闇に探す
久しぶりの更新になってしまいました。
発信音。
数回のコールの後、それは唐突に途切れ、代わりに電話口からは聞き慣れた声がした。
『はーいもしもし』
千鶴はいつもと変わらないその声に少しだけ安心すると、前置きもなく静かに言った。
「鷹条さん。…危ないかもしれません」
***
ジャリ、とローファーが小石を踏む音だけが辺りに響く。校庭にはやはり誰もいない。外はいよいよ暗くなり始め、遠くの空は夜の闇が近づいているのがわかる。
伊万里、小雪と別れた千鶴は再び学校へと向かい、門をくぐって正面の昇降口を通り抜けた。
所々に蛍光灯の明かりのついた廊下を進み、一階の端にたどり着いた。
携帯は通話モードにしたままだ。
薄暗い廊下にぼんやりと浮かんだ明かり。電気はついている。
「…失礼します」
千鶴はドアを開けた。
そこには誰もいなかった。
試しに足を踏み入れて奥の方を覗いてみたが、やはり人影はない。
この時間帯なら、教師の一人くらいはいてもいい時間である。
電気はついている。しかし人はいない。
千鶴は眉を寄せたが、諦めてドアを閉めた。
中から漏れる明かりによって、ドアの上にかけられた「職員室」のプレートが寂しげに照らされていた。
***
「…ん」
憂里は突っ伏していた机から顔を上げた。
カーテンが引かれたままの教室。窓の外は見えない。
担任である麻木にこの教室で待っていてくれと言われてやってきたが、そのうちにうとうとしていた憂里。しかし僅かに物音が聞こえた気がして目が覚めたのだ。
キョロキョロと辺りを見回すが、やはり依然として人影はない。
「んー…?」
憂里はぼやける目を擦りながら、椅子に座ったまま上体を逸らして伸びをした。
荷物を教室に置いて来てしまったため携帯もなく、手持ち無沙汰である。
「先生…遅い…」
麻木に第二資料室に行ってるように言われてから既に30分は経っているだろうか。この教室には時計が無いため正確な時間はわからないが、恐らくそれくらいは経過している。すぐに終わるものだと思っていた憂里は、唇を尖らせた。
「浅井君帰ってるよなぁ~。明日謝らなきゃ」
再び机に突っ伏して、溜息を付いた。
***
「とりあえず上に向かいます」
職員室の扉を閉めた千鶴は、電話を耳元にあてそう言った。
『ああ。気をつけろよ』
「はい」
楓の言葉に頷き、千鶴は静かに階段を登り始めた。
職員室のさらに奥にある階段は、日が当たらないため常に薄暗く、埃っぽい。生徒にも教師にも、あまり好んで使われることは無いが、それぞれの階の端にある教室に行くには便利だ。
なるべく靴音を響かせないように、千鶴はゆっくりと登っていく。
そして、二階の端にある教室に辿り着いた。
しかし、そこに人の気配は無い。
念のため中を覗くが、ガランとした教室内に人はいなかった。
千鶴は表情を変えずに、扉に背を向けた。
ーーやっぱりここじゃない。
内心でそう呟く。
そんな気がしていた。
「…三階に行きます」
電話口にそう言って、再び階段を登り始める。
途中、壁にある小窓から外の景色が見えた。濃紺の空が近くまで迫ってきている。
「夜…か」
今度は声に出して、そう小さく呟いた。
三階に着いた。
やはりひと気は無い。薄暗い廊下は一人で歩くにはなかなか不気味だが、千鶴はそんなことは気にしていなかった。
扉の上に掛けられたプレートを見上げる。
薄れかかった黒い文字で、「第二資料室」の文字がぼんやりと見える。
千鶴は息を一つ吐くと、閉まったままの扉の前に立った。引き戸に手は掛けずに、慎重に中を覗き込む。
薄暗い教室内。目を凝らして見遣る。
「…あ…れ」
千鶴は小さくそう漏らした。
そこには誰もいなかった。
***
千鶴は扉の前で立ち止まったまま、憂里の居場所について考えていた。
麻木に呼び出されてから、既にかなりの時間が経過している。
ーーおかしい。
居眠りくらいで、ここまで長く説教することはいくらなんでも無いだろう。
それとは別の、何なにかすぐには終わらない事情があるのだ。
それに加え千鶴には、何かあると思える決定的な理由があった。
『千鶴?憂里はいないのか』
「…いません。ここにいると思ったのに」
電話口から楓の声が聞こえ、千鶴は眉間に皺を寄せながらそう答えた。
当てが外れたと言えばそれまでだが、千鶴はそうではない何かを感じていた。
