内緒話
内緒話の最中なお二人。
東京都内 某警察署。
黒いスーツを着た若い青年が、三階にある自分の所属する課の入口で立ち止まったまま、目をパチクリと瞬かせていた。
その目線の先には、数メートル先にある自分のデスクの椅子に何故か我が物顔で座っている男の姿。
「なに……やってんですか?」
「よっ、久しぶり。でもないか」
男は椅子の背もたれに寄り掛かり、足を組んで座っていた。その手には、一体誰から淹れてもらったのかコーヒーが湯気を立てるマグカップを持っている。青年は諦めてデスクに向かって歩み寄り、男の前に立った。
挨拶は後にして、青年は男がここにいる理由を考えてから口を開いた。
「桂木さんならいませんよ?……あぁでも貴方あなたが来てるって言えば来るかも。連絡してみましょうか」
「いやいやいや大丈夫。うん、むしろ呼ばなくて……うん。それに、俺が用あるのは君だし」
「え?」
青年ーー黒崎佐織は、男のその表情を見て、なんだかこれからやっかいなことを言われそうな予感がしてならなかった。
中津川と会った喫茶店から徒歩15分ほどの位置にある警察署。楓は喫茶店を出てそのまま、この警察署を訪れた。
その目的は、警部補であり桂木の部下である黒崎佐織に会うことだった。
「黒崎、君にちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「え……と、俺にですか?」
「そう。ちなみに、桂木さんには内緒で」
「はあ。というかその話、ここでしない方がいいんじゃ?どこか部屋使わせてもらいましょう」
黒崎は困惑しながらも、会議室の空きがあるかどうか確認するべく、ホワイトボードを振り返った。
***
「さて。ここでいいですかね」
黒崎は、同じ階に位置する"第一会議室"と書かれた扉を開けた。
中に入ると、そこには大きなテーブルが一つと、その周りには多数の椅子が置いてあった。机も椅子も壁も全体的に白い配色で、楓は前に訪れた病院にどことなく似ていると感じた。
昼間とはいえ、ブラインドが降りた室内は薄暗い。
楓が天井を見上げると、パチリという音と共に電気がついた。黒崎が壁際にあるスイッチを入れたのだった。
「鷹条さん、適当にどうぞ」
そう言いながら近くにある椅子を勧める黒崎。自分も椅子の背を掴んで引き寄せる。ガラガラと、人が座っていない状態の独特な軽い音が静かな部屋に響く。
楓も椅子を引っ張りそこに座ると、両手の指を膝の上で組んだ。
机の角を挟んで斜めに向かい合う形で座る黒崎に向けて、楓は早速口を開く。
「で。さっきも言ったけど……これ、桂木さんには内緒で」
「はあ……まあ何せ相手があの人ですから、どこまで隠し通せるかはわかりませんけど頑張ります」
「よろしく頼む。それで……甲斐さんのことなんだ」
黒崎のその言葉を聞いてから、楓は甲斐の名前を出した。
一方黒崎は、その名前が出てくることを予測していたかのようにあっさりと頷いた。
「だろうとは思いました。桂木さんも言ってましたよ。あの事件ーー、甲斐さんや中津川君が巻き込まれた……鷹条さん、面会もしたんでしょう?」
楓は飄々とした男の童顔を思い浮かべながら、苦い顔をした。
「ああ。二人に会いに行った。で、だ。もう一人の警官の中津川君は、甲斐さんと連絡つかなくなって一番最初に動いたのが桂木さんだって言ってたんだ」
「ええ。普通、いち警察官が二日三日音信不通なだけで組織で動いたりしませんからね。だけどあの人はすぐに反応してました。結果、ただの欠勤じゃないかもしれないってことになって」
ここに来る前、中津川に聞いたことをそのまま尋ねた。それに対して黒崎は、楓が考えていたことと同じことを言った。
ーーーただの無断欠勤の警官のために警察組織は動かない。
それは楓も同感だった。
だが、そこを"ただの欠勤"と考えないところが、やはり桂木には異常を察知する能力がすば抜けて備わっているということか。
「桂木さんは、彼の周辺についてとか、入院中の怪我の状態とかその他諸々調べてたみたいですね。俺も気になって聞いてみたんです。何かわかったんですか、って。そしたら、難しい顔して考え込みながら"なんかこれ、そんな単純なことじゃない気がする"って言ってましたよ」
桂木の口調を真似ながら、黒崎は言った。
桂木が何か調べている。それは甲斐に何かあるに違いないということを示しているのだ。
