その魔王、いまだ迷子につき
そんな騒動も昼休みに入る頃には落ち着きを取り戻してきた。
昼休みにはほとんど教室に人はいなくなる。皆、学食や生徒が運営しているレストランなどで食事をするからだ。
だが、春樹達はその混雑に巻き込まれる事を避け、普段はお弁当を持参し食べている。
普段は校庭や屋上で食べるが、今日は四人とも教室に残っている。
昼休みに入りエインは昼食の誘いを受けたがそれは断った。由紀が来たからだ。
「・・・涼香様が、ですか?」
しばらくエインと話していた由紀が、そう言った。
「うむ、涼香が行けというから来たのだが・・・なんだ、涼香から聞いてはおらぬのか?」
その言葉を聞き、春樹と由紀は涼香の嬉しそうな笑顔が頭に浮かんだ。要するに、いっぱい盛られたわけだ。
「あ、やっぱり~、春樹君となんな関係あるのね?そうなのね!?エインちゃん!?」
杏奈がエインに尋ねる。
その言葉に春樹が反応する。いやな予感がする。
「それはそうだ。春樹と我は同じ屋根の元同じ部屋で過ごしているからな」
春樹にとっては最悪の一言。間違いはない。エインの言葉に間違いはない。しかし、聞きようによっては非常に危ない。
「えぇ!?・・・春樹、あんた人のこと変態呼ばわりしといて、あんたが一番変態じゃない!! こんな小さい…いや、同い年だけどここはあえてロリっこにさせてもらうわ!」
「ち、違う!いや、違わないんだが、とにかく違う!」
「何が違うのよ!エインちゃんと同棲してんでしょこのロリコン変態!」
「な、み、未末!何とか言ってやれれ!」
「うむ、完全完璧パーフェクトに変態だな」
味方だと思われた未末も杏奈側に回ってしまった。由紀はおろおろしてみている。杏奈はやっと仕返しができるからか妙にうれしそうだ。
「変態!」
「いいから話を聞け!!」
そのあと春樹の必死の説得とエインのちょっとの訂正により一応「変態かもしれないが一応変態じゃないらしい」という結論で落ち着いた。
「へぇ、エインちゃん春樹んちに居候してるんだ~。由紀といいあなたのうお
家には可愛い女の子が集まりますな~」
杏奈が弁当を食べながらエインに次々と質問を浴びせる。主に春樹とのことについて。
「エインちゃん、気をつけなよぉ、春樹、おとなしそうな顔してるけど心は狼だから」
「狼?どういうことだ?」
きょとんとしているエインに対し杏奈は驚きの表情を浮かべる。
杏奈はおろおろしながらエインに近づき、耳元でなにやらささやいている。
だが、エインは何を言っているのかわかっていないようだ。
その反応に再び杏奈は驚く。
「こ、この子、天然記念物レベルに純粋だわ!」
「お前が変態すぎるんだよ」
春樹が呆れ顔で杏奈に言う。
そんな話をしているうちに昼休みは終わり、そして一日の授業が終わった。
「ああ~ん、エインかわぁいいぃ~」
エインがすっかり気に入ったのか授業が終わってからずっと杏奈はエインに引っ付いている。
エインは最初は杏奈を受け入れていたが途中から鬱陶しくなったのか引き剥がし今ではもう諦めてなすがままになっている。
「ええい、杏奈よ、そろそろはなれんか!」
「そういう横柄な言葉使いもかわいいぃ~」
春樹はそんな二人を半ばあきれたように見ながら、
「そういえば旅行の話、どうなったんだ?」
春樹が後ろを歩く未末に話しかける。
「それなら問題ない。ちゃんと自家用機も島も手配した。あとは予定日が来るのを待つだけだ」
「や、やっぱ飛行機で行くわけ?」
杏奈がエインから離れて尋ねる。
「なんなら船でもいいが、君は船酔いもするだろう?」
呆れ顔の未末に対して怯え顔の杏奈が反論する。
杏奈は乗り物系は自動車と電車以外まったくだめなのである。
なにかトラウマでもあるのかというほど乗り物に対して恐怖心があり、特に飛行機には恨みでもあるのかというほど嫌悪感を抱いている。
杏奈いわく、「重力に魂を縛り付けられた人間が飛ぶなんておこがましいのよ!」とのこと。
「エインちゃんはどう?飛行機とか大丈夫?」
杏奈の質問に対し、エインはきょとんとした顔をしながら、
「"ひこうき"・・・とは何だ?」
一同が固まる。
