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見くびっていた、らしい

作者: 残業デフォ
掲載日:2026/06/07

数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。


拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。

「先にお店に入っておいて」



 待ち合わせの五分前に、誠から「少し遅れる」と連絡が来た。

 珍しい。


 彼は時間に正確だった。

 几帳面で、優しくて、それが好きだった。


 カフェのカウンター席に座って、私はコーヒーを頼んだ。

 ゆっくり飲んだ。


 誠が来た。

 椅子を引いて、座って、一度だけ深呼吸した。


 ああ。


「亜希」


 呼び方が柔らかかった。

 こういう時は、決まって悪い話だ。

 まだ何もドリンクを頼んでいないのに早々と。


「うん」


 私はカップを置いた。

 まだ、熱い。


「君のことは大切に思ってる」


 出た。


「ただ」


 やっぱりただ、が来た。


「最近、気づいたんだ。君って……地味というか」


 地味。

 今更な気が。


「もっと輝いている人がいるなって、思って」


 輝いている。


 この人は一度も、私の仕事の話を聞いてくれなかった。

 帰りが遅いと文句を言った。

 土日に資料を作っていると「そんなに仕事ばかりして」と眉をひそめた。


 輝いていない、か。

 そうかもしれない。


 そういう時間を、全部仕事に使ってきたから。

 こればかりは、誠の言う通りかもしれない。


「なるほど」


 私は静かにカップを置いた。


「その人と、もう会ってるの?」


 誠は少し眉を動かした。


「……傷つけたいわけじゃない」


 答えたくないらしい。


「ただ、正直に話した方がいいと思って」


 正直に。


 式場の仮予約もした。

 両親への挨拶も済んだ。

 婚約指輪まで受け取った。


 それを今さら「正直に」と呼ぶんだ。


 笑いそうになった。


「そっか」


 財布を出した。


 その時、隣のテーブルから視線を感じた。

 ちらと見ると、白髪交じりの男性が立ち上がるところだった。

 坂本工業の、坂本社長だった。


 目が合った。

 向こうも気づいたらしい。


「……田中さん?」


 社長は少し驚いた顔をした後、深く頭を下げた。


「先日のご提案、役員会で満場一致でした。本当にありがとうございます」


「恐縮です」


「いや、本当に。田中さんがいなければ、うちの再建はなかった」


 社長は、深く頭を下げた。

 何秒も。


「来月、全社員の前でお礼を言わせてほしいくらいですよ」


「それは困ります」


 社長が笑った。


「相変わらず、そういうところが好きです」


 それだけ言って、社長は去っていった。

 テーブルに戻った。

 誠の顔が、変わっていた。


「……今の」


「うん」


「坂本工業の、坂本さん?」


「そう」


「……あの坂本工業? 売上一兆円の」


「そう」


 沈黙。

 誠が、ゆっくりと背を丸めた。


「君、そんな仕事してたの」


 そんな仕事。


 五年間、毎週終電で帰っていた。

 土日も潰した。


 報告書を何十回も書き直した。


 全部、話したことがある。

 全部、聞いてもらえなかった。


 彼からしたら。

 私の仕事は地味らしいから。


「うん」


「全然、知らなかった」


 知ろうとしなかっただけだ。


「……亜希」


「ん?」


 誠が何か言いかけた。

 唇が少し震えていた。

 もしかして今さら。


「頑張ってね」


 私は立ち上がった。

 財布を出して、テーブルに硬貨を並べた。

 正確に、半分。


「割り勘にしよう」


 誠は何も言えなかった。

 店を出た。


 五月の風が、すっと入ってきた。


 不思議と、呼吸がしやすかった。


 地味、か。

 そうかもしれない、と思っていた。


 見くびっていた、らしい。


 どちらが、とは言わないけれど。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

これからは、自分のペースで執筆をつづけていくつもりです。


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