その魔王、いまだ迷子につき
たとえ身の回りでどんな超常現象が起ろうが時間は進む。
たとえ魔王を拾っても、その魔王が下級生に命を狙われても学生である限り夏休みに入る前にやるべきことがある。
テストである。
「今日も残って勉強するの?」
杏奈は朝のHRまでの時間をこうやって後ろを向いて春樹と話すことにしている。最近はそのメンバーにエインも加わった。
テスト週間に入ってからというもの、エインは杏奈に付きっきりで勉強を教えていた。勉強の最中は杏奈も真面目に話を聞いているようだ。
内心早く帰りたい気持ちでいっぱいだったがエイン一人残すなんてことは下級生とまた鉢合わせるよりも危険なことになるなんてことは簡単に想像できる。
春樹が残れば由紀も残るという。由紀が残れば未末も残るという。結局五人全員で今日まで勉強してきた。
今日もおそらくそうなるだろう。春樹たちは担任がくるまでの間雑談をしていた。
まだHRには二、三分あるのに、教室の扉が開かれた。
そこには眠そうな顔をした男が立っていた。
「お、春樹じゃん、お久」
男は春樹を見つけるとふらふらとした足取りで春樹の席へと近づいてきた。
「一弥、今まで何してたんだ?」
春樹の隣の空席に一弥と呼ばれた男は座り、だるそうに机にへばりついた。
「風邪ひいてた」
今にも寝そうな声で一弥は答える。これはいつものことなので春樹も杏奈も気にはしない。
「テスト、大丈夫なの?」
そういった杏奈のほうに目線を向ける。そしてかすかに笑みを浮かべる。
「いつも通りぼちぼちとるさ。ぼちぼちな」
一弥のぼちぼちとは学内ランクで十位以内に入ることを意味している。杏奈より寝ているのになぜかテストだけは素晴らしい成績を残すのが一弥という人間だ。ふだんからだるそうにしていて授業が終わるとふらふらっといつの間にか教室にいない。春樹はにとっては一番古い友人だが未だによくわからない男である。
「で、気になってんだけど、春樹の後の女子は、だれ?」
大勢を起こし、後ろを振り向いてエインを見る。
「お前が休んでるときに転校してきたエインだ」
一弥は「へぇ」といい、席を立ちエインの目の前に近づく。
「高松一弥っす。よろしくな~」
「うむ」
それだけやり取りすると一弥は自分の席へと戻り、再び机と同化した。
一日の授業も終わり、クラスの中には五人以外の姿は無くなっていた。
一弥はまたいつの間にか消えていた。
「風邪ひいてるから帰りてぇなぁ」と春樹に呟いていたがいつ帰ったのか、誰にもわからない。
しばらくは大人しく勉強をしていた誤認だが、まずはじめにアンナの集中料が切れる。そうなれば次々と緊張の糸は切れていき最終的にお茶を買ってこいとの命令をエインから受けた春樹は購買まで買い出しに行くはめになっていた。
購買で人数分の飲み物を買い、教室に戻っている途中で後ろから声が聞こえた。
「春樹さん!」
少し離れたところから手を大きく振っている人影があった。
「あ、あの、お久しぶりです」
「うん」
時雨だった。あの事件から学校内で姿を見かけない日が続き、真面目な時雨にしては珍しいと噂になっていた。
おそらく、原因はエインのせいなのだが先に手を出してきたのは時雨だしエインも「大した怪我なんてしているわけがない。心配すいるだけ無駄だ」と冷たい反応を示すので少し心配はしていたのだ。
「ちょっとお時間よろしいですか?その、エインさんのことでちょっと…」
時雨はそういうと近くにあったベンチを指差し春樹を誘った。
春樹が座ったところとは少し位置を置いて時雨が座る。しばらく二人は無言だったが、
「あのさ」
先に沈黙を破ったのは春樹だった。
「怪我、大丈夫?」
春樹は尋ねた。よく見れば右腕には包帯が巻かれている。
「だ、大丈夫です! 手加減してくださったので…」
時雨は右腕を隠しながら答える。あれで手加減していたのかと思うともう二度とエインは怒らせてはいけないなと心のなかで春樹はこっそりと誓う。
「それで、お話なんですけど…」
時雨が遠慮がちに話しかけてくる。
「春樹さんは、そのどこまで知っているんですか?」
「知っているって、何を?」
スリーサイズは知らない。いや、それ以外のことももちろん知らない春樹だが、そういえば知らないことのほうが多い。
「え~と、その…、エインさんたちの世界…という表現がいいんでしょうか…」