「冗談?」そんな空気が流れたがエインの顔からは疑問の二文字しか見ることができない。
沈黙が五人を包んだが、杏奈がそれを破るった。
「エイン、飛行機知らないの?」
「うむ、見た事もない」
エインの発言に杏奈が疑問を覚える。
「じゃぁ、エインはどうやって日本に来たの?」
春樹と由紀はドキっとした。
確かに言われてみれば飛行機を見たことのない外人がこうして日本にいるというのもおかしな話だ。
まさか「実は魔王です☆」って言われてもこの二人は春樹達のようにすんなりとは受け入れないかもしれない。
由紀はおろおろして、エインは黙ったままである。春樹が何か言い訳を探していると、エインが先に口を開いた。
「我は両親とも日本人ではないが生まれも育ちも日本の山奥でな。"ひこうき"とやらも"でんしゃ"とやらも知らぬのだ」
なるほど、っと春樹は感心してしまった。そういう逃げ道もあるのか。少々苦しいが。
「なーるね。それなら納得!それにエインかわいいからもうどうでもいいや♪」
年中頭が春な女だ。今度はエインと杏奈以外の三人がそう思った。
校門近くまで行くと黒塗りの高級車が一台止まっていた。
「それじゃボクはここで」
未末が由紀の手を握り手の甲にキスをしようとしたが杏奈がからかいを入れたので阻止された。由紀は少しほっとしたような顔だった。
未末の姿が車の中に消え、そのクルマも消えた頃になると杏奈もエインから離れていた。
「さ、俺らも帰るか」
予定より一人増員の帰宅だが、まぁ車には乗れるし問題はない。春樹はそう思っていた。
「ねぇ、春樹」
杏奈が突然春樹に話しかける。
「今日、春樹の家に行っていい?」
男としてはこの上ない発言なのだろうがそれは相手の目的によるし雰因気にもよる。
もしこの場がデートで別れ際の一言だったらもうそれこそこの世の天国になるだろう。
だが、そんなロマンティックな雰因気は一切この空間にはなくあるのは杏奈の「エインともっと遊びたい」という熱視線だけだった。
断る理由はない。昔から杏奈は知っているし泊まりに来ることもこれが初めてじゃない。
一番最近来たのは由紀の誕生日。
自分の首にリボンをつけて「私がプ・レ・ゼ・ン・ト♪」という荒業をやり遂げて以来だ。
「別にいいけど」
春樹の許可に杏奈は再びエインに抱きつく。何がうれしいのかわかっていないエインはとり合えず一緒に喜ぶことにしたらしい。
「やったねエイン!今夜はアツアツベイベーな夜になるよ♪」
「?????」
有頂天の杏奈と頂点に?が浮かびまくりのエインがぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「・・・由紀さん、いこっか」
「・・・ええ」
二人はもう疲れたという顔で近くに止まっているクルマへと向かう。
ぴょんぴょん飛びはねている二人も少ししてから春樹と由紀がいないことに気が付き急いで車へと向かう。
家に向かう最中、予想外の増員に運転手は春樹をからかった。
「こりゃ両手に花どころじゃないな~春樹君」
この運転手は春樹がまだ赤ん坊のころ、春樹の祖父を師事していた人で、こうして春樹達をただで送り向かいしてくれている。
本人曰く、「あの人のお孫さんの面倒が見られるなんて幸せなんだよ」とのこと。春樹にはあの頭が少々いかれてるおっさんのどこにそんな要素があるのかわからないが、こういう人はなぜかおおい。いわゆる人徳というやつだろうか。
春樹はいつも遠慮して運転手の仕事場に近い駅前まで送ってもらい、そこからは歩いていたが、今日は杏奈もエインもいるので家の目の前まで送ってもらった。
「じゃぁ明日、駅前で待ってるから」
そう言い残し車は狭い路地を曲がって消えた。
家に入り、涼香がいつもいるはずの部屋に三人は向かった。が、個展へ言っている涼香の姿はなく、恐らく春樹にとっては一番意外な人物が座っていた。
「・・・春樹か。おかえり」
「と、父さん!?帰ってたの!?」
思わず鞄を床に落とす。春樹の目の前には威厳のある顔つきの男が姿勢よく座っていた。
「ついさっき帰ったところだ」
そういって湯飲みに口をつける。が、空だったらしい。