「念のため中も見てみます」
『ああ。気をつけろよ』
千鶴は静かに扉を開けると、その隙間から身体を中へと滑り込ませた。
そして音もなく扉を閉じる。
そこは、普通の教室よりもやや狭い。しかもあまり使われないせいか、埃っぽく陰鬱な印象を与える。教室とは言ってもそこは授業などで使うわけでもなく、あくまで「資料室」にとどまるため、黒板などは置いていない。代わりに壁には大きな棚が備え付けられ、その中には授業で使用する教材があり、地面にも大小様々な段ボールや大きな地図が置いてある。
要するに煩雑な部屋だ。
千鶴はぐるりと辺りを見回した。中は暗い。カーテンも引いたままだし、電気も付いていない。部屋の奥などは既に目を凝らさなければ見えないが、千鶴は電気を付けることはしなかった。
それに、ここには明らかに人の気配はしない。
「やっぱり…誰もいません」
『…そうか。別の場所にいんのか?』
「わかりません…だけど、ここ以外となると」
千鶴はそこまで言ってから、ふと言葉を止めた。
振り返って、真後ろにある今しがた入って来たばかりの扉に視線を向ける。
身体の全神経を集中させ、その空間をじっと見た。
『おい?千鶴?どうした』
突然黙った千鶴に、訝しむような楓の声が聞こえた。
すると千鶴は携帯を口元に寄せると、囁くような小さな声で、
「誰か来ました」
そう言って、また振り返って教室の中を素早く見渡した。
『…憂里か?』
「わかりません」
小さく足音が聞こえたのだ。
確信は出来ないが、恐らく本当だ。
楓の焦ったような声に正直にそう答え、一方で千鶴は自分の心臓がどくどくと波打つのを聞いていた。
どこか、隠れる場所は。
千鶴はふと目に入った教室の奥に無造作に置いてあった人一人余裕で入れそうな大きな段ボールを見つけ、足音をたてないようにしながら、ほとんど滑り込むようにしてその後ろに姿を隠した。
じっと息を潜め、身を小さくする。
その足音が憂里のものだという可能性は高い。
でも、もし足音が憂里じゃなかったら?
ーー厄介なことになった。
千鶴はそう考えて、薄暗がりの中で眉を寄せた。
すると、今度ははっきりとわかるくらいに足音が大きくなった。それは徐々に近づき、千鶴の潜む教室の前でピタリと止まった。
そして、ガラガラという音と共に、第二資料室の扉がゆっくりと開いた。
コツコツと足音を響かせ、中に入ってくる。
数歩進んで、そして止まった。
「ーー黒羽?」
不意に聞こえたその声に、千鶴は内心で舌打ちをした。
それはやはり憂里では無かった。
千鶴は段ボールの影からちらりと姿を伺う。
ーー麻木先生。
足音の正体、麻木清水は、教室の中をぐるりと見回し、不思議そうに首を傾げていた。
「あれ?おかしいな…」
そう呟きながら、教室の奥へと足を踏み入れる麻木。
千鶴は携帯を握りしめ、息を凝らす。
一度隠れてしまった以上、このまま出て行くわけにもいかない。
それに、千鶴には見えていた。
そのため千鶴は黙って気配を消すことに専念していた。
気配を消すのは得意だった。
以前、三代に「存在感が無い」と言われたこともある。
気付かれずにやり過ごそうと思えば決して出来ないことではない。
と思った矢先、突如手にした携帯が振動した。
「!?」
どうやらつい先ほど、間違えて通話を切ってしまったようだった。
ディスプレイを見ると、「鷹条さん」の文字が浮かんでいる。
恐らく、突然切れた電話に心配して掛け直してきたのだろう。
千鶴は頭を抱えたくなった。
すぐに切ったため、振動音がしたのは一瞬だった。しかし、
「…誰かいるのか?」
物音一つしないシンとした教室内では、僅かな音でも大きく聞こえる。
麻木も例外ではなかった。
千鶴は身体を硬くした。
麻木の靴音が大きくなり、教室の更に奥へと入ってきたのがわかる。
覗き込まれたら、今いる千鶴の場所は容易く見えてしまうだろう。
「誰か…いるのか?」
麻木が再度問い、その場所へ大きく一歩踏み込もうとした瞬間。
「先生」
入口の方で声がした。
麻木は勢いよく振り向き、千鶴もその声にはっとする。
「遅かったですね」
やや不機嫌そうにそうボソリと呟いたのは、扉に手をかけたまま入口に立つ憂里だった。
いまいち内容が掴めないと思います、すみません。久しぶり過ぎて…。読んで下さりありがとうございました。




