疾走
ひたすら走ってます。
土曜日の午後、駅前にはたくさんの人々が行き来していた。ちょうど昼休憩に入ったサラリーマンやOL、学校が休みで外に遊びに出ている学生たち。
ここにはたくさんの建物がある。いわゆる駅ビル、ショッピングモールというやつだ。服や雑貨は勿論、映画館や図書館など、様々な施設が混合していた。
千鶴と伊万里も、土曜日は学校が休みなため、二人で街に遊びに来ていた。金曜日に伊万里に誘われ、千鶴は内心で驚きながらも勿論二つ返事で承諾した。
お昼前に待ち合わせをして、最近人気のアクションものの映画を見て、ランチを食べた。食後のデザートといってクレープの屋台まで行って、それからは駅ビルの中の服を見て歩いていた。
実のところ千鶴は、昨日の晩からずっとそわそわとしていた。
友達と休みの日に出掛けるなんて、それこそ何年ぶりだろう。それを考えると自身の友達のいなさが浮き彫りになったけれど、そんなのはささいなことだ。
母の百合子に、「明日伊万里ちゃんと遊びに行く」と言ったらなぜかとても喜んでいた。伊万里ちゃんによろしくね、とまで言われてしまった。
とにかく、千鶴は今日この日を楽しもうと心に決めていた。実際、映画もお昼ご飯もその後のクレープも、とても楽しかった。友達と洋服を見るなんて女子高生みたいなことを(実際に女子高生なのだが)自分がしているなんて信じられないほどだった。
それなのに、だ。
どうしてこうなった。
千鶴は自分の運命を呪った。
この悪運の強さといったら。
千鶴は大きく溜息をついた。
***
"それ"が姿を現したのは、本当に突然のことだった。
駅ビルを出て外ーーバスターミナルがあり、何台ものバスが停車しているーーの辺りにある横断歩道を渡り始めたとき、隣を歩いていた伊万里が道の往来でいきなり立ち止まった。
数歩先を歩いた千鶴は、横に誰もいないことに気付いて振り返った。伊万里は道のちょうど中央に立ち止まったまま動かずに、どこか一点を見つめている。
「…伊万里ちゃん?」
千鶴は引き返し、伊万里を訝しげに覗き込もうとしたーーそのとき、突然顔を上げた伊万里に手を強く掴まれた。
「千鶴ちゃん!走って‼」
「…へ?」
そしてそのまま伊万里は走り出した。
わけもわからず為すがままの千鶴を引っ張って。
「ダッシュダッシュ‼」
「も、もうしてるよ…あ」
千鶴がかろうじてそう言ったとき、ちょうど後ろの方でふといつも感じるあの嫌な感覚がして、走りながら勢い良く振り向いた。
「あれは…"影"?」
黒い塊が、二人を追いかけてきた。
***
昼過ぎ、街には人混みの中を疾走する少女二人の姿。
通り過ぎる人々は、物凄いスピードで街中を駆け抜ける若い二人に好奇の視線を隠しもしなかった。
千鶴達を見て振り返る人々には、若い少女二人は見えてもその後を追う"影"の黒い塊はまったく見えていない。なんだかおかしな気分だった。
ーーそれはそうと。
千鶴は走りながら考えた。
そもそも、伊万里はあれを"影"だと言った。だが、そうとするならばおかしな点が一つあった。
なぜ昼間の明るい時間帯に、伊万里にも"影"が見えているのか?
