彼女と彼女のおはなし
楓との電話を切った憂里が、眉間に皺を寄せながら元来た廊下を進んで教室へと歩いていた丁度その時。
「あの…」
色素の薄い、肩で切り揃えた髪と制服のスカートを容赦無く吹く風に煽られながら、千駄ヶ谷千鶴は困惑顔で小さくそう言った。
足元には通学鞄。目の前には栗色の髪の少女。
高い位置で結った長い髪が、千鶴と同じように風に煽られ踊っている。
「えっと…七尾さん?」
「ごめんね、千駄ヶ谷さん」
少女ーー七尾伊万里は唐突にそう言った。千鶴の正面に立つ彼女は、揺れる髪を右手で抑えながら、申し訳無さそうに口を開く。
「いやあ、あの状況に耐えられなくて…。ちょうど千駄ヶ谷さんと話もしたかったし、連れ出してしまい…ほんと申し訳無い」
髪を抑えていた右手を離し、拝むように左手と合わせた。
「いや、そんな…」
恐縮したように両手を振る千鶴。
二人が何故こんな状況になったのか。それは数十分前に遡る。
***
昼休みに入っても尚、伊万里の周辺からは人が途絶えることは無かった。まるで客寄せパンダに群がってくる人のように、そこには数人の生徒達が集まっていた。
代わる代わる来る生徒達の同じような質問に答え続けて多少なりともうんざりして来た伊万里だが、さすがに初日からクラスの雰囲気を乱すようなことはしたくない。面倒だと内心で舌打ちしながら、しばらく考えて伊万里は口を開いた。
「わ、私ちょっとお手洗いに…」
我ながらベタだったかと反省しながらも、椅子から腰を上げる。しかし瞬時に机の周りに集まっていた女子から、
「あ、じゃあ場所案内するよ!」
「私も一緒に行く~!」
などと数人から声が掛かった。案内くらい一人で十分だろと思いながらも、慌ててやんわりと辞退する。
「いや、大丈夫大丈夫!さっき…えーっと先生に教えてもらったから!ありがとう!」
伊万里は早口でそれだけ言うと、机の横のフックに掛けておいた鞄を引っつかんだ。そして立ち上がり、数人が囲む席から謝りつつ抜け出し、早足で教室の前の方のドアに向かった。
「…あ」
「あ」
そのドアから出ようとした丁度その時に、同じようにして前のドアから教室を出ようとしていた千鶴に追い付いた。振り返った千鶴と目が合って、すると伊万里は、何か思い付いた顔をして大袈裟な声を出して言った。
「あー!私、職員室に呼ばれていたんだった!あ、でも場所覚えてないな!わあ丁度良かったえーと千駄ヶ谷さん!職員室の場所教えてくれる?ありがとう嬉しいな!」
一息にそう言うと、返事も聞かずに千鶴の手を掴んで足早に歩き出した。伊万里の声を聞いたクラスメイトの視線を背中に感じながら、未だ状況が掴めていない千鶴は頭上にはてなマークを浮かばせながらそれでも伊万里について行く。というよりかは引っ張られていく。右手は伊万里の左手に掴まれ、そして左手には鞄を持ったまま、廊下をズンズンと進む。
突き当たりにある薄暗い階段を登ると、そこには古めかしいドアがあった。廊下と同じ灰色の、錆びついたドア。鈍い音を響かせながらそれを開けると、そこは屋上だった。
風が強く吹く中、手すりに寄りかかった伊万里と向かい合う位置に立つ千鶴。
沈黙が続くと思われたが、突然伊万里は頭を抱えた。そしてブツブツと呟く。
「ああ~っもっとマシな言い訳を探せば良かった…なんでトイレの場所知ってて職員室の場所知らないのよってなるじゃん!くそー私としたことが…」
そうしてひとしきり悶える。完全に所在の無い千鶴は、迷った末に一人悶え続ける伊万里におずおずと話し掛ける。
「あの…」
そして冒頭に戻るという訳だ。
「なんとか上手いこと抜け出せれば良かったんだけど…うーん人って難しい」
軽い溜息と共にやれやれと首を振る伊万里。その姿を見て千鶴は少し笑った。
「さて。膝はどう?大丈夫…じゃないよね」
「あ、昨日は本当に、どうもありがとう」
「いやいや、気にしないで!」
「それであの…七尾さん…いきなり転入って、やっぱりその、」
「うーん、まあ上からの命令ではある…っと、あんまし言っちゃいけないんだった」
「あ、ごめんなさい、深いとこまで聞いちゃ駄目だよね」
「いやあ、上がお堅いだけだからね。まあ、師匠もだけど。鷹条さんくらいテキトーだったらなあ、師匠…」
はぁ、と大袈裟に溜息をつく伊万里。
伊万里の突然の転入は、やはり偶然では無いということだけ認識した千鶴。
"影"に関係しているということは理解できたが、学校にまで関わってくるということは、それほどのことなのだろうか。
何やら黙って考え込む千鶴に、伊万里は話を変えようと自身の手にする鞄を持ち上げて言った。
「で、まあ飛び出してきちゃったわけだけど…丁度二人ともお弁当を持っているわけで」
「あ…ほんとだ」
伊万里の言葉に顔を上げた千鶴。
教室から出る際に何故か鞄を引っつかんできた伊万里に、同じようにして教室を出ようとしていた千鶴も鞄を手にしていた。
「千駄ヶ谷さんは、鞄持ってどこに行こうとしてたの?」
「あ…お昼ご飯、教室は落ち着かなくて」
「一人で?」
「うん。私、友だち?いないから」
真顔でサラリとそう言ってのけた千鶴に、伊万里はふぅむと唸ると、よしっ!と自身の手の平を叩いた。
「じゃあ、これからお弁当一緒に食べよう!私…もっと仲良くなりたいし」
「え…私と?」
本気でキョトンとした表情の千鶴に、伊万里は苦笑いしつつ、こう言った。
「そうだよ。千駄ヶ谷さんと…うーん、いや、千鶴ちゃんと!」
「あの…私と居ても楽しく無いと思うけど…」
「なんで?」
「なんでって…今まで皆そうだったみたい。あと、"変な子"だって」
変な子。
"影"が見えるせいだろうなあ、と伊万里は確信した。周りに理解できる人なんていないであろうことは用意に想像できた。
それでも。
少しも悲しい顔をしないでそう言い切る千鶴を見て伊万里は大きく溜息をついた。
ーー違うよ。違うよ、千鶴ちゃん。
何かいけないことを言ったかと慌てる千鶴に伊万里は人差し指をビシリと向けて言った。今までよりも、声を大きくして。
「それは今までの人がそう言ってただけ!そして私はこれからの人!何か問題、ある?」
そう言ってニコリと笑った伊万里に、千鶴は驚いて一瞬固まってから、ああ、と思った。なんだか笑い出したい気分だった。自然と喉の奥から込み上げてくる笑いに、内心自分でもびっくりしていた。
「これからの人…ふふふ」
「あ、笑ったな」
「ありがとう。七尾さ…伊万里ちゃん?」
「なんではてなマークだ」
「ごめん。伊万里ちゃん」
「ん。ご飯食べよう!」
「うん」
そう言って屋上の段差に座る二人。
千鶴は楽しそうに京馬への不満を喋る伊万里の横顔をチラリと見て、それから何故か自分の目の奥がじんわりと熱いことを不思議に思いながらも、ふ、と微笑んだ。
屋上は相変わらず風が強く吹いていたが、二人とも何も気にしなかった。
女子の回です。
女子はいいですね。