「あ、す、すぐに準備します!!」
由紀もあわてて部屋の中に入りお茶の準備をしようとする。それを男が止める。
「いい。たまには私が客人にお茶を出そう」
男がそういうと由紀はそれに素直に従った。
「春樹も、後ろのお二人も立ってないですわりなさい」
そういうと男は立ち上がり五人分のお茶と菓子の準備を始める。
この家の住民である春樹と由紀はどこか緊張している様子だった。逆にあまり関係のないエインと杏奈は気にすることもなくくつろいでいた。
由紀は久々に見る春樹の父の雰因気に圧倒されていた。この威圧感だけはいつまでたっても慣れない。頭では優しい方だとわかっていてもこれだけはなれないようだ。
春樹もいつもとは少し様子の違う父親を不思議に思っていた。確かに仕事の関係上あまり家には帰ってこないが、いつもはもうちょっと丸い感じだ。
だが、今日は明らかにとげとげしい雰因気を放っている。その威圧感は誰かに向けられているのか、それともただの勘違いか、春樹は見当も付かなかった。
男の入れたお茶が四人に配られた。その瞬間から会話はなかった。もともと口数の少ない春樹の父。それに押されて喋れない春樹と由紀。そんな空気に巻き込まれたエインと杏奈。そんな空気を破ったのはなんと春樹の父だった。
「春樹、エインさんと言う人は・・・・どちらだ?」
春樹は父親の顔を見た。珍しく少し迷ったような顔をしている。
「父さん、エインはこっち。杏奈は昔よく家に来てたじゃない」
春樹の言葉にしばらく黙る父。そして突然「おお」っと思い出して声を上げた。
「杏奈ちゃんか。久々だったからわからなかったよ。悪いね」
「いえ、いいんですよ、気にしないでくださいおじ様♪」
にっこりと笑って杏奈が答える。なぜか父にだけは杏奈は丁寧な口調なのである。
「それで、そちらのお嬢さんが・・・」
「エイン・アドリンガーだ。そなたが春樹の父か?」
誰に対しても口調の変わらないエイン。
「七瀬川宗樹だ。話は涼香から電話で聞いている。私は普段あまり家にいない
がこれからよろしく頼むよ」
許可、なのだろうか。まぁ拒否はしていないんだろう。
それから空気が軽くなったのか雑談をしながら時が流れていった。その雑談の中で出た話題で空気が変わった。それはエインの、
「宗樹の仕事はいったい何なのだ?」
というものだった。春樹は実は知らない。由紀も知らない。別に知る必要はないと思い涼香に聞いたことはないがもしかしたら知らないかもしれない。
宗樹はしばらくの間エインと目線を合わせていたが、ふっと逸らし湯呑に道をつける。
「私は自衛隊という組織に籍を置いている」
素直に春樹は驚いた。いろいろと常人離れした運動能力や体や思考をしていると思ったらまさか自衛官だとは・・・・思ってもみなかったようだ。
「それはどういうことをするのだ?」
エインが立て続けに質問する。
「どういうことか。難しい質問だ。この国では自衛隊としての実動経験はないものでね」
春樹は宗樹の言葉になにか違和感を感じた。しかし、ほんの、小さな違和感だった。すぐに気にすることをやめる。
「あ、そうだ!春樹君とエインの愛の巣を見たいな!由紀、連れてって!」
突然、杏奈はそういうと部屋を飛び出した。由紀も杏奈についていく。もちろん春樹はそれを阻止するために追いかける。部屋には宗樹とエインの二人が取り残された。
しばらく二人は黙ったままでいたが、エインが用意されたお茶を一口飲み、尋ねた。
「どこかで、会ったことでもあったか?」
「…さぁ、気のせいでしょう。お互い、顔だけは知られている身だ。そう勘違いしているだけだろう」
その言葉だけ聞くとエインも立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。
一人残された宗樹は、別に変わった様子もなく一人静かにお茶を飲んでいた。
春樹は今夜道を一人で歩いている。
つい先ほどまで四人で談笑していたのだが家にある飲み物が思いのほか少なく、仕方なく春樹が買出しにでるはめになった。
