犬と猿
「おい。終わったのかよ」
「師匠!」
突如"上から"現れた(降ってきたとも言える)男に、少女は笑顔で話し掛ける。
灰色がかった短髪に長めの前髪、鋭い眼光が特徴の男。威圧感が半端じゃないな、と千鶴は第一印象でそう感じた。実際その立ち姿に一つも隙は無く、深く刻まれた眉間の皺も合間って常人ではない雰囲気だ。
男はポケットからなにやら小さい箱を取り出すと、中から細いものを一本出した。
それは煙草だった。
そして同じように出したライターで、火をつける。
カチ。
その音を聞いた瞬間、千鶴はある光景を思い出していた。
雑踏に漂う影、ターゲット、暗い路地裏。走る背中、弾む息。物影に、心臓の音。
ぶつかる金属音に、倒れ伏す男。
二つの人影。赤い炎に、独特の匂い。
暗くて顔ははっきりしなかったが、あの路地裏で刃物を持った若者を倒したのは確かにこの二人だと千鶴は確信した。
「あの…あなた達は…」
「あ?」
千鶴がそう口を開いた時、突然少し離れた場所から、いつもの聞き慣れた声がした。
「千駄ヶ谷さんっ…!」
***
「あれ…?」
息を切らしてその場に駆けつけた憂里は、その状況に疑問の声をあげた。
千鶴以外にも、二人の人間がいたのだ。
しかし次の瞬間、憂里の視線はその二人よりも、立ち上がって何やら話ている千鶴の足元に注がれた。
その膝には流れ出た赤い血が乾いてこびり付いていた。ふくらはぎにも、いくつもの擦り傷のようなものが痛々しく赤い線を作っていた。
とっさに憂里は叫んでいた。
「千駄ヶ谷さん…っ!」
「…あれ?黒羽君…?」
どうしてここにいるのか、と言いたげな千鶴の表情。
すると憂里の後に続いて、楓が"上から"姿を現した。
「千鶴。大丈夫か」
「え…鷹条さん…あの、どこから…」
廃ビルの上から降りて来たような気がするのは気のせいか。
しかし千鶴の問いに、楓はさも当然と言った風に答える。
「ん?ああ、屋根伝いに」
「屋根…っ」
楓の言葉に千鶴は必死に思考を巡らせるが、そういえばこの人たちは常人では無いんだった、という結論にたどり着き無理矢理思考を停止させた。
「黒羽君に鷹条さん…どうして…」
「悪ぃな千鶴、その前にーー」
「え?」
困惑顔で尋ねた千鶴に、楓は手のひらを向けて制止し、突如地面を蹴った。
それと同時に、千鶴の後ろからもなにやら同じような音と共に、一瞬、ぶわりと風が吹き抜けた。
そしてなにやら鈍い音。
「よーう行ちゃん久しぶり」
「てめぇ鷹条…その呼び方やめろっつったよな」
ピリピリと、火花が散っていた。
***
「え?え…?」
二人の間で困惑顔の千鶴を他所に少年は呆れた声を出し、少女はやや疲れた顔で静止する。
「ちょっとやめなよいい大人が」
「もうー師匠落ち着いて!」
一方互いに掴みあったまま火花を散らす、いい大人達。
そして突然、行と呼ばれた男の右脚が空気を切り裂いたと共に、楓は左腕でそれをガードした。それと同時に楓は右腕を真っ直ぐに突き出し、男はそれを左手の平で受け止める。
「おい…てめぇガードしてんじゃねぇよ」
「そりゃこっちの台詞だ」
互いに腕と足に力を込める。
ぐぐぐ、という音。
「大体お前なんでここにいんだよ」
「それはこっちの台詞だ」
掴み合ったまま睨みをきかせる二人。
すると、
「「やめろっつってんの」」
いつまで経っても互いにガンをとばし続ける二人に痺れを切らした憂里と少女が、その無防備な背中にそれぞれパンチと蹴りを食らわした。
「痛てっおい憂里この野郎」
「痛てぇなてめ伊万里この野郎」
二人は勢いよく振り向きそれぞれに突っかかる。ほぼ同じことを同じタイミングで言っていることに二人とも気付いていない。
置いてけぼりの千鶴は、誰に何を言っていいかわからず、一人立ち尽くしていた。
***
「そんなことより千鶴。お前大丈夫か」
憂里からの一撃でようやく我に帰った楓は、千鶴の脚の怪我を見てそう尋ねた。
持っていたハンカチでとりあえずの処置はしたが、そんなに傷は深くないようで人しれず安堵していた。
「あ…はい」
「何がどうなった」
「ええと…」
何から話していいか言葉に詰まった千鶴を見て、側にいた少女が勢いよく手を挙げた。
「あの!私が…」
「ん?お前は…」
「ねぇ楓さん。この人は一体誰」
楓の言葉を遮って、憂里がそう尋ねる。
それを聞いた男は憂里の方を見て、苛立たしげに言った。
「この人じゃねぇよ京馬だ、ガキ」




