内側に棲む
負の感情。
人々の内にある、妬み、憎しみ、怒り。人の心を暗く黒くする、悪しき感情。
人間の心には常にそれらが巣食う。
自分と、他人。
相入れない存在が居ると、人間は自然と相手を拒絶する。そしてそれらの感情が"黒い影"を生む原因となり、それは人間の心理状態に影響を及ぼすようにもなる。
“影”は時に自我を飲み込み、覆い尽くすのだ。
***
「で、俺達は、その"黒い影"を消滅させるのが仕事」
「仕事……?」
「そう。前にも言ったけど、俺以外にもいる。細かく話すと長くなるから端折るけど、大まかに説明すると、俺達は「退治人」って言って、人の心に巣食った"影"を退治するのが役目」
憂里はそう言ってから、手元にあるナイフをポン、と叩いた。
「こいつでその"影"を、つまり人間を、刺す。でもまあこのナイフは人間には効かない。さっき説明したけどね。人間の内に巣食った"影"を切るだけで、傷一つつかないわけ」
「……なるほど。黒羽君みたいな退治人?ってどれくらいいるの?」
「さあ。それは俺にもわからない。けど、東京都の向こう側のもっとあっちの方に、俺達をまとめる、まあいわゆる本部、って呼んでるけど、そういうのがある」
そう言って窓の外、東の方向を指差す憂里。
「まあ要するにお偉方がいるわけ。で、そこから俺達に色々指令が来る」
「なるほど……」
ひとしきり納得した千鶴は、前に聞いたあの噂について思い出した。
「話が戻るんだけど、聞いた噂によると、事件……って言うのも変だけど……夜にばかり起こるって」
「ああ。"影"が一番濃くなるのは夜だ。闇が濃くなるにつれて、"影"も増幅する場合が多い。あともう一つ、若い人に多いなんて言うのは、最近の若者はキレやすいって言うでしょ。そんな感じで、精神的に未熟というか、そういう人の方が"影"に入り込まれやすいからね。先日襲ってきたあの男も」
「そうか……」
聞けば聞くほど深い所に繋がる話に、千鶴は溜息を吐き出した。
「ただの噂かと思ってたのに、こんなに身近な話だなんて」
「……まあ、偶然に偶然が重なったね。たまたま助けたのが千駄ヶ谷さんだったし、その千駄ヶ谷さんが"見える"体質だし」
「私みたいに、いきなり見えるようになるものなの……?」
「んー、人によりけり?生まれつきの人もいるし、千駄ヶ谷さんみたいに後天的になる人もいるし」
「そうなんだ……ちょっと安心」
「ただまあ……後天的に見えるようになる人は圧倒的に少ないみたいだけど」
***
「っと、もうこんな時間だ……」
「え。あ、ほんと」
話し始めてどれくらい経っただろうか。外はもう真っ暗で、家々の灯りがやけにハッキリと見える。電気も点けずに話していたせいか、職員の見回りも来なかった。
「職務怠慢だ……」
二人は誰もいなくなった校舎から出ようと昇降口に向かったが、そこには鍵がかけられていた。
「あー。裏口から出よう」
かろうじて開いている(いつも掛かっていない)裏口を出、いつも出入りする正門ではなく西門に向かった。
しかし、当たり前だが鍵が掛けられている。決して低くはない門。
「しょうがないね……登ろう」
「……え?あ、あぁうん」
千鶴が何の気なしに発した言葉に憂里は若干驚いた表情。それに気付いた千鶴は、
「……なに?」
「いや……女の子だからそういうのあれかと」
「だってそうじゃないと帰れないじゃない……?」
「……そだね」
地面を軽く蹴って、まず最初に門の上へと登った憂里は、何の苦労も無くひょいと飛び降りた。なんてことない軽やかな動き。
「よし。千駄ヶ谷さん、手伝う……よ……?」
憂里が後ろを振り返って千鶴に手を差し伸べようとした瞬間、千鶴は器用に門へ登ってストンと憂里の横に着地していた。
ふわりと風に揺れるスカート。
難なく立ち上がった千鶴を見て、憂里は静かに驚きの声をあげる。
「何というか、すごいね、千駄ヶ谷さん……」
「……え、そう?」
「運動神経、いいんだね……」
「うーん……そうかな」
憂里は、今日初めて(正確には一週間前だが)話したばかりのクラスメイトの、新たに発見した能力の高さについて静かに慄いていた。
「さて……すっかり暗くなっちゃったね……帰ろう」
「うん」
西門を出てすぐに、千鶴と憂里の帰路は二つに別れることになった。
「黒羽君、家そっちなのね」
「あ、いや、本当は千駄ヶ谷さんと同じ方向なんだけど……今日は行く所が……」
「あ、そうなんだ。それじゃあまた」
「うん。……気をつけてね?」
「大丈夫」
「心配だなぁ……暗いし」
「慣れてるから、大丈夫」
それは慣れちゃダメだろう、と心の中で突っ込みながら、じゃあ、と手を上げた。
「……また明日」
「うん、また明日」
そう言って、一人歩き始めようとしたところ、後ろから声が掛かった。
「……黒羽君」
「ーーーん?」
振り返ると、千鶴が頭を下げた。
「ありがとう」
「……いいや。また、明日」
憂里は再び千鶴にそう言った。
千鶴が薄く笑って、家に向かい歩き出すのを数秒間見届けてから、憂里は今度こそ歩き始めた。




