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恋愛じゃないやつ

みぃつけた

 軋む音が聞こえた。けれど、奈々美は、気付かないふりをした。気付かなければ、それは、知らないのと同じだから。知らなければ、それは無いに等しいから。

 それなのに、軋む音は大きくなっていく。気付かない振りを続けることが困難になるほど。



 花は、淡い桃色に染まり、髪を持ち上げる風は、温かい。人々が、新たな一歩を踏み出す季節。しかし、クラス替えの無い特進クラスという進学クラスにいる奈々美にとって、春は学年が一年変わる以外の変化をもたらさなかった。

 奈々美の高校のシステムは少しだけ特殊である。入学して半年が過ぎた時、希望を交えたクラス分けが行われるのだ。その時取られる進路決定の紙は実にシンプルである。

『進学クラスへ行く/行かない』

その二択しかない。

 進学クラスは、奈々美の学校のエリート集団だ。まだ、受験など程遠いと思っている一年の頃から徹底的に「良い大学」を目指す集団。勉強の質も高く、出される課題も多い。少し前に、教科書問題などが話題となったため、現在は定められた授業をしているが、数年前までは、受験に関係のない授業は名目だけだった。音楽と書かれてあれば、数学。美術と書かれてあれば英語の教科書を机の上に拡げた。

 そんな集団に高校一年の時から飛び込もうとする輩は、少数だ。奈々美の通っている高校の偏差値は低くないが決して高くない。そこまで受験に懸ける人間がいるかといれば、答えは否。

 しかし、だからこそ少数授業が可能となる。「大学に行く」ことがまだある種のステータスだった十数年前から、特進クラスの制度は始まっているのだが、その頃、特進クラスは二つ存在していた。それが今では、二十人集まればいい方だ。

 特進クラスは完全選択制であるため、少ない時では、十人以下だった時もある。全体数の差も大きいが、心意気の違いも大きいのだ。

 現在の特進クラスの総員は15名。勿論、皆が皆ガリ勉というわけではない。「面白そうだから」「友達がそうしたから」といった「受験目的」以外で選択した者もいる。そして奈々美をどちらかに分けるとするなら、後者だった。

 奈々美が選んだ理由は「変化が少ないから」だ。クラス替えもしない。新たにクラスメイトが増えることもほとんどない。

 その方が楽だと思った。それが理由だった。

 二階の廊下の一番隅にある2-7と書かれた札のある教室のドアを開ける。

特進クラス以外のクラスは、2年になると、理系と文系、国立と私立で分けられるようになる。教室の前には、紙が張り出され、新しいクラスが発表されていた。

廊下を歩くたびに聞こえる喜と哀の声。

 奈々美は改めて、特進クラスを選んで良かったと思った。

「おはよう」

 ドアを開けると朝の挨拶が飛び交った。見知った顔。それらに、奈々美も「おはよう」と返す。

 けれどそれだけ。

クラスメイト達はそれ以上奈々美に近づかず、奈々美も必要以上に歩み寄らない。この半年間で掴んだ距離感だった。

 溶け込めない。否。溶け込まない。

(だって、面倒くさい)

 奈々美は自分の席に座り、鞄から文庫本を取り出す。自分の世界から、他を排除した。高校生活など、誰と話さずともやっていける。奈々美の場合、無視をされているわけでも、いじめられているわけでも、嫌われているわけでもないのだからたやすい。

 ただ、必要以上に近づかず、近づけないだけ。

化学の実験で班を組まなくてはいけない時には、近くにいる人に声をかける。分からないことがあれば、隣の人に聞く。ただ、「いつも一緒にいる」がいないだけ。「友達」がいないだけ。それだけだった。「クラスメイト」がいれば、学校生活などたやすい。そして、優秀なクラスメイト達はいち早く奈々美の距離感を察知し、必要以上に近づいて来ない。

