、伊万里は千鶴の目を見つめていた。
千鶴もまっすぐ見返した。
「わかった。先に行ってるね。ほら小雪、帰るぞ」
気付いた。
伊万里を見てホッと息をつき、そして千鶴は小走りに来た道を引き返した。
正門をくぐり、そして携帯を引っ張り出す。
「…黒羽君」
着信履歴の一番上、楓の携帯番号。
呼び出し音が途切れ、聞き慣れた声がした。
「鷹条さん。…危ないかもしれません」
その予感はすでに確信に変わっていた。
***
『ナイスタイミングだ、千鶴』
電話口で、楓はやや驚いたように、しかしホッとしたようにそう言った。
『お前らに伝えなきゃいけないことがあって…しかし憂里のやつ、携帯見てないのか?鳴らしたのに』
「それなんです。今、黒羽君電話に出られない理由があって」
『なんだ?どした?』
「さっきうちのクラスの担任に呼び出されたらしいんですけど、まだ帰って来てないんです」
千鶴は昇降口で立ち止まり、壁に背中を向けながら説明する。
「浅井君ーーあ、黒羽君の友達は、ホームルーム終わってすぐ職員室に行ったって言ってたんですけど」
『おい…まさかとは思うがその呼び出した担任の名前って』
「麻木清水」
楓が全て言い終わる前に、千鶴はそれを遮って言った。
すると電話口で、大きな溜息が聞こえた。
『あちゃ~…ビンゴか』
「…」
楓はそう言って一度言葉を切ると、
『千鶴、よく聞け。その教師ーー麻木だな?そいつは』
「"敵"」
千鶴はポソリと、しかし電話口の楓にもしっかりと聞こえる声で呟いた。
「鷹条さん。麻木先生から"影"が見えました」
そして先ほど見た麻木の背後に蠢く黒い"影"のことを告げる。
楓は数秒間黙ると、
『…そうか』
溜息混じりに、小さな声でそう言った。
『この前、お前と七尾が蟲型バグに襲われたことあったよな。あの時の襲撃に関わっていると見られる人物だ』
真崎が解析した映像には、街中を歩く二人を追うようにしてこの男ーー麻木が映っていた。
そしてそのすぐ後、千鶴と伊万里は蟲型によって襲われた。
少なくとも事件に関わっていることは間違いない。
楓はそれを手短かに千鶴に伝える。
今度は千鶴が溜息をつく番だった。
「どうして…」
『それは俺たちもまだわからない。だけど今回、憂里を呼び出したとなるとそれも偶然じゃねえな』
千鶴はその言葉に、先ほど見た黒い"影"を再び思い出した。
私にだけ見える"影"。
じゃあ誰が憂里を助けに行くのか。
「…鷹条さん。私、黒羽君を探しに行きます」
未だ戻ってこない憂里を探しに行く。
麻木から黒い"影"が見えて、もしかしたら危険な目に合っているかもしれない憂里を見つけなければならないということを、千鶴は使命のように強く感じていた。
『危険だぞ』
「わかってます」
『麻木が危害を加えてくるかもしれない』
「…はい」
『そうしたらどうするつもりだ』
「全力で逃げます」
一人で行くことを心配する楓に、千鶴は至って真面目にそう答えたが、電話口からは楓の吹き出す様子が伝わって来た。
『はー…笑い事じゃねぇんだけどな、実際。でもまあ、今頼れるのは千鶴だっていうのは確実だ。携帯、切るんじゃねえぞ』
「…はい」
楓の言葉に頷いて、携帯を鞄のポケットに大切に仕舞う。
そして千鶴は校舎へと足を踏み入れた。
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