子どもと大人とカミングアウト
「どうしたんだお前、こんな時間に」
正面にあるソファに座った人物は、上半身を捻って入口の前に立つ憂里にそう話し掛けた。
憂里が何と言おうか悩んでいると、続いて奥から足音がして、もう一人の人物が顔を覗かせた。
「お客様ですか?……ってあれ、憂里君じゃないですか!」
「こんばんは。真崎さん」
憂里はそう言って軽く右手を上げる。
するとソファに座っていた人物は即座に抗議の声を上げた。
「おいお前、俺にはちゃんと挨拶しないのかよ」
「はぁ……」
「おいこら溜息つきやがったな」
真崎と呼ばれた青年は、困ったように笑いながら、
「……まあまあ。お茶出しますから、憂里君、どうぞ座って下さい。あなたも落ち着いて、……楓さん」
***
「……で?」
応接用のソファにどかりと座っている男は、憂里に向かって面倒くさそうにそう言った。
やや襟足が長めの無造作な黒髪に、切れ長の瞳。スッと通った鼻筋に薄い唇。
長い脚を持て余すように組み、憂里を見下ろしている。
「楓さんに話があって」
憂里がそう呼んだ男、鷹条楓は、整った顔を盛大に歪ませてから、「面倒くせえのはやめろよ」と言い放った。
「ちょっと楓さん、ちゃんと話聞いてあげなきゃダメじゃないですか」
そう言ってカチャカチャと音をたてて湯呑を手に現れたのは、先ほどの青年だ。
乃木真崎。
楓よりも頭一つ分背が高く、短い薄茶色の髪に優しげな容姿。楓とは正反対の優男だ。
鷹条楓とその助手である乃木真崎は、この事務所で"影"を専門に扱っている。
憂里も含め、彼らは所謂「退治人」と呼ばれる存在だ。
彼らには「退治人」を統括している「本部」から指示が来て、それに従って様々な案件を処理している。
勿論表向きには出来ないため、この事務所も「何でも屋」として登録されているのだ。ただし看板は出さないし、宣伝もしない。一般人にはおよそ縁のない場所である。
真崎は湯気のたつ湯呑を憂里の座る前のテーブルに静かに置いた。
「憂里君、どうぞ」
「あ、どうも」
真崎には素直な憂里の様子に、
「んだよお前いつもそんだけ素直にしてろよ」
「えっ、なに楓さんヤキモチ?気持ち悪い」
「張り倒すぞ……ってか、本題に入れよ」
「そうだった」
話が逸れまくっていたことにようやく気づいた二人。
「話ってなんだ」
依然としてやる気のなさそうな楓は、その長い脚を組み替え、正面から憂里を見た。
「それが……」
深刻そうな憂里の表情と物言いに、楓は若干身を乗り出す。ところが憂里はあっけらかんと言い放った。
「バレちゃった」
「は?」
打って変わって明るくそう言ってのけた憂里に、楓は気の抜けた、素っ頓狂な声を出す。
しかしすぐに眉を寄せる。
「お前、バレたって……」
「うん。言ったでしょ、この間助けた女の子。その子、俺と同じクラスだった」
「お前っ……馬鹿か!?」
「ヒドイ」
「バレちゃったー、じゃねぇよ馬鹿!一般人に何正体明かしちゃってんの」
しかし憂里は冷静に反論する。
「……大丈夫、問題ない。ーーー彼女、一般人じゃなかったから」
***
「……どういうことだ?」
意味がわからない、と言った風に、その整った眉を上げてみせる楓に、憂里は説明する。
「その女の子ーーー、千駄ヶ谷千鶴って言うんだけど、……"影"が見えるんだ。それも、昼夜問わず、常に」
「な」
「しかも、ずっと前から」
「……ほんとに普通の子なのか?本部から派遣されてるんじゃなく?」
「普通普通、超普通」
「……どういう子?」
憂里は少しだけ考えてから、
「んー……静かで、あれはおとなしい……のか……?とにかく、思慮深い感じ。あ、あと、運動神経がいいかな」
「……いつから見えるって?」
「小学生」
憂里のその言葉に、楓は耳を疑った。
「小学生だって?その子きっと……精神力が並大抵じゃないな」
憂里は首を傾げる。
「小学生から見えるってことはあれだ、物心なんてとっくについてる。先天的ならまだいいんだ。見えることが当たり前だから。けど、後から、しかも小学生なんていう微妙な時期に見えるようになるとーーー気が狂ってもおかしくねぇぞ」
普段見えないものがいきなり見えるようになる。しかも自分だけ。それはどんなに怖いことだろう。
「後天的に見えるようになる、ってやつは少ない。俺も数える程しか会ったことねえし。だからこそ知ってる」
「……」
「そういうやつらは、確実に心を病んだ。当たり前だよな、いきなりあんなもん見えるようになるなんて」
「……でも、」
「ん?」
「千駄ヶ谷さん言ってた。"慣れた"……って」
楓はそれを聞いて、
「……なんかもう肝が座ってるとか以上の問題だな」
「うん、それは本当に。この間暴漢に襲われてた時に俺が刺したの目の前で見てたのに悲鳴一つあげなかったしさあ」
「はあ〜……逆に心配だな、そういうの」
「うん、とっても」
「……まあバレちまったもんはしょうがねえ。どうにかなるだろ。ただしなんでもかんでも喋らないこと」
楓の忠告に、憂里は了解、と軽く頷いてから立ち上がった。
「そうだお前、その件はちゃんと本部に報告したか?報告書出さないとどやされるの俺だからな」
「したした。んじゃ俺からの報告は済んだし帰る。真崎さーん、お茶ご馳走様ーっ」
いつの間にか奥の部屋へと引っ込んでいた真崎に、憂里は声をかける。
大事な話は席を外すところに、この人は無駄に空気が読めるよな、と憂里はいつも感心する。憂里からしてみれば、真崎が居ても別に構わないのだが。
「お帰りですか」
「ん。用件は済んだし」
「そうですか。お気をつけて」
真崎に再度お礼を言ってから鞄を手にし、ドアの方へと向かう背中に、楓が声をかけた。
「おい憂里。最後にもう一個だけ」
「……なに?」
楓のいつになく真面目な表情に、振り向いた憂里は僅かに気を引き閉めた。それは真崎も同じで、黙って楓を見つめている。
「その子ーーー、可愛いのか?」
憂里は何も言わずに楓を一瞥すると、その日一番の大きな溜息をついた。
「うわもう信じらんない楓さんって馬鹿なんですか?」と真崎。
「馬鹿とは何だ冗談に決まってんだろ阿呆」
「こんな大事な場面でそんな冗談言わなくてもいいじゃないですか僕無駄に緊張しましたよもう」
「だから冗談だって冗談」
そんなやりとりをする大人二人を無視して、憂里はスタスタとドアに寄り、ドアノブを掴んだ。
ギイイという音に見送られ、事務所を出る。
後ろから「気ぃつけて帰れよー」と楓の声がして、憂里は軽く右手を上げるとドアを閉めた。
カラン、と金属のぶつかる音。
階段を降る。登りとは比べものにならないくらいの楽さにほっとしつつ、1階まで一気に降る。
管理人室はすでにシャッターが降りて居て、あの男性の、というよりも人の気配もしない。
職務怠慢だ、などと呟きながら、薄暗いビルを出た。
外は依然として明るく、ネオンが輝いている。夜だということを忘れさせるような、光に溢れた街。
「……」
憂里はそれらを見回して、息を一つ吐くと、今度は駅に向かう人の流れに沿うように、人混みへと紛れて行った。