だからこそ、奈々美は改めて、「特進」を選んだ自分を称賛した。

「昨日のテレビ見た?」

「え?どれ?」

「あの、お笑いの奴だよ!やっぱ、あの人格好良いよね」

 数人の女子が固まって、くだらない話をして笑っている。

「やべぇ。英語の課題やってねぇ」

「マジで?やばいじゃん」

「だからさ、写させてくれ!」

「今度なんかおごれよ」

「おう!ありがと」

 隣の席に固まっている男子の声を耳にしながら、奈々美は自分のノートを確認した。綺麗な字が並んでいる。それは休みの間にやることを義務付けられていた課題だった。文庫本を持つ手を置き、目を通す。

見落としはない。

 再び、文庫本に手を伸ばし、また、自分だけの世界を創った。

 それでも、教室の中に溢れている楽しそうな声は、耳に入ってくる。見える筈のない他人との距離が見えた気がした。自分だけ、違う世界にいるような感覚。自分で望んだその世界。

 


軋む音が聞こえた。奈々美は見えない手で耳を塞ぐ。

(私は今が一番幸せ)

 心の中で呟いた。本音のつもりだったが、暗示のようだと、ふと思った。



 始業式の日にはどうでもいい式しかない。

校長の長く無駄な話を立ちながら聞かなくてはならないという難点はあるものの、早く終わるその日は、悪くはなかった。

午後二時というまだ早い時間に家に着く。鞄から鍵を取り出した。

奈々美の両親は共働きであり、共に帰りが遅い。一人っ子である奈々美は、小学生の頃から、独りで過ごすことが多かった。

「ただいま」

 返事の帰ってこない挨拶をする。

『おかえり』

「うん。ただいま」

 奈々美は、玄関に鍵をかけると自室に入った。そして、自分の部屋にも鍵をかける。

「帰ってきたよ」

 奈々美は言った。

勉強机の上に並べられている文庫本を手に取る。数年前に出版され、未だに続けられている人気作。

人気の高さ故に、アニメ化、ドラマ化がなされたそれを奈々美は愛おしそうに見つめる。少しだけ厚い文庫本の表紙には、笑みを浮かべる厚みのない男性がいた。

その男性の名を愛おしそうに呼ぶ。

「聖」

『おかえり、奈々美』

 再び、聞こえる筈のない声が奈々美の耳に入ってくる。否。心の中で響く。

奈々美は、嬉しそうに笑った。学校では見られることのない笑顔。


 勉強机の隣に、姿鏡が置かれている。奈々美の視線は、そちらに移った。

(大人だ)

 奈々美は思う。

自分は、もう、どうしようもなく大人なのだと。

どんなに幼いことを言っても、どんなに駄々をこねたとしても、鏡の中で立っている自分は、もう、どうしようもなく大人だった。

高校生であることを主張する制服を身に付けた幼さの抜けた顔。もう、中学生だと言い張ることすらできないだろう。

『大丈夫だよ。俺が傍にいる』

 聞こえる筈のない声が再び、心の中に響いた。

いつも、いつでも、必要な言葉をくれる。大好きな聖。

 奈々美は、視線を聖に戻した。

体温の存在しない彼に、軽く口付る。

「大好きだよ。聖」

『俺も、好き』

(なんて、…なんて、意味のないことなんだろう)

 軋む音が聞こえた。

しかし、それに気付かない振りをした。だから、気付かなかった。高く積み上げた積木はもう崩壊寸前であったことに。

 

「みぃつけた」


 奈々美の耳にそんな声が入った。高く細い声。

「…妖精?」

 思わず声が出た。

 目の前にいたのは、全長十センチほど少女。栗色の肩まで伸びた髪。青色の瞳は大きい。その顔は、「美」と称するに十分過ぎた。

「は?妖精?ふざけないでくれる?あんな奴らと一緒にしないでよ。あんたって、バカなんだね。私は、妖精なんかじゃない。悪魔だ」

 奈々美の目の前で中に浮かんでいる少女は、およそ悪魔と称するには、不似合いであった。

しかし、更に似合わないのは、その口調や、小さな声で続けられる、聞くに堪えない「妖精」への悪口。

「見た目は天使なのに、悪魔なんだ」

 奈々美の口から、自分でも驚くほど、冷静な声が出た。

「うわっ。私見て驚かない人間初めて見た!やっぱ、あんたバカなんだね」

 悪魔と名乗る彼女は、楽しそうに手を叩く。

 奈々美は、驚いていた。

通常の驚きは、すでに超えていた。けれど、なぜか、目の前の存在を純粋に受け入れていたのだ。

彼女が、「天使」と名乗ったのならば、夢や幻だと思ったかもしれない。

けれど、目の前の彼女が「悪魔」だと言うのなら、なるほど、自分の前に現れるのは相当だ、と思ったのである。

(だって、私は、…逃げているから)