最初は由紀が申し出たが、女の子に買いに行かせるというのも危なっかしい。同じ理由で杏奈も却下。エインには当てはまらないが万が一にでも頼んだら恐ろしい目つきで睨まれ石化するに違いない。
やっとの思いで大通りまで出て、近くにあったコンビニへと入った。
まだ夜遅くというわけでもないので店内はなかなかにぎわっており、中には春樹の学校の制服を着た集団までいた。部活動の帰りだろう。
春樹は適当に飲み物とお菓子を買ってコンビニを出た。
ポツリ
微かにだが水滴が降ってきたように感じた。
「やっば」
春樹はどんよりとした空を見上げ、急ぎ足になって歩き始めた。そして、何かと正面衝突した。
「っきゃ!」
小さな悲鳴とともに物が落ちる音がした。
「だ、大丈夫!?」
一瞬状況がつかめなかったが、目の前でしりもちをついている少女をみてあわてて手を差し伸べる。
「あ、大丈夫で・・・・!!!」
少女は春樹の顔を見た瞬間目を見開いて固まり、あわてて落ちていた鞄を拾って立ち上がり小さく「失礼します!」といって足早に去っていった。
春樹はしばらく呆然とその光景を見ていた。
しかし、それも雨が降り始めるまでのことでついに降り始めた雨に走ることを強要させられた。
結局びしょぬれになった春樹はそのまま荷物だけ置き風呂へと連行されていった。
春樹はタオルで吹いておけば大丈夫と言ったが、ここには由紀が頑なに反論し、最後には無理やり連れて行き風呂へと押し込んだところで春樹もあきらめおとなしく入ることにした。
由紀は春樹を風呂に入れると早速着替えを取りに向かいいま春樹の部屋には杏奈とエインの二人だけが残っている。
「さて、この部屋に何もないことはさんざん捜査した結果わかりきっていることだし…」
杏奈が立ち上がる。杏奈にしてみればタンスの裏やベッド下にけしからん本が入っているととてもいい展開なのだが残念なことにあの男にそういう趣味はないらしい。男としてどうかと杏奈は思っている。
「エイ~ン、ちょっとついてきて!」
そう言ってエインを手招きして部屋を出る。しばらく歩いていると、ある場所についた。通称風呂場といわれている場所だ。
「…ここは風呂場ではないのか?」
不思議そうな目で杏奈を見る。
「そうだよ♪」
杏奈は何の迷いもなく扉を開けて脱衣所へと入る。
そこは「じゃぐじー」と書かれていた。
この家には二つの風呂がある。
昔から使っている檜風呂と今はやりのジャグジー付きの風呂だ。
涼香がどうしてもジャグジー付きが欲しいというのでむりやり家の一部を改築して作ったのだ。
さらにこの二つの風呂はなぜか竹の柵で仕切られているだけなのだ。銭湯を想像すれば大差はない。
これも涼香が「宗樹様と一緒にお風呂に入りたぁ~い♪」といって聞かないために、宗樹が苦肉の策として会話だけでもできるようにということで柵を置いてなんとか涼香を説得した。そんなわけで今は自然と檜が男、ジャグジー付きが女という風にわかれていた。
「おい、一体なんだと・・んぐっ!!?」
声をあげたエインの口を手でふさぎ、小さく「静かにしてて」とささやく。
エインはコクコクとうなずき、そのまま杏奈に連れられ中へと連れて行かれる。
杏奈は電気もつけずに浴室にまで入り込んだ。
隣の浴室から漏れてくる光を頼りに杏奈は浴室の進む。
そして、柵のところまで近づきなにやら探しているようだ。
エインはそんな杏奈の姿を不思議に思いながらもとり合えず言われたと通りにだまって見ていた。
しばらく探っていた杏奈だが、何かを見つけたようでエインを手招きする。
「一体何なのだ?」
小さな声で杏奈に話しかける。
「エインはさ、春樹のことどう思ってる?」
にやーっとした笑みで尋ねる。
「どう、思っているとは?」
「ぶっちゃけ、好き?」
エインは思わず声をあげそうになったがそれを必死に我慢する。
突然言われた言葉にも驚いたがそれにこれほど狼狽する自分に更に驚いた。
春樹のことが好きか嫌いかで言われたら、恐らく好きなんだろう。だが、それは恋愛感情ではない。エインはそう思っている。
自分に対しこういう接し方をしてきたのは春樹が間違いなく初めてだった。
みな優しかった。親、兄弟、その他自分のまわりを囲むすべての魔族。そのすべてが皆自分に対しては優しく、冷たかった。
