一人と二人、そして見えない気配
とても長くなりました。
切りどころがわからなかった。←
「さて……なんとかしないとな……」
七尾伊万里は思わずそう呟いていた。
一人残ったことによる、この絶望的な状況を打開するにはどうしたらいいか。いや、一人という点はもはや関係無い。二人いても同じだったろうし、むしろその「絶望的な状況」はより濃くなっていたかもしれない。
目の前には大きく揺らめく黒い"影"。後ろにはまだ退路はあるが、伊万里の中でそれは既に退路では無かった。
ーーーここを通してはいけない。
それだけを考え、己に命じた。
ーーー出来るだけ長く、引きつけろ。
ジリ、と距離を詰める。"蟲型"は、それに応じるかのようにゆらりと動いた。
と思った途端、黒い塊がすぐ横を通過した。
「っ‼」
伊万里は咄嗟に跳んだが、空中から下を見るとそれは固い地面にめり込んでいた。周囲のヒビ割れが、その威力の強さを物語っている。
そして蟲型は気味悪く地面を這っている。
「うわぁ……」
伊万里は苦い顔で、心底嫌そうに眉を顰めた。
ーーあんなものに直撃されたらひとたまりも無い。というかキモい。
そんなことを考えながら、一度地面に着地する。手元に武器が無い以上、近距離は危険だと判断した。
「さーて……どうする……」
先程伊万里が考えていたように、普通の人間を超えるスピードの"影"が直撃したら、怪我どころでは済まないだろう。
しかし、そんなことを考えている場合では無い。
伊万里は足に力を入れ、地面を蹴った。
一方、伊万里が踏み込むと同時に、蟲型も反対から速いスピードで接近する。そして伊万里の身体を貫こうと一気に加速した。
「でやっ‼」
互いがぶつかると思った瞬間、伊万里は思いきり跳んだ。向かって来た蟲型を間一髪で避けると、そのまま壁を一度蹴って、宙を舞う。
景色が上下逆さまになり、黒々とした蟲型の全身が視界に入る。
そして地面に降りる途中にある建物の階段の手すりを掴むと、両腕の力を使って身体を捻り反転させ、そのまま細い柵の上に着地した。
「よ……っと」
高い位置から見下ろすと、蟲型は伊万里の姿を探して方向転換する所だった。気配を察して、伊万里へと向き直る。
「来るか?」
手すりの上という不安定な場所で伊万里はしゃがみ込む。
恐らく普通の人間では出来ないことだが、退治人の伊万里にはその身体能力が備わっている。これが無ければ既に負けていることだろう。
「よし来い……こっち……そのまま……」
伊万里は一人呟く。
この階段の柵に登ったのは、ある理由があった。
伊万里の思惑通り、気配を察知した蟲型は先程と同じようなスピードで伊万里に向かって来た。恐ろしいほどの脅威的な速さ。
黒い塊が目の前に広がった。
***
黒い"影"が伊万里へと突進してきた瞬間、伊万里は立っていた細い柵から何の躊躇いも無く飛び降りた。
栗色の長い髪が、風と重力で舞い上がる。
かなりのスピードで向かって来た蟲型は急に止まることが出来ず、そのまま鉄の柵に突っ込んだ。
辺りに響く、凄まじい衝突音。
鉄のひしゃげる音がして、ガラガラとコンクリートの塊が地面に落ちて行く。
風に煽られ、小さな破片がパラパラと飛んで来た。
伊万里は蟲型の動きは単調なものが多いということに気がついていた。それは確かに、千鶴がいた時からそうだった。
蟲型は相手の気配を察知し、そこに形振り構わず突っ込んでいく。避けられなければ潰されて終わりだが、タイミングさえ掴めれば容易いことだ。
そして、そのスピード故に破壊力は凄まじい。攻撃としては脅威だが、伊万里はそれを利用したあることを思いついていた。
距離をとるため、瓦礫の無い、足元が平らな地面へ着地した。タイミングを見計らって伊万里は崩れ落ちた瓦礫の元へ走り、鉄の塊が転がる上へと器用に登った。
「はぁ、んんんーーっ‼‼」
肩で息をしながら、伊万里は積もるコンクリートの破片の中であるものを掴んだ。全身に力を入れて引っ張り出す。たくさんの瓦礫が重なる中で、それは容易いことではなかった。
