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硝子の向こう  作者: 小月
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白い空間、黒い彼女。

固い床に仰向けで横たわる体は重く、今は動く気がしない、目蓋をゆっくりと開けば高い高い天井の壁を貫き光を空間に注ぐそこを眩しさに細めた瞳のまま凝視した。

目に入った最初の色は、白。

次に目に入った色も、白。

白い絵の具をぶちまけてしまった様な境界が分からなくなる程真っ白な空間の中、私はぐるりと首を右に左に回した。

右側には何も無い、有るのは白ばかり、左側で見付けたのは一滴の黒、3メートルもの距離の先の大きな一滴の黒は人の形をしていた。


(私…?いや…違う…私じゃない…)


だが、そんな考えは一瞬の間に崩れ落ちる、その人の形をした一滴の黒は寝そべっている私に反してゆっくりと動き出したのだ。上半身を起こし立ち上がる一滴の黒、線の細い印象を受ける華奢な体付きは少女のもの、黒い長袖のセーラー服に身を包み、腰まで伸びる柔らかな長い黒髪、黒いソックスと黒い革靴も相俟って少しだけ覗く白い肌以外全て周りの白から浮いている。

最初に感じたのはその周りに混ざらない違和感、そして次に、なんて綺麗なんだろうと、その少女を心から美しいと思った。


「…ねぇ」


薄紅色の唇から呟かれた声もまたその見た目に反していない綺麗な声で、それが私に向けられたものだと知ったのは彼女の視線を感じてからの事、たっぷり3秒は掛かった筈。


「な…っなに…?」


思わず上擦った声で返事をしてしまう。

私なんかが話して良いものか、誰が言った訳でも無い不安に目が泳いだ、だが不思議そうに首を傾ける彼女は私の行動など気にしていない様にハッキリとした声で言葉を続ける。




「ここはどこ?私は誰?」




登場人物の誰かが記憶喪失になる小説で何度も読んだ事のある台詞。

なんという事だ、彼女はその、記憶喪失なのか?

辺りをせわしなくキョロキョロと見渡す彼女が急に哀れに思える、その姿はまるで親鳥を亡くした雛鳥の様にさえ見えた。


(自分を知らないなんて、可哀相)


そう思考を巡らせた矢先だった、私はふと違和感に気付く。

彼女は、自分を知らない、じゃあ私は?

今の今まで私は私を知っていたつもりだった、でも今は?私は、私は、


(私は、誰なの?)


気付いてしまったのだ、自分自身も親鳥を亡くした雛鳥だと。

謂れの無い不安が押し寄せる、何故今まで平常心で居られたのか…


「ここはどこ…?私は誰…?」


彼女の唇から語られた言葉と同じものが溢れる。

その言葉に、彼女はまた首を傾けた。


「貴女も、知らないの?」


その表情は残念を形にした様なもの。

私に興味など無くなってしまったのか、ふい、と顔を背け、私が寝そべっている方向とは逆の方向へと彼女は足を進めた。

一人にされてしまう、そう思った私は右腕を伸ばし、体を横向きにして未だ重い下半身の代わりに上半身を床に這わせ手の平でズルズルと幽霊の様に彼女の方向へ移動して、右腕を伸ばし続けた。


(待って、行かない、で)


何時かは届くと思って伸ばし続けたその手は、彼女を捕まえるには余りにも遠い位置で何かにぶつかってそこに留まる。

ひやりとした冷たい何か、触れた事に覚えがあるそれは、硝子の壁だった。

ハムスターを飼う時ゲージの中をオスとメスで分ける時のプラスチックの板の様に、その硝子の壁は私と彼女は分け隔てていた。


(なんで硝子の壁なんか…)


押しても動く気配など微塵も無い、叩いた所で結果は同じだろう。

一人この硝子の壁に悩んでいる中、目の前に影が落ちた。


「およそ六畳ね、この壁の向こう、貴女の方も合わせれば十二畳位かしら?天井は吹き抜けね、上は空?」


私の混乱を余所に、遠くに居たはずの彼女は壁に手を添え私に向かって首を傾けた。

一人にされた訳では無いという安堵よりも、私は彼女が不思議でならなかった、記憶も無く、覚えも無い場所に居るのに不安を表情に出していない、むしろ不安など感じているのか?


「…貴女…この状況が怖く無いの…?」

「え?」

「記憶も無くて…場所も知らない場所なのに…」

「あ…そうね、そうよね、本当は不安になるのが普通なのよね…」


そう言って、彼女は途端にオロオロとした仕草を見せた、本当に見せただけで、表情はとても嘘臭い。


「ここはどこ?私は誰?貴女は、誰?」


演劇の芝居の様に棒読みの台詞、彼女は言い終えた後ふと小さく、くすくすと笑い出した。

最初に彼女抱いた印象とは、全く違う、悪戯っ子の様に見える。


「貴女…可笑しい…」

「全てを悲観的に考えるよりは可笑しい方がマシだと思うけど?」


にこり。

そう笑って、彼女はその場で一回転をした。


「こんな状況に陥るなんて、一体何人が体験出来るかしら?それを体験しているなら、むしろ幸運って思わないと」


勿体ないじゃない?

…どうやら彼女は、自分を不幸と思っていないらしい。

私には、とても考えられなかった、この状況は不幸以外の何物でも無い筈なのだ、もしかしたら、怖い目に遭うかもしれないのに。

そう言ったら、彼女はこう返してきた。


「その時は、その時よ」


彼女は馬鹿なのか何なのか。

そんな彼女を真似する事など無理で、とにかく私は、今この現状に嘆くしか無かった。



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