それを嫌だとは思ったことはない。ここに存在していることが奇跡なのだ。それ以上は望めない。否、望むことすら認められてない存在、それが自分。そう考えてきた。
しかし、春樹は違っていた。何も事情を知らぬせいなのか、もともとそういう人間なのか、エインにはわからない。しかし、春樹やここの連中はそれをしない。恐れもなければ気遣いもない。ただ、そこにいて当たり前のものとして自分を扱う。それは、もしかしたら自分が心のどこかで望んでいたものかもしれない。それを気づかせてくれたのが、春樹なのだ。意識しない方がおかしい。だが、それが恋愛感情なのか、エイン自身でもわかってはいないのだ。
「わ、わからぬ」
じっと見てくる杏奈から目線をそらしてエインは答える。
「エインは本当に素直でかわいいねぇ♪」
思わず抱きしめたくなるのをぐっと我慢して更にエインを手招きする。
エインが近づくと、杏奈はじっと柵を見つめている。
不思議に思いながらもしばらくその光景をエインは見ている。だが、一向に杏奈は体勢を変えようとはしない。
「な、何をしているのだ?」
エインの言葉に杏奈はエインのほうを向いた。そしてにっこり笑いながら、
「覗き♪」
その顔からは一切の罪の意識はない。恥じらいもない。ある意味無邪気な笑顔だった。
「な、何をだ?」
エインは答えはわかっていた。それでも思わずたずねてしまう。
「はるきんのは・だ・か♪」
なぜか言われたエインのほうが恥ずかしくなるほど杏奈は堂々と言った。
「な、何を見ているのだ!はしたない!」
そっぽを向いてエインが杏奈に言う。そんなエインの姿を見て、また杏奈は誰かをからかうときに見せるにやーっとした笑みを浮かべる。
「・・・・エインも見たいの?」
「・・・!!」
声も出ない。エインは暗闇の中でもわかるほど真っ赤になっていた。
これでも一応魔族とはいえ名家の出身。魔族的淑女として育てられてきた。記憶に残っている裸など自分と自分の母親のものしかない。男はおろか女の裸すら身内以外の裸は一回も見たことがない。
そんな彼女が男の、しかも少し気になっている男の裸なんて見れるはずがない。興味はあるが。うつむくエインに杏奈は更に追い討ちをかける。
「ほら、遠慮しないでみな♪」
その笑みはなぜかとても優しく見えた。明らかにそのうらにはどす黒い考えがぐるぐる渦巻いていたのだろうがそう見えてしまった。
またエインの頭の中もぐるぐる回っていた。見ることが恥ずかしいと思う気持ちと見たいという気持ちが渦巻いている。
真っ赤になりながら悩んでいるエインを見れただけでも杏奈的には満足だったがどうせならもうちょっとからかってやりたかった。
「いいの? 見ないなら私ひとりで楽しむけど…」
「い、いや、待て! 誰も、その、見ないとは、だな…」
杏奈を柵から引きはがしそこへ行くというわけでもなくうつむく。
「もう、本当に天然記念物なんだから・・・」
杏奈はエインの手を引いた。エインは抵抗することもなくそのまま引き寄せられる。もちろん、そこは向こうの風景が見える位置だ。
自分の鼓動の音が聞こえるぐらいドキドキしていることに気づいた。
ゆっくりと杏奈の手が刺すほうを覗く。そこだけ隙間が大きく開いていて向こうから光と湯気が多く漏れている。
エインは既に周りが見えていない。緊張して未だに覗けてすらいない。覗き穴の目の前でまだ悠長しているようだ。
「ほら、早く♪」
杏奈の一言でエインは決心した。そして、自分の目をその覗き穴へと近づける。
パッ
突然浴室の電気がついた。
エインが驚いて辺りを見渡す。すると浴室の入り口に由紀が立っていた。由紀は二人の姿を見てフルフルと震えている。
「な、何をしてるんですか!!二人とも!!!」
怒りの形相の由紀に怯むことなく杏奈は自分達のしていたことを素直に言う。
「の・ぞ・き♪」
「かわいらしくいってもだめです!!よりによって春樹様を覗くなんて・・・」
「今度からは由紀も誘うからさ♪許して?」
「・・・・!!」
由紀は顔を真っ赤にして声も出ない様子ですこし震えている。