勿論、「証拠」が無い限り甲斐に何かあったとは断定できないのも事実だが。
「あ!それともう一つありました」
黙って下を向きながら色々と考え込んでいた楓に、黒崎は思い出したように両手をポンと叩いた。
そして椅子ごと楓に顔を寄せると、急に小声になって囁く。
「……ちなみにこれ、秘密事項で。俺もこんな風に軽ーく言ってますけど、鷹条さんだからですからね」
「ああ」
その言葉に、楓も気を引き締める。
黒崎がゆっくりと口を開いた。
それは誰もいない会議室の中でも、楓にしか聞こえないほど小さな声だった。
「甲斐さん、復帰してからの一週間で何かを調べてたみたいです」
「調べてた?」
「実は……桂木さんが見つけたのですが、メモが机の奥に入ってました。何か、数字がたくさん書かれた……住所や番地のような。ここから20分くらいのところにある、確か……」
そう前置きしてから、黒崎は数字を告げた。
その瞬間、楓の動きがピタリと止まった。
ーーーそこは。
楓は息を止めた。
そしてそれをゆっくりと吐き出しながら必死で平静を装う。
しかし実際には動揺が波打っていた。
楓は心の中で呟く。
ーーー千鶴が事務所帰り、蟲型に襲われた場所だ。
***
楓はただ黙って黒崎の話を聞いていたが、心の中ではたくさんの思考が渦巻いていた。
ーー何故、甲斐がそこの場所を?
ーー千鶴の襲われた場所だというのは偶然か?
ーーもし、甲斐が千鶴が襲われたことに関わっているとしたら。
楓は眉間の皺を深くした。
桂木が言うように、どうやらこれは単純なことではないようだ。
「まあ、俺が知っているのはこれくらいですかね」
不意にそう言うと黒崎は、伸ばしていた背筋の力を抜いて椅子にもたれた。
楓はその声に考え込むのをやめ、顔を上げてもう一度黒崎に向き合うと、ぺこりと頭を下げた。
「黒崎。今日は助かった、ありがとう」
「いいえ。今度は俺が言いますけど、これ、桂木さんには内緒で」
「ああ、わかってる。お互い秘密保持者ってことで」
楓はそう言って悪戯っ子のように笑うと、ガラガラと椅子を押して立ち上がった。同時に黒崎も立ち上がる。
どちらともなく扉へ向かい、黒崎は出る際に壁際の電気のスイッチを切った。
白い廊下を歩きながら、楓は口を開く。
「いやほんとありがとう。何かわかったら連絡するわ」
「お願いします。ーーそういえば、真崎さんはお元気ですか?しばらく会ってないなぁ」
「あー元気元気。今度会いに来いよ。あいつも喜ぶ」
「鷹条さん、そんな簡単に言いますけど、俺は桂木さんの部下ですよ?あの人から押し付けられる仕事が山のように……」
黒崎はその仕事の量を思い出したように疲れ切った表情になった。
自由奔放過ぎる桂木の尻拭いは、この優秀な若い部下に全て任されているのだろう。
「まあそれだけお前が買われてるんだよ、頑張れ」
「はあ……それにしたって……まあいいや、真崎さんによろしく言っておいて下さい。どうにか時間見つけて会えるといいけど」
「おう。任せとけ」
そうこうしているうちに、エレベーターの前に付いた。黒崎は下のボタンを押す。しばらくして、チン、という間の抜けるような音と共に、エレベーターの扉が開いた。
楓はそこに乗り込むと、黒崎に見送りは不要だと告げ、
「じゃあな。貴重な仕事時間潰して悪かった」
「いえいえ、鷹条さんの頼みですからね。桂木さんに押し付けられる仕事よりはよほど」
「はは。んじゃ、またな」
「はい。お気をつけて」
楓は右手を上げ、黒崎は軽く頭を下げた。扉が閉まり、ガクン、と足元の浮く感じがしてエレベーターは降下していく。
モーター音の響くエレベーター内で一人、楓は腕を組んだ。
今は考えなければならないことがたくさんある。黒崎の情報により、新たにわかったことは楓にとって衝撃的なのは明らかだった。
ガクン、とまた同じような振動と共に、エレベーターのランプが一階に着いたことを告げた。
楓はそのまま警察署の入口へ向かい、重い扉を押した。
外はもう夕暮れに近く、空はオレンジ色に変わっている。
生ぬるい風が頬を撫で、楓は目を細めた。
改めてこの回読むと、黒崎さんが物凄い口が軽い人みたいに見えるんですがそんなことはないです。楓のことを信用してるんです。…ほんと。←
読んで下さりありがとうございました。




