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語らいの裏でそれはおこる※




暗い暗い檻の中。

ぽつんぽつんと天井から水が滴り落ちた。


そこには男がいた。



壁に括り付けられた浅黒い腕から伝った血が止めどなく雫を成していく。


空を仰ぐように伸ばされた両方の掌には鉄の杭が打ち込まれてあり、血と汗にまみれた身体は最早弛緩し、頭をぐったりと垂れていた。



しかし、ふいに血の気の失せたその男の頬にそっと白い手が添えられた。


動く余力も残っていない男だったがうっすらと眼を開くと、銀の瞳と視線が交錯し、思わずひっと息をのんだ。


銀色の瞳に浮かんでいる色は何もない。そこに見られるのはただ冷たさだけだ。

その瞳を恐れるまでならよい、恐れて、怖れて、そして。



男は言うわけにはいかないのだ。言ったが最後、その先はなんとなく予想がついていたから。


閉ざした唇を噛みしめる男に、緩やかに閉ざされた口唇が動く。



「まだ、話す気はないのですか?」


「・・・はっ、ッつ、・・・ねぇなァ」



男が痛みに呻きながらも否を述べると、銀は口角をつりあげた。酷く満足そうに。


けれど偶然その一瞬を垣間見た紅は、くすりと小さく笑って誤魔化すように髭を撫でた。傍らに従う薄紅は淡々としつつもそっと瞳を伏せている。



ふいに見下ろしていた銀が膝をつくと、遅れるようにしてふわりと外套が舞った。



するりと柔らかな銀の掌が男の頬を優しく撫で上げ傷に指を這わせる。まるで傷を癒やさんと。そして子を慈しむ母親のように微笑む。



血が匂い立ち、痛みや疼きに支配されるこの狂った牢獄のなか、男は震えた。震えざるをえなかったのだ。



彼にとって、己が握る情報を漏らさぬように口を割らないのが何に変えても重要なことであり、そして同時に正解であり義務であった。


けれど、混乱した。杭に打たれ、苦痛にのたうち回ることすら出来ないこの状況で口を割らぬ自分が可笑しいのかと。



いや、そんな筈はない。これが最善なのだ。だとしても。本当か。そうだ、その通りだ。いいや。けれども、かえって。しかし偽はどれだ。何が正しくて何が正しくない。正しいのはどこにある。あちらか、そちらか。しかし。それとも・・・。


男は喉を詰めた。




恐懼に満ちた地獄のような牢獄で、あまりにも銀は異色であった。恐怖を優しく綿で包み込むような、そんな正反対の色。


森を巡る水のように、潤す水への思いを馳せた森のように。


差し伸べられた手は、菩薩が気まぐれに垂らした一本の糸か。しかし、あれは縋る者も縋らざる者も、誰も救いはしない糸。



「こちらを見なさい」



ふいに紡がれた銀の言葉に誰が従うかとでも表すように反らした視線を彷徨わせた。しかし反逆の意思を見せた男に、頬に添えていた手を滑らせ、なめらかな所作で男の顎をすくいあげ、見下ろした。



褐色の首の筋がぐいと伸びる。


くたりと冷たい床に放り出している足で蹴飛ばそうともがくが、もはや、男に残っているのは気力だけであった。銀にとって男の抵抗は、そこらを飛んでいる羽虫と同じであったが羽虫は羽虫なりに彼の機嫌を損ねることとなる。



眼を細めると同時に顎の下にまわしてあった親指はそのままにし、骨に沿って頬まで添えられていた指先で男の褐色の肌にぷつりと爪先を差し込んだ。


つぅと重力に従い頬を伝って赤が落ちていく。



痛みはある筈なのに眉を顰めただけに終った男の表情を見てゆるりと肩をすくめた。


長時間かけて熾烈を極めた拷問に痛覚がもはや鈍っているのだろう。けれども痛みを感じない訳ではない。痛みに意識を失いかけていただろう瞬間、傍に立っていた紅が糸でも引くような小さな動作をすると、ぼやけて遠のいていた痛覚が鮮やかに甦った男は声を荒げた。