そんな二人のやり取りを見ることなくエインは再び覗き穴から向こう側を見る。
「あ、エ、エインさん!!なにやってるんですか!!」
由紀がエインの姿を確認して止めようと近づく。
「羨ましいのぉ?」
杏奈がからかうように由紀の腕をつかみながら言う。その言葉によって再び由紀の顔は真っ赤になる。
「少しぐらい見ちゃいなよ」
突然耳元でささやかれ由紀はビクッっとなる。由紀もまた、エインのように杏奈に騙されて頭の中で天使と悪魔が攻防をくりひろげる。
見たい。好きな人のすべてを見たい。
だめ、そんなこと使えている身でできないし、春樹様に嫌われてしまう。「見つからなきゃ大丈夫!」
杏奈の一言で天使は大敗した。
「・・・・エインさん、代わってください!!」
「断る!まだ我は見ておらんのだ!!」
しばらく二人の言い合いは続いた。
ちなみに春樹はというと由紀が怒鳴り込んだ時点で既に湯船から出て着替え終わっていた頃だった。
すでに夜も更け外から聞こえてくる音もさっぱり聞こえてこなくなった。
騒いでいた杏奈たちも今頃は夢の中をさまよっているころだろう。
「…起きていたのか」
縁側で座っていた春樹にエインが少し気まずそうに声をかける。やはり先ほどのことが少し聞いているのだろう。
「エイン、どうしたのこんな時間に?」
事情を知らない春樹はいつも通りの調子で答える。
「いや、寝付けなくてな。そういう春樹はどうして?」
「僕も同じ。というかあの部屋じゃさすがに寝れないし」
今現在あの部屋は杏奈と由紀が寝ている。さすがにあの部屋では寝れないらしい。
「ふむ、気にすることでもないとは思うのだがな」
エインは春樹の横に座り空を見上げる。
今日は満月らしい。
しばらく二人は何も言わずに月を眺めていた。ほかの星は街の明かりでほとんど見えないが月だけは変わらずいつもの場所に浮かんでいた。
「…ねぇ、エイン」
ぽつりと、月から目線をそらさずに声を漏らした。
「そっちの世界には、月はあるの?」
「…ああ、似たようなものはある。なんでだ?」
「なんとなく。エインの世界のこと知りたくなっただけ」
それっきり二人はまた黙った。
「…春樹よ」
今度はエインが話しかける。
「もし、夢の中が幸せで、目が覚めた世界には苦痛しかないとしたら、お主は目覚めるか? それとも夢の中にとどまるか?」
春樹は月から目をそらさず、しばらく考えて答える。
「僕なら、どうだろう。難しいけど、きっと最後には目を覚ますと思うよ」
「………何故?」
「夢の幸せで満足するって、夢に負けちゃったみたいだから。僕は、エインみ
たいに強くないし、頭もよくないけど、夢を逃げ場にはしたくない。…くさいね」
恥ずかしそうに髪の毛を掻きながら春樹はエインを見た。相変わらず、月を眺めている。
「夢ならば、何でもできる。会えない肉親とも、かけがえのない友人とも、共に暮らすことができる」
小さな声でエインはつぶやいた。
「それでも、夢は夢。目に映ろうが手で触れようがすべて幻。…わかってはいたのだが…」
エインは立ち上がり、春樹の方を見る。
「無駄話につき合わせて悪いな、我はもう寝ることにする」
春樹もエインを見る。その顔は、どこか寂しそうで、どこか嬉しそうでもあった。
「おやすみ、春樹」
エインはそれだけ言い残すと春樹の部屋の方へと帰って行った。
春樹はしばらく縁側に座り続けた。
月を見上げる。きれいな月だ。
この月は現実だ。いつもと同じきれいな月。
エインはどうだろう。非現実的な存在。非常識な存在。
しかし、ここにいた。ついさっきまであった温かいものを体が覚えている。
ほっぺをつねってみる。痛い。どうやら自分は夢を見ていないらしい。
この日々は現実。ほかの誰でもない、自分がその証明者。
「…いかんいかん」
春樹は頭を振って立ち上がる。
妙な話をしたせいだろうか、妙な考えが頭に浮かんでくる。
春樹はこれ以上自分の頭が変な行動を起こす前に早く寝るために毛布を持ち居間へと入って行った。
月が出ている。月は見られている。ゆえに月である。
誰かが見ている限り、それは月であり続ける。誰かが忘れない限り、月は明日もそこにある。