第四夜① ムーンライト
戦いの合間のひと時に、とある店の前に悠里は立っていた。重たそうな扉を開けるとそこにいたのは。
そこはまさに昭和レトロを体現したような建物だった。
いや、ここではもしかしたら最先端を走っているのかもしれないが、今どきの女子高校生が入っていいものなのかをためらってしまうような重厚な作りの扉の前で、悠里はごくりと唾を飲み込むが、思い切ってそのドアを開けた。
「一之瀬先輩!」
ある放課後、悠里を引き留めたのは中等部の後輩大雅だった。なんだか少し嬉しそうな笑みを浮かべ、悠里の後ろに立っている。
「大雅君、どうしたの?」
大雅は変わらずニコニコした顔を悠里へ向けながら手を振り近づいてきた。
「先輩をご招待します!」
「招待??」
悠里の返事など聞くこともなくその手を取ると大雅は柔らかい表情のまま歩き出す。
きっと楽しい場所に案内してくれるのだろう、と悠里も少しだけ期待を持って大雅に引かれるがまま一緒に学校を出た。
『喫茶ムーンライト』
そう書かれた看板が立てかけられた古めかしい雰囲気が漂う店の前につくと、大雅は悠里の手を放し笑顔で扉を開けるようにと催促する。
緊張しながら重たい扉を開けると、ドアのベルがカランと乾いた音を鳴らした。
「いらっしゃ……」
中から店員と思われる男の声がしたが、現われたお互いのその姿に、声を出した方も期待で一杯だった悠里も時が止まったかのように見つめ合ってしまった。
「……一之瀬」
「樋川、君?」
制服の上に紺色のエプロンをまといお水を乗せたお盆を持っていたのは、接客をするようなタイプでは全くないと思われていた樋川恋だった。
「こんなところまで追いかけてきて!」
奥の席からひょっこりと顔を出したのは汐音だった。ムスッと頬を膨らませてこちらを睨んでいる。
「それはお前だろ」
汐音に対していつものあきれた表情を浮かべた恋が、状況をいち早く飲み込み悠里と大雅に席に座るように促した。といっても客が全く入っておらず店内にはいつもの顔がそろっているだけとなった。
「れ~ん」
席に着き店内を見回しているとドアのベルが鳴り聞いたことのある声が入ってきた。
「黎杜先輩」
恋は一体どうなっているんだという困惑の表情で、入ってきた黎杜を見る。その後ろから勇侍も続いて入ってきた。
「お邪魔しま~……あれ?悠里さん!」
勇侍はすぐに悠里たちに気付くと、ニコニコとしながら寄ってきた。
「恋のとこのアイスコーヒーおいしいよね」
そう言って悠里の隣の席に当たり前のように勇侍は座る。
「恋……樋川君のとこ?」
「え?もしかして」
きょとんとしている悠里の様子を勇侍はすぐに察知し、恋のほうをちらりと見ながら首をかしげた。
「言ってなかったんだ?」
そんな勇侍の疑問には大雅が即座に口を開く。
「すみません!恋先輩の事もっとちゃんと知ってもらった方がいいと思って!」
「え?ど、どういうこと」
大雅は至って真面目な顔で、たぶん本当に親睦という絆を深めたかっただけなのだろうがそう取ることができたのはこの空間では発言者である大雅だけであった。
明らかにおかしな反応を示したのは、皆とは少し離れた席でおいしそうに食べていたイチゴのパフェについていた長いスプーンをギリギリと噛んでいる汐音と、先輩たちへ運ぶ水を入れているコップを握りしめている恋だった。
悠里は相変わらずの鈍さで意味が分かっている様子はなかった。
勇侍と黎杜は顔を見合わせにやにやと笑っている。
「余計なことを……」
乱暴な音を立て、テーブルにコップを置く恋の顔にはやり場のない怒りと困惑が見え隠れする。
「余計ではないです!」
大雅が恋の反応が気に入らず、ムッとしながら恋に向かって言葉を投げかけた。
「私は、知りたいけど」
悠里がボソッと呟いた途端、恋の手からコップが滑り落ちたがうまく着地した。
悠里にしてみたら大したことを言ったつもりはなかったのだが、その場の空気が一瞬にして熱気を帯びる。
