噂
真美の話はこうだった。
最近、巷で噂されている"殺さない殺人鬼"。
被害者は、夜道で突然黒い服を着た謎の人物に鋭利な刃物で身体を刺されたのだと言う。
しかし、その被害者に出血はおろか傷一つすらついていなかった。それなのに、警察に届け出た被害者は皆一様に"刺された"と言う。
肝心の凶器も見つかっておらず、警察もお手上げ状態らしい。何件か同じ被害が出ていることから、警察では通り魔事件として捜査している。
一連の事件の共通点は、まず全ては夜に起きているということ。刺されても、怪我をしていないこと。被害者は若者に多いこと。そして、被害者の全員が、事件が起こった前後の記憶が曖昧だということである。
刺されたのに怪我はない。
死者はおろか、負傷者すら出ていない。
そんな不可解な事件から、犯人は "殺さない殺人鬼"と呼ばれているのだ。
***
「へえ……」
真美のあまり要領を得ない説明と耳障りな喋り方に気をとられ、話を聞き終えた千鶴の口からはそんな感想しか出てこなかった。
「ね、ね、やばくない⁉千駄ヶ谷さんはどう思う⁉」
どう、と聞かれても、答えに困るだけだ。
「……そう聞かれても……」
いつもの癖で、淡々とした口調でそう答えた。思わず心の中で思ったことがそのまま口をついて出ていた。
「えぇーだって刺されちゃうんだよ?怖くない?」
「うーん……そうかな……」
ーーー刺されても傷が無いなら別にいいじゃないか。大体、殺して無いのに"殺人鬼"っていうのはどうなんだろう。
千鶴としては感じたことを感じたままに口にしただけだが、真美としてはその態度が気に食わなかったらしい。急に熱が冷めたように、つまらなさそうな顔で千鶴を一瞥すると、「そっかーイキナリごめんねぇ」と言って傍らにいる仲間の輪へ戻って行った。
ちょうどそこに担任が入ってきて朝のホームルームを告げたので、固まって話していた生徒達はそれぞれ自分の席へと戻って行った。
千鶴の耳に、さっきの集団の声が聞こえた。
「千駄ヶ谷さんってなんかノリ悪くない?」
「あー確かに……」
「ちょっと浮いてるよね」
「せっかく真美が話し掛けてやってんのにね」
千鶴は小さく溜息をつく。
こちらから話し掛けてくれと頼んだ覚えはない。
だが、千鶴はそんなことにもう慣れていた。
それよりも他に気になることがあった。
チラリと視線を向ける。
あの女子の集団が固まった席。今も何かを話してはクスクスとお互い笑い合っている。
千鶴はその短いスカートから見える足元に視線を移した。そして再度溜息をついた。
……また見えてる。
少女らの、足元から太腿にかけて。
そこには、 どす黒い"影"のようなものが、足を取り囲むように不気味に蠢いていた。