――痛みか、悔恨の叫びか、それとも慟哭なのか。


ぐわんぐわんと牢獄のなかで声が響く。



「さあ、眼をあけて下さい」


「・・・・・・んの、っうァ、・・・ク、ソったれ」


「・・・まったく呆れるくらいタフですね」



肩を竦めたと同時に優しさに満ちた雰囲気がまるで幻影だったかのように消え失せ、いつものように冷めた空気が銀を覆った。



溜息を一つつき、爪を立てたまま手をひく。

小さな呻き声を背景に背後に立つ紅と薄紅を一瞥する。



「だから貴殿を呼んだのだよ。得意とする所であろう?」


「紅尚書に言われたくはないですね。こういうのはあなたの仕事でしょうに」


「まあ、そう言ってくれるな。銀殿も確認したいだろうと思ってこちらで計らったのだから・・・おや、危ない危ない」



銀との応酬を繰り返していた紅はおどけたようにもう一度なにかを手繰り寄せる所作をすると、頭を垂れていた男がぴくりと跳ねる。


最近の若いのはいかんな、忍耐力がないと紅が笑う。



「その話はここまでにしましょう。そろそろ魔王さまが御夕食を終わらせますので」


「分かった分かった。では、頼むぞ」



紅の後援を受けるような形で銀はまた男の顎をすくいあげ、頬を撫でると流れ落ちた血が跡を追って頬に絵を描いた。



「最終宣告です、よくお聞きなさい」



べたつく血液に眉根を寄せつつも、男の耳元で月影に潜む悪魔の如く囁く。

ひんやりとした吐息が男の耳朶を震わせた。



「眼を開きなさい。さもなくばその目蓋、切り取ってさしあげましょう」



そう、これは脅しである。


闇の世界で生きてきた男はすぐさま裏の意味に気がついた。



――目蓋を切り落とせば眼球はむき出しになり、否応なしに眼は合うこととなる


昔、目蓋を切り取られた者を男は見たことがあった。


飛び出た眼球にぎょろりと回る虹彩。

時と共に涙は止まり、そしてそのあとは・・・―



男は余りの身も蓋もない残酷な光景に思わずとでもいうように瞼をこじ開けてしまう。その刹那、視界一面が銀色に覆われたかと思ったら、瞬間、意識が遠のいた。



「私の問に答えなさい」



ゆらりと揺れた陽炎に影が揺れる。



四肢が弛緩し身動ぎを止めた男を上から見下ろし、君臨者のように投げかけると碌に喋りもしなかった男がゆったりと銀の言葉に鷹揚に頷いた。


とすると、ぱちぱちと気の抜けた拍手が響く。



「流石、銀殿の『魔眼』は違うな」


「紅尚書の『眼力』にはかないませんよ」


「いやいや、謙遜することはない。『眼力(私の)』は相手を萎縮させるしか能がないのでな」


「刑部の長官、刑部尚書として一番お似合いの能力ですよ。コウモリ、此方へ来なさい」



声に反応して牢獄にぶら下がりながら沈黙を保っていたコウモリたちがざわついたが、二匹が黒い羽を広げ銀の肩にちょこんと止まり首を傾げた。これらのコウモリは録画音声機能を備えるハイスペックな魔物であり、内界ではあらゆる場面においてとても重宝されて


いる。そう、今回のようなときにも。



コウモリの瞳が光る。


「調書を作成します。男、以下に答えなさい」



手始めに名前、出身、魔物の種類など答えさせ男に関する一応の情報を得る。

そしてそろそろ良いだろうとのことで、今回の事件について尋ねた。



「捕えた魔獣をどうするつもりだったのですか」


「・・・売ル」


「どなたに?」


「コロ、シアム」


「・・・コロシアムだと?」



虚ろな瞳でぼんやりと口を開ける男の言葉に銀ではなく背後の紅が反応を見せた。ブーツの音を響かせ男に近寄る。



「コロシアムは閉鎖されている筈だ。一体どういうことだ」


「落ち着いて下さい紅尚書。『魔眼』が『威圧』と『眼力』で解けてしまいます」



コロシアムという単語に若干の苛立ちを見せた紅を銀が嗜めると紅は押し黙り肩を竦めた。

歴の将軍の威圧は並大抵の威力ではなく、周囲に影響を与えないため繊細な制御が必要となり、時折、小さな感情の揺らぎさえその制御に影響を与えてしまうのだ。



「だが、コロシアムは倫理的問題で幾百年も昔に禁止されていると聞いている。そもそも、その存在すら二代目魔王さまが国辱として封印したということだが・・・」



老獪な顔を怪訝に顰め、牢獄の薄暗い篝火のなか血のような紅色の瞳が浮かび上がり男を射抜くが、もはや男は魂の抜けたマリオネットと同じ。何の反応も見せず静かに呼吸をするだけである。


銀もなるほど、と納得した。

彼もコロシアムという単語を今まで聞いたことがない。二代目魔王は歴史上もっとも善政に長けた者であったと聞く。その二代目魔王がそれほどまでに隠そうとしたもの。


中界の人間の話しいてはクルミのことを次に聞き出そうと思っていたが、紅のただならぬ様子に優先順位を変更し尋ねた。



「そのコロシアムはどこにありますか?」


「・・・コロ、シアム  ハ チ」



―――・・・ぽこり


気泡が深い海の底から浮かび上がる音。



突如として静まっていた魔力がざわつき―――


瞬間、銀は素早く身を引き両手を宙に突き出し、――




―――――ドオオォオオンと巨大な爆発音と突風が牢獄を引き裂いた。

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