「ですよね!!!!」
一番元気になったのはやはり大雅。
成り行きを面白そうに傍観していた勇侍と黎杜も思わず口を大きく開け恋を見る。
「んな、んなこと知ったって……」
恋の顔はみるみる紅潮していった。もう悠里のことなど見ることができない様子だった。
「恋、よかったな」
黎杜は嬉しそうに眼をつむり、上を向く。
「それに、初めてだと思うんですけど?こっちでみんなが一緒の場所にいるの」
机に置かれたコップを手に取りごくりと水を飲んだ悠里は、全員の顔を見た。
「確かに」
勇侍も皆の顔を一人ずつゆっくりとみる。皆も同じように改めて一人一人が現実のその姿を確認している。夢幻世界ではランダムではあったが、皆が一堂に集まることは珍しくはなかった。
「ここにきて、おかしなことばかり起こっているけどみんないい人たちだから何とかなるって思える。もちろんみどりさんもきっと学校に戻って来る気がする」
「悠里先輩……」
「悠里ちゃんっていいこだねぇ」
大雅がホッとした顔を見せ、勇侍が優しく微笑む。奥の席で、汐音がおとなしくパフェを食べ始めると、場は静まり恋はやっと落ち着きを取り戻した。
「ここは俺の母が経営している喫茶店。俺は週二回放課後にここで手伝いをしている。アルバイトではないから校則違反ではない。そして今日がその手伝いの日。質問はあるか?」
反論を許さないいつもの様子で一気に言い切った。
悠里は、そんな恋にはもう慣れた様子で話をきちんと聞いている。
「ご両親のお手伝いをしているなんて偉いんだね」
「母の、だ。父親はもうだいぶ前に亡くなっている……ってこんな話は面白くないな。何か飲むか?」
初めて、恋が自分について自分の口から話し出したという事に悠里はじめ、そこにいた全員が驚いたが、それよりも話の内容が重くなりそれが面白くないと言う、恋が周りに気を使ったという事の方が、全員一致して驚きの要素となっていた。
「恋先輩は根はいい人なんですよ!」
大雅がなぜか目を潤ませ、大きくうなづきながら感慨にふける。
「そんなのみんなが知っていることだわ」
いつの間にかパフェを食べ終えた汐音が悠里たちの目の前に座って、いまさら何を言っているんだというあきれた様子を見せた。
「こんないいやつなのに、なんで怖がられるんだろうな」
黎杜が腕を組み真剣に悩んでいる。
「眼鏡の奥の瞳が怖いときあるよね」
勇侍がニコニコしながら恋の背中を指差した。
「わかる」
悠里が小さく勇侍の意見に賛同する。
「ぐぐっ……」
一つ上の先輩である勇侍や黎杜に面と向かって文句を言う事ができず我慢している恋の背中から、ドス黒い何かが浮かび始めていた。
「先輩、落ち着いてください!悪気のない人たちばかりですから!」
大雅が、恋の殺気を察知し慌ててフォローをする。そして、続けて小さくつぶやく。
「……僕たち、ずっとこのまま仲良くいられますよね!?」
「大雅」
突然のトーンダウンに、一同は大雅の抱える不安感が自分たちと同じものだと気づく。
「わ、私たちがいつ仲良しになったっていうのよ」
汐音が悠里に対して不満な顔を向けるが、その瞳の中には答えを求める戸惑いが写っていた。
すると勇侍が汐音の手を取ってにっこりとほほ笑み口を開く。
「僕は仲良しだと思ってるよ?向こうでは戦友だし、こっちでは友達だ。寝ても覚めても一緒ってある意味家族みたいなものだよね」
その隣で黎杜も大きくうなづいた。勇侍たちの思いに悠里の気持ちも少し軽くなる。そして大雅は答えを求め恋を見た。
「願えば叶う…だろ?現実でも、そうだといいな」
恋はこちらを振り向くことはなく、その表情は誰にも見ることはできなかった。
しかしここに居た全員が、恋の顔は真っ赤になっていると確信を持っていた。
お読みいただきありがとうございました。現実世界での全員の絡み、これが後々どのようになっていくのでしょうか。次回更新をお待ちください。