始まりの少女
春。校庭では桜の木が風に吹かれていて、薄桃色の花びらを地面へと落としている。
今年は桜の開花が早く、まだ四月上旬だというのにもかかわらず、所々が緑色の葉に覆われている。
ここは、最寄りの駅から徒歩15分の距離にある県立高校だ。
朝の8時15分、まだ真新しい制服に身を包んだ新入生が一年の昇降口に溢れている。
先日行われた入学式からしばらくが経った。
新しい学校、新しい制服、新しい友達。
新しい環境に誰もが不安と期待でざわついていた。
下駄箱で靴を履き替える多くの生徒に混じって、一人の女子生徒がその塊から抜け出した。
細くて色素の薄い髪を肩で切り揃えた、全体的に存在感を感じさせないような少女。
人混みを見て小さくため息をつくと、そのまま静かに階段を登り出した。
***
一年の教室は、四階にある。
学年が上がるにつれて教室の階は下がって行くという仕組みだ。そのため入ったばかりの一年は必然的に一番上の階まで登らなくてはならないのがこの学校のネックなところだった。
朝ギリギリに登校する生徒は、家から学校までを走って来たのに加え、さらに四階分の階段を登らなければならないという苦行が待っている。
それが嫌なら遅刻をするな、というのが教師の言い分だが、それが出来たらとうにしている、というのが遅刻者の言い分である。
ゆっくりとしたペースで階段を登り切り、最上階である四階の踊場に立った少女。
手洗い場があるそこには壁に埋め込まれた形で大きな鏡が設置されており、少女はそこに映る真新しい制服姿の自分を見て、ふいと顔を逸らした。
少女の教室は四階の一番奥にある。
長い廊下を歩く間も、四月の暖かい陽気は容赦無く身体にまとわり付き、少女はブレザーのボタンを外した。
一年一組
そう書かれたプレートを無表情で見上げ、扉に手を掛けた少女はなるべく音を立てないように開け放った。
中ではすでに登校してきた生徒が、それぞれ思い思いの場所で過ごしている。
近くの席に座る者同士で談笑する生徒や、一人で席についている生徒など様々だ。
少女は誰にも声を掛けずに真っ直ぐ自分の席へ向かう。脇目も振らず、真っ直ぐに。
自分の席へ近づくと、そこに寄っかかって数人と談笑していた別の生徒が少女に気付き、語尾が変に間伸びした口調で声を掛けてきた。
「あ、えーと……千駄ヶ谷さん!おはよぉー」
「……おはよう」
千駄ヶ谷千鶴。
これが少女の名前。
千鶴に声を掛けてきたのは、髪を茶色く染め、濃い化粧に耳にはピアスを付けた、よく言えば社交的そうな、悪く言えば無遠慮そうな少女だった。
すでに仲良くなったのであろう、同じような出で立ちの少女らが数人、千鶴の席の前で固まって話していた。
「あ、ごめんねぇ」
千鶴が荷物を置こうとすると、その少女はぴょんと跳ねて机からどいた。
「ねえねえ、イキナリなんだけどさぁ、千駄ヶ谷さんってーあの噂知ってる?」
その少女が馴れ馴れしく声を掛けてきた。不思議そうな顔をした千鶴に、その周りの女子生徒たちはケラケラと笑う。
「出たよ真美、また言ってるし」
「ほんと噂好きだよねー」
「千駄ヶ谷さん、気にしなくていーからねぇ!」
何が楽しいのか千鶴にはわからないが、少女たちはとにかく笑っている。
「……噂って?」
千鶴は真美に向かって、短くそう尋ねた。
正直あまり興味は無かったが、振ってきた話を無視する訳にもいかない。
すると、聞き返してくれたことが嬉しかったのか、真美は嬉々としてこう言った。
「あのねぇ…”…殺さない殺人鬼”っていうの」
「……え?」