事件
「ん……?先輩、あそこにいるの、人ですかね」
「うん?ああ、酔っ払いか……」
「起こしに行きますか」
「このまま置き引きとかあっても困るし、行くぞ」
「ちょっとそこの人、起きて起きて」
「……」
「ほら、道端で寝てたら風邪引くよ」
「……」
「……ほら、起きて!」
「あの、この人何か様子が……」
「……」
「え」
「な、何……っうわああーーっ‼」
***
千駄ヶ谷千鶴が黒羽憂里の正体を知ってから、一週間後。
「……おはよう」
「おはよう……」
1年1組の教室の前では、黒髪の少年と薄茶色の髪の少女がそんな挨拶を交わしていた。
入学してから一ヶ月。そろそろ学校にも慣れて、生徒達も互いに距離が縮まってきた頃である。
とは言ってもこの二人に関しては、つい最近まで話したこともないような関係だった。同じクラスというだけの、いち男子生徒といち女子生徒。
しかし、とある事件をきっかけに、二人の関係は一転する。
「殺さない殺人鬼」。
そう呼ばれるこの事件、実は謎ばかりで複雑怪奇なのである。
ーーーナイフを持った男に刺された。
そんな通報が警察署に入る。
警察官が現場に急行すると、そこには通報者、つまりは被害者がいるのだが、刺されたというのに身体には傷一つついていない。
不思議に思った警察官が被害者を問いただしても、皆一様に「刺された」と口にする。
しかし、わかりやすく順を追って説明をしろと警察官が言うと、何故か皆記憶が曖昧であり、直前まで何をしていたか覚えていない。
そんなことが相次ぎ、被害者が刺された凶器を探すがそれも無く、犯人と思われる者の手掛かりも無い。
警察はまさにお手上げ状態であった。
一応「通り魔事件」という名の下に捜査はしているが、誰が犯人なのかといったことや、怪我もしてない被害者の扱いなどのたくさんの問題があるようだ。
そして先日、千鶴は偶然その場面に遭遇する。
暴漢に襲われた千鶴だが、あわやの所である人物に助けられる。
その人物がこの男子生徒、黒羽憂里で、彼こそが噂の「殺さない殺人鬼」であった。
「殺人鬼」とは、人々の悪しき心から生み出される"黒い影"によって自我を失った人間が暴走するのを止める役割を担っており、千鶴を襲った男も"黒い影"によって暴走していたのだった。
憂里の持つナイフによって窮地を救われる千鶴だが、千鶴もまた本当は一般人には見えないはずの"影"が見える体質であり、それを知ってお互いの秘密を共有するようになったのだ。
「そういえば千駄ヶ谷さん、今度、会わせたい人がいるんだけど」
「……はあ。どういう人?」
「前に言った、退治人の」
憂里の言葉に、ふむ、と相槌を打つ千鶴。
「よろしく。そのうちに」
「わかった」
そんな会話を交わしてお互いの席に着く二人を、既に教室にいた数人の生徒は物珍しそうに見ていた。
「なあ、黒羽」
「ーーーふえ?」
憂里が鞄を机の上に置いたと同時に、前から声を掛けられた。
向かい合って正面、憂里の前の席の男子生徒だった。
茶色い髪色をした、一見して社交的そうな男子生徒。
「今さ、千駄ヶ谷さんと話してたよな」
「え?……うんまあ」
ほとんど話したことのない男子生徒から不意打ちで話し掛けられ、憂里は若干驚いていた。そしてその口から千鶴の名前が出てきたことにも。
「何話してたんだよ……?」
「何って、別に……」
「んだよ、教えてくれたっていいじゃんよ」
そんな様子の少年を見てふとあることに気付いた憂里は、小声で尋ねた。
「……千駄ヶ谷さんのこと気になるの?」
直球過ぎる憂里の発言に、少年焦りながらそっぽを向くと、
「ーーーいや、えっと、まあ?何かこう、……よくない?」
「はあ……」
「わかるか!?この感じ!」
「うーん……」
「んだよーーーもう反応薄いなーーー!」
憂里の返答にもどかしげに天を仰ぐ。
なんでわからないんだ、などとブツブツ言いつつ、しかしすぐに勢いをつけて憂里に向き直り、
「そうだ、今さらだけど、俺はあさ……」
「浅井小雪君でしょ」
「なんだ、知ってんのか」
「そりゃあ。もう五月だよ?」
「意外だな、お前人の名前とか覚えなさそうなのに」
そう言ってケラケラと笑う浅井少年。
「まいいや。よろしくなー」
約一ヶ月も経ってから初めて会話というのも変な話だが、悪い人ではなさそうだ。
「よろしく。可愛い名前だね」
「それ言うな、気にしてんだから」
「いいじゃない、素敵だと思うけど」
「そうか?お前いいやつな!」
「……そう?」
ほぼ初会話とは思えないフレンドリーさに、憂里は少し気が抜けた。
浅井小雪は憂里の前の机に腰掛け、ふいに真面目な表情になって、憂里に顔を寄せた。
「で、ぶっちゃけ何話してたの?」
憂里は小さく溜息をついた。