この言葉で春樹はエインの言いたいことを察した。要するにエインや時雨のような非現実的な連中の世界のことだろう。
「ん~、あんまり良く知らないんだ。ごめん」
「わ、悪くなんかありません! おかしいのは私たちのほうですから…」
再び会話が止まる。
「…それで、そっちの世界がどうかしたの?」
「はい、忠告…というと大げさですが、置かれている状況だけでも教えておこうかと…」
「僕とエインのおかれてる状況?」
「はい。私の調べですので何ともいいかねるんですが…。どうも、エインさんを狙っている人がいるんですよ」
話のはじめは時雨にエイン討伐を頼んだ依頼主から始まる。
この依頼主というのが調べても調べてもその正体が出てこない。
しかし、調べていくうちにあることに気がついた。
もともと時雨のような特殊な人間というはある程度のつながりがあるのだが、時雨の知り合いはみな、同じような依頼を受けていたそうだ。
すなわち、エインを人間の世界から追い出すという依頼。
依頼主は別々、依頼してきた日時も全くばらばらだが、どうやら時雨の場合と同じでその正体というのも怪しいものがある。
「いったい誰が…?」
話を聞き終わった春樹がもっともな疑問を口に出す。
「さぁ…エインさんを狙う連中は結構多いんです。何と言っても魔王ですからね。まぁ、人間の言葉の王とは違うんですけど…」
「どういうこと?」
興味津津で春樹が尋ねる。
「魔族、エインさんたちにも王様のような存在はいます。けどその人達は魔族の国の王であって魔王ではないんです。魔王は魔族の王、すべての魔族の上に位置する存在。権力や財力などではなく、もっと単純な単位で君臨してる人たちなんです」
「単純な単位?」
「暴力です。単純に魔王の称号を得た人たちはとんでもなく強いんです。私と戦った時も全然本気じゃなかったと思います。まぁそもそもエインさんが魔王たる所以は……って! そんなことは今回はどうでもいいんです」
はっとして頭を横に振り話を戻そうとする。
「とにかく、気をつけてください。また私みたいに依頼を受けた人が襲ってくる可能性はあります。私は失敗したしそもそも乗り気じゃなかったのでもう襲うことはありませんが、他の人はそういうわけじゃないので……」
申し訳なさそうにうつむく時雨。他の人が襲ってくるのは時雨のせいではないのに責任を感じているようだ。
うつむく時雨の頭にぽんっと手をのせて、頭を撫でる。
「気にするな、俺もエインもそんなに気にはしてない」
「そんなことはない!!」
突然後ろから叫び声とともにエインが出てきた。
「帰りが遅いからわざわざ我が出向いてやったら、また他の女と戯れておるとはな!」
すこしお怒りモードのエインが春樹に詰め寄る。
「い、いや、時雨がエインのことで話があるっていうから気になって」
なんとかなだめようと落ち着いてのサインを出しながら少し後ろに仰け反る。詰め寄りながらもエインは横目で時雨を睨む。
時雨は咄嗟に目を逸しててしまったが、意を決して見つめ返す。
「エインさん、あの時は申し訳ありませんでした。謝れば済む問題ではありませんが、謝罪させてください」
じっと目を見つめrて二人はしばらく黙っていたが、先にエインがため息を吐いて春樹と時雨の間に座る。
「おぬしが春樹に敵意がないことはわかっていた。格下相手に使うべきではない魔力も使った。まぁ我はまったくもって悪くはないが大目に見てやる。今度いちごぱふぇを我の満足がいくまで食わせろ、それで許してやる」
その言葉に時雨の顔は一気に明るくなるが、春樹はその言葉を聞きおそらく時雨は泣きをみることになるだろうなと少し同情した。
「そうだ」
なにか思い出したかのように時雨が声を上げた。
「今回のような事件がまた発生するかも知れません。なのでできれば春樹さんのアドレスか電話番号を教えて下さい」
その後、すでに杏奈にあることないこと刷り込まれていたエインとなんとしても春樹のアドレスをゲットしたい時雨によって二回目の激闘が繰り広げられそうになりつつある中庭の奥に男が倒れこんでいた。
「学園内でのあらゆる暴力行為は禁止、ですよお兄さん」
頭を踏みつけ男を見下ろしながら女子生徒は続ける。
「それに部外者はちゃんと入場許可証をとってから入ってきてくださいねじゃないと」
「今度は足だけじゃすみませんよ?」