以前、楓と憂里は、夜にしか"影"を目に映すことが出来ないと言っていた。今はまだ日没まで程遠い。それなのに、伊万里にははっきりと見えている。伊万里が特別なのか、それとも。
そして今追い掛けてきている"影"、千鶴はそれには前にも出くわしたことがある気がしていた。約二週間ほど前、楓の事務所からの帰り道に夜道を歩いていたときに襲ってきたあの"影"と、よく似ている。
ーーいや、私が考えても限界がある。
もとより"影"について千鶴が知っていることなど僅かなものだ。
千鶴は思考を止めて、隣の伊万里に尋ねた。
「伊万里ちゃん…あれは…何?」
後ろをちらりと振り返った千鶴が、隣を走る伊万里にそう尋ねた。その表情は、困惑と疲労が入り混じったような、複雑な顔をしていた。
容量キャパオーバーってとこかな。伊万里は推測した。
決して怖がらないところがすごいよなあ、と走りながら場違いなことも考える。
そして視線を千鶴から前に戻すと、こう言った。
「あれはね、蟲型って呼ばれるもの」
「蟲型…?」
「あれも"影"の一種なんだ。それの塊って言った方がいいね」
「塊?」
「そう。通常の"影"は元々、人間が原因。だけど人間の負の感情によって自然発生する"影"とは違って、蟲型は誰かが意図的に作り出したものなんだ。だから昼間だけど私にも見える」
「意図的に…前に京馬さんが言ってたやつか」
「そう。蟲型の"形成"の仕方は私達は知らない。知ってるのは多分本部のお偉方くらいかな。普通のいち退治人は知り得ないんだ。でも、蟲型っていう禍々しいものを作り出すことが出来る敵…"人間"がいるのも事実」
「人間に対する影響力って…」
「殺傷能力は高いよ。千鶴ちゃんも一度襲われたでしょ?あれも蟲型」
そう説明しながらも、後ろを振り返った伊万里の表情が変わった。
「…っ千鶴ちゃん!こっち!」
突然そう言って方向転換し、右の細い路地に入った。思考に耽っていた千鶴も、慌ててその後を曲がる。
その路地に入って僅か0.5秒後、後ろで物凄い音がした。
キャー、という女性の悲鳴も聞こえてきた。
「なに…?」
「あっぶね…っ!」
コンクリートが砕けたのだ。
見ると、路地の入口には大きくヒビが入り、壁がパラパラと音を立てて崩れていた。そしてそこには、蟲型である"影"がめり込んだまま不気味に蠢いている。
伊万里が後ろを見たとき、蟲型は突然、急加速していた。このまま真っ直ぐ進んでいたら追い付かれると考えた伊万里は、ふと目に入った右側の細い路地を曲がったのだった。
案の定、スピードを落としきれなかった蟲型は壁に衝突した。しかし、それで時間が稼げるのは僅かな間だろう。
「おい、今凄い音がしたぞ」
「なにー?」
「壁が崩れてる」
「なんだなんだ」
「やだ、老朽化?」
後ろで街を歩く人々の声が次々に聞こえた。
普通の人間の目には、いきなり壁が崩れて落ちたように見えているのだ。
突然の出来事に、そこには少しずつ人だかりができていた。中には電話をかけている人もいる。恐らく消防か警察署か。
伊万里は舌打ちをする。
ーー見境無くモノを壊し始めたらアウトだ。でもあいつの狙いは私達のはず。
幸い、集まっている人々は崩れた壁に視線が集中しているため、ただでさえ細くて薄暗い路地の先を走る伊万里達に気付いた様子は無い。
しかし、壁にぶつかってそのまま蠢いていた蟲型は一度宙でゆらゆらと揺れると、伊万里達を再び追い掛けようとしていた。
「千鶴ちゃん、先を走って!」
蟲型がまだ伊万里達を追うことを諦めていない以上、後ろに千鶴を置くのは危険だ。伊万里は立ち止まると、細い道の脇に寄った。
後ろにいる千鶴は、あの衝撃にも何も言わずにただ走ることに専念している。
ーー相変わらずすごい度胸。
伊万里は苦笑いした。
横を通って伊万里の前に行く千鶴は心配そうな顔をして何か言いたげな様子だったが、伊万里はただ微笑んだ。
そしてまた真剣な顔に戻ると、前を指差した。
「よし、行こう!」
新キャラなんかを登場させてみようかなあと思っている始末。
読んで下さりありがとうございました!




