第四章 ボスコム谷の惨劇 (一)
放課後。
実験室には、まだ数人の生徒が残っていた。
魔法書の本を閉じる音やカップに注がれる紅茶のかすかな香りが部屋には漂っている。
シャーロットは、その静けさの中で実験の後片付けを手伝っていた。
机の上には分解された魔導具と、観測記録用の水晶板。
彼女は器具を整理しながら、実験を内容と結果を頭の中で照らし合わせている。
隣では、アメリカ旧貴族ドーラン家の令嬢、ハティ・ドーランが手早く器具を収めていた。無駄のない動作。慣れた手つきだ。
昨年のアドラーの研究以来、二人は何度も並んで作業をしてきた。
多くを語らずとも、沈黙が自然に保たれる関係になっていた。
「……これで最後ね」
ハティが箱を閉じると、留め具が軽い音を立てた。
シャーロットは頷き、記録用紙をきれいに揃える。
そのときだった。
実験室の扉の向こうで、足音が一度、ためらうように止まった。
空気が、ほんのわずかに揺れる。
「シャル、少し、いい?」
顔をのぞかせたのは、ヴァイオレット・ウィンターだった。
金色の髪を結い上げ、いつもなら朗らかな笑みを浮かべている彼女の顔が、今日は青白く見える。
呼吸が浅く、言葉を選ぶ余裕がない様子だった。
「どうしたの?」
シャーロットは静かに問いかける。
ヴァイオレットは一歩踏み出しかけ、視線を落とす。
「……アイリスが、泣いていたの。研究棟の裏で」
アイリス・ターナー。
肩までの黒い髪と黒い瞳が印象的なクラスメイト。よくヴァイオレットと一緒に居ることが多く、シャーロットも数回会話をしたことがある。
おとなしく見えるがたまに芯が通った発言をする。ヴァイオレットといるときは、彼女に行動に振り回されているようだ。それはあえて振り回されているのだろう。
ヴァイオレットは、話を続ける。
「恋人が捕まって、……それも“父親の事件で”」
「名前は?」
短い問い。
ヴァイオレットは一度深く息を吸い、答えた。
「ジェイムズ・マカースィ。魔法省の役人で……彼のお父さんが、地方の研究施設で亡くなったの」
「マカースィ……?」
シャーロットの声が、わずかに低くなる。
その名は、魔法省監視局の記録で見覚えがあった。
彼女は立ち上がり、椅子の背にかけていた蒼い外套を手に取る。
「場所は?」
「ボスコム谷、西部よ。でも……あそこは学園の管轄外」
「関係ないわ」
即答だった。
「学生が関わっているなら、学園も無関係じゃない」
その言葉が空気を引き締めた、まさにそのとき。
扉を叩く規則正しい音が、実験室に響いた。
入ってきたのは、寮長のハドソンだった。
落ち着いた足取りと、迷いのない視線。
「シャーロット、ちょっといい」
シャーロットは、ヴァイオレットに目で合図をして、廊下に出る。
「監視局からの通達よ」
手にした書類を示しながら、ハドソンは続ける。
「ボスコム谷で“魔法汚染”が確認されたそう。学園に、観測協力を求めてきているわ」
「……ちょうど、その名前を聞いたところです」
ハドソンは一瞬だけ目を細め、静かに頷いた。
「レストレード監査官が現地にいるそうよ。あの人のことだから……きっと、難しい顔をしているでしょうね」
九月の風は冷たすぎず、だが確かに季節の変わり目を告げている。
しかし学期の始まりは、穏やかな風が吹いていなかった。