ガラガラと音を立てて、積み重なったものが崩れていく。
「よしっ!」
伊万里が引っ張り出したそれは、細長い棒だった。
正確に言うと、蟲型が建物にぶつかった際に崩壊し、落下した衝撃で切断された鉄の骨組みの一部分だった。
約1メートルほどの長さ。
細くて硬質なそれを、伊万里はいつも使っている日本刀の代わりとして利用しようと考えたのだ。
武器としては心もとないのは百も承知だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「よっしゃ……武器確保!」
伊万里は笑顔でガッツポーズをする。そしてすぐに不安定な瓦礫の上から飛び降りた。地面に着地し、少し離れた場所で右手に持つ鉄の棒を一振りする。
「うん、よし。どっからでもかかって来ーい!!」
伊万里は左手を腰にあてて棒を振りかざし、さながらガキ大将のように叫ぶ。
その声に反応したのか、蟲型は壊れた建物の中からゆっくりと姿を現した。
ゆらゆらと揺れながら、伊万里の正面まで移動する。
そして一瞬の間の後に、再び伊万里目掛けて向かって来た。
「芸の無い奴……」
伊万里は棒を両手に持ちかえた。
息を一つ吐いて、自身も地面を蹴る。前から来る蟲型に動きを合わせて、いわゆる"頭"の部分へと力一杯棒を叩き込んだ。
グニャリと棒が吸収されるような感覚に、伊万里は顔を顰める。
「のやろっ‼」
それでも渾身の力を込め、強く握った棒を全身を使って更に奥へとめり込ませる。
不意に、ブツ、と嫌な音がした。
急に手応えが無くなり、見ると蟲型は真っ二つに裂けていた。
錆びた棒の先にも、黒い斑点のように蟲型の一部が纏わり付いている。
「やったか……?」
棒を一振りし、その残骸を地面へと落とす。それを右足で踏みつけた。
パラパラと砕け散った蟲型の一部分は、塵と化して風に消えて行った。
「はぁ……うぇ?」
それを見て安堵の息を吐き出した伊万里だが、視線を地面から上げた途端、頓狂な声を出した。
「ま、まだ……?」
蟲型は消えていなかった。
今しがた伊万里が踏み潰して消えたのは、ほんの一部分だったのだ。
肝心の"本体"は二つに分裂しており、まだその黒々とした身体を揺らしながら宙に浮いている。
伊万里が鉄の棒により"斬った"と思われた蟲型は、裂けはしたものの、消滅したわけでは無かった。
やはり蟲型、そして"影"という禍々しい物体は、ただの武器では完全に倒せないのだ。
「クソ、やっぱ駄目か……どうしよ」
悔しそうに呟いて、手元の棒を見つめる。
先ほどまでは武器を手にしたことにより俄然強気な気分だったが、"斬っても斬れない"ということにより細い棒は急に頼りなく見えた。
「あ〜どうしよどうしよ…うーん」
使えないと分かっても尚、未だ右手に棒を掴みながら伊万里は悶えた。
既に成す術は無いに等しかった。
ーー逃げる?…でも駄目だ。
このままこの"影"を残して行っても、まだ周辺には一般人がたくさんいる。先ほどの騒動で警察も更に来るだろうし、そうすれば必然的に見物人などが増えて行く。そんな中でこの"影"を野放しにするのは危険以外の何物でもない。
「あーでも武器……」
困り果てて、伊万里は肩を落とした。いくら考えても良い案など思いつかない。
無防備にも考え込んでいると、正面から嫌な気配がして、伊万里は慌てて顔を上げた。
今まで伊万里が行動してそれに反応していた蟲型が、突如動き出したのだ。あの凄まじいスピードで、再び伊万里に向かって来た。
「うおっ」
伊万里は後ろにとびすさり、着地と共に地面を蹴った。空中で身体を捻って一回転し、棒を持たない左手をついて着地した。ギャリ、と靴の裏と地面が擦れる音が響き、反動で1メートルほど地面を後退する。
「危ねー、っ‼」
間一髪で攻撃を避けた伊万里は額から冷や汗を滲ませた。
