見つけられた人間
恭しく通された客室で、私は綿飴みたいにふかふかのソファーに身体を包み込まれている。足元には幾何学模様の毛足の長いラグが敷かれており、意匠を尽くしただろう木製の机の上には香り高いティーセットが置かれていた。
一見優雅な一時にみえるが、そんなことはない。ていうか、あんまりにも豪華すぎで一般家庭の申し子だった私にはこの空間は果てしなく居ずらい。手持ち無沙汰に机をとんとんとつついた
「まだか」
「申し訳ありません。監視用コウモリも使って魔物斡旋者を捜索中です」
「そうか」
はあ、とため息をついた。私は今魔王さまとしての権力を駆使し、警察機構の刑部に勤める警士たちにさきほどの魔物売買の被害者と加害者の捜索にあたらせていた。
―・・・一度は見捨てたくせに。
そんな風に自分を嘲笑い今なお見捨てろと囁く今の私に、『私』が待ったをかけた。日本で生まれ育ってきた過程で蓄積された道徳心が。異世界人である私を構成する土台。
もし今回彼等を見てみぬふりをしたら私は、元の世界からさえも異物とされ弾き出されるんじゃないかと。そんな根拠のない弱音すら蛇のように頭をもたげた時、ばたばたと慌しい音がして思わず扉へと視線を向けると、刑部においての上級警士が苦虫を潰したような顔をした。
とんとんと、扉を叩く音と共に中悪魔だろう警士がファイルを片手に報告に入るが、尻尾の黒いちろちろが不安気にゆれている。
「報告いたします。魔物売買に加担しただろう者を捕縛いたしました」
「ああ」
ふう、と取りあえず安堵の息をついて思わず頬を緩めた。これで少しは罪悪感に苛まれなくてもよくなった。向かい側にいる上級警士がちらちらとこちらを見ては顔を背ける。
チラリズムか!こいつこんなことで何そんな安堵してんだとか思ってんのか。まあいい、今の私は機嫌が良い。とういわけで、だ。
「売買された魔物の行方の探索と保護へ努めろ」
「はっ!」
するりと流れるような敬礼をし身を翻した中悪魔の背を見送ろうとしたが、開いた扉の向こうに見なれた色を見付けて頬を引きつらせた。何百年も熟成させ煮詰めたような紅色。なんでここにいるのダンディーの化身。
あ、あれでも彼の役職考えればむしろ正しいのか!扉の向こうにいたダンディー化身こと紅は呆然と座っている私を見下ろして、その鋭い瞳を細めた。だけど睨んでいるわけじゃない。奴は笑っているのだ。
「これはこれは魔王さま。御前頂戴しても?」
「・・・・・・」
表情には出さないが、瞳の奥の光をにこにこと輝かす紅に、私は拒絶を飲み込んで無言で片手をあげた。
「光栄の至りでございます、さてお前らは各々の仕事をせよ。魔王さまのお相手は私がする」
威圧感ばりばりな紅にも関わらず、私の接待をしていた上級警士は傍目にも分かるくらいぱあっと年老いた顔を輝かせて静々と、だけれども幸せオーラを振りまいて退出した。なんだあの幸せオーラは。そういえば現れた紅を熱っぽい瞳で見つめていたけど、ま、まさか、な。まさか、うん。ひ、否定はしないよ!互いの意思のもとだったら私も暖かく見守るよ!
