見くびっていた、らしい
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
「先にお店に入っておいて」
待ち合わせの五分前に、誠から「少し遅れる」と連絡が来た。
珍しい。
彼は時間に正確だった。
几帳面で、優しくて、それが好きだった。
カフェのカウンター席に座って、私はコーヒーを頼んだ。
ゆっくり飲んだ。
誠が来た。
椅子を引いて、座って、一度だけ深呼吸した。
ああ。
「亜希」
呼び方が柔らかかった。
こういう時は、決まって悪い話だ。
まだ何もドリンクを頼んでいないのに早々と。
「うん」
私はカップを置いた。
まだ、熱い。
「君のことは大切に思ってる」
出た。
「ただ」
やっぱりただ、が来た。
「最近、気づいたんだ。君って……地味というか」
地味。
今更な気が。
「もっと輝いている人がいるなって、思って」
輝いている。
この人は一度も、私の仕事の話を聞いてくれなかった。
帰りが遅いと文句を言った。
土日に資料を作っていると「そんなに仕事ばかりして」と眉をひそめた。
輝いていない、か。
そうかもしれない。
そういう時間を、全部仕事に使ってきたから。
こればかりは、誠の言う通りかもしれない。
「なるほど」
私は静かにカップを置いた。
「その人と、もう会ってるの?」
誠は少し眉を動かした。
「……傷つけたいわけじゃない」
答えたくないらしい。
「ただ、正直に話した方がいいと思って」
正直に。
式場の仮予約もした。
両親への挨拶も済んだ。
婚約指輪まで受け取った。
それを今さら「正直に」と呼ぶんだ。
笑いそうになった。
「そっか」
財布を出した。
その時、隣のテーブルから視線を感じた。
ちらと見ると、白髪交じりの男性が立ち上がるところだった。
坂本工業の、坂本社長だった。
目が合った。
向こうも気づいたらしい。
「……田中さん?」
社長は少し驚いた顔をした後、深く頭を下げた。
「先日のご提案、役員会で満場一致でした。本当にありがとうございます」
「恐縮です」
「いや、本当に。田中さんがいなければ、うちの再建はなかった」
社長は、深く頭を下げた。
何秒も。
「来月、全社員の前でお礼を言わせてほしいくらいですよ」
「それは困ります」
社長が笑った。
「相変わらず、そういうところが好きです」
それだけ言って、社長は去っていった。
テーブルに戻った。
誠の顔が、変わっていた。
「……今の」
「うん」
「坂本工業の、坂本さん?」
「そう」
「……あの坂本工業? 売上一兆円の」
「そう」
沈黙。
誠が、ゆっくりと背を丸めた。
「君、そんな仕事してたの」
そんな仕事。
五年間、毎週終電で帰っていた。
土日も潰した。
報告書を何十回も書き直した。
全部、話したことがある。
全部、聞いてもらえなかった。
彼からしたら。
私の仕事は地味らしいから。
「うん」
「全然、知らなかった」
知ろうとしなかっただけだ。
「……亜希」
「ん?」
誠が何か言いかけた。
唇が少し震えていた。
もしかして今さら。
「頑張ってね」
私は立ち上がった。
財布を出して、テーブルに硬貨を並べた。
正確に、半分。
「割り勘にしよう」
誠は何も言えなかった。
店を出た。
五月の風が、すっと入ってきた。
不思議と、呼吸がしやすかった。
地味、か。
そうかもしれない、と思っていた。
見くびっていた、らしい。
どちらが、とは言わないけれど。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
これからは、自分のペースで執筆をつづけていくつもりです。
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