「積木って何が楽しいと思う?」

 片頬を上げた彼女が問う。楽しそうな顔。

奈々美は質問の意図が分からなかった。けれど、素直に応える。

「…積んでいくのが楽しいんでしょう?積木、だし」

「やっぱ、バカだね。積木ってね、倒れる瞬間が一番楽しいんだよ。私は、今それを見つけた」

「…」

「早く、積木倒しなよ。あんたの世界壊しちゃいなよ。壊れる所、見に来たんだからさ」

「何言ってるの?」

「分かんない?…分かるでしょう?」

 悪魔は、楽しそうに、笑みを浮かべる。憎たらしいほど、無垢な笑顔。

 奈々美は、首を横に振った。

(倒す?壊れる?そんなの、知らない)

 悪魔が宙を飛んで移動する。

奈々美の机の上に降りた。先ほどまで奈々美が手にしていた文庫本の上に乗る。

小さな脚で、文庫本の調子で笑う、厚みのない青年の笑顔を踏みつけた。

とっさに、奈々美の手が出る。

悪魔は、それを軽く避け、再び宙に浮かんだ。奈々美の顔に近づき、クスクスと声を出して笑う。

「バカみたいだね」

 小さく、でも大きい声が奈々美の耳に入った。

思わず、唾を飲み込む。

そんな奈々美の反応を気にすることなく、悪魔は言葉を並べた。

「空想の友達?あ、彼氏か?」

 揶揄する口調。

 奈々美は思わず、顔を背ける。けれど、悪魔は、それに伴って移動した。だから奈々美は目を瞑る。

それでも、耳に入るのは、奈々美の世界を壊す言葉。

「自分で、ただいまって言って。自分でおかえりって返して?んでもって、自分で好きって言って、自分の声で好きって返すの?」

「…」

「誰も、いないのに」

「…」

「この青年なんだっけ?あんたの空想の彼氏。…聖?格好良い名前だね。顔も良い。こんな人この世にいないよね。こんなに格好良くて、性格良くて。んでもって、あんたの意志に合わせて欲しい言葉をくれる人は。いないよね。あんたの世界にしか」

「………うるさい」

 小さな声が出た。

それでも悪魔は続ける。

「何歳だっけ?あんた。結構いい歳だよね?それで、空想に浸って?居心地のいい空間作って?」

「……うるさい」

「大好きって言ってキスしてんの?温度もない、紙に?」

「…うるさい」

「『聖』なんて、存在しないのにね」

「うるさいって言ってるでしょ!!!!」

 思わず叫んでいた。目尻に涙が溜まっている。奈々美は必至で、頭を振った。

(何も考えたくない)

 けれど、悪魔は、もう喋らないでほしいという奈々美の小さな願いすら叶えてはくれない。

「うるさいのはあんた。私、何もしてないよね?あんたが怒るようなこと。だって、本当のこと言っただけ。本当のこと言って、ちょっと、押しただけ。目の前の高く積み上がり過ぎた積木にちょっと、力を加えただけ」

 軋む音が聞こえた。

でも、それは勘違いだった。

軋んでいたのではない。崩れ始めていたのだ。



 思えば、奈々美はいつも、一人で過ごしていた。

いつも家に両親の姿はなく、「友達」と呼べる人もいなかった。一人でいることが多すぎて、人と一緒にいると言うことがどういうことなのか分からなかった。だから、いつも一人でいた。そうしているうちに、周りには「一人でいるのが好きな子」と思われ、誰も近寄ってこなくなっていった。

更に孤独は増していった。

 誰かと一緒に帰る人たちが羨ましくて、「おかえり」という言葉が帰ってくる家に憧れた。けれど、奈々美は、どうすればいいのか分からなかった。声のかけ方を知らなかった。誰かと一緒にいるということを知らなかった。

 孤独に慣れてくると、今度は、そこから出るのが怖くなった。

一度慣れた孤独は、居心地がよく、しかし、孤独でいることを忘れたら、孤独を恐れてしまう気がした。

誰かと一緒にいることに慣れたら、もし、その人がいなくなった時、どうしたらいいのだろう?