しかし視線を地面から正面へと戻すと、蟲型はもう既に次の攻撃に入っていた。あの恐ろしいほどのスピードで一体、そしてその後ろにもう一体、伊万里へと向かって来る。
流石にこれは。
伊万里は思わず苦笑いをする。
それからもう一度棒を強く握り直すと、前をしっかりと見据えて大きく息を吐いた。
「やるしかない……」
ーーこうなったらなんとしてでも止める。無理でもなんでも、やらなければ。
正面に棒を構え、向かって来る蟲型に照準を合わせた。
黒くて不気味な姿が、目の前まで近付いた。
棒を振り上げた、その時。
「邪魔だどけ」
上から声がした。
瞬間、地面に突然ドス、と何かが突き刺さった。伊万里の鼻先をかすめた"それ"は上から落ちて来たものだったが、伊万里には速過ぎて一体何が落ちて来たのかわからなかった。
「ぅえ……?」
目をパチパチとさせ、伊万里はゆっくりと視線を下に向ける。
目の前まで迫っていた蟲型が、地面に"それ"と共に突き刺さっていた。
黒い蟲型の中心に突き立てられた、黒い刃。
「し、師匠ーーっ!!!」
伊万里は大きな声でそう叫んだ。
黒い刃は、伊万里の師匠である京馬の"愛刀"だった。
見慣れたそれは、一体の蟲型を容赦無く貫いていた。
「煩ぇ」
刀が降ってきた上から同じようにして不機嫌な声が聞こえ、同時に風を切る音がした。
先ほどよりも大きな衝撃と共に、刀がより深く地面へとめり込んだ。半分以上が蟲型の身体を通して地中へと埋まっている。
刀の柄の先端に、京馬が片足立ちで器用に着地する。
目の前でへたり込む伊万里をギロリと一瞥し、そしてそこからひょいと飛び降りると同時に刀を抜いた。
身体を貫かれていた蟲型は暫く小刻みに揺れていたが、京馬が止めを刺すようにしてもう一度刀を突き立てると、完全に動きは停止し、バラバラと崩れて消えた。
京馬はそれを最後まで見ずに、抜いた刀を左手に持って地面を軽く蹴った。身体がふわりと宙を舞う。その目の前にはもう一体の蟲型。
間髪入れずにその動きを完全に上回るスピードで"身体"を突き刺した。そしてそのまま大きく横に刀を振るう。
「消えろ」
そう呟いて、地面に片足をついて着地した。背後では、ボトリと真っ二つに斬り裂かれた蟲型が、もう一体と同じように小さく揺れて、そして風に紛れて消滅した。
「し、師匠ぉ……!」
京馬が自分の刀を仕舞っているところに、伊万里は後ろからそう言った。
目をうるうるとさせながら、声を大にして叫ぶ。
「ーーーっ遅いっすよ‼」
京馬はゆっくりと振り向くと、嫌そうな表情を隠しもせずに伊万里を睨めつけた。
「おいてめぇ。それが助けに来てやった人間への態度か?礼はどうした、礼は」
「そりゃありがたいっすけど!電話かかってきてから何十分経ったと!?」
「仕方ねーだろ。こっちも色々あるんだよ。大体お前は、一般人連れて何やってんだ使えねぇ」
京馬は吐き捨てるようにそう言うと、背中にかけていたあるものに手を回し、それを地面に座り込む伊万里に投げて寄越した。
伊万里は嬉々として叫ぶ。
「あぁっ‼私の村正‼」
「商売道具忘れてどうすんだ、このタコ」
「……すんません」
唇を尖らせながらもようやく素直に謝った伊万里は、その場で村正ーー自身の刀をぎゅっと抱き締めた。
「ったく……。おい。今から鷹条んとこ行くぞ。そこに千鶴も行ってる」
「千鶴ちゃん‼無事⁉」
「らしーぞ。さっき鷹条から連絡入ってた」
「うあぁ~~良かったぁぁ……」
本気で安堵する伊万里を横目で見ながら、京馬はボソリと吐き捨てるように呟いた。
「千鶴逃がしたのはよくやった」
伊万里は謎の未確認飛行物体でも目にしたかのような表情で京馬を見上げた。
「し、師匠が……褒めた……」
その言葉に京馬は再び伊万里を睨めつけると、その腕を強引に取って無理矢理立ち上がらせた。
「とっとと行くぞ。待たせてんだ」
「はぁ~い!」
伊万里はニコニコと笑いながらそう言って、京馬の後ろについて行った。
ダラダラと書いてしまった…
長かったですが、読んで下さりありがとうございました!




