その魔王、いまだ迷子につき
ぼんやりと窓から外を眺める。
見渡す限りの大山と森。遠くの方に自分たちの住んでいる街が見えるが、あそこまで歩いて行ったらどのぐらいかかるだろうとふと考えてみる。
とはいえ、あの町からここまではバスも出ているし一応だが電車も出ている。ここから歩いて帰ろうなどと考える猛者はそうそういない。
今、春樹は自分の家にいるのではない。学校にいるのだ。
たとえ何があろうと、魔王とかが家にやってきて居候とか始めてしまっても、学校は月曜日から始まり金曜日、時には土曜日まで毎日続けなければいけない。
エインのことが気にならないといえばウソになる。
家を出る時、「大丈夫だろう、たぶん」などと楽観的に答えていたが一人で残すのはどうも心配である。何しろ相手は世間知らずのお姫様、もとい魔王様である。涼香もいない今いったい何をして過ごしているのか気にならないわけがない。
「春樹さん、どうしました?」
その声に現実に戻される。気づけば由紀が顔を覗き込んでいた。
「なにか考えていたみたいですが…」
「いや、なんでもないよ」
春樹は由紀の方へと体を向きなおして答える。
「それならいいんですが…お体の調子が悪いようでしたら言ってくださいね?」
「おやおや、朝からいちゃついてるわねぇ」
春樹の前の席に座っていた生徒がにやにやしながら振り向く。
「な! い、いちゃいちゃだなんて! ちょっと、杏奈さん!」
顔を真っ赤にして由紀が杏奈と呼んだ女性に詰め寄る。
「いいじゃない、夫婦の仲はいい事にこしたことはない! 少子化の進むこの
時代、由紀には頑張って春樹君の子供を生んでもらわないと」
腕を組みうんうん言いながら杏奈が答える。
「な、こ、こここ子供って!!」
さらに顔は赤くなる。当社比30%ほどの上昇である。
「あはは、ごめんごめん、冗談だって」
「もう、いい加減にしてください!」
むくれ顔で由紀は怒る。
そんな三人に、というよりは主に由紀に近づいてくる人影があった。
その人影はゆっくりと近づくと後ろから由紀の肩をつかんだ。
「ひぃ!!」
思わず由紀は悲鳴を上げる。
「ああ、むくれたあなたの顔は古代ギリシアの天才たちでも表現できないほど
美しい。それはまるで姿の見えない女神。人が想像でしか見えなかった海の秘法。由紀さん、おはようございます」
「み、未末君!!?」
由紀が振り返るとさわやかな笑顔を浮かべた金髪の男が立っていた。
その光景を見ていた二人は呆れ顔になった。毎朝のことだがよく飽きないと感心すらする。
「ミミ、朝からナンパしてんじゃないわよ」
杏奈の言葉に未末の表情が変わる。
「私の名前は"未末"だ、杏奈君。前から言おうとしていたが君のその口の悪さは直したほうがいい。由紀さんを見習いたまえ」
「あら、じゃぁ今度から気をつけるわ、ミミちゃん☆」
「!!・・・・・・ふん、そういえばまたコミケとやらの抽選に落ちたそうだな?もう何回目だ?諦めたらどうだ?」
未末の言葉に反応して杏奈の顔が真っ赤になる。
「な、そ、そんなことここで言わなくてもいいじゃない!!」
「お、落ち着いてください!二人とも!」
バトルが激化し始めたので由紀が止めに入る。
「すみません、由紀さん。貴方のお手を煩わせてしまって」
由紀の手を握り未末が再びさわやかな笑顔を浮かべる。
「わ、わかっていただけて光栄ですわ」
ひきつった笑顔を浮かべた由紀が答える。
「なによ、顔と性格は一回に15失点コールド負けだけど、胸の厚みなら負けてないわよ!」
そう言って杏奈はその同年代にしては大きい目というか明らかに大きい胸を寄せてはあげて春樹と未末にアピールする。
「ほれほれ、どうだどうだ? はるきん興奮しちゃった」
三人は黙ったまま言われるまま見ていたが、春樹が一言感想を述べた。
「・・・・杏奈、お前変態っぽいぞ?」
その瞬間時が止まったかのように思われた。杏奈は変なかっこのまま止まり、ほかの二人は口に手をあてて何かを我慢している。
そうしているうちにHRの開始を告げるチャイムがなり、二人は自分の席へと戻り杏奈も静かに自分の席にドアの開く音とともに担任が入ってくる。