誰かを望んだ時、もし、手を振り払われたら、どうしたらいいのだろう?

いつの間にか、奈々美の頭を支配していたのは、そんな孤独だった。

 けれど、慣れた孤独は、冷たく暗い。

そんな時、声が聞こえた。

『俺がいるよ』

 聞こえた、というのは語弊があるのかもしれない。

それは、奈々美の声であり、一人で二役を演じたものであったから。

 けれど、奈々美の記憶では、「聞こえた」ということになっている。

確かに、「聞こえた」気がした。

 それから、奈々美の世界は明るくなった。

 家に帰れば、「おかえり」と聞こえた。寂しく泣けば、「大丈夫?」と心配する声が聞こえた。

 実態のない彼を大好きな文庫本の主人公と同一視した。そうすれば、彼の笑顔を思い浮かべることが可能であり、彼の性格も知ることができたから。どんな口調かも想像できた。どんな場面にどんなことを言ってくれるかも。

 自分で全てを創造するよりも、身近に感じた。

今は会えない。けれど、いつかは会えるんだ、そう信じ込めた。

 そして、それは成長するにつれ、「友達」から、「彼氏」へと変化した。

いつも、傍にいてくれ、欲しい言葉をくれる、理想の彼氏だった。



「…分かってる。……分かってた。おかしいって」

 奈々美が、精一杯力を込めた言葉は、しかし、とても弱かった。

けれど、それでも続ける。

「初めの頃は、何も考えていなかった。一人じゃなきゃ、それで良かった。だけど、成長するにつれて、おかしいって思い始めた。でも、…もう引き返せかなった」

 積木は、すでに積まれていた。基盤が、脆く、いつ崩れてもおかしくない状態で。初めに選んだ積木が間違っていた。それを分かったのは、高く積んだ後だった。

「それでも、聖が私だって、分かってても!こんなのおかしいって分かってても!それでも…」

 奈々美の目から、涙が流れ落ちる。

「それでも。…何?」

 奈々美とは正反対の冷静な声を悪魔が発する。

「…」

「だから、それでも、…何?…『それでも、好きなの』とでも言いたいの?」

 奈々美は、強く目を瞑る。溢れた涙がまた零れた。

「好きなら、好きって言えば?それが悪いなんて、私は一言も言ってない。バカみたいだとは思うけどね。でも、好きなんて人それぞれでしょうが。別に、あんたがその気持ちを『好き』って言うなら、それが好きなんじゃないの?」

