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未遂

会議は決裂に近かった。


「再発防止が先だと言っている。」

統括部の声は低く、冷たい。

「F‐369は単独で脱走できる存在ではない。接触者、内通者、情報流出経路――それを潰さずに元に戻せば、必ず“次”が起きる。」

「理屈はわかるが、悠長すぎる。」

中央動力管理部が即座に返す。

「時間も供給も有限だ。適合者を遊ばせている余裕はない。」

「遊ばせているつもりはない。」

「ならなぜ調律環を戻さない?」

言葉が噛み合わない。

管理部は蒸都の機構の安定を、

統括部は蒸都自体の安定を求めている。

言葉だけだと、僅かな齟齬。

「……これ以上待てば、機構への供給が揺らぐ。調整を執行する。」

管理部の一人が、短く言った。

「責任は、こちらで取る。」

その判断は、正式な合意を待たずに実行に移された。


ーーー


調整槽室。

「F‐369、腕を出せ。」

「………。」

一瞬遅れて、F‐369が腕を差し出した。カチャンと短い音を立てて調律環が嵌まる。ぼんやりと明滅を繰り返し、やがて一定の拍動に落ち着いた。

「見ろ、適正値だ。数値は安定しているだろう。」

「このまま調整して初期化すれば何ら問題無い。立て。」

ゆっくりと立ち上がるF‐369。表情は無い。

「移動する。付いてこい。」

「………。」

F‐369は一歩も踏み出さなかった。

「聞こえなかったか。来い。」

調律環の明滅が少し早くなった。その明滅を抑え込むようにF‐369が目を閉じる。

意志が、ある。

「…来いと言っている!」

苛ついた管理部の男がF‐369の腕を掴んで引っ張った。その瞬間、F‐369はバッと自分を掴む手を振り払うと、男と距離を取り、一度大きく壁に調律環を嵌められた腕を叩きつけた。

警告音が鳴り、調律環が激しく明滅をし始める。

「…消させない。」

声だけは穏やかだった。眼に、強い意志がある。

「何を、言って…_」

言い切る前に管理部の男が言葉を切った。調律環の兆調措置にふらつきながら、F‐369が熱を発する環と腕の間に爪を立てたからだ。

「壊すつもりだ!」

「止めろ…!」

調整槽室は、騒然とした。


ーーー


警告音を止めた調律環は外され、F‐369は一時的に拘束された。

高熱を発した調律環に爪を立て続けた指先と腕が火傷になっているが大事には至っていない。


「処置を中止しろ。」

低く落とされた声に、室内の視線が一斉に集まる。入口に立っていたのは、楊震だった。

「調整の執行は承認を経ていない。ここから先は越権行為だ。」

管理部の人間が苛立ちを隠さずに言い返す。

「だが、このままでは__」

「わかっている。」

楊震は短く遮り、視線をF‐369へと向ける。

俯いているが、先ほどまでの“従順な静止”とは違う。

(…逃げない。だが、従わない…か。)

楊震は、それをはっきりと見て取った。

「見ただろう。数値は適正域だ。だが、命令には応じなかった。F‐369にはもう意志がある。」

管理部は沈黙した。

「調整、並びに記憶処理は延期。監視は強化するが、刺激は与えない。」

「それでは動力供給が…!」

「この状態で調整を施しても静調に痼が残るだろう。無理に押し戻せば、次はこれはもっと激しく抵抗する。」

「……では、どうする?」

問いが落ちる。楊震は、少しだけ間を置いた。空気が、ぴんと張る。

「恐らくはこの状況を作り出した存在…内通者を特定する。調整はそれからだ。」

拘束されたままのF‐369の指先が、わずかに動いた。 __聞いている。

「反抗的ですが…」

「構わん。」

楊震は即答した。

「今は、折る段階じゃない。」

その判断で、人は引いていった。


ーーー


静かになった室内で、F‐369は椅子に座らされたままだった。

楊震が、数歩だけ近付く。

「……意思を持つのは、楽しいか?」

返事はない。代わりにF‐369はゆっくりと顔を上げた。初めて、自分から。

視線が合う。逸らさない、その様子に楊震は、わずかに眉を寄せた。

「勘違いするな。お前に自由はない。」

F‐369は、何も言わない。ただ、目を伏せ逸らしもしなかった。


俯かない。

謝らない。

従うふりもしない。


その沈黙が、これまでで一番うるさかった。

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