むっすりと思わず黙り込むと冷めた紅茶に気がついた紅が扉近くに控えていた先導警士の薄紅に新たな紅茶を頼んで向かい側のソファーに腰を下ろした。そこでようやく、めくるめくる妄想の世界から還ってきた私は新たに出された紅茶にハッとして手を付けた。
良い香りがふわっと広がる。
「銀を出し抜いたそうで」
「ぅっ、ごほ、げほ、ぅええっ」
紅茶を吹き出しそうになったが、根性で阻止した。咳をしたため下を向いていた顔をあげると、顔一面に笑みを浮かべる紅がいる。器官に残っている紅茶を吐き出しつつ、じっとりと睨みつけた。
「人聞きが悪いぞ」
「むくれるなむくれるな。可愛い顔が台無しだぞ魔王さま」
ぷいっと年甲斐もなく顔を背けると伸びた手にくしゃくしゃと頭をなでくりまわされる。髪の毛がぼさぼさになるー!と必死で頭を上下左右に動かすがぎりぎりと強い握力に抑え込められてにげれられない。
というよりむしろ私の頭を潰す気かこのダンディー!頭パーンってなるよ!?ひぅえい、とびびって身動きを止めると紅が柔らかく笑って今度はあちこちに跳ねた髪を纏めるように髪に指を通した。
このくそダンディー、ワイルドなおじさま過ぎるんだよ!しかも見た目厳ついくせに人好きする笑顔しやがって!てめぇに過去に色々とされたこと、こちとら覚えてんだぞ!!そんなことを心中で叫ぶが時々節くれだった指が頬を撫でてくるしで、どきまぎしたまま首をすぼめた。
するりと首に節くれた指が這う。
ふぇいと小さな叫びをあげた。くくくくくすぐったい!首は私の弱点だ。アキレス腱に相当するの首である。今なんかを緩めたら笑い転げる気がする!そ、それは嫌だ!
ダンディーの化身、ギャグ要素豊富なオールバックを見事に我が物としている紅と実はクールイケメンな刈上げ短髪スーパーマッチの薄紅の前でそんな羽目になったら羞恥心で灰と課す。乙女にあるまじき大爆笑をぎりぎりと歯を食いしばった。
「主、お止めを。不敬にあたりまする」
「おや、それは困るな。失礼致しました魔王さま」
くくく、と喉で笑いながら向かい側の椅子に浅く腰掛けた紅に安堵の息をつき、紅を諌めてくれた薄紅を見上げた。微動だにせずに紅の後ろで凛と仁王立ちしている。
「久しぶりだな薄紅」
「はい。お久しゅうございます」
そう、紅の先導警士である薄紅と出逢うのは久しぶりである。紅、薄紅。この二人は私の正体をしっている。なぜなら彼らは銀の協力者であるからだ。間違ってはならない。私じゃなく、銀の、だ。
ほんの小さな微笑みを浮かべてぺこりと薄紅に頭を下げられた。薄紅の礼儀正しさに自分の先導警士の銀と比べて思わず熱いものがこみ上げてしまって「くぅ、」とベール下から目頭を覆ったが魔王さま、と紅に声をかけられ手を離した。
「なんだ」
「いえ、やはり魔王さまはお優しいことだな、と」
「・・・・・・どういうことだ」
誉められているように思うが、これは上辺だけの言葉だ。紅の瞳の奥に別の感情が見え隠れしているのにすぐに気がついた。
この世界の生き物はどうしてか感情がすぐに顔にでてきてしまっている。最初は、感情表現が果てしなく豊かなんだなと関心したがなんてことはない。RPGを思い返せば良いのだ。ほら、キャラクターたちの立ち絵とかって基本表情豊かでしょ、あれだあれ。
クールキャラとか言って表情豊かじゃないのもいるけど、それでも隠せない所がある。
――だからこの世界の言葉をそのまま受け取ってはならない。
彼はこの世界の住人だから気がつかないが、異世界人である私には分かる。瞳の奥に隠された本当の感情の篝火が。
きゅ、と眉根をよせて続きを促すと、紅は肩を竦めて好々爺らしい笑みを消した。もはや対峙しているのは、刑部尚書、紅である。
「現時点でですが被害者の中に人間が紛れ込んでいます」
「なに・・・?」
思わず眉を顰めて紅を睨み付けてしまう。だが、一体全体どういうことか分からない。人間が被害者にいる?内界に、人間が?
ふいにキャパシティから溢れ落ちてしまった色々な感情や思考の渦がぐるぐる回って意識が奪われそうになった。身体は異常に冷たいのにお腹の奧が熱を孕んでじくりと痛みをもたらす。
―・・・からりと乾いた口内が、なぜか異様にねばついて仕方がない。
「・・・薄紅、外で待機しろ。誰も近寄せるな」
「御意」
すぐさま部屋を出て行った薄紅に私は魔王さまとしての全てをかなぐり捨てた。紅も薄紅もどうせ私の正体を知っている。それならば、もう演技する必要なんてないだろう。実際、私も紅も、思う所はどうせ一つなんだろう。そんな確信を持って私は口を開いた。