第一夜① 一之瀬 悠里
先日投稿を開始した新作の、本編開始です。
『・・・』
あるのは闇だけ。
他には色も、音も、においも何もない。
その中にその存在だけが蠢いていた。
『飛び方を知らない鳥ならば せめて憧れて
愛を知らない天使ならば 誰か抱きしめて
本当のあり方が本当ならばあなたはここで生きて
いつかたどり着く MY GERDEN』
自分の好きな着うたが耳元の携帯電話から鳴り響いた。
ゆっくりと目を覚ます。
そして天井をじっと見つめた。
「ヘンな夢を見ていたような…」
全てを思い出すことは出来ない。
しかし、夢に出てきた少年の眼差は印象深かった。
「疲れる夢だった」
ボーっと夢のことを考えていたが、目覚ましにしていた着うたがまだ鳴っていることに気づきあわてて時計を見る。
「ああっいけないっ!」
ベッドから飛び出ると、急いで制服に着替え、階段を降り食堂へ向かった。
「おばあちゃん、おはようございます」
「ああ悠里。おはよう。朝ご飯出来てるよ」
祖母の優しい笑顔に心が落ち着くが、裏腹に現実の自分の状況を噛み締める。
挨拶だけするとすぐに洗面所へ向かい長い髪を脇に結わいた。
そして登校の身支度を済ませ、祖母と二人、懐かしい味のする朝食を食べはじめる。
二人だけの静かな朝。
祖母はこの山の中にある村でペンションを経営している。
悠里が来るまでは一人きりだったようだが、スキーシーズンになると近所の高校生がお手伝いに来るのだとか。
そして今日から一之瀬悠里もこの村にある高校に通うこととなった。
といっても二年生になってからの編入。
小さいころから喘息の発作があり療養のため何度か訪れたが、都会の高校も性に合わなかったので、なんとなく両親に相談したところ、お手伝いも兼ねて行ってきなさいと、あっさり了承を得たのだ。
確かにここへ来ると体調がよくなる。
朝食を終えると慌てて玄関に向かった。
初登校で遅刻なんて洒落にならない。
「行ってきますっ」
「あんまり慌てるんじゃないよ。気をつけて行ってらっしゃい」
祖母の台詞も耳に入らず急いで玄関を出た。
ペンションから高校までは一本の長い道をひたすら歩くだけ。
車道には全く車の気配はなく、穏やかな春の日差しに、山のほうからは鳥のさえずりが聴こえた。
まだ咲いているであろう桜の花びらがどこからともなく降ってくる。
改めて、田舎に来てしまったと感じた。
途中、この村を守る神様を奉った神社に、『ムーンライト』というカフェを過ぎれば学校は見えてくる。
時計を見ると、予定の時間よりだいぶ過ぎていることに気づいた。
「体調も良いし、大丈夫だよね」
心なしか駆け足になる。
こんなに走れたかというほど快調に足が進む。
それが緊張から来る勘違いだと気づいたのは、坂道の途中にある神社の脇に差し掛かったときだった。
やけに桜の花びらが多く舞っている。
さっきのはここから来たのかと思わせるような立派な桜の樹が境内の奥に見えた。
「こほっ、こほっ…」
胸の奥が詰まる。
先ほどまで順調に動いていた足が止まった。
苦しい。
調子に乗って走ったから。
あまりに久しぶりの発作に跪いてしまう。
携帯用の吸入器をカバンから探す手が震えて、うまく探せない。
カバンから吸入器が転がり落ちる。
それが坂道を転がっていくのを、悠里は見ることしかできなかった。
どこまでもいってしまうと思ったその時、誰かの靴に当たって止まる。
その靴の主は何も言わずそれを拾い上げて悠里に近づいてくる。
逆光のせいでその姿をはっきり確認できない。
そして近づいてきたその影は急に悠里を抱き寄せた。
感覚で男の人だとわかる。
「ちょっ…ごほっ!!」
抵抗しようにも体が動かない。
だがその腕は労る様に悠里の背中をさすり、優しく訊ねる。
「こうか??」
吸入器を悠里の口に当てた。
やがて発作は治まり、悠里は安堵からかその優しい肩に寄りかかっていた。
「…おい、そこまで許した覚えはないが」
声の主は先ほどまでの優しい雰囲気から一変し、悠里の肩を強引に引き離し顔を覗き込む。
今度ははっきりと姿を確認できた。
青みを帯びた整えられた髪に、きりっとした眼。
瞳の奥の感情を隠すように眼鏡のレンズが光る。
そして、同じ学校の制服。
「発作は治まったのか?それとも熱でもあるのか?顔が赤いようだが…」
「あっ…ありませんっ!あの、ありがとうございました」
「ふん。当たり前のことをしたまでだ。それに遅刻の理由ができた」
「はあ…?」
男は口の端で少しだけ笑う。
その顔はどこかで見たことがあるように思えた。
「あの、すいません。手、そろそろ…」
周りに人がいなかったからよかったが、朝から接近して見つめ合う男女の図。
一瞬状況整理に間が空いた。
「すっすまなかった!!」
あわてて男のほうが立ち上がった。
そして照れてしまったのか顔を反対側に背けて悠里にその手を差し出した。
「お前は新入生か?入学早々遅刻とはついてないな」
悠里はその手を取り立ち上がる。
「いえ、あの…」
悠里がはっきりと返事をする前に男は言葉を続けた。
「俺と来い。遅刻の理由を証言してやる」
「それって私もあなたのことを説明しなきゃいけないって事ですか?」
「助けてもらった恩はすぐに返すべきだろう?」
当たり前だ。とでも言いたそうな呆れ顔がそこにある。
この人と話していると、恩人ではあるが嫌いになりそうだと、悠里は色んなことを諦めた。
-教室
ある男に指差される。
しかも無表情で。
「この子を救ってそのせいで遅刻しました」
「最低…」
お読みいただきありがとうございます。
主人公悠里と、最低な男の出会いでした。
これからどのように展開していくのか、今後の更新をお待ちください。