「…え?」

「本当に嫌い。あんたみたいにすぐ泣く奴も。泣かれると、ちょっとほっとけないかも、とか思っちゃう自分も」

 悪魔は、悪魔らしくなく小さなため息をつく。

「いたっ」

 悪魔は小さな手で、奈々美の頭を叩いた。

「私が積木が崩れるのが好きなのは、ぐらぐらした世界が嫌いだから。崩して、また積木を重ねればいいじゃん、って思うから」

「…うん」

「『うん』じゃねぇよ」

「…ごめん」

 奈々美が謝罪を述べると、悪魔は、大きく息を吐いた。

「こいつが好きなんだろう?」

「ちょっと、踏まないで」

 再び、文庫本に降り、脚で、綺麗な青年の顔を踏む悪魔を軽く睨む。奈々美の目から、涙は乾いていた。

 悪魔は奈々美の声を聞き入れず、再び小さな脚で青年の頬を二、三度踏む。

「で?好きなの?嫌いなの?」

「…分からない」

 奈々美は、小さくそう答える。

「好き」が何か、奈々美は知らない。

自分だけしかいない世界に小さな頃から飛び込んだから。だから、どんな感情を持って、「好き」というのか、分からなかった。

「好き」「嫌い」の二つしかないのなら、「好き」だ。

けれど、それがどういった「好き」なのか、分からなかった。

「…ただ、私は、自分の行動は、間違っていると思う」

「間違ってるなら、正せば?」

「…うん」

「ちょっと、訂正。…他人と比較して、じゃなく、自分の価値観で間違っていると思うなら、直せば?」

「自分の価値観?」

「あんたさ、自分ってもんがないんだよ。あんたの世界自分だらけなのにさ、結局は周りを気にして、誰にも嫌われないようにしてる」

「…」

「でも、誰にも嫌われないなんて、絶対ないから。あんたみたいに空想の彼氏創っちゃう人もいれば、複数の恋人持つ人もいて、恋人作らない人もいる。全員に好かれるなんてまず、あり得ないから」

「…うん」

「だからさ、あんたは、あんたらしく生きればいいんじゃないの?」

「私らしく…?」

「別にいいんじゃない?空想に生きても、自分だけ愛しても、何しても、あんたが幸せなら。でもさ、あんたの世界は壊れ始めてる。あんたにだって、聞こえたんでしょ?軋んでいく音が」

 奈々美は思い出す。

ずっと、気付かない振りをしてきた音。

「壊して、もう一回創れば?今度は、壊れないちゃんとしたあんたの世界。頑張ってみれば?友達とかちゃんと創ってさ、新しい世界創って見ればいいじゃん」

「…私に、できるかな?」

「は?知らないよ。私に聞かないでくれる?そこまで責任持てるわけないじゃん。やっぱり、バカなんだね」

「…あなた、優しいんだね」

「は?意味分かんない!」

 そう叫ぶ悪魔の顔は、どこか赤く染まっていて、奈々美は思わず笑みをこぼした。

そんな奈々美が癪に障ったのか、はたまた恥ずかしいからか、悪魔は小さく舌打ちをする。

「私は、優しくなんかないからね。だって、悪魔だし」

「うん。ありがとう」

「だから、ありがとうとか本当に要らない」

「うん。それでも、ありがとう」

 奈々美は笑った。それはとても、幸せそうな顔だった。

「もう、いい。私帰る。見たいもんは、見たし。また、積木が崩れそうになったら、悪魔が見に来るから」

 そう言って、悪魔は、姿を消した。

 高く積んだ積木は、知らぬ間に崩れていた。

新しい積木は用意されている。

 奈々美は、もう一度、悪魔に会いたいな、と思った。けれど、もう二度と会わなければいいなと思った。



 奈々美は、視線を下げる。

お気に入りの文庫本を手に取った。

「ねぇ、聖。私は、…結局、どうすればいいのか分かんないよ。聖に話しかけることに慣れ過ぎて、もう、頭で考えなくても、聖はいつも言葉をくれる。いつも、優しい言葉を」

『うん、そうだな』

「でもさ、私ね、やっぱり、逃げているんだと思う。…やっぱり、私は、間違っていると思う」

 そこまで言って、奈々美は小さく息を吸った。

そして、ゆっくり吐きだす。

 目には再び、涙が滲んでいた。

手の甲で拭う。

 両頬を持ち上げた。

「大好きだったよ。今まで、ありがとう。……バイバイ」

 もう、声は聞こえなかった。

 それは、寂しくもあり、けれど、嬉しくもあった。

奈々美は、漠然と一人だ、と思った。

久しぶりに感じる、「一人」という感覚。

 それは、隙間が空いて、風が入ってくるような、どこか、冷たい感覚。けれど、それでも、大丈夫な気がした。

(明日は、自分から、「おはよう」って声かけて見よう。お弁当も一緒に食べようって誘うおう。…皆、驚くかな?)

 奈々美は、明日を思い笑う。

不安で、怖くて、それでも、きっと、楽しい明日。

 今までが不幸だった、なんて絶対に言いたくはない。嘘だらけだった毎日だったけれど、楽しかった。幸せだった。

本当に愛おしいと思っていた。

それでも、これから創っていく世界は、今までよりもっと、もっと幸せだと思う世界にしようと、奈々美は思う。

「ありがとう」

 奈々美は、笑みを浮かべ、そう伝える。

 天使の格好をした悪魔で、悪魔と名乗る天使に聞こえることを願って。


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