日直の声とともに立ち上がり、礼をして、また席に座る。
いつもと変わらない学校生活だ。
担任が連絡事項を述べている間、春樹はまた外をぼんやりと眺めていた。
たまに思う、こんなところに学校を作る意味があるのだろうか、と。
山を切り崩してまで作ったのだから何かしらの意味があるのだろうが、誰かの趣味が大きく影響していることは間違いない。
もっとも、そのおかげでほかの学校にはない施設の充実度があるのだからその点では感謝しているのだが…。
そんな学校からの風景を眺めながら考えていたことは、エインのことである。
昨日は涼香が暇だったので二人でなにやら買い物に行っていたようだが、今日は涼香もお華の個展で昼からはいない。
本人は大丈夫だと言っているが、なんとも心配は消えない。
「(あとで電話してみるか)」
春樹がそんなことを思いついていると、担任の連絡が終わっていた。
「さて、実は今日は一つサプライズがある。実は今日から家のクラスに転校生が一人、入ることになった」
教室がざわめく。
「この時期に転校生だって。珍しいわね」
杏奈が振り返り春樹に話しかける。春樹も杏奈の言葉にうなずく。
「じゃぁ、とりあえず入ってもらおう。入ってきていいぞ」
担任が呼ぶと一人の少女が教室に入ってきた。
とても高校生とは思えないような風貌だった。背は小さく、顔も童顔だ。
クラスの全員が彼女に注目する。だが、春樹と由紀は注目どことではなかった。
担任が小さく「自己紹介して」とその少女に耳打ちする。少女はうなずくとクラスを見渡し、口を開いた。
「エイン・アドリンガーです。まだよくわからないことがたくさんありますが、よろしくお願いします」
彼女が言い終わりお辞儀をすると割れんばかりの拍手が沸き起こった。
だが、そんな中由紀と春樹だけは呆然とした顔で少女を見ていた。
「(エインがあんなにしっかりとした口調で挨拶するなんて…いや、そんなことじゃなくて・・・)」
混乱、という言葉が今の春樹には一番似合っている。おそらく彼の人生でも一二を争うほど混乱している。それは間違いない。
「じゃぁ・・・、七瀬川、後ろの席が空いてるな?」
春樹はしばらく答えなかったが杏奈に机をバンと叩かれやっと意識が戻り「空いています」と答えた。
「なら、そこに座ってくれ。わからないことがあったら先生かクラスのみんなに聞くように。それじゃぁ一限目の授業の用意をして各自解散」
担任が出て行った教室はあわただしかった。もちろん、話題はエインのことである。
クラスの半分近くがエインの机の周りに集まった。
「どこから来たの?」
「何人?」
「どこに住んでるの?」
「なんか喋ってみて!」
「髪の毛綺麗だね~さわっていい?」
「ほんとに高校生?」
「お人形さんみたいー!」
「うわぁー時代劇みたいな喋り方なんだね~」
「ねぇねぇ、演劇部に入らない?」
次々に浴びせられる質問にエインは一つ一つ答えていく。
春樹は席が近いということもありその騒ぎに無理やり巻き込まれていた。
少々鬱陶しかったが春樹は既に諦めて今は後ろを向きエインの受け答えをじっと見ている。
そういえば、春樹はエインの変化に気が付いた。角がないのだ。
いまさらそんな些細なことで驚いたりはしないのだが角を隠しているということは自分が魔族だということを悟られたくないからだろう。
春樹はその角の生えていないverのエインをじっと見つめる。
どうも雨のように浴びせられる質問に嫌な気持ちは抱いていないらしい。それどころが、どことなく楽しそうにも見える。
「(ま、本人が楽しそうにしてるならいいか)」
もしかしたらエインが嫌がってはいないかと思っていたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
春樹はそのまま目線を前へと戻す。すると今度は杏奈の顔が飛び込んできた。
「春樹君さぁ、あの子と何かあるの?」
ニヤニヤ顔の杏奈を見ながら相変わらず鋭い女だと春樹は心の中で思った。
「さぁな」
杏奈をさらりとながし、うるさい後ろの声も気にしないようにしながら机から
教科書を